六.

 その後浮遊感は無くなり、ごとん、と地面に籠が下りたのが分かった。蓮子とお紺が先に降り、紙のも後から降りる。すると、籠はひとりでにどこかへ飛び去って行った。

 だが、それよりも驚いたのは、屋敷の方である。巨大な〝悪〟の一文字が書かれた木の門に、漆喰しっくいの壁が目の前に聳え立つ。普通の武家屋敷の数倍の大きさであり、もはや城門のようであった。

「今帰った。客人たちも連れて来た。開けてくれ」

 神野は門の前でそう言うと、全く触れていないのに門が開いた。すると、

『お帰りなさいませ神野様』

 と門から年老いた男のような声がしたので、蓮子はびっくりする。

「ああ、ただいま。変わりないか?」

『はい。何事もございませんでした』

 門は答えると、神野はそうか、と笑いながらくぐる。蓮子も後から続いた。

「あの、今のは…?」

 恐る恐る蓮子は尋ねる。

「ああ、今のも付喪神だ。あやつがいるから門番は要らないんだ。頑丈過ぎる上に、名に買ったら侵入者を思いっきり挟んでくれる。この他にも屋敷には付喪神が沢山いてな。警備に一役買ってくれている」

『あの、この里で神野様のことを知っていて襲ってくる輩なんているんですか?』

 今度はお紺が尋ねた。

「妖怪の中にも治世の低い奴がいる。そういう奴が俺を人間だと思って襲ってくる場合も結構あるぞ。後は…奴か。ま、どのみち襲って来ても倍返しにしてやるがな」

 と神野は笑った。そうこう話している内に、玄関にまで辿り着いた。玄関の間口は武家屋敷仕様の為、そこまで広くはない。

「今帰ったぞー」

 神野は玄関の戸を引きながら言った。すると、奥から足音が複数聞こえて来る。そこに現れたのは三人の少女たちであった。

「お帰りなさいませ、神野様」

「「おかえりなさいませー!」」

 一人は蓮子と同じ年頃に見える少女。もう二人は幼い子供であった。三人は三つ指をついて頭を垂れる。

「おう、ただいま。客人を連れて来たぞ」

 神野はそう言うと、少女たちは顔を上げた。蓮子は特に、自分と近い年長の少女の美しさにどきりとする。

「まあまあ、それでは…人間の方? …ではないですよね?」

 年長の少女は少々戸惑ったような表情をした。

「そうだ。狐に憑かれた女子おなごだ。…だが少し特殊な事情があってな。とにかく上がってから話そう」

「はい。白玉、御台所に行ってお徳さんにお茶とお菓子を出して貰ってくれる?」

「はい! かしこまりましたー!」

 白玉、と呼ばれた赤地に白い水玉の着物の少女は元気よく返事をすると、とたとたと警戒に廊下の奥へ走って行った。

「では、客間までご案内いたします」

「あ、はい。すみません突然お邪魔してしまって…」

「いえ、とんでもございません。神野様のお客様なのですから、お気になさらないでください」

 そう言ってふわりと微笑んだ年長の少女に、蓮子はまたどきりとした。上り框で靴を脱いで、屋敷の中へ上がる。広く長い廊下を歩き、金箔を散りばめられた美しい襖の前で少女は足を止め、戸を引く。

「どうぞお入りください。今、お茶をお持ちいたします」

 年長の少女ともう一人の少女は軽く礼をすると、その場を一旦去った。

「さ、座ってくれ」

 神野に言われ、蓮子はそろりと中に入った。違い棚には骨董マニアが飛びつきそうな焼き物。床の間には水墨画の掛け軸に、この里に来る途中にあった鬼灯や青花などの季節の花が活けてある。紫檀の机に鮮やかな染物の座布団。窓からは中庭が見え、明人夏の草花が混在して彩っている。―まるで料亭に来たような気分になった。蓮子はとりあえず座布団にではなく、直接畳の上に座ると、神野から「遠慮するな」と言われ、改めて座り直す。家に放置されていたマナー本が、まさかこんなところで役に立つとは思いも寄らなかった。そう言えば、和室の割にやけに明るいような気がして上を向くと、見事に現代の電気が点いており、驚く。

