四.
「ねー蓮子ー、これから皆でカフェ行って、ついでに宿題やろうってことになったんだけど、一緒に行かない?」
掃除が終わると、若菜がそう誘って来た。
「あっ、ごめん! 私これから行く所があって…ごめんね! じゃあまた明日!」
「あ、うん。ばいばーい」
若菜は不思議そうな眼差しで蓮子を見送り、蓮子は足早に比熊山神社へと向かった。
蓮子は一足先に神社に着いた。ここはあやかしの里に繋がる場所である。手持無沙汰で待っていると、お紺がぴょこんと頭を襟から出したので蓮子は驚いた。
「わっ!? びっくりした! ところで、どうしてここで話し合いをすることになったの?」
『この神社には外側にもちょっとした結界がある。簡単に普通の人間が入れないようにしてあるのさ』
「…だからこの場所を指定したの?」
『そういうこと。他人に聞かれたくない話だからね。あ、来たみたいだよ』
蓮子はお紺の言葉を受けて鳥居の方を見る。そこには確かに太権の姿があった。だが、何かに躊躇して、中々足を踏み入れようとしない。
「何だこの神社…結界が張ってある…?」
太権もうっすらと張られた結界に気付き、警戒しているのであった。
『さすが飯綱使いの家系。結界には気付いているようだね』
「彼も入っても大丈夫なんだよね?」
『もちろん』
「じゃあ、呼びに行かないと」
蓮子は本殿の前から鳥居の方まで向かう。
「あの…入っても大丈夫ですよ。害は無いです」
「えっ、あ…分かった」
蓮子にそう言われた太権は、恐る恐る鳥居をくぐる。そのとき、
「うわっ! 何か一瞬ぞわっとした!」
と小さく叫んだ。それから蓮子と太権は、本殿の前へ移動して改めて対面する。太権はすぐに、蓮子から出ているお紺に気が付いた。
「くっ、管狐!? やっぱり君は憑かれていたのか!」
『そうだけど、少し事情が違うよ。あたいの名はお紺。あんたは一体何者だい? まあ、飯綱使いであることは分かっているけどさ』
「あ、ああ…。さっきは突然ごめん。俺は君と同じ学年の、飯綱太権と言います。その管狐が言うように。俺は飯綱使い…の家系だ」
「私は蝶野蓮子です。飯綱使いの家系の人とは、初めて会います。飯綱使いって言葉も初めて聞くし…」
「そ、そうだよな。誰かに話しても『飯綱使いって何?』って九割返されるんだよ! それに比べて似たような職業でも陰陽師はメジャーで…」
太権は一気に表情が明るくなり、饒舌になる。そこまで飯綱使いをメジャーにしたいのか、と蓮子は少しだけ同情した。
「そうだ、さっき事情が違うって言ってたけど…その事情って?」
ふと話の本題を思い出した太権は、二人に尋ねる。
「あの…私とお紺は単に憑く、憑かれているってことじゃなくて、魂を共有しているんだよ」
「へ?」
気の抜ける声で返事をした太権に対し、蓮子はお紺と魂を共有するまでの経緯を話した。
「そういや今月の頭に、交通事故に遭った生徒がいるって聞いてたけど、君のことだったのか!」
太権の言葉に蓮子は頷いた。
「それにしてもそんなことが…俺の一族は飯綱使いだから色々な怪異を聞いて来たけれど、そう言う事例は初めて聞いたよ」
「私もそう思う…」
『…てな訳で、あたいを祓おうとしても無駄だよ。もうくっついちゃってるし、くっついているのを無理に離そうとしたら、蓮子がどうなるか分からないよ』
「…そうか、分かった」
俯きがちに太権はそう言うと、ズボンのポケットからじゃらり、とおもむろに数珠を取り出した。突拍子な行動に、蓮子もお紺もぎょっとする。
「蝶野さん、君はその管狐に上手く言いくるめられているんだ。完全に取り憑かれていると、自我すらも失って、弁の立つ狐に祓い屋が騙されたなんてこともある。…俺が全力を持ってその狐を祓い落とし、そしてその狐を俺の使役する狐にする!」
「へ!? いや、今の話は本当なんだよ!」
「今俺が祓う! だからじっとしててくれ!」
太権の目付きは獲物を狙うものに変わり、じりじりと蓮子たちに近付いてくる。蓮子はその鬼気迫る表情に怯え、後ずさる。
「さあ! 大人しくしろ管狐!」
「き…きゃあああ!」
蓮子はついに太権の前から逃げ出した。太権もすぐに後を追う。
「ど、どうしよどうしよ!?」
『あのバカに話は通じない! とにかく里の方へ逃げよう!』
お紺の言う通りにしようと本殿の裏に回ろうとしたとき、太権が目の前に現れた。
「ひゃあああ!?」
「もう逃げられねえぞ! 大人しく―へぶっ!?」
太権が立ちはだかったかと思えば、突然変な声を出して太権は地面に沈んだ。その直前に黒い影が太権の後ろをよぎり、蓮子の近くに着地した。
「…神野さん!?」
「よう!」
蓮子とお紺を助けたのは、初めて会ったときと同じ着流し姿に、身の丈以上はある大太刀を片手に肩に担いだ神野である。だが、もう一つ驚くべき光景があった。
それは、ねじり鉢巻きを頭に巻き付けた作務衣姿の虎柄の猫又が、青く燃える大八車を引いていたのである。
「なっ、何アレ!?」
「いてえ……って、あれ〝火車〟じゃねえか!?」
妖怪のことをよく知るお紺や神野よりも先に発言をしたのは、起き上がった太権であった。
「ほう、さすがは飯綱使い。妖怪のことはよく知っているな」
「あの、火車って何ですか?」
