四.

 しばらく小径を歩き続けると、橙色の明かりが見えて来た。そして、ざわざわとした喧騒も耳に入って来る。蓮子は早歩きで先を進むと、一気に目の前に広がり、その光景に思わず息を呑んだ。

 ―そこには大きな一つの村があった。そこら中に張り巡らされた石畳を、無数の行燈や提灯が照らしている。建物は木造建築が中心で、年月を経た渋みのあるものである。まるで時代劇に出てきそうな街並みであった。かと思えば、昭和時代に建てられたような集合団地のようなものも立っており、更に別の場所には藁葺き屋根の家もある。幅広い時代の、古く懐かしい日本の家々がとにかくぎっしりと並んでいた。そして、街道には明らかに人間ではない者たちが賑やかに練り歩いている。

『凄い…! ここは妖怪の理想郷だよ!』

 お紺は喜び、興奮しながら言った。そのお紺の高揚感は、蓮子にも伝わった。

「とにかく、下に降りてみよう!」

 蓮子もまた、興奮しながらお紺に言った。蓮子たちは鬼灯の小径から小高い場所におり、小径で出会った老婆が言っていた〝あやかしの里〟を見下ろしていた。街に行くには目の前にある、木で造られた階段を下りる必要がある。階段の間隔は狭いので、蓮子は慎重に一段ずつ降りて行った。

「わー、すっごい!」

 蓮子は思わず叫んだ。いざ街に来て見ると、よりこの里の雰囲気を五感で感じることが出来た。だが、蓮子はすぐに自分たちが周りの妖怪たちから奇異の視線を向けられていることに気が付く。

「あれは…人間だよなあ」

「人間がどうやってここまで来たんだ?」

 ざわざわと、蓮子を見た妖怪たちが騒ぎ始める。すると、毛むくじゃらの、着物を着た何かの妖怪が蓮子に近付く。

「おい、おめえ人間なのか? 人間なら追い出さなきゃいけねえ」

 その妖怪の目はぎょろりとしており、声は低くしゃがれ、まるで山賊のような風貌である。蓮子はその妖怪の迫力に気圧される。他の妖怪たちも蓮子の周りに集まり始めた。

「うー…いえ、人間だけど、人間でないというか…」

 返答に困った蓮子は何とか言葉にするも、その一言は逆に妖怪たちを更にざわつかせてしまう。

「ってこたあ、人間の可能性もあるんじゃねえのか!?」

 毛むくじゃらの妖怪が怒鳴ったので、蓮子はびくりとする。すると、襟元から僅かに顔を出していただけのお紺が、にゅっと身を大きく乗り出した。

「ちょっと! この娘は人間だよ! 管狐のあたいがこの子に取り憑いて、半分は妖怪みたいな存在さ! もし人間なら、あの鬼灯の小径にいた婆さんに止められているだろうよ!」

 小さな体から、遠くにまで響き渡るような声が出た。

「管狐たあ懐かしいな! そうだよな、確かにおめえさんの言う通りだ。疑って悪かったよ!」

 毛むくじゃらの妖怪が笑いながらそう言うと、周りの妖怪たちも「そうだそうだ」などと言いながら、あっさりお紺の言うことに納得した。野次馬として集まっていた妖怪たちはすぐにばらける。疑り深くもあるが、納得のいく理由があればすぐに疑いを晴らすのが妖怪らしい。蓮子はほっとした。

「ありがとうお紺、助かったよ」

『気にしないでよ。…それより、あんたこんなに周りが妖怪だらけなのに怖くないの?』

「全然。むしろなんかこー言う場所は懐かしい気がするんだ。お紺の魂の影響かな?」

『それはあるかもしれないね。さて、せっかく妖怪の里に来たんだ。街を歩いてみようじゃないの』

 蓮子はお紺の言うことに頷くと、歩き始めた。


 初めは気が付かなかったが、街の中に入ると妖怪の里の空気、特に匂いが分かるようになって来た。空気は外よりも涼しく快適で、味噌や醤油の程良く焦がした良い匂いに、瓢箪を片手に歩く、酔っぱらった妖怪の酒の臭い、狐か狸が化けたであろう、着物を着た美女とすれ違ったときの白粉や髪油の艶っぽい香り。中には妙な生臭さも混じっていたが、それが妖怪らしい、と蓮子は思い、特に気にも留めなかった。匂いだけでなく、視覚にもまた蓮子を楽しませてくれるものばかりが入って来る。化けた美男美女、唐傘お化けなどのメジャーな妖怪、尾が二本ある愛くるしい猫又、身体に無数の目がある大男もいた。人間の街でも観察をしていると、各個人の個性が見れて面白いが、ここはそれよりも個性が強すぎてより面白かった。

