第9話 片思い
「……俺にどうしろって言うんだよ」
光輝が夜の住宅街を一人歩く。
光輝は一人暮らしをしていた。
場所は学校とセンターの中間辺り。
光輝の実家と学校は一人暮らしをしなければいけない程離れてはいないのだが、ある理由から彼は実家を出ていた。
そして彼が今住んでいるのは、アパートではなくなんと一軒家。
不動産屋で安さを優先して住む場所を探すと、何故かそこを紹介された。
確かに格安だった。
木造で古い家とはいえ手入れはしっかりとされており、ここまで安くする理由がわからない。
敷金礼金無し、家賃は四万三千円。
これなら確かに、場所によっては普通にアパートに住むより安い。
ちなみに、安かった理由は住み始めるとすぐにわかった。
だが慣れた今ではそれも大して気にならない。
「あれ?」
家に着くと、何故か部屋の明かりがついていた。
光輝が帰らなければこの家には誰もいない筈だ。
電気なんて点いている筈が無い。
単純に朝消し忘れただけの可能性もあるが。
「ま、入ってみようか」
いくら怪しくともここが家なのだから帰らない訳にもいかない。
それに、彼はただの一般人ではなかった。
玄関の引き戸に手をかけてみると、鍵はちゃんとかかっていた。
これはもしかしたら空き巣や不法侵入ではなく、単なる自分の消し忘れかもしれない。
そう思って鍵を開けて中に入ると。
「あ」
靴があった。
自分の物ではない女性ものの靴が。
「来るなら来るで先に言っておいてよ……、驚くから」
電気が点いていた理由を察し、疲れた表情になる。
ギシ、ギシ、と木の廊下を軋ませながら歩き、茶の間に入った。
「寝てるし」
するとそこには一人の少女がいた。
テレビを点けっぱなしで、テーブルに頭を乗せて熟睡中だった。
容姿の分類は、美少女でいいだろう。
光輝程ではないが髪が長い。
だが彼女は、光輝程髪の手入れを気にしている訳ではないらしい。
所々痛んだ髪の毛先がピョンピョンと跳ねている。
「ふふ……」
そして彼女は、
「ふふふふ……ふへ、ふへへへ……」
表情と寝言が最悪過ぎて、美少女感が台無しだった。
「ふへへ、へへ……おかね……もち……おかねもちぃ……へへ」
「えぇ……」
ドン引き。
テレビで億万長者の私生活特集みたいなのをやっている。
どうやらその夢を見ているらしい。
「きゃびあぁ……ふぉあぐらぁ……とりゅふぅ……うへへへ……」
「お前、それはちょっと……」
金持ちのイメージが貧困過ぎる。
世界三大珍味がまず出てくるあたり庶民だ。
「ほら、起きろって」
「んん……」
可哀想になり、肩を揺する。
「沙希穂、沙希穂」
「……ん……あれ?」
寝惚けているのか口の中でもしょもしょと何か呟く。
「ここ……あれ?」
「おはよう、沙希穂」
「あぁ、光輝…………光輝?」
光輝の顔を見て、目が覚めたらしい。
突然目がつり上がる。
そしてそのまま勢いよく身を起こすと。
「遅い!」
「え、何が?」
突然怒りだした。
「遅くなるなら言ってよ!」
「いや、それ俺のセリフだから。来るなら来るって言ってよ、驚くし。それに、その事知ってたらもっと早く帰ってきたのに」
とりあえず光輝が沙希穂の隣に座る。
「で? どうしたの沙希穂。何か用事?」
「あぁ、うん」
彼女は光輝の幼馴染の、
光輝と同じ高校二年生だ。
「この間の旅行の写真をプリントアウトして持って来たの」
「あー、あの時の」
それは、光輝が沙希穂含む友人何人かのグループで行ったものだった。
ノリだけで計画を立てて、土日の二日で急遽行く事になった忙しい旅行。
色々と大変だったが何だかんだで楽しかった。
「わざわざ印刷して持って来なくてもデータだけ送ってくれればよかったのに」
「だよねー。私もそう言ったんだけど皆が直接届けに行けって言うからさー」
「…………そうか」
実は。
光輝は、沙希穂の事が好きだった。
そしてその事を、彼の周囲の人はほぼ皆が知っている。
なのでこのように何かと気を遣っては機会を作って応援してくれているのだが。
「わざわざ届けなくてもいいよねぇ。パソコンで送っちゃった方が早いしさ」
沙希穂自身はその事に全く気付いていない。
彼女は物凄く鈍感で、匂わせる程度ではまず気付かない。
話の流れで軽く想いを告げた事もあるのだが、それも何か違う意味に取られて駄目だった。
いつかしっかりと場を作ってはっきりと告白しようと光輝は思っているのだが、今の彼女にそんな事を言っても困惑させるだけだろうと、タイミングを見計らっている。
「そういえば夕飯は食べた?」
「食べたよ、寝る前に」
「そうなんだ。何か買ってきてたの?」
「ううん。この家にあった物で適当に作って食べた」
「あぁ……そう」
言われてみれば匂いが残っている。
「豚キムチ?」
