三.
翌朝、学校に行くと、蓮子の予想通りに若菜が駆け寄って来た。
「ちょっと、体調は良いの?」
「うん。いやー、ご迷惑をおかけしました…」
蓮子は苦笑し、若菜はほっとした表情になる。
「それなら良いんだけどね…。そうそう、今度の休み、改めてみんなでお花見に行くことになったんだ。蓮子は大丈夫?」
「え、あー…うん。大丈夫かなー」
『ちょっと、あの桜に何があるか分かんないのに、安請け合いすんな!』
お紺の声が頭の隅で響くが、蓮子は自らの立場上、こう言っておくしかない。
「よーし、じゃあその日までに体調を万全にしておくんだよ!」
「はーい」
嬉しそうな若菜に対し、蓮子はまたもや苦笑し、お紺は小さな小さなため息をついた。
放課後になり、蓮子とお紺は学校から直行で
「管狐憑きの娘かい。あんた、外で何かおかしいことが無かったかい?」
「へ?」
少々険しい表情と声色で尋ねられた蓮子は面食らう。
「最近、里の方にも少々異変が起きてね。あたしは神野様からここの見張りを強化するように言われたんだ」
「そ、そうなんですか…。おかしいこと…」
蓮子はふと、珠桜のことが頭をよぎる。だが、果たしてそれが原因なのかは分からず、言いあぐねていると、婆さんの方から口を開く。
「まあ良いさ。あたしよりも神野様に話すと言い。神野様に会いに来たんだろう?」
「はい…」
「それじゃあ、あたしは見張りの仕事に戻るよ」
そう言うと、婆さんは音も立てずに鬼灯の群生の中へと消えて行った。蓮子は何か胸がざわつくのを覚えつつも、足を再び動かし、里の方へと向かった。
里に着くと、妖怪たちが今日ものんびりと、賑やかに跋扈している。だが、少しだけいつもと違い、浮足立った雰囲気が、何となく肌で感じ取れた。
「やっぱりあの桜のことかねえ…」
袖口から顔を出したお紺は、口に出していない蓮子のぼんやりとした違和感に答えた。
「…とにかく、神野様に話してみよう」
蓮子が手を三回叩くと、濃紺と朱色が二色に分かれる空から風を切って籠が降って来る。もはや驚きもしなくなった神野の屋敷行の付喪神の籠に乗り込むと、籠は一気に上昇し、山麓にある神野の屋敷へと飛んだ。
「こんばんはーごめんくださーい。蓮子とお紺でーす」
屋敷に着くと、蓮子は玄関の戸を引いてそう呼びかけた。それから数秒後、パタパタと軽やかな足音を立てて鏡花が走って来た。
「どうぞお越し下さいました。平日に来るのは珍しいですね」
鏡花の言葉を聞いて、蓮子はどきりとする。
「す、すみません! お邪魔でしたか…?」
「いいえ、とんでもございません。むしろ、外部の事情に詳しい貴女が来て下さって良かったです。今ちょうど、他のお客様もいらっしゃってるんですよ」
「他のお客様…?」
蓮子がそう言いながらちらりと足元に目を遣ると、確かに草履や今風のスニーカーが二足分置かれていた。自分以外の客人と遭遇するのは初めてかもしれない。
「今この里に起こっている問題について、有識者会議を開いているんです」
「問題?」
「ええ。詳しいことは神野様からお聞きになって下さい。さ、どうぞお上がり下さい」
「お、お邪魔します…」
蓮子は靴を脱いで、鏡花の後に付いて行く。いつも通り、通されたのは客間であった。鏡花は膝をついて襖を開ける。
「神野様、蓮子とお紺がいらっしゃいました」
「おお、丁度良いときに来てくれたな! まあ、入ってくれ」
「失礼しまーす…」
鏡花が立ち上がって目の前を開けてくれると、蓮子は恐る恐る中へ入った。上座には神野が座り、栗羊羹や砂糖菓子、煎餅などのお茶請けと茶の入った湯呑が載った卓を、二人の男が囲んでいた。
一人は幽霊アパートの大家で魔人の山本伝三郎、もとい、刹那。相変わらずガラの悪い顔と服装であり、とても〝大家さん〟と気軽に言える雰囲気ではない。もう一人は、初めて会う男である。黒い髪に黒い瞳の眉目秀麗な青年である。黒地に金の彼岸花の柄、という不思議な狩衣姿の、いかにも平安時代からそのまま来たような感じであった。麿眉ではないが。神野が魔王、という時点で平安時代からトリップしてきた人間がいてもおかしくないという感覚に蓮子は慣れてしまった。
