三.

 半袖のブラウスに袖を通し、赤色のリボンを付ける。チェックの赤いスカートを穿いた後は、セミロングの黒髪を櫛で梳かしてサイドにピンクの花がポイントのヘアピンを付ける。これで蓮子の登校の支度は完了である。

『おや、支度は出来たのかい?』

 お紺が襟元からにゅっと顔を出す。

「うわっ! びっくりした!」

 蓮子は突然のお紺の登場に肝を抜かした。

「あんた、外に出られるの?」

『そうだよ。病院じゃ夜中…あんたが寝ている間にこっそり出ていたけどね。あんまり長い間離れられないが、こうして出ることは出来るさ』

「ふーん…。何か、オコジョを胸元に入れてるみたい…」

『狐だってば!』

「私にはあんま大差ないよ…。それより、これから学校行かなきゃいけないから、そうやって出て来ないでよ?」

『出ても大丈夫。専門家じゃないとあたいの姿は見えないから』

「専門家?」

『まあ気にしないでよ。それにしても人間の学校なんて久し振りだね。ちょっと楽しみ』

 お紺は目を細めて、笑顔に近い表情を見せるとまた蓮子の体内に入って行った。蓮子は〝専門家って何だろう〟と思いながら鞄を手に取り、部屋を出た。



 蓮子の通う玉泉ぎょくせん高校は、蓮子の自宅から徒歩で15分から20分程のところにある。玉泉高校を選んだのは〝近いから〟ということと、〝蓮子のレベルに丁度合っていた〟という理由だけであった。高校一年目に事故に遭うとは思いも寄らなかったが。続々と生徒が校門を通り、蓮子もその群れにいる中で「蓮子!!」と自分の名を呼ぶ声がしたので、人にぶつからないように足を止め、後ろを振り向く。そこには濃い茶色の髪をふんわりとしたボブに仕上げた、いかにも〝明朗闊達めいろうかったつ〟という言葉が似合う顔付きと雰囲気を持つ少女が、手を振りながら蓮子の元へと来た。

「若ちゃん!」

 蓮子も少女の名を呼び、自然と笑顔になる。

「今日から学校に来られるようになったんだっけ!? なんかすごい久し振りー!」

「私も! っていうか、病院で会ったじゃん」

「それは一週間前のことでしょー?」

 そこで二人は互いに笑い、後者に向けて歩みを再開した。

「入院中は授業ノートありがとね。これで遅れを取り戻せるよ」

 蓮子は友人の〝若ちゃん〟こと若菜に礼を言った。―友人の咲本若菜さきもとわかなは、同じクラスの、入学式で対面したときからの友人である。なんとなく波長が合い、他にも共通の友人はいるが、蓮子は若菜と一番仲が良い。そんな若菜は入院中、面会が可能になると何回も見舞いに来てくれた。

「全然気にしないでよ! 大変な目に遭ったのは蓮子の方なんだからさ。それにしても、よく生還できたねえー。本当にめでたいよ! …あのさ、何週間か前に見たんだよね、蓮子の夢…」

 若菜はそこで少々気まずそうな表情になる。

「え? どんな内容だったの?」

「…気分悪くしないでね。その…彼岸花が沢山咲いている場所に、あんたがその姿で立っててさ。いくら呼ぼうとしてもあたしの声は出ないし、動けないしで…そんでもって、その花畑の先に川っぽいのが見えてさ…。いよいよこれはまずい! って思ったところで目が覚めたんだよね…」

「そ、そっか…実はさ、三途河にいたんだ…ははは…」

 蓮子はまさにお紺と出会い、その川に向かっていたことを思い出して引き攣った笑みを浮かべた。

『へえーこの子、やっぱり霊感が強いみたいだね。病院にいたとき、時々浮かない顔をしてただろ? あれは霊が見えていたのさ』

 お紺はそう囁きかけて来た。受け答えしたいところだが、お紺の姿は若菜にも見えない筈なので、不審に思われる可能性は大である。スルーすることにした。

「ご、ごめん! やっぱ気にするよね! …ていうか、やっぱりあの川そうだったのか…。でも、こうして元気に歩いてるんだから結果オーライ! もうそんなこと、あと80年はないよ! そうそう、前から智ちゃんとか友紀ちゃんとかと話してたんだけどさ、蓮子が学校に戻って来たら快気祝いパーティやろうって! 今日の帰り、ファミレスでやろうと思うんだけど、大丈夫?」