「あの…行灯じゃないんですね…明かり…」

「ああ。この方が夜でも互いによく顔が見えるから良いと思ってな。LEDで長持ち。勿論この明かりが嫌いな者もいるから、そういうときの為に行灯あんどんもある」

 まさか目の前の純和風な人物から〝LED〟という単語が出て来るとは思わなかった。

「そ、それにしても立派なお屋敷ですね! こういう格式の高い所は一生来られないと思っていました!」

 招かれた客らしく何とか相手を持ち上げようと蓮子は必死になる。それを見抜いていた神野はやや苦笑した。

「そうか? これでも控えめにした方なんだが。ここを建てる前は『江戸城みたいな城郭にしよう』って話が上がったんだがな。素朴な里にそんな仰々しいモンは造りたくなくてな。結局武家屋敷風の造りに収まった。それに、城なら既に別の場所にあるからな」

「…へ?」

 最後の方で蓮子は凄いことを耳にしたような気がして、思わず変な声を出してしまった。いつの間にか蓮子の中に潜り込んでいたお紺がくすくすと笑っているのが分かる。そのとき、襖がゆっくりと引かれた。

「失礼します。お茶とお菓子をお持ちしました」

 少女三人はお盆に湯呑と急須、御茶菓子を載せて戻って来た。

「おー、ありがとさん。お前たちも中に入って一緒に話そう。客人のことも紹介したいしな」

「はい」

 年長の少女は返事をすると、お茶菓子と茶を淹れて湯呑を神野と蓮子の前に置いた。そして、下座の方に三人並んで座る。年長の少女は美しいが、幼い女の子たちも可愛らしい、と蓮子は微笑ましく思った。

「紹介しよう。管狐に憑かれた蝶野蓮子殿と、その管狐のお紺だ」

「蝶野蓮子です。初めまして」

『お紺です。以後お見知りおきを』

 お紺は自己紹介の為にまた蓮子の襟から出て来た。その瞬間に幼い少女二人はわあ、と楽しげな声を上げる。

「こちらこそ初めまして。私は神野様にお仕えし、女中をしている鏡花、と申します」

 年長の少女・鏡花は頭を下げた。絹糸のような滑らかな銀の髪に白い肌、少々妖しげな金の瞳にうっすら紅が差した頬。前髪とセミロングの後ろ髪はきっちり切り揃えられており、桔梗の髪飾りが動く度に少し小気味の良い金属音を立てる。着物は白から桃色のグラデーションで、百合の花の柄であり、実に鏡花に似合っていた。〝大和撫子〟とはこのような女性か、と蓮子はまた見惚れてしまう。

「ええと、あたしたちも神野様におつかえしている女中見習いの白玉と…」

「杏仁です!」

 二人の幼い子供も自己紹介をした。白玉と杏仁は瓜二つの顔であり、杏仁の方は青地に白の水玉で、白玉と同じおかっぱ頭には青いリボンを付けている。白玉も同じく、赤いリボンを付けていた。あどけなく愛らしい二人である。それにしても、美味しそうな名前である。

