二. 

 あっという間に放課後となり、蓮子と若菜は早速花見へと向かう。神社に向かう途中でお菓子と飲み物、ゴミ袋にレジャーシートまで購入し、花見の準備は万端である。

 霊桜神社はどちらかといえば、学校の方に近い。数十分歩いたところですぐに辿り着いた。鳥居をくぐる前から、薄紅色の花がちらりと覗いている。蓮子の中にいるお紺が、思わず息を呑むのが分かった。

「おー、こっからでも見えるね!」

 若菜は興奮気味に言った。二人の足は自然と速くなる。朱色の鳥居の前まで行くと、礼をしてくぐり、御手洗場で手と口を漱いだ後、まずは参拝をする。その時点で、蓮子は少し寒気を覚えたが、気のせいということにしておいた。そして、お目当ての珠桜へと向かう。珠桜は、鎮守の森の前に植わっていた。

「うわー! すっごい綺麗…!」

 蓮子は思わず叫んだ。ソメイヨシノよりも二メートルは高く、幹も太い珠桜は、丸っこい薄紅の花を咲かせている。それが視界いっぱいに入り込み、隅までは入って来ない程である。儚さと力強さを併せ持つ美しさに、蓮子は思わず見惚れてしまった。だがそのとき、

『凄いねえ…花も凄いけど、なんか嫌な霊気も感じるよ』

 お紺がそう囁きかけて来た。すると、蓮子はぞわりと全身に寒さが走る。

「ね、ねえ、寒くない…?」

「え? うーん、まあ秋の夕暮れだからねー。ん? どうしたの? そんなに寒い?」

「うん、少し…」

「えっ、大丈夫!? 風邪? じゃあお花見は止めといたほうが…」

「ううん、大丈夫だよ! 多分、気のせいかもしれないから…それよりほら、せっかく満開の桜が見られたんだから、お花見しよ!」

 蓮子は慌ててレジャーシートを広げた。頭の中にお紺の『気のせいじゃないっての…』という呟きは無視する。蓮子と若菜は、レジャーシートの上に座ると、買ってきた菓子や飲み物を広げた。

「いやー、人が少ないどころかいなくて良かったねえ。こんな綺麗な桜を独り占めできるんだもん! もう寒いくらいだから、虫が落ちてくる心配もないしね」

 シュガープレッツェルを半分口に入れた若菜が、ご満悦、と言いたげに笑った。蓮子は頷きながら紙パックのココアを飲む。寒気はまだおさまらない。風邪にも似た悪寒だが、少し違う気もする。だが、若菜の言う通りせっかく花見を満喫できるのだ。頭上を見上げて、桜の美しさで気を紛らわせる。

 ふとそのとき、足音が聞こえて来た。蓮子が音のした方を見ると、浅黄色の袴に白い着物を着た中年の男がこちらに向かって来ている。少しして若菜もその男に気が付き、慌てて立ち上がる。

「あ、あのすみませんっ! ここってお花見駄目でした!? もちろん、ゴミは持ち帰るつもりだったんですけど!」

「ああ、構わないよ。桜を傷付けたりゴミを落とさなければ、誰でもお花見をしても大丈夫だからね」

「よ、良かったあ…」

 若菜はほっとしながら言った。

「あの…この神社の神主さんですか?」

 蓮子も若菜に続いて立ち上がると、男に尋ねる。

「ああ、そうだよ。といっても、この神社には私の身内しかいないからねえ。珠桜の管理も私がやっているんだ」

「凄いですね! 文化財をお世話するなんて!」

「はは、私自身は大したことは無いよ。凄いのは珠桜さ。こんなに美しい花を何度も、自然の過酷さに負けることなく咲かせているんだ。ただ…少し引っ掛かることもあってね」

「「引っ掛かること?」」

 蓮子と若菜は声を揃えて神主の言葉を繰り返した。

「そうなんだよ…実はこの珠桜、今年で六回も狂い咲きをしてるんだ」

「六回も!?」

 蓮子は思わず叫んでしまった。お紺も蓮子の頭の中で叫んでしまったのが分かった。 

「ああ、文献で調べたけれども、こんなことは珠桜が咲いてから初めてらしくてね…しかもどれも、二週間から三週間ほどっていう、決まった周期なんだよ。特に桜自身に異常はないからいいんだけどね…」