「うん! ありがとー! やっぱ若ちゃんたちが友達で良かったよー!」

「うむ、ういやつじゃ」

 若菜はふざけて蓮子の頭を撫でた。そうやって二人で談笑しながら、教室まで辿り着いた。

「えー、皆はもう知っているかもしれないけど、事故に遭って入院中だった蝶野さんが今日から学校に戻ってきました!」

 ホームルームで担任の女教師が蓮子を皆の前に立たせると、そう宣言した。すると、教室中から拍手が湧き起こる。調子の良い男子などは「おかえり!」とふざけて叫んだ。蓮子はどうリアクションしていいのか分からず、とりあえず苦笑する。

「長い間入院していたので、勉強など分からない点が多くあると思うから、みんなで助け合うように!」

「はーい」 

 皆はお利口な園児のように元気よく返事をした。蓮子は「よろしくお願いします」と取り敢えず頭を下げておいた。



「はー、いっぱい食べたし、楽しかったー」

 蓮子は若菜ら友人たちとファミレスで快気祝いのパーティをして貰った帰り道にいた。パーティと言っても、サイドメニューとドリンクバー、少し奮発してケーキも頼んだ、というささやかなものである。だが、それでも蓮子にとっては十二分過ぎる程であった。そして、あっという間にケーキやポテトを平らげる蓮子を見て、友人たちが驚いていたのは言うまでもなかった。本当はカラオケにも行きたかったのだが、それぞれ変える方向が違ううえに、午後七時も回っているのでお開きとなった。