「鏡花は銀狐の妖狐。白玉と杏仁は猫又の白い子猫だ。狐の知り合いが増えて良かったな」

「えっ!? やっぱり三人とも妖怪!? …ですよね。それにしても、鏡花さんは美人ですし…猫又にも子供ってものがあるんだ…」

「うん。あたしたちは神野様に拾われたの」

 杏仁が答える。

「こら! お客様に敬語は?」

「あっ、ごめんにゃさーい」

 鏡花が二人に注意をすると、二人は同時に頭を下げた。

「あっ、良いよタメ口で! そっちの方が気楽だから! 鏡花さんも気にしないで!」

 蓮子はひらひらと手を振った。

「ですが、しかし…」

「いいんじゃねえか。お客人がそう言ってんだから。白玉と杏仁はな、親に捨てられていたんだ。甘味処の前でにゃーにゃー泣いていたところを拾ってな」

「…それで、白玉と杏仁って名前なんですか…」

「そうそう! 俺が食ってたものな!」

 けらけらと神野は笑った。

「でも、妖怪でも親に捨てられることはあるんですね…」

 蓮子はしゅんとしてしまう。二人にを見ていると、胸の奥が痛んだ。

「あたしたちは神野様に拾われてしあわせだよ!」

「鏡花様もほかの妖怪もここにたくさんいるから楽しいよ!」

 白玉と杏仁は屈託のない笑顔でそう言ったので、蓮子もそれを訊いて少しほっとした。

「そういえば、蓮子さんは特殊な事情があると神野様は仰っていましたけど…」

 鏡花は話題を変える。神野もそうだった、と蓮子を見た。

「二人の事情を俺も詳しく知らないんでな。どういう経緯で二人の魂がくっついたのか話してくれるか?」

「はい。少々長くなりますけど…」

 それから蓮子はお紺と出会い、魂を共有することになった経緯を話した。神野は再び神妙な顔になる。

「それは…大変でしたね。でも、お二人が魂を共有することで生き返ったのなら良かったです」

 鏡花は僅かに微笑んで見せた。

「本当ですよ。あそこにお紺がいなかったらどうなっていたことか…」

 蓮子は苦笑しつつ、ため息を交えた。

「神野様、むずかしい顔をしてどうしたんですか?」

 白玉が神野の様子に気づき、そう声を掛けた。

「いや、二人の魂が共有しているのは、二人が合意したから問題ない。ただ、お紺の魂かお蓮の魂、どちらかが一方の魂を食いつぶしてしまう可能性もあるのではないかと心配になってな」

「えっ…」

 神野の不吉な言葉に、蓮子は思わず不安の声を上げた。一方お紺は、何も言わない。神野は話を続ける。

「お蓮にもお紺にも悪意が無いのは分かる。だが、お紺の魂が暴走しないとも限らない。何せ妖怪と人間では魂の在り方も違うからな。…っと、すまんな。じじいの余計な心配ごとだと聞き流してくれ。ただ、もし仮にそうなった場合は、対処も考えなくてはならんかもな」

『あ、あたいは蓮子がいたから生きられたんです! だから、そうならないように極力がんばりますよ!』

 お紺は改めて自分は害が無いことを神野に伝える。神野もうんうんと頷く。

「分かってる。あくまでも考えられる可能性だ。だが、今の所二人ともうまくやっておるようだから紀憂のようだな。気を悪くしたのならすまなかった」

『いえ! むしろご心配して下さり、いたみいります!』

 お紺は慌ててそう返した。

「こちらこそ悪かった。そうじゃ、茶が冷めてしまうぞ。遠慮せずに飲んでくれ」

「そ、それでは…いただきます…」

 蓮子は茶を啜り、食べるのが勿体無い程の可愛らしい造形をした兎の和菓子を口に運んだ。客間の空気が少し緩み、蓮子はずっと気になっていたことを漸く口に出す。

「あの、わたしからも一つお聞きしたいことがあるんですけど、良いですか?」

「ああ、何でも聞いてくれ」

「…神野さんは一体…何をしておられる方なのでしょうか? …こんな凄いお屋敷に、女中さんたちもいて、更に別の場所にはお城もあるって言ってましたし…。お紺は知っているようなんですけど、ご本人に聞いてくれ、って言ったので…」

