小さな役者に五分の魂⑥
「田原君」
部室の前で田原君は携帯電話を操作していた。きっとメールでもしているのだろう。そう思いつつも声をかける。
「あ、先輩。いいタイミング」
「そうなの? オギは中?」
「あ、はい。中に、あとで報告よろしくっす。じゃあお先に」
「? お疲れ様」
報告って何?
首を傾げても多分わかることはないだろうから、さっさと部室に入る。
部屋の中を見渡して発見したオギは、椅子に座って微動だにしていなかった。
「オギ?」
近くに寄ってみると、上半身を壁に預けて、規則正しく呼吸している。
眠っているようだ。そんなに疲れた素振りは見せなかったのに、本当は疲れていた、ということなのかもしれない。
まぁ、夜中に何かを見ていて寝不足、というお約束なパターンなのかもしれない。
「オギ」
「はい」
応えた。
いつもの通り全く目は見えないけれど、目が合っているのだと確信できるのは一年間過ごしてきた慣れだ。
「おはよう」
「おはようございます……」
眠そうな声でそう言って、頭をガシガシと掻いた後、ぐっと背伸びをしながら立ち上がる。
「大道具チェック終わりました?」
「終わった」
「すいません」
「いいわよ、別に。奏君が手伝ってくれたし」
「じゃあ安心っすね」
ちなみに本来手伝ってくれるはずの大道具係の子たちは、「塾があるから」と返ってしまった。いつものことだ。だからこそオギは熱心に働いてくれるうちの人間なのだけれど、最近はそこに奏君が加わった。
オギがいなくても、というわけではないけれど、頼れることに変わりはない。
さて、無駄なお話はここまで。本題に入る。
「ねえオギ「センパイは」
遮りやがった。全く悪意はないのだろうけれど、若干腹が立ちながら応える。
「進路、どうするか決めたんすか」
「とりあえず、大学通うことは考えてるくらいよ」
「そうっスか」
心なしか、何か元気がないような気がするのは気のせいか?
ああ、眠いからか。
「あんたは、何か考えてるの?」
「何かって?」
この話の流れで、そう返ってくるとは思っていなかった。
しかも自分から話を振っておいてだ。
もしかしたらこいつは、何も考えてないのかもしれない。すべては睡眠不足が原因なのか、それとも別の理由か。
「進路よ! 何かあるでしょ、やりたいこととか!」
「やりたいことねぇ」
再度、頭をガシガシと掻く。
そして、まっすぐに私を見据えてこう言った。
「センパイをお嫁さんにしたい、とか?」
「なっ、なにを!」
何を言っているのだろうか、この男は。寝ぼけているのか。
全身に熱が走るけど、怒りであって決して照れているわけではない。
「それぐらいしか、オレはやりたいことないっスよ」
言い切った。寝ぼけた眼なのかどうかはわからないけど、多分きっと本気だ。本気の声音で、演技じゃない。いつものへらへらとした雰囲気でもない。メガネのレンズには、私が反射している。
「あ、あるでしょ?」
「んー、ないわけじゃないっすけど。とりあえず一番やりたいことは、センパイを支えられる男になりたいっスねぃ」
それならダメなのか、と。何か問題があるのか、と。そう問われている気がした。
そんな空気が漂っていた。きっと、曲げるつもりもない。私が何を言おうとだ。
「私に好きな人がいたらどうするの?」
「いるんスか?」
「いないけど」
いたにはいたけど、オギが入部してくる前に卒業していた先輩でとっくに振られている。オギの告白に応えたところで、誰かが困るわけでは決してない。
でも、私は。
「私、は」
「いいっスよ。演劇以外興味ないの、わかってるっスから」
だから、とオギは続ける。
自分にやりたいことが見つかって、それを成し遂げた時に、もう一度さっきの言葉を言うからと、そういってまた続けた。
「それまで待っててよ、美仔センパイ」
その時初めて、オギが私の名を呼んだ。
いつものおかしな敬語じゃなくて、タメ口だったけれど。だからこそ、こいつの本気なのだとわかる気がして、自分も真摯に答えなければいけないと思った。
「私が満足のできる役を演じてからよ」
そういうと、オギは「オレ、どんだけ待たされるんスか」といつも通りのおかしな敬語で笑った。それでも待っていてくれるのだろうと思ったし、もしそれまで待っていてもらえなかったら、それは私が役者になるのに時間をかけすぎたか、私がその程度の女だったということだ。
「センパイは、オレのことどう思ってるんスか?」
「私をずっと見てる奴」
「そんだけ?」
「役者には必要な人間よ」
役者には見てくれる人間が必要だ。
舞台に立ってどんなに優秀に役を演じても、見てくれる人間がいないなら意味はない。
私という役者は、
とりあえず、今のところは。
「小さな役者に五分の魂」―完―
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