三.

 自宅に着くまでの間、朝よりも強くなった冷気は容赦なく蓮子の肌を刺し、芯まで凍てつかせようとして来る。雪で滑らないように注意して足を運びつつ、先程までの鏡時と照葉とのやり取りを思い返す。

 里の妖怪たちの様子は変わらず、人間への不信感はほぼ無くなっているようで安心した。里に行ってみないことには分からないが、すくなくとも鏡花やまみな、白玉と杏仁に天之助は前と変わらず接してくれるだろう。残る気掛かりは、自分たちが里の出入りをいつ許されるか、である。照葉には慰められたが、蓮子自身半分は里への出入りを二度と許されないと諦めてはいた。それはあくまで蓮子が人間側であり、人間としての思考が強い為に、里への未練が徐々に薄まって来ていたからである。しかし、元から妖怪であり、いつも里に行くのを楽しみにしていたお紺はどうなのだろうか――そこまで思い至り、蓮子は肩に乗ったままだんまりのお紺に、里にまだ入れないことについてどう思っているのかを尋ねようとしたそのとき、

「おーい! 蓮子ちゃん!」

 曇天とは対照的な、晴れの日のような明るくはつらつとした声が蓮子の質問の声を遮った。前方を見ると、数十メートル先に、桃と花菜の姿があった。蓮子と二人は互いに同時に早足で進み、一気に距離を縮めた。

「二人とも、お久し振りですね!」

「蓮子ちゃんも元気にしてた?」

「…はい!」

 花菜の質問にすぐ答えるつもりであったが、一瞬言葉に詰まってしまった。蓮子の声と調子に、二人は顔を見合わせる。

「うーん…もしかして蓮子ちゃん、元気ない?」

 桃の言葉に蓮子はぎくりとした。それが顔に出てしまっていたのか、若菜同様、この二人も蓮子の不安を見抜き、心配そうな表情をした。しまった、と蓮子は胸の中で呟く。

「いえ、大丈夫ですよ。そう見えます?」

「心なしか…そう見えるねえ。体調悪いの?」

「いえいえ! 元気いっぱいですよ!」

 桃の問いに蓮子は笑顔で答えた。桃は「それなら良かった」と呟くように言った。

「…何か気にかかることがあるのですか?」

 今度は寒さに身を縮こませた花菜が訊いて来た。

「いえ、そんなことは…」

「…図星、のようですね」

 花菜には看破されてしまい、蓮子も上手く笑えなくなってしまった。

「えー、何か悩みでもあるの?」

「え、えーと、最近勉強っていうか、成績のことで悩んでて…」

 桃に対し蓮子は若菜にした物と同じ答え方をした。すると、

「そうでしょうか…? それもあるかもしれませんが…私にはもっと深刻な悩みがあるように思えます」

 若菜には通じた嘘が、花菜にはあっさり見破られてしまった。花菜は察しが良いのか、それとも若菜よりも人生経験を積んでいるからか。いずれにせよ、蓮子は反応に窮した。

「花菜の言ってること当たり? どんだけ深刻な悩みなの?」

「私たちでさえよければ相談に乗りますよ?」

 花菜は柔らかい声色でそう言ってくれたが、蓮子は何と言ったらいいのか分からず、必死に言葉を探す。その間、桃と花菜はじっと蓮子を見つめていた。

「…もしかして、相当深刻だったりする? 大丈夫! あたしたち口は堅いから、何でも言っちゃって!」

 桃はずい、と蓮子の前に出る。蓮子はますます言葉に詰まってしまった。

「うう…その、何と言うか…」

 まさか、原因の発端が一応彼女たちにもあるなどと言える筈がない。またもや狼狽していると、

「桃、誰にでも言いにくい、言いたくないことはあるものよ。無理に聞き出そうとするのは良くないわ」

「そ、そっか、そうだよね…」

 花菜が諌めると、桃は蓮子から少し離れた。

「い、いえ! ごめんなさい、気を遣わせてしまって…」

「こちらこそ、困っているのに無理強いをしてごめんなさいね。…今回は役に立ちそうにないけど、相談したいことがあればいつでも言ってちょうだい」

「そうそう、蓮子ちゃんの持つ不思議な力の正体は蓮子ちゃん自身の口から話してくれるまで訊かないでいるけど、その力のお陰であたしたちは幸せになれたからね! だから今度は、蓮子ちゃんが幸せになれるよう協力するよ!」

 桃は満面の笑みでそう言った。

「私も同じ気持ちです。お隣同士ですから、いつでも気軽に遊びに来てくださいね」

「…はい! ありがとうございます!」

 蓮子は深々と頭を下げ、それを見た桃と花菜は慌てて顔を上げるように頼んだ。

「それにしても寒いねえ…ごめん、道端で引き止めちゃって」

「いいえ、お二人の顔を見られて良かったです」

「あ、そうだ。私たちこれから買い物に行くところだったんだけど、蓮子ちゃんもどう?」

 花菜は蓮子を誘った。だが、蓮子は首を横に振る。

「せっかく誘って頂いたのに悪いんですけど…宿題も予習もあるので遠慮させて貰います。お二人で楽しんで来てください」

「そう…残念だけど、勉強も大事だものね」

「じゃあ、今度はウチに遊びに来でよ! 張り切ってクッキー焼くからさ!」

「はい、ありがとうございます!」

「それじゃあ、寒いから風邪には気を付けてね」

「それはどっちかっていうと花菜の方だと思うんだけど…蓮子ちゃんも気を付けてね。じゃあ、また!」

 花菜と桃は名残惜しそうに蓮子の横を通り過ぎて行った。二人とも手を振ってくれたので、蓮子も大きく手を振り返す。二人の姿が見えなくなると、蓮子は再び歩き出した。久方振りに二人と言葉を交わし、幸せそうな顔を見た瞬間、蓮子は自分とお紺がやったことは、決して全てが間違いではなかったと安心できたのである。一方で、お紺はまたもや黙ったまま、蓮子の肩の上に乗っていた。

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