「今通り過ぎた、身体に目が沢山ある妖怪さー、あんなに目が沢山あって大変じゃないのかな?」

『何がさ?』

 お紺は小さく首を傾げた。

「だって、あんなに目があったら360°見えちゃうわけでしょ? 何かこう…ぐるぐるして気持ち悪くならないのかな?」

『それは…生まれつきだから大丈夫なんじゃないのかい? ほら、それに後ろまで見えたら夜中歩いてても辻斬りや刺客にすぐに気が付くし』

「今時そんなのいないと思うよ!? っていうか妖怪狙う刺客って何? 怖い!」

『一つ目の妖怪が妬んで強襲とか…』

「あるの!?」

『いや、想像だけどね。それよりあたいは、人間の方が不便じゃないか、って思うよ』

「どんな所が?」

『耳もそこまで良くないし、鼻も大して良くない。夜目も利かないし、生きていくの大変なんじゃないかって思うよ』

「確かに動物に比べたらねー…。でも、人間には知恵っていう武器があるじゃない?」

『それはそうだけど、その武器をうまく使いこなせていない奴も沢山いるし、妖怪にも知恵の回る奴は沢山いるよ』

「…ああうん、そこは認める」

 お紺に言われて、蓮子は改めて妖怪の凄さを知る。だが、この街を見ていると妖怪は神仏とは違って、親しみやすさがある気がする。すれ違う妖怪や店を見ては、蓮子はお紺と雑談をしていた。そんなとき、 

「ありがとうございました! またお越しくださいませ!」

「おお、また来るからな」

 目の前の店から、長身で黒髪、そして黒い眼帯を左目に付けた男が現れた。深縹色の着流し姿がよく似合う青年である。その男が出て来た瞬間に、周りの妖怪たちはざわつき、蓮子も思わず足を止めた。

「籠か車をご用意いたしましょうか?」

 男を見送る、島田髷しまだまげに紫の着物の女はそう言った。

「いや、たまにはゆっくり街を眺めながら帰る。ちょうど良い酔い覚ましになるしな」

 男は笑って言った。

「そうでございますか。では、道中お気を付け下さい」

 女はまた深々と頭を下げ、男は店を後にした。ふらふらと楽しげに歩く後ろ姿をしばし見た後、蓮子はお紺が険しい表情をしていることに気が付いた。

「…どうしたの?」

『…今の男の人、ここいらの妖怪とは雰囲気が違う。何ていうか…圧倒される感じ』

「そう? 私にはただの楽しそうな人にしか見えないんだけど…あ、人じゃないのか」

「おやおや、そこの変わった二人、あの方を知らないのかい?」

 そう蓮子とお紺に声を掛けたのは、通りすがりの縮緬ちりめんの青い着物を着た小太りで中年の女である。一見人間だが、これも何かが化けているのであろう。

「あの方って…今出て来た大きな男の人ですよね?」

 蓮子がそう訊き返すと女は頷く。

「あの方はこの里を創られ、その長である神野しんの様だよ」

『えっ!? 神野って、もしかして…』

「あらあ、大変!」

 お紺の驚きの声は、店の中に引っ込んで行った女の声にかき消された。そして、先程神野という男に礼をしていた女が店から出て来る。

「困ったわねえ…」

 女は整った眉を八の字にしながら街道を見回した。何があったのか気になった蓮子は、女の元へと行く。

「あの、何かあったんですか?」

「あら、珍しい服装だね。あ、いやね、先程までウチにいらしていた神野様がご愛用されている煙管を席に忘れて行ってね。すぐに届けないと」

「…私が届けましょうか?」

「え!?」

 迷わずそう言った蓮子に女は驚く。蓮子自身、あの男の正体について知りたい、という想いから出た言葉であった。

「そんな悪いよ! すぐに家の丁稚でっちに届けさせるから…」

「いえ、大丈夫です。それに、早くしないとどんどん遠くへ行っちゃいますよ!」

「…それじゃあ、見ず知らずの人に悪いけど、お願いしようかねえ」

「はい!」

 そこで蓮子は煙管を受け取った。良く見ると女の手には鱗が見える。やはりこの女も化けた妖怪らしい。煙管は漆塗りに金箔の笹が貼られた、いかにも高級そうなものであった。

「じゃあ、届けてきます」

「お願いね」

 女にそう言われた後、蓮子はすぐに駆け出した。その場に残された青い縮緬の着物の女と、島田髷の女は何となく、互いに顔を見合わせた。

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