蓮子は神野が来た驚きもあっさりと忘れて神野に尋ねる。
「生前悪事を働いた死人の遺体を乗せて、地獄まで運んでいく妖怪だ。ほら、大八車が燃えているだろ? まさに火の車。そしてそれを引いているのが猫又だ。この猫又自体を火車とも呼ぶ。今は亡者の死体ではなく、普通に荷物を運んでいるがな。この状態で」
「えっ、燃えていますけど!?」
「これは演出の為の鬼火ですにゃ。全然熱くないですよー」
虎柄の猫又がこちらに車を引いて来ながら説明した。
「本当? …あっ、本当だ!」
蓮子は燃えている大八車に触れてみる。確かに僅かに温かいだけで、熱くは無い。そして、猫又に目が行く。ちょこんと二本足で立つ猫又は、可愛らしいことこの上ない。
「それにしても、こんな大きい車をあなたが引いているの? 可愛いー! とても想像できないけど」
蓮子は思わず猫又の頭を撫でてしまう。猫又は気持ちよさそうに目を細めた。
「本当ですよー。僕も昔は死体を運んでいましたにゃ。でも、今の仕事の方がすきですにゃー」
「そうそう、そこの元火車の虎丸はたまたま俺の所に配達に来ていたんだ。そこへお主のピンチを見つけてな、その火車に乗せて貰ったんだ。火車は里で一番速い乗り物だからな。そうだ、はい、お小遣いだ」
そう言って神野は袖の下から煮干しが入った小袋を差し出した。
「わーい、ありがとうございますにゃー」
「チップが煮干し…」
虎丸が嬉しそうに煮干しを受け取るのを見て、蓮子は思わず呟いてしまった。
「…おい! 俺は放置か! っていうか何で火車と隻眼の男が突然こんな所にいるのか説明してくれよ!」
後頭部を押さえながら太権は叫んだ。蓮子は虎丸にかまけて太権のことを暫し忘れてしまったことに気が付く。
「おう、飯綱使い。お前が血迷ったことをしようとしたから止めに来たんだよ」
神野は太権に近付く。自分よりも背が高く、迫力も段違いなので太権は一瞬体を震わせた。
「お前にも信じられんかもしれんが、お蓮とお紺が話していたことは本当だ。もしさっきお前が本気でお蓮に憑いているお紺を祓い落とそうとすれば、魂ごと剥がれてしまい、最悪お蓮は命を落としてしまうかもしれなかったんだ」
「えっ…!」
神野から、自分がやろうとしていた事がいかに恐ろしい事かを思い知り、太権は言葉を失う。神野は話を続ける。
「先ほどから人間界を覗いていたが、お前もどうやら切羽詰まっているようだな。そんなに管狐が欲しかったのか?」
「…ああ、そうだ。俺は由緒正しい飯綱使いの家の跡継ぎ。なのに今まで一度も管狐を従えさせることは出来なかった。姉二人にバカにされて、両親からも急かされて…俺は肩身が狭かったんだ…」
苦しそうに説明をする太権を見て、蓮子も胸が痛くなる。しかし、
「はっはっは!!」
神野はあろうことか、大口を開けて笑った。蓮子とお紺、そして虎丸はぎょっとし、太権はきっ、と神野を睨んだ。
「何がおかしいんだよ!?」
「いや、この人間界にまだ妖怪に関する伝統を守ろうとする者がいて嬉しくてな! …そうだな、お前なら里にも入れるだろう。それに、お前に一度紹介しておきたい者が最近いてな」
「里? 一体何のことだ? というか、あんたは一体何者なんだ!? その野太刀といい…」
『この方はかの名高き魔王・神野悪五郎様だよ!』
お紺は恐れ多い、という風に太権に教える。
「神野って…えっ!? 稲生物怪録のあの、山本五郎左衛門と肩を並べているっていう…!?」
「まあそうかしこまるな。今から俺が長を務めるあやかしの里へ行こう。虎丸、お客が増えるが、乗せて行ってもらえんか?」
「かしこまりました!」
虎丸はガラガラと火車を神野の前まで引いて来た。神野は素早く車に飛び乗る。
「ほら、お主らもここに乗れ」
「えっ!? 大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だ。伊達に運送業はしていない」
「はあ…」
蓮子はゆっくりと火車に近付き、乗った。大八車、ましてや燃えているものなど初めて乗るので、ずり落ちはしないかと不安になる。
「おい、お前も乗らんか。むしろお前の為にこれから里に行くんだぞ」
「へ!? 里って言ったって…どこにあるんですか?」
「行けば分かる。早くしろ」
神野に三度促されたところで、太権はやっと火車に乗る。蓮子は三人と一匹が載って本当に大丈夫なのかと、改めて心配になるが、虎丸は全く気にしていないようである。
「それでは行きますよー。皆さん、かなり飛ばすのでしっかりしっかり縁に掴まっていてくださいにゃー!」
虎丸がそう言うと、車の荷台部分を浮かせ、鬼火はそれに合わせるように激しく燃える。
「では、神野様のお屋敷までしゅっぱーつ!!」
そこからぐん、と火車は動き始めた。そして加速する。
「な、何じゃこりゃあ!!」
蓮子はガタガタと揺れる火車の上で思わずそう叫んだ。とても小さい猫、否猫又が引いているとは思えない程速いのだ。下手をすると並の乗用車よりも速いかもしれない。荷台の上で涼しい顔をしているのは神野だけで、蓮子と太権の顔は青くなっていた。
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