ある腹立たしい出逢い

 王都を出奔して数か月。私は星都と呼ばれる場所で生活をしていた。ネフラ様とはこっそり連絡を取り合う仲になり、たまぁに素材収集や警護などの雑務を仕事として投げてくれるようになった。

 レノンの酒場はいつも盛況だ。裏の仕事、表の仕事、それこそ家事手伝いから魔物やら蛮族やらの制圧、敵国への諜報までどんな仕事でも此処は受けることが出来る。


 わたしは酷く鬱屈した気持ちで茶を啜っていた。受けた依頼が糞としか言い様のないくだらないものだった。これなら事務所兼自宅で術式用の符でも書いていた方が有用だったかもしれない。獣人やら亜人やらが店内を喧しく行き来している。純粋な人間はわたし一人だ。いくら中立、争いごと厳禁な此処でも、下手すれば人間は捕獲対象だ。わたしはだから幻視と視野支配の術式を自分の周囲に展開している。この術式を通して観たわたしは小柄な獣人。諜報と偵察に長けた種族に、視える。


 ふぅ、と息を吐いてわたしは席を立つ。カウンターにいる店主に金を投げて、わたしは無言を貫いたまま店を後にした。王都から出たはいいが順調、とは言い難い。アカデミーに居る頃は金の心配なんてしなくても良かったが生活していくうえで金は必須だ。安全な寝床を構えるための自宅、快適に暮らすための家具、空腹を満たすための食材、それらを調理するための調理器具、言い出したらキリがない。

黄金の生成をやろうと思えば確かにできるのだが、それはなるべくならやりたくない。自分が出来ること全部をやって、それでもどうしようもなければやる、その位がちょうどよい気もする。


 そんなことよりも、だ。

 現実問題としてわたしは多少焦ってもいた。食い扶持に困らない程度には仕事があると小耳に挟んで傭兵になったはいいがわたしは前衛に立てない。術式がメインのわたしは当然、戦闘に参加しても後衛だ。前衛と後衛では稼げる額が違いすぎる。受けられる仕事だって全く違う。やろうと思えば前衛で術式をぶっ放すことも出来るかもしれないが、それはあまりにもリスクが高すぎる。

 受けられる依頼は小銭稼ぎにしかならない。これなら傭兵でなくともいいのではないか。いっそ全く別の仕事をしてみようか。術式専門の講師にならなれる自信がある。


 交通機関を乗り継いで、自宅に戻る。と。

 部屋に続く階段に座り込む誰かの影が見えた。長い足を優雅に組んで、さらりと月光色の髪を流している。

 うわぁ、なんでこいつが此処に。どう見ても見覚えがある。

 わたしは反射的に顔をしかめた。

 レノンの酒場に電撃的に名を馳せた竜人が居るのは知っていた。ふらりと現われては最高難易度の依頼も力業でクリアするって。背中に負う大剣でどんな敵でも切り伏せてしまうとかなんとか。嗚呼、最悪だ。どうしてこいつがこんなところに居るんだ。初対面で「小さいな」と揶揄されたことをわたしはまだ根に持っている。最初に逢った時、不幸続きのわたしに天から遣わされた天使かと錯覚したのはわたしのせいじゃない。こいつが綺麗過ぎるのが悪い。

 冗談みたいに整った綺麗な顔をしているのは知っている。雲の切れ間から降り落ちてきた月光が、これまた綺麗にこいつの髪を照らし出すものだからその美しさに磨きがかかる。


「ナナキ、」


 へぇ、わたしの名前を知っているなんて。驚いた。

 わたしは声に応えなかった。低く、艶のある声。心地よく鼓膜を揺らすその声音さえ、完成された美を体現するかのようで自分の惨めさが際立って感じられる。

 あああああああああ、いやだいやだ。


 応えないままのわたしを不思議そうに奴は見てきた。さらさらの細い髪が揺れてきらりと月光を反射する。直視するんじゃなかった。どきり、心臓が跳ねる。兎角、こいつは麗しい。美しいなんて言葉じゃ表せないくらい、きれいだ。


「探したぞ」


 は?

 正直なところを暴露するとわたしはこいつに、アスラに見惚れていたのでその言葉を理解するのに時間を要した。探した?誰が?アスラが?わたしを?なんで。

 白い首元の喉仏がうごいたのを見てわたしはなんとなく、嗚呼、こいつも生き物なんだ、と変な感心を抱いてしまった。氷の彫像のような美しいアスラは肉を持って熱があって?わぁ、なんか想像できない。違う違う、そうじゃなくて。

 探した?