「俺か? 俺は魔王だ」

「……ん?」

 神野の言葉を蓮子はすぐに理解どころか、認識すらままならなかった。思わず首を大きく傾げる。

「あの…魔王って…よくRPGのゲームとかに出て来る悪の親玉とかと同じですか?」

「広義で言えばそうだが、日本の場合はちと事情が違うかな。…どれ、これから色々説明しようか」

 神野は茶を一口啜ると、改めて話を始める。

「日本では〝魔〟というものは『仏教の教えや修行を妨げるもの』とされている。だがこれは、西洋の悪魔の所業にも当てはまるだろう。『人を堕落させること』をしているわけだから、本質的には似たようなもんだ。日本では悪魔のことを〝波洵〟または〝天魔〟という。俺はその天魔自身であり、善悪に拘わらず魑魅魍魎ちみもうりょう、妖魔を総べている。そして次に魔王がいる場所だが、ずばり〝魔界〟だ。…話は少し逸れるが、〝六道〟は知っているか?」

「はい。…うっすらとは…」

「そうか。六道は天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と文字通り六つの世界から成る。よく地獄道は地獄と一緒にされたりするな。そして、ありとあらゆる生物はこの世界で生まれ、死んでは業によって巡ることとなる。それが〝輪廻転生〟。どの生物もこの輪廻から外れることは出来ないが、外れる方法は二つある。一つは悟りを開いて浄土へ行く〝解脱〟。そしてもう一つは、世の理に背き、道から外れる〝外道〟。魔界はその外道の中にある。この外道に堕ちた者は転生も約束されない代わりに死ぬこともない。で、そこには悪鬼や妖怪、魔人など、人ならざる者がおるが、実は妖怪や鬼に関しては輪廻に組み込まれている場合もあればそうでない場合もある。妖怪も鬼も死ぬことはあるし、中には神としてあがめられるようになった妖怪なんかもおるからな。玉藻前とか。そこらへんはさすがの俺も知らない、未知の部分が多い。まあとにかく、そういうヤバい世界がある、くらいの認識で良いと思うぞ」

「話の最初の部分、もうどうでも良くなってる!?」

 蓮子はあまりにあっさりと話を纏められたので、思わず魔王に対してツッコんでしまった。

「まあ、細かいことを説明したりするのは俺はそんなに好きではないからな。ちなみに俺も輪廻から外れているから、死なんぞ。天人でさえ死ぬのに、悪人が指南とは皮肉だな!」

 神野は大口を開けて笑った。不老不死の人間にまさかお目に罹れるとは思いも寄らなかった。それも魔王に、である。

「それと、もういっちょ説明な。俺は魔王とは言ったが、魔王は一人ではない。十三人いる」

「じゅ、十三人も!?」

「おう。昔は魔界のナンバー1をかけて戦ったりもしたが、俺ともう一人の野郎がずば抜けていた。そいつは山本五郎左衛門やまもとごろうざえもんというのだがな、何度も色々な勝負をしては引き分けに終わり、誰が一番か決まらなかった。そのせいであまりにも魔界がまとまらなくて、挙げ句地獄にも影響が出たので、見兼ねた閻魔大王が『魔界を各地域に分け、力のある物の中から十三人の王を出せ』という取り成しをして、ようやく魔界がまとまった。それで十三人いるんだ。ちなみにこの眼帯は山本の野郎から受けた傷。…今は大人しくしているが、いつか俺が魔界唯一の王になってやろうと思っている」

 そこでにやりと神野は不敵な笑みを浮かべた。蓮子はあまりにスケールの大き過ぎる話に、呆けてしまう。

『じゃあお城があるっていうのは、その魔界なんですか?』

 呆然としている蓮子に代わって、お紺が質問する。

「その通り。だが、こっちの方が色々あって面白いから、こっちの世界にいる方が長いな。里の管理もしなきゃならんしな」

 そこで蓮子はやっと我に返り、新たな疑問が生まれた。

「あの、そういえばどうしてこの妖怪の里を創ったんですか?」

「科学が発達したこの人間界では、古来よりいた妖怪が住み辛くなっていてな。そう言う妖怪が魔界にも多くなってきたんで、この際人間界に〝駆け込み寺〟として作ることを思いついたんだ」

