[3]

 警官は誰しも、被疑者の無条件反射を望む。しかも即座で、明確な反応をだ。

「止まれ」と、マーカスが叫ぶ。「警察だ」声は太く強くはっきりと出す。相手は止まって両手を上げるはずだ。

 次に、「両手を頭の後ろへ」と命じる。相手が逃げようとする気配を見せるか、こちらが恐怖感を抱いたときは大声で命じる。相手に考える余裕を与えてはならない。考えさせたら、修羅場になる。

 警察学校の訓練フィルムや教官は、安全で快適な教室にいる生徒にこう教える。ひとつ命令する度に、「今すぐだ!」とつけ加えること。しかし、現実にはそんな時間はない。相手が反応するか、しないかだ。しなければ、怒鳴りつける。

「さっさとしろ、このくそったれめ!」

 自分を殺気立った野卑な人間に見せ、下手に逆らえば撃たれてしまうと相手に思わせるためだ。そして、「膝をついて座れ」と命じる。実際に自分でやってみると、両手を頭の後ろで組んだまま膝をつくのはかなり難しい。痛みも伴う。顎まで痛みが走る。

 被疑者が膝をついたら、こっちは決断しなければならない。そばへ行って手錠をかけるか、顔を地面につけろと命じるか。

 そばへ行って手錠をかける場合は、相手のふくらはぎを踵で力いっぱい踏みつける。左利きだと分かっているとき以外は、右のふくらはぎだ。銃はホルスターに収めるが、安全ストラップは閉めないでおく。手錠を取り出してまず相手の左手にかけ、次に右手にかける。そのとき、低い鋭い声で警告を与えることにしている。

「ちょっとでも動いてみろ、頭を吹き飛ばしてやる」

 そのあと、被疑者にミランダ権利を告知する。“ミランダする”と、マーカスたちは言っている。うんともすんとも返事がないときは、相手が何か声を出すまで怒鳴りながら、乱暴に揺さぶる。口頭による反応がなければ、裁判で認められないからだ。

 被疑者が命令にすばやく応じたならば、肘を持って立ち上がるのを助けてやる。「立て」と、あるときは穏やかに、あるときは厳しい声で命じる。どっちになるかは、彼らの仕草と顔の表情次第だ。もし反応が速やかでなかったり、何か口答えしたり、苛々させたりした場合は、手錠の間の細い鎖を掴んで上へ引っ張る。

「早くしろ」と言って再び鎖を引っ張り、むりやり立ち上がらせる。相手は支えを求めて足を小刻みにさまよわせる。このとき、たまに彼らの肩で筋肉が裂ける音が聞こえる。シーツが破けるようなかすかな音だ。

 マーカスは眼を覚ました。隣では、キャシーが穏やかな寝息をたてている。彼女を起こさないよう気を付けながら、ベッドを下り、フラットの中をそろそろと歩く。突然、あの夜の記憶が断片的に、前ぶれもなくよみがえる。

 ジェフリー・ホーガンが、マーカスの耳の奥で呼吸している。あのときと同じ、あえぐような息づかいを感じる。マーカスはつぶやいた。

「おれはおれだ。お前じゃない」

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