「誰かと思えば、狐憑きの小娘じゃねーか。ここへ何の用だ?」
刹那は蓮子を見遣った後に、少し意外そうな表情をした。
「ほう、お前、お蓮とは知り合いなのか?」
「ああ。前に化け狸の小娘と一緒にウチのアパートに入り込んできやがったんだ」
「成る程、では自己紹介はこちらは不要だな。それで、蓮子はどうしたんだ?」
刹那と話した後に、神野は蓮子に尋ねる。
「えーと、ちょっとご相談したいことがありまして…。一応私もこの里の見聞役なので…」
「神野様にご相談するよう進言したのはあたいですよ!」
お紺は完全に体を蓮子の身体から出し、さっと肩の上に乗ると息巻いて言った。
「相談ごとって言うのは、今俺たちが話し合っていることと関係あるのか?」
「もしかしたら…ですけど…」
「まあとにかく座ってくれ。話を聞こうじゃねえか」
「あ、はい。ありがとうございます」
蓮子は卓を挟んで神野と向かい合うように座った。そして、狩衣の青年がどうしても気になり、思わず見てしまう。その視線に青年も神野も気付いた。
「…ああ、そういえば蓮子とお紺は初めて会うかもしれないな。こちらは
「お初にお目に掛かります。小野篁です」
篁と名乗った青年は、涼やかな笑顔で蓮子に頭を下げた。蓮子も頭を下げたが、今、神野の紹介がさらりと凄いことであったことにようやく気が付く。
「え…えーっ!? 閻魔大王!? 閻魔ってあの、地獄の!? …」
「小野篁!? ま、まさか本当に補佐をやっているなんて!?」
蓮子の耳元でお紺が叫び、蓮子はそちらの方に驚く。
「び、びっくりしたあ…耳元で叫ばないでよ! あ、すみません、失礼しました…」
「いえいえ、お気になさらずに。それよりも、私のことを知っていてくれる方…というか管狐さんのようですけど…嬉しいですよ」
「えーと…すみません、私は存じていないんですけれど…」
蓮子がそう口走った瞬間、篁は笑顔から一転してショックを受けた表情になる。その顔に蓮子までもがぎょっとした。
「そうですか…そうですよね…歴史の教科書には載っていませんもんね…」
篁は乾いた笑みを漏らした。彼の存在を知らなかったことは、彼にとって地雷であったらしい。蓮子は非常に申し訳なくなり、なんとか篁の名を思い出そうとする。小野、小野妹子、小野小町。そういえば同じ学年に小野さんという人がいたような気がする。思考が逸れてしまい、蓮子ははっとする。すると篁は、
「ああ、お気になさらず…。きっと今、私の名前を思い出そうとしてくれていようとしているんでしょう? 多分、小野妹子と小野小町が出て来たと思います。小野妹子の方は私の御先祖様であり、小野小町の方は私の子孫に当たるのです」
「へえー。…えーっ!?」
あまりにも凄すぎる血筋に、蓮子は再び叫んだ。神野は笑い、刹那はうるさそうに眉を顰める。
「す、すすす凄いじゃないですか!」
「ええ。私の御先祖様も子孫も、私の誇りですよ」
「凄いのは篁自身もそうだろう? なんたってあだ名は〝野宰相〟時の天皇に無理難題を突然吹っかけられてもすらりと答える。遣唐使を強引に拒否して逃れる。上皇の悪口やらなんやらで島流しに遭っても帰ってくる。そして、六道珍皇寺の井戸から生きた状態で地獄の池に辿り着き、閻魔大王の目に留まるんだ。小野家では一番の偉人かもしれんぞ?」
神野が篁の伝説を更に説明すると、蓮子も驚きを通り越して何も言えなくなってしまった。
「しかし、何で井戸に落ちたんだ?」
「それがですね、薬師如来様にお参りに行ったときに、急に喉が渇いちゃいまして…。お水を貰おうと柄杓で水を掬いあげて喉を潤していると、赤と黒一色の異様な光景が見えまして…。気になって覗いていたらそのまま真っ逆さま! 死にそうになっていたら、地獄の獄卒の方々に助けて頂きまして…。まあ長くなるので経緯は省きますけど、閻魔大王様が私を使って下さるようになったのです」
はっはっは、と篁は愉快そうに笑うが、とても奇想天外な内容に蓮子は付いて行けなかった。