『そうそう、あたいの仲間もだんだん少なくなっていってね。寂しい思いをしたもんだ』

 お紺はしんみりとしながら言った。

「そうじゃな。狐憑き、犬神憑きなどは現代の医学で病の一種であると分かったわけだ。だが、お主も知っての通りそれとこれとは別。狐霊や妖狐は本当にいる。現に科学的に解明されてない事象も沢山あるからの」

『そうですよね! この里にも管狐って他にいますか?』

「うーむ、管狐はここではあんまり見ないな。いるにはいるかもしれんが。狐も狸もここにはいっぱいいるぞ。それに、テンもな」

「テン?」

 蓮子は聞き慣れない動物の名を繰り返し、小首を傾げる。

「イタチの仲間だ。昔はイタチが長生きするとテンになると思われていたが、イタチとテンは別物だ。イタチの妖怪〝鎌鼬かまいたち〟もいる。そしてテンの妖怪もこの屋敷に仕えているぞ。天之助てんのすけ!」

 神野がテンの妖怪の名を呼ぶと、遠くからドタドタと足音が近付いてきた。そして、足音が止まると襖が勢い良く開かれる。

「はい、神野様! 御呼びでしょうか! …あ、可愛い女の子がいる!」

 現れたのは金に近い茶色の髪に、黒の瞳の美男子である。浅黄色の着物に青鈍あおにび色の袴姿の、気の良さそうな雰囲気も持っている。

「天之助! お客様に失礼でしょう!」

 鏡花が眉を顰めて叱責した。

「ごめんごめん鏡花ちゃん。あの、何か御用でしょうか」

「いや、この客人にテンの妖怪がどんなものか見せたくてな。ほれ、挨拶せい」

「はい! オレはこの屋敷の警護をしているテンの天之助です! 以後お見知りおきを」

「あ…こちらこそ。私は蝶野蓮子と申します」

『あたしは蓮子に憑いているお紺だよ』

「うおっ! 管狐!? 久し振りだなー」

 天之助はまじまじとお紺を見た。

「この客人、少し訳ありでな」

 かくかくしかじかと神野が話すと、天之助も興味深そうに頷いた。

「それにしても神野様はよく可愛い女の子を連れてきますよね」

「言っておくが、客人を除いて勝手に女子の方が付いて来るんだ。女好きのおめえとは違うからな」

 にやにやする天之助に対し、神野はぴしゃりと言った。

「あの…彼も化けているんですよね?」

 蓮子は天之助が妖怪のようには思えず、思わず尋ねた。

「ああ、勿論だ。『狐の七変化、狸の八変化、貂(てん)の九変化』と言ってな、動物妖怪の中では化けるのが一番上手いとされている」

「そうそう。でも日本は狐狸…特に狐が人気だからいまいちメジャーじゃないんだよねえ」

 天之助は肩をすくめた。

「確かに…私も初めて知りましたからね。本当はどんな姿なんですか?」

「えっ!? 正体明かしちゃうの!?」

「良いじゃねえか。お蓮、こ奴の本当の姿は…可愛いぞ」

 神野は自分で言って、その後吹き出した。

「えっ! それはぜひ見てみたいです!」

 蓮子の好奇心はここに来てまた芽生える。

「うーん…女の子と神野様の頼みとあらば」

 天之助はそこで立ち上がり、襖を引いた。

「では変身しますので…それまではこの襖を開けないでください」

 そして、襖は閉められた。

「恩返しに来た鶴みたい」

「何も恩が無いけどね」

 白玉と杏仁は二人で次々とツッコんだ。そして、襖がすぐに開けられる。

「…うわー! 可愛いー!!」

 蓮子は天之助の真の姿を見て、想像以上の愛らしい姿に興奮する。―丸い耳に黒くつぶらな瞳、人間のときの髪の色と同じ体毛に、顔の部分だけが白い、小型から中型くらいの犬の大きさと同じ獣がいた。蓮子はすかさず、トコトコと歩いて来た天之助の体を撫でる。

