三.

『どうやらあんた、あたいと似た匂いを持つ奴に見られてるよ』

 午後の授業中、お紺がそんなことを囁いて来たので蓮子は驚き、声が出そうになるのを何とか飲み込んだ。そんな蓮子に構わず、お紺は話を続ける。

『三日前、いや、あんたに取り憑いてから学校に行ったとき、似たような匂いや気配をうっすら感じていたんだ。でも今日になって、あたいたちに近付いてくるようになったね』

 蓮子は返事に困る。今は授業中なので、声を出して喋ることは出来ない。するとお紺は、

『ああそうそう。あんたも心の中で呟けばあたいと会話できる。何せ魂を共有しているんだからね』

(それ早く言ってよ! どうすれば良いか分からなかったじゃん! ってか近付いてくるって何で?)

『さあ…。もしかしたらあんたが一応狐憑きだから払おうとしているのかもしれない。でもこんな状態だから、そんなことしようものならどうなるか分からないけど。もしくは…飯綱使いがあたいに気が付いて、興味を持っているのかもしれない』

(飯綱使い?)

『あたいたち管狐を使役する妖術使いのことさ。飯綱は狐の別称でもある。あたいも昔は飯綱使いに使役されて、人に取り憑いては呪い殺したり、物を盗って来たりしたもんさ。ああ…懐かしい』

(ちょっと待った! 悪い事しかしてないじゃん飯綱使いって!)

『いや、良い事に使役する飯綱使いもいるよ。あたいらは悪い気がある方向や魔のモノがいる場所が分かるから、それを飯綱使いに伝えることで占いの結果を示したりしていたんだ。あたいらをどう使うかは、飯綱使いの良心にかかっている』

(ふーん、そういう事もあるんだー。…それで、私に接近してきたのって男? 女?)

『多分男だね。あの匂いは』

(…それで、私はその彼に接した場合、どうすれば良いわけ?)

『事情を説明して、あたいのことをどうこうするのは諦めて貰うしかないね』

「じゃあここの文を…蝶野、訳してみろ」

「はっ、はいっ!?」

 不意に自分が指名されたので、蓮子は変な声が出てしまい、教室中から押し殺した笑いが耳に入って来る。それだけでも恥ずかしいのに、その後答えられなかったせいで余計に恥ずかしい思いをしたのであった。



 太権はいよいよやきもきし始めた。何としてでも管狐のパートナーを得たい。その為には狐に憑かれた女子を特定しなければならない。だが太権には彼女が1‐2の生徒であるという情報しか持っていない。いっそ1‐2の教室に突入して気配を探り当ててしまおうかとも思ったが、友人二人にあらぬ誤解を受けるのも面倒である。気が付けば授業もホームルームも終わり、後は掃除の時間だけとなった。教室の掲示板にある掃除当番表を見ると、太権は今日、中庭の担当になっていた。

「げ、あそこか…地味にだるいんだよな、あの場所」

「おー、お前今日中庭かー。確かにだるいよなー」

 横から達也が同意してきた。章介も一緒である。

「俺ら廊下だ。廊下はさりげなく楽だよな」

「良いな、代わってくれ」

「代わるとしたらそれなりのモンを…」

 章介はにやつきながら指で銭の形を作ってみせる。

「お前らはチンピラか。良いよ、別に」

 太権は章介にツッコミを入れた後、だるい気分を引きずりながら中庭へ向かった。



 ホームルームも終わり、掃除の時間となる。蓮子は掲示板で今日の掃除の持ち場を確認する。

「あ、中庭だ」

「あー、あそこ地味にだるいんだよねー」

 隣にいた若菜が気の毒そうに言って来た。

「そうそう、まだ外も若干暑いから、余計に面倒臭いんだよねー」

 蓮子は以前やった中庭の掃除を思い出す。中庭は一見、掃除などするところが無いように見えるが、落ち葉や散った花の後片付けが地味に大変なのである。溝に入ったゴミも取り除き、虫とも時々出くわすのでブルーにもなる。

「まあ、今日一日だけなんだから頑張りなよ」

「うん、そうだね…」

 若菜から励ましの言葉を貰った後、蓮子は中庭へと向かった。



 中庭へ行くと、人数確認を担当の教師がした後に各々箒を持って掃除を始める。太権はそこで、思いがけないものを目にした。―狐憑きの例の彼女が、向こうで箒を手に掃除しているのである。太権はすぐに彼女=蓮子の元へと向かった。

『…来た! 飯綱使いだよ!』

(え!?)

 蓮子は後ろを振り向く。そこには確かに、必死の形相をした男子生徒がいた。

「あ、あの! 君、いきなりこんなことを言うのも変かもしれないけど…狐に憑かれているよ」

 太権は何とか勇気を振り絞って声を掛けた。だが、この発言では不審者丸出しである、と言った後に後悔する。勿論、蓮子も引き攣った表情になった。そのとき、

『い、意外と直球で来たわね…!』

「あっ! 今狐の声が聞こえた!」

 お紺の声も男子生徒に聞こえたことに、蓮子だけでなくお紺も驚いて息を呑んだ。

(な、ど、どうしよお紺!)

『…仕方がないね、正直に話した方が良いよ。あ、あんたの口からじゃないと周りに不審がられる』

「わ、分かった…。あの、あなたが私に近付いてきた飯綱使い…の人ですか?」

「ああ…その情報は憑いている狐から聞いたんだな。…ってあれ!? おかしくないか!?」

 太権は思わず大声を出し、蓮子はびくりとする。

「狐に憑かれている筈なら、自我はぼんやりとしている筈…なのに何でセパレートで声が聞こえるんだ!?」

「あの、それには事情があって…」

「こらお前ら! 何掃除サボってんだ!」

 そこで見回っていた担当の教師が、二人の掃除の手が止まっていることに気が付きやって来た。

「「す、すみません!」」

 蓮子と太権は声を揃えて謝ると、箒を慌てて動かす。

『とにかく、あんたにはきちんと事情を説明するから、掃除が終わったらここの近辺にある〝比熊山神社〟に来て』

 お紺が話すと、太権は教師に見つからないように僅かに首を動かし、頷く。蓮子と太権は慌てて互いに離れた。

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