四.

 ――自分が一体何者で、どこで生まれたのかははっきりとは分からなかった。それから気の遠くなるような年月を経て、少しずつ自分が何者か、何の為に生まれて来たのか、己の役割を理解していった。そして、一番の目的は、奴に意趣返しをすることだった。それなのに――

「…ということです」

 鏡時はそう言って報告を終わらせた。目の前には胡坐をかいて眉一つ動かさない神野がいる。少し間を置いて、小さく溜め息をついた。

「蓮子の方にはまだ影響は行っていないようだな。だが、それも時間の問題だろう」

 鏡時の目を見据え、神野はそう言った。その言葉に、同席していた鏡花の表情は険しいものとなり、照葉は不安な表情に変わった。

「では、どうなさいますか? 奴を里に入れ、討伐しますか?」

「なっ!?」

 鏡時の非情な言葉に、照葉は思わず驚きの声を上げる。神野はゆっくりと頭を振った。

「蓮子と魂が繋がっている以上、俺でもそう単純にどうこう出来ん。切り捨てることは容易いが、お蓮には何の罪もない。そこは魔王として弁えねばな」

「…本当に、人間に対して寛容になられましたねえ…」

 鏡時は感慨深そうに呟いた。

「何を言う、俺は元々寛容だぞ。特に、稲生武太夫の件以来、人間にも寛容になったんだ。…まあ、気が向いたらだが」

「そうでしょうねえ」

 鏡時は納得しながら頷いた。

「それで、話を戻すが…まだ様子見だな。なるべく泳がせるだけ泳がせておこう。ああいう性質の輩は、力を満たしたときに馬脚を現す。そのときを狙えばこちらに利がないこともない。だが…お蓮の様子は注意深く観察していてくれ」

「承知いたしました」

 鏡時と照葉は、頭を深々と下げた。

「…まさか、ここで大昔の因縁とぶつかるとはなあ」

 神野は小声で独りごちた。



 夕食も終わり、自室で宿題をしていた蓮子はゆるりとした眠気に襲われ、一旦手を止めた。椅子の背もたれに寄りかかり、軽く伸びをすると、お紺が机の上に降りて来た。お紺と目が合い、そこで蓮子は帰宅途中にお紺に尋ねてみようとしたことを思い出した。

「ねえ、お紺はさ…まだ里に入れないこと、どう思ってるの?」

「どうって?」

 お紺の声色はどこか覇気が無い。

「んー、里にいる知り合いに会いたいとか、里が恋しいとか…」

「そうさねえ…あたいはもう、行けなかったら行けなかったで、割り切るしかないと思ってるよ」

 お紺の返答は、蓮子の予想とは真逆のものであり、蓮子は目を大きく見開いた。以前はあんなに里へいつも行きたがっていたというのに。

「そ、そうなんだ…なんかさ、お紺変わったよね。…里を出入り禁止になった頃から…」

「変わった? どこが?」

 お紺の声色が少しだけ訝しむものに変わった。

「何か、急に冷たくなったような…」

「…そう思って気分を害したのなら謝るよ。ただ、最近のあたいは気が乗らないっていうだけの話さ」

「そっか…」

 お紺の言葉に蓮子はそう答えるしかなかった。そしてふと、もう一つの疑問を思い出す。これはお紺の出身地を知って以来、ずっと抱いていた疑問であった。

「話は変わるけど…お紺って昔は何してたの? 管狐ってことと、那須出身ってことだけは分かるよ。でも、それ以外のことは分からないことだらけで…」

「あたいのことをどうしてそんなに知りたいんだい?」

「だって、これからもずっと一緒に生きていくのに、お紺のことを殆ど知らないなんて変じゃない?」

「ふうん、そういうことねえ…。でも、あいにくあたい自身もよく覚えてないんだよ。那須出身ってのも言われてようやく思い出したくらいだからね」

「…じゃあ、神野様に対する反応が変わったのはどうして? どうして急に呼び捨てなんかに…」

 蓮子がさらに追及すると、お紺はため息をついて首をゆるゆると横に振る。

「そんなこと言ったっけ? それに…知らないものは、知らない。知らなくて良いこともあるんだよ」

「それ、どういうこと…?」

 蓮子はお紺の声色と口調に冷たいものを感じ、ゾッとした。すると、お紺は、

「…あんたは少し疲れてるんだよ。早く休みな」

 と言った瞬間、蓮子に飛び掛かった。蓮子はその直後、急激な眠気に襲われ、そこで意識は途切れた。

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