五.

 蓮子は道行く妖怪たちを避けて、軽々と駆けて行く。事故に遭う前までは足は速い方ではなかったので、蓮子自身が一番驚いていた。

『ちょっとちょっと、妖怪助けは良いけど、あんた神野様しんのさまが何者か分かってんの!?』

 お紺は戸惑い、少々焦ったように言った。

「さあ? どんな人?」

『…説明すると長くなるから、会えば分るよ』

「そう。それより、あの人の姿が見つからない! 歩くの早過ぎじゃない!?」

『それなら、あたいの出番だね』

「へ?」

 お紺は出していた身体を引っ込めて、蓮子の体内へと入って行った。すると、周囲の臭いが急にきつく、濃いものになる。

『あたいの嗅覚の力を強めた。その煙管の臭いを嗅いでご覧。それで臭いを覚えて、神野様の行方を探るんだ』

「…なんか、警察犬みたい。でも、やってみるよ」

 蓮子は煙管の匂いを嗅いでみた。煙草に酒の臭い、食べ物の匂いに混じってお香のようなものや、何とも形容しがたい独特な臭いもある。これが神野という男の匂いであると、何とか蓮子は記憶した。

「…うん、この匂いを辿ってみるよ」

 蓮子はすんすんと鼻を動かして、神野の匂いを探る。すると、今いる道の咲から同じ匂いがした。蓮子は早足でその匂いを追う。こうして嗅ぎ回るような仕草をしていると、普通ならば確実に不審な目で見られる。だがここは妖怪しかいない里。蓮子に注目する者は誰もいなかった。

 夢中で匂いを追っている内に何本も細い路地を通ると、人気のない道でようやく深縹の着流しの男を発見した。蓮子は男に向かって駆け出す。

「あのっ、すみません!」

「ん?」

 神野は蓮子の声に反応して振り向いた。

「あの、さっきいたお店にこれを忘れて行きましたよね?」

 蓮子は煙管を差し出した。神野の眼帯をしていない方の金の瞳が、僅かに見開かれ、懐や袖の中を探った。

「おお本当だ! これは愛用の煙管でな。これじゃないと落ち着かないんだ。わざわざ届けに来てくれたのか、すまんな。ってお主、あの店の者ではないな?」

「あ、はい。今日初めてこの里に入った、狐に憑かれた者です…」

 蓮子はそう自己紹介をすると、蓮子の体内にいたお紺が再び顔を出した。

『管狐のお紺です! まさか神野様にお会いできるとは思ってもいませんでした!』

「管狐か! 久し振りに見るな! それにしてもお主はただの狐憑きとも違うようだな。…そうか、魂ごとくっ付いて、という感じだ…」

 神野は蓮子を頭からつま先まで見ると、すぐに二人の正体を見抜いた。

「す、凄い! あのお婆さんと同じくすぐに正体を見抜きましたね!」

「ほおずき婆さんのことか。あの婆さんの千里眼も中々だぞ。ま、俺の方が上ではあるがな。それより、どうしてそんな風になったんだ?」

「あ、それは…」

「ああ待った!」

 質問をした方の神野が手を突き出して待ったをかけた。

「立ち話もなんだから、俺の屋敷で話を聞こうじゃねえか。煙管の礼もしたいからな」

『ほ、本当ですか!?』

 嬉しそうな声をお紺は上げた。神野はああ、と頷くと、手を二回叩いた。すると、ふわふわ、というよりはまるで隼のような速さでどこからか籠がひとりでに飛んで来て、神野たちの前にゆっくり降りた。これには妖怪慣れしてしまっている蓮子も驚いた。

「これは付喪神で、俺専用の籠だ。ここからでもまだ遠いから、これに乗って行こう」

「あのー、結構歩きましたけど、神野さんのお屋敷って…?」

「あれだ。あそこに山が見えるだろ? その麓にある」

 神野が指差した先を見て、蓮子もお紺もぎょっとする。黒く見える山の膝元に、ここからでもよく分かる程の馬鹿でかい屋敷が建っているのだ。

「前は皆と同じように長屋に住んでいたんだが、この里を拡張したときに周りの者たちから『長なら長らしい所に住むべきだ』って言われちまってな。そこに移住したんだ」

「さ、さすがですね…」

 蓮子はそうとしか言いようが無かった。

「さ、中に入ってくれ」

 神野に促され、蓮子は靴を脱いで籠の中に入る。時代劇に出て来る大名や姫君のような気分になった。向かいには神野が入って来る。体格の良い神野が入っても広々としており、和製リムジン、といった雰囲気である。

「結構飛ばすからな、適当な所に捕まっておれ」

 神野がそう言った直後、浮遊感がしたと思ったらがくん、と籠が大きく揺れ、前に引っ張られそうになり慌てて近くにあった紐を蓮子は掴んだ。外からは轟々と風の音が聞こえて来る。こんなにおっかない籠は、ここにしかないだろう。

「そういえば、二人は魂ごと共有しているんだよな? 互いの心が分かったりしないのか?」

 加護に全く臆することなく、涼しい顔で神野は訊いて来た。

「いえ、私はお紺の気持ちはわかりませんけど…。まさかお紺、あんた私の心読んでる!?」

『読んでないよ! っていうか読めないよ。あくまであたいたちは互いに人格を持っているからね。それに昔、取り憑いた人間の心を読んだことはあるけど…あれは読むもんじゃないよ』

「そっか、良かった」

 蓮子はほっとする。

『あ、でも蓮子の体を乗っ取ることは出来ますよ。さっきもあたいの嗅覚の力を使って神野様の煙管から神野様の匂いを嗅ぎ取って、神野様の居場所を突き止めたんです』

「ほう…」

 神野はお紺の話を聞いて、一瞬神妙な表情になり、蓮子にはそれが気になった。

「そうだ、お主らの名前を聞いていなかったな。俺は神野悪五郎しんのあくごろうだ」

「あくごろう…? もしかして、悪人の〝悪〟ですか?」

「その通り。妙な名前だろう?」

「い、いえ! そんなことは…」

 口ではそう言いつつも、蓮子は凄い名前だと思わずにはいられなかった。

「私は蝶野蓮子ちょうのれんこです」

『あたいはお紺です!』

 蓮子とお紺は順番に自己紹介をした。

「蓮子とお紺か…二人合わせて〝れんこん〟だな!」

「…それ、薄々思ってました…。しかもそれ、小学校のとき男子の一部にそう呼ばれてました…」

「そうか。それにしても凄い偶然だなあ!」

 神野は大口を開けて笑った。

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