「ん? ああ、私の話は良いんですよ! 今日はこの里に起こっている問題について話をしているんですから!」
話がかなり脱線したのを、その大本である篁自身が引き戻した、神野もそうだった、と頷く。
「まず、蓮子に、この寄合の説明をしなければならんな。…今、この里にはある問題が起きている」
「問題?」
蓮子は神野の言葉を繰り返す。
「ああ。実は、外界…人間の世界の方から、幽霊がこちらの里に多く入り込んできているんだ。幽霊自体は何の害もない。あくまで人間ではなく、人間の魂だけだからな。問題は…数とその幽霊の性質だ。その幽霊たちは生まれ、死んだ時代も年齢も違っている。そして、中には怨霊と言える者も存在する。しかも、侵入してくる多数の幽霊には統率が取れていないせいで、里を好き勝手に跋扈していてな。妖怪たちが脅えたり、中には妖気にまで幽霊たちの霊気が干渉したりして、暴走しそうになる妖怪もいたそうだ。それが問題なんだよ。だからこうして霊の扱いに詳しい関係者を呼んだのさ」
「冥府の許可なしにうろついている霊魂がいるのはこちらとしても大きな問題です。何とか今この時も、冥府側で原因を調査しているんですが…」
篁はため息交じりに話した。冥府側からすると、これは不祥事であることが門外漢である蓮子でも分かった。
「アパートの方は結界を強化している。だが、このまま数が増え続ければ、結界にも限界がある。そうすれば、怨霊の霊気に触れたアパートの連中にも悪影響が出るのは目に見えている」
刹那は栗羊羹を口に運びつつ、自らの状況を述べた。
「…とまあ、こんな具合だ。里の内部でも調査はしているが、やはり原因は見つからなかった。だから、外界にいる蓮子にも協力を仰ごうとしたんだ。
「そんな大変なことが…」
「神野様! 原因かどうかは分かりませんが、妙なことなら昨日遭遇しましたよ!」
蓮子の言葉を遮って、お紺が叫ぶ。蓮子は思わず眉を顰めた。
「その妙なこととは?」
「はい! 蓮子、ご説明して!」
「あんたがするんじゃないの!?」
蓮子は一つ呆れから出るため息をついた後、珠桜のこと、珠桜を見たときの寒気や妙な気配、そして、着物の少女について話した。
「…桜の狂い咲きと、着物姿の少女ねえ…」
蓮子の話を聞いた後、神野は神妙な表情でそう呟いた。
「あの…関係はありそうですか?」
「桜の花は古来より、日本人の心を惹きつけてきました。桜の木に心惹かれ集まる例も、少なくは無い、と以前聞いたことはありますが…」
篁が先に答えると、
「それにしては、数が多すぎる」
神野が続けざまに話す。
「その桜の木…珠桜と言ったな。その木自体にかなり強い霊力があるのかもしれない。それで、霊たちが余計に惹きつけられて集まり、やがて霊力を強めてこの里にまでやって来た、と考えることは出来るな」
「じゃあ、今年の珠桜の狂い咲きが多いのは…」
「霊力が高まり、生命力が強くなっているからだろう。そして、更に霊を呼び寄せる…悪循環だ。その珠桜とやらを見に行ってみるか」
「あ、私も行きます」
立ち上がった神野に対し、篁も続く。
「そんじゃあ、俺はアパートの方に戻るか。結界の様子を見ておかねえとな」
「あのー、私はどうすれば…」
「お蓮はその桜に近付くと、体調が悪くなったんだろう? なら、近付かん方が良い。半分妖怪のその体が霊気に触れて、体に負担をかけているのだろう」
「そうですか…」
その後、神野と篁、刹那は次々と客間を出て行く。自分だけがここに残るわけにもいかないので、蓮子もお暇させて貰うことにする。
「人間界の方の霊気も強くなっている可能性があります。どうかお気を付けて」
「はい、ありがとうございます」
鏡花に見送られ、蓮子は屋敷を出る。
「今のところ、あたいたちに出来そうなことは無い、か…」
「そうだね…」
籠に乗る直前、お紺は無念そうに呟き、蓮子も無力な自分に少々落ち込んだ。
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