「そう、豚キムチ」
確かに材料は冷蔵庫にあった。
ご飯も炊かずとも冷凍の物がある事を沙希穂は知っている。
「とりあえずさ。ありがとう、写真届けてくれて。制服って事は学校終わってからずっと待っててくれたんだろ? 本当にごめん、遅くなって」
「あははは、いいよいいよ。さっきのは冗談だから。光輝の言う通り、連絡しないで突然来たこっちが悪いしね」
そう言って沙希穂が立ち上がる。
「さて、そろそろ帰ろうかな」
「え? もう?」
「うん。用事済んだし」
「もう少しゆっくりしていけば?」
「やー、光輝は今帰ってきたばかりだけど、私はもうず~っとゆっくりしてたからねー」
光輝が時計を見る。
女子高生が出歩くには少し遅い時間だ。
「だ、だったら……さ」
ゴクリと唾を飲み込む。
「泊まって……いったら?」
「え?」
言って、光輝の全身にブワッと汗が浮かぶ。
「あ、だ、だってほら、時間もそろそろ遅いし」
「えー、大丈夫だよー。電車の時間もまだまだあるし、家までそこまで遠いわけでもないし」
光輝の実家や沙希穂の家までは、ここから電車で大体一時間程度だった。
だが歩く時間も含めるならもう少しかかる。
「それにほら、私普通の女の子より強いしね」
ビュッ、ビュッ、と何かを掴むように構えた手を素早く振り下ろす。
沙希穂は剣道をやっていた。
それもかなりの実力者。
彼女はまだ二年生だが、部内では男子の先輩を含めても一番強い。
それは光輝もわかっている。
だが、そうは言っても女の子だ。
心配だ。
「わかった。だったら俺が送っていくよ」
「だから大丈夫だってば。一人で帰れるよ。光輝は今帰ってきたばっかりなんだし、休んでて。ちゃんと人通りの多い所通って帰るから。ね?」
「いや、駄目だね。送る。心配だ」
「えぇ……」
困った顔をされるが、光輝は引かない。
「…………はぁ」
すると沙希穂がため息をつく。
「本っ当~に頑固だよね、光輝は。わかった。お母さんに電話する。光輝の家に泊まるって」
普通なら若い男女が一つ屋根の下でお泊まり、だなんてそうそう許される事ではないだろうが。
沙希穂の母親は光輝の事を応援してくれているので、あっさりと許可されるだろう。
「じゃあ洗濯機貸して。明日も学校だから制服はともかく下着と靴下は洗っておきたい。あと寝る時の着替えも貸してね」
「わかってる」
沙希穂が母親に電話をかけ始める。
「あ、もしもしお母さん? 沙希穂だけど。うん、今光輝の家。それで今夜なんだけど――」
こうして、沙希穂の宿泊が決まった。
「お風呂上がったよー。着替えありがとー」
「うん。遅かったね」
「お風呂出た後お菊ちゃん探してたの。でもいないんだよねー。どこにいるの?」
「沙希穂がいつもいじめるから隠れちゃったんだよ」
「まー失礼な。いじめてなんかないでしょ? 可愛がってるのよ」
「いじめる奴は皆そう言うんだよ」
沙希穂がテーブルの上にある光輝の飲んでいた麦茶を手に取り、勝手に飲む。
「おかわりっ」
「……はいはい」
注がれたおかわりを飲み、一息つくと沙希穂が言った。
「さて」
「うん」
「寝ようか」
「早くね!?」
「私明日朝練あるのよ。だからもう寝ないと」
「にしたって早いだろ……。いや、いいけど別に」
光輝が立ち上がる。
「朝練て臭いやつ?」
「臭いやつ言うな! 剣道ね」
「はいはい。じゃあ客間に沙希穂の布団敷くよ」
「いや、ここでいいよ」
「え、居間で寝るの?」
「うん。だって光輝の家の部屋、怖いんだもん。なんか怪談話に出てくる田舎の家みたいで」
「酷い言い方するなよ。俺住んでるんだぞそこに」
「て訳で光輝の分の布団もここに敷いてね」
「え!?」
「だって怖いもん」
「怖いもんってお前、さっき自分は普通の女の子より強いって……」
「人に対してはね? お化けには竹刀が当たらないからさー」
腕を掴まれぶんぶん振られる。
「いーじゃーん、一緒に寝ようよー。ほらー、私達仲良し幼馴染じゃーん?」
「………………」
「ちょっと、何よその沈黙!」
何を言っているんだこの女は、と光輝が思う。
光輝の気持ちはもう昔とは違う。
なのに未だに子供っぽい幼馴染の頭の中に、腹が立つ。
頭の中がどうであれ、身体はもう子供の頃とは違うのだ。
夜一人で寝るのが怖いからって異性に対して一緒に寝てくれだなんて。
無防備にも程がある。
「あのさ、沙希穂」
「何?」
光輝が一歩沙希穂に近寄る。
「……今俺の分の布団も持ってくるから、先に歯磨いて待ってな。前泊まった時に使ったのが洗面所にそのまま置いてあるから、それ使って」
「はいはーい」
所詮はヘタレロン毛だった。
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