『今どきの人間の外食は、あんなに充実しているのかい?』

 襟元からまたお紺が顔を出し、尋ねて来た。

「うん。24時間やってるとこもあるし」

『そりゃ凄いけど、働き過ぎじゃないのかねえ。日本人は』

「うーん、そうかもね…。〝ブラック企業〟なんて言葉もあるし…」

『はあ…そうやって人間が働いて、電気も点けっぱなしだからあたいら妖怪は居場所を失くしちまうのさ』

「妖怪って、やっぱ暗い所が好きなの?」

『そうさ。そんで暗がりの中で人間を不意打ちで驚かすのが楽しみの一つなんだ。それが今じゃ山の中や田舎の一部でしか出来なくなった』

お紺は湯鬱そうに溜め息をついた。お紺につられて蓮子もしゅんとしてしまう。

「そっか…居場所が無いのって辛いよね…ここはまだ田舎で、そんなに明る過ぎることもないと思うけど」

『いいや、あたいたちにとっては明る過ぎるし騒がしいさ。本当の暗さをあんたは知らないんだ。…ん?』

 そこでお紺は急に、首を右の方へ向けた。

「…どうしたの?」

 蓮子も同じく右を向く。そこにはひっそりと神社が佇んでいた。

『ここの奥から懐かしい〝匂い〟を感じたんだよ。ちょっと行ってみてもいいかい?』

「えー…でも帰りが遅くなっても困るし…」

『大丈夫だよ、ちょっと確かめるだけだから!』

 お紺が必死にそう言うので、蓮子は渋々一礼をしてから神社の鳥居をくぐった。

『境内の裏に気配を感じるねえ…』

 お紺は手まで出して、神社に感じた懐かしいものの正体を探るとする。

「裏に回るの? …嫌だなー怖いなー…」

 蓮子は歩みを少々遅くしながら言った。

『何だい、暗い所が怖いのかい?』

「暗い所っていうより…暗い所から虫が不意打ちで来ないかどうかが怖いんだよー…」

『そこかい!? 幽霊や妖怪の類じゃなくて!?』

「だって幽霊は見えないし何もしないし、妖怪はもう私の一部だもん」

『あんた、変な所で度胸がるねえ…。ん、ほらご覧、この道を』

「え?」

 境内の裏側で蓮子は足を止める。目の前には暗がりでよく分からないが、目を凝らして見ると、鬼灯が実っている。

『こんな所に季節外れの鬼灯が咲いている。しかも、こんな日陰にね。これは不自然…いや、もしかしたらここが懐かしい匂いや気配の正体なのかもしれない』

 お紺はふんふんと鼻を動かした。そう言われてみると、蓮子もこの奥から何か、言葉では表現し難い気配を感じる。ふと、鬼灯が咲く茂みに、小径のようなものがあるのを発見した。

「ねえお紺…この奥に道があるんだけど…」

『本当だね。まさに誘われているようだ。これは行くっきゃないね!』

「えー…行くのー…?」

『無視ならこの奥にはいやしないよ。むしろここから先は、普通の生物は通れないどころか、見つけることすらできない筈さ』

「ええっ!? 普通の生物には見つけられないって…虫より怖い所じゃん!」

 蓮子はお紺の発言に思わず身震いした。

『あんたは半分は妖怪なんだから大丈夫さ。もしかしたらこの先には、この世にはない面白い物があるかもしれないよ?』

「…それは…ちょっと行ってみたいかも…」

 元々好奇心が人一倍旺盛な蓮子は、お紺のその一言であっさり恐怖心など忘れてしまった。

『よし、それじゃあ改めて行くよ!』

「おう!」

 蓮子とお紺は意気揚々と小径に足を踏み入れた。

 小径の両脇にはびっしりと、朱色のがくが付いた鬼灯が咲いている。昼間に来て見ればより美しい鬼灯が見られたのだろう、などと蓮子は思いながら歩く。この先には一体何があるのだろうか、という高揚感と、暗闇の中にいることでの少しの恐怖心が蓮子の中で入り混じっていた。

『…どうやら、あたいたち以外にもいるね』

「え?」

 しばらく進んだところで、お紺は少々警戒する声色で言った。すると、目の前に音もなく老婆が現れ、蓮子は驚く。曲がった腰に絣の着物、白髪頭はお団子にして纏めてある。顔には無数の皺があり、まるで梅干しのようであった。

「…なるほど、面白い娘子が来たね」

 老婆は蓮子とお紺を見た後に、ゆっくりとそう言った。

「あ、あの…」

「管狐に憑かれてはいるが、魂は乗っ取られていない。…ふむ、魂を共有しているのかね」

『一目でそれだけ見抜くってことは、千里眼の持ち主かい? 見た目は人間だけど、幽霊ではなさそうだ。あんた一体何者?』

 お紺の警戒心はまだ解けていない。

「ただの妖怪婆さ。わしはこの先にある、人ならざるものしか入れぬ郷・あやかしの里に人間が入って来ないか見張っているんだ」

『あ、あやかしの里!? やっぱりこの先には妖怪たちがいるのかい!?』

 お紺は老婆の話を聞いて興奮する。蓮子も同じく驚いていた。

「そうさ。…あんたは妖怪みたいなもんだ。この先を通ることを許可しよう」

 老婆がそう言った直後、周囲にあった鬼灯のがくの中にある実が輝き出し、提灯のように小径を照らした。その妖しく、美しい光景に蓮子はわっと声を上げる。

「鬼灯は霊をこの世に誘い導くと言われている。だが、それは妖怪にも当てはまることさ。この先にはあんたたちの仲間が沢山いる。…ただし、この先にある里のことは決して人間に口外してはならないよ。あの里は妖怪たちが安らげる数少ない場所だからね。もし口外すれば…里の長が災いをもたらすだろう」

 老婆は最後に忠告をした後、現れたときと同じように音もなくぱっと消えた。

『…やっぱり、妖怪が集う場所があったんだね! さあ蓮子、こうしちゃいられない。行くよ!』

「う、うん」

 お紺に促され、蓮子は鬼灯の明かりで照らされた小径を再び歩き出した。

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