『…もしかして、このぞっとするような霊気と関係があるのかもね』

『え?』

 お紺の呟きに蓮子は心の中で返した。やはり、あの寒気は気のせいではなかったようである。

「でも、満開の桜が何度も見られるのは良い事じゃないんですか?」

 若菜は不思議そうに首を傾げる。

「まあ、そうではあるんだけどね。ただ、こうも頻度が高いと、今は平気でも、桜に何か変異が起こっている可能性もあってね…決して楽観視できないんだ。花は確かに美しいけれど、それは命の営みの一部であり、桜にも少なからず負担にはなっているんだ」

「そうなんですか…」

 神主につられて、蓮子と若菜も心配になってくる。蓮子は再び珠桜を見上げる。ふと、一本の細い枝に何かが止まっているのが見えた。―黒く長い髪に、雪のような白い肌。赤地に薄紅色の桜の花弁の着物を着た、小さな女の子。その女の子が、つぶらな瞳を蓮子に向けると、にっこりと微笑んだ。

「な、何かいる!?」

 蓮子は咄嗟に叫んだ。突然大きな声を出したので、若菜も神主も面食らう。

「え、何がいるのよ?」

「あ、あの木の上に着物を着た女の子が! 捕捉で折れそうな枝なのに、余裕で座ってて…あれ?」

 蓮子が若菜に視線を合わせ、桜から目を逸らした一瞬、その直後には既に少女はいなかった。若菜からは当然、怪訝な視線を向けられる。

「…何もいないじゃない。やっぱり、蓮子調子悪いんじゃない?」

「え!? いや、そんなことは…」

「そんなことある! きっと疲れてんのよ。綺麗な桜も見れたことだし、今日はもう帰ろう?」

「でも、せっかく来たばっかなのに…」

「あんた、夏に死にそうな事故に遭ってるんだから無理しちゃダメ! ほら行くよ! すみません、お邪魔しましたー」

 若菜は手早く菓子と飲み物を袋に仕舞い、レジャーシートを片付けると蓮子の手を引いた。神主も柔和な、というよりはどちらかというと苦笑に近い笑みで二人を見送る。

「ああ、また珠桜を見においで」

「はい! また来ます!」

 若菜は笑顔でそう返すと、問答無用で蓮子を引っ張って行った。結局、珠桜の木の上にいた少女が何者なのかは分からなかったが、一つだけ分かったことがある。

『あの幼子おさなご、ただの幼子じゃないよ』

 とお紺が蓮子よりも先に囁いた。



 若菜に半ば連行されるように帰宅した蓮子は、そのまま自分の部屋へと直行する。勉強用の椅子に座ると、大きく息を吐いた。一体あの少女は何者なのか、そして桜から感じたあの寒気は何なのか。二つの大きな疑問が蓮子の脳内で強く引っ掛かっている。

「あれは幽霊かとも思ったけど…そうじゃない気も感じたんだよね」

 ひょっこりとお紺は蓮子のブラウスの袖から頭を出した。お紺はいつになく真剣な声色である。

「そうじゃない気って…あんた長年妖怪やってるのに分かんないの?」

 蓮子は呆れながら返した。すると、お紺はむっとしたように小さい眉間に皺を寄せる。

「長年生きてようがいまいが、分からないもんは分かんないんだよ! …しいて言うなら、妖気と霊気が混ざり合って、よく分かんないモンになってる…?」

「要するに、あの珠桜は普通じゃないってこと? いや、普通の桜とは元々違うんだけどさ」

「そういうこと。こーいうのは、一番詳しい専門家に聞く方が早いかもね」

「専門家って…」

「そう、神野様さ。明日にでも聞きに行くよ!」

「え。ちょっと待ってよ! 私にだって都合が…」

「暇人がよく言うよ! 言っておくけど、あの桜からはあまり良い気が感じ取れなかったんだ。これはもしかしたら一大事かもしれないよ!」

 お紺は鼻息を荒くしながら言ったが、蓮子には今一つ危機感が湧かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る