「テンってこんなに可愛い動物だったんだー!」

「女の子に可愛いって言われると複雑だけど、まあ気に入って貰えたんなら役得かな。あ、ちなみに本当は今は夏毛なんだけど、夏毛はあまりに地味なんで冬毛にするよう手を入れたんだよ。へへっ」

 天之助はすりすりと擦り寄って来た。それをお紺は冷めた目で見る。

「そうなんですねー。そういえば鏡花さんや白玉、杏仁ちゃんも元は獣の姿なんですよね? 良いなあモフモフ…じゃなくて、こんな綺麗から可愛い女の子までいて、お嫁さんにしたいとか思わないんですか?」

 蓮子は天之助から手を離し、神野に尋ねた。

「いや、ウチにいる者は皆、娘か親戚みたいな感覚だからなあ…。この里には艶街いろまちもあって美人もいっぱいいるが、嫁を貰おうなどとは思わない。やっぱ独り身は楽だな!」

「い、艶街まで…凄く広いんですねこの里」

「おう、もう里と呼ぶにも語弊があってな…でも入って来る妖怪は増える一方だから、拡大はまだまだしようと思っている。…そうだ、この際お蓮とお紺に頼んでみようか」

「何でしょうか?」

「俺はある程度千里眼で外の人間界を見ることは出来るが、それにもやはり限度がある。そこで人間界でもこの里でも自然に行き来できる者に、人間界とこの里を繋ぐ〝見聞役〟が欲しいと思ってな。その役目をお蓮とお紺、お主らにやって貰いたいと思ってな」

「えっ!? それって結構重要な役割なんじゃ…」

 蓮子もお紺も、神野の提案にぎょっとする。

「いや、そんな肩肘張らなくても大丈夫だ。ただ人間界の方に居場所を失くして彷徨っている妖怪がいたら、ここまで導いて欲しいのと、人間に対して悪さをする妖怪がいたら教えて欲しい」

「前者は分かりますけど、後者はどうしてですか?」

「うまく手なずけて手下にする。別に悪さをするには構わんが、俺は人間も嫌いではない。妖怪と人間、両方いて面白い。だからあまりに度を越した悪さをする妖怪はこっちで引き取りたい」

「な、成程…」

 蓮子はそこで改めて神野が魔王であることを実感し、魔王としての器も垣間見た気がした。

「どうじゃ。ここの妖怪は里の外にはあんまり出たがらないし、適任だと思うんだが、どうだ?」

『あたいは神野様のお役に立てるなら! 蓮子、あんたはどうなの?』

「うーん、そうだなあ…この里のことも知っちゃったし、お紺がそう言うなら…」

 蓮子はノーとは言えない雰囲気に押されて了承の返事をした。だが、そこまで嫌という程でもない。やはり平凡な日常とはどこか違うことを体験できるからであろう。

「うむ、よく言ってくれた! この里にはいつでも出入りできるようにしておこう。報告などが無くとも、気軽に来ると良い。じゃあ、これからよろしく頼むな! それじゃあ、歓迎の宴でも開くか!」

「あ…すみません、そろそろ家に帰らないと…」

 蓮子はそこで腕時計を見る。針はもうすぐ午後九時を指そうとしていた。蓮子の肝は一気に冷える。

「ぎゃー!! もうこんな時間!?」

『これからが妖怪タイムなのに』

 お紺は白けたように言った。

「私は半分妖怪みたいなもんだけど、半分人間でもあるし家族や周りには人間で通ってるの!」

「そうか、では仕方がないな。じゃ、直通の出口を用意しようか」

「はい、お願いします!」

 それから神野がその場で人間界に繋がる出口を指で四角の形に空を切ると、出口が出来た。向こう側には神社の境内が見え、急いで家に戻る。

 妖怪との日常を送る前に、蓮子は母に帰宅が遅くなった理由を考えることが重要な課題となってしまった。

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