「何故」

「貴様はどうせ碌なことを考えない」


 アスラが吐き捨てるように言葉を放つ。言葉に込められた熱量はとんでもなく低い。冷たい。嫌悪をたっぷり込めたその言葉でさえも麗しい。美人は怒っている表情が一番綺麗だというが本当かもしれない。

 白い頬がうっすらと紅を刺したように赤らんでいて、まっすぐ見据えてくる瞳は煌いている。


 どうせ傭兵をやめるならもう少しこいつと話してもいいかな、とわたしは魔が差した。こんな美人と会話するなんて機会はもうないだろう。傭兵という共通項が無ければこいつと出逢うこともなかったんだから。

 正直な話、アスラの美しい顔をもっと眺めていたいと思った。


「寒い。何をしにきたか知らんが話があるなら中で聞く」


 それほど寒さは感じていなかったがそれを言い訳に、わたしはアスラの横を通り抜け、自宅の玄関を開けた。空いている手で促すとアスラは困惑したように少しだけ眉根をしかめた。あ、良いなその表情。


 狭い玄関を抜けてキッチンの先、リビングは片付いていない。書き散らかした術式符の山と、専門書が積んである。


「意外だな、」

「汚くて悪かったな」

「もっと神経質かと」


 言われた言葉に違和を感じない。そう、わたしは神経質だ。気になることはどうしても手が出てしまう。こう、と決めたらそうしないと気持ち悪いと感じるほどに。


「求められていることをやっているだけだ」


 術式メインだから確実に、期待される結果を。


「万人に認められる結果を出していたらそうなった。それだけの話だ」


 家主であるわたしの許可も得ずにアスラはソファに腰かける。わたしの身長に合わせた低めのソファではアスラの長い脚が納まりきれずゆったりとそれを組む。その一連の動作でさえ流れるように綺麗だ、と思った。


「価値観を他者に合わせようとするから揺らぐのだ。何故もっと自由にやらない」

「なんだ、説教しにきたのか」

「そうではない、貴様にプライドはないのか」

「あるさ、一応な」

「違う、考え方を変えろと言っている」


 こいつは何が言いたいんだ。明晰なわたしの頭脳をもってしてもよく解らない。


「傭兵をやめると聞いた」

「嗚呼、そろそろ稼げなくなってきたから頃合いかと思ってな」

「…………我慢していたが限界だ。死ね。自殺する気がないのなら私が殺してやる。その首を出せ」

「お前は何を言っているんだ」


 アスラの言葉が全く理解できない。美しすぎて今まで直視することのできなかった人物の顔を、わたしはまじまじと見た。その美しさに見惚れていたせいでわたしはアスラの動きに反応できなかった。

 不意に手首を掴まれ、引き寄せられる。バランスを崩して、アスラの胸に飛び込むような形になったのはひとえにこいつが馬鹿力だからだ。わたしのせいじゃない。

 強かにぶつけた頬を撫でる余裕すらなく、わたしはアスラを見上げた。顎から頬に至る滑らかなライン。白い肌。薄い口唇。


「術式を展開せず腐るというのなら貴様にもう価値はない。その紡がれるものにこそ貴様の価値はかろうじてあったというのにそれすら棄てるというのなら貴様の価値はもうない、簡単にまとめるともう二度と呼吸するなこの世界の為に今すぐ死ね、いやむしろ殺す」

「待て待てなんなんだ落ち着け本当に何だ!?」


 何が何だかわからない。薄い形の良い口唇から吐き出される言葉の意味が全く解らない。


「好きだと言っている」

「はぁ!?」


 嘘だ。死ねだの殺すだのが好きという意味だなんてわたしの言語解析能力の範疇を超越しているし、何よりなんだって?好き?誰が誰を。

 アスラが私を?そんな馬鹿な。


「好きだ」

「な、なにが?」

「貴様の紡ぐもの、術式、言葉、数式、全てが」


 わたしは絶句した。理解出来ない。今自分に起こっているこの状況も。麗しい竜人の言葉も。


「貴様の描くものを間近で見るためにここまで来た」


 衝撃の事実にわたしは呼吸を忘れた。さぞかし間抜けな顔をわたしはしているだろう。でもだってアスラがわたしを追ってきたってつまりどういうことだ?理解できない。働け、わたしの頭脳。


 更にアスラがわたしを引き寄せる。ぎゅうぎゅうと締め付けられてフードが外れた。それと同時に幻視視界支配の術式は展開をやめて。わたしの素顔が露わになる。


「貴様は美しい。今やめられては困る」


 抱き込まれて、わたしは先程のアスラの言葉を漸く理解した。アスラはわたしのことを、わたしがこいつを知るよりもずっと前から知っていたということ、か?つまりはそういうことなんだろうがちょっと待ったますます意味が解らない。夢?これはわたしの見ている夢か。だとしたらかなり酷い妄想だ。死ぬしかないもういよいよわたしは死ぬしかない。わたしの焦りやら困惑やらを放置してアスラの腕に力がこもる。身体が密着する。

 たくましい胸板に頬が押し付けられて、白銀の髪がさらりと降りてきてくすぐったい。嗚呼、これは夢じゃない、恐ろしいことに。喜んだ方がいいのか、哀しんだ方がいいのか。自分の外側と内側に起こっていることにどう対処した方がいいのか最適解が解らない。


「私から理想を奪うな」


 その言葉は懇願だった。

 その声を聴いて、わたしは自分の感情を処理することをあきらめた。今後どうするのかは解らない。色んなことは後から考えよう。しかし。

 わたしを見つけてくれてありがとう。

 素直に嬉しかったけれどどうしたら伝わるんだろうかと思った。こういうことの経験は乏しい。

 解らなかったからアスラの背中を撫でた。


 嗚呼、もう泣きたい。







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