第2話 鮮血に染まるプールサイド -後編-

 水着姿ではなく、普通に服を着ている。

 その髪型から一瞬女性かと千夏は思ったが、聞こえた声と上げた顔を見ると、その人は少年だった。

 見た感じ千夏よりも少しだけ年上、恐らく高校二年生か三年生位だろう。


(綺麗……)


 場違いにも少年の顔を見た第一印象が、それだった。

 その容姿の美しさは、決して彼女が最初に髪型を見て勘違いしたような、女性的な美しさではない。

 あくまで男性としての魅力からの美しさだ。

 

「手、出して」


 少年に言われ、呆けた頭のまま言われた通り手を差し出すと、力強く一気にその体をプールから引き上げられた。


「わっ!?」


 更に、引き上げた勢いのままお姫様抱っこをされてしまう。


「あ、あのあの、あの!」

「しーっ、舌噛んじゃうから口閉じててね」


「クォアアア!!」


「きゃああああ!」


 千夏を抱いたままパッとその場から後ろに跳ね、襲い掛かってきていた豹の攻撃をかわす。


「ちょっと走るよ。そのままでも君の事を離すつもりは無いけど、強めに抱き着いてくれた方が俺は楽かな」


 言われた通りギュッと少年に抱き着く。 

 見た目からはあまり意識しなかったが、触れると少年の体は細身だがかなり鍛え上げられていて、服越しの肌の感触に筋肉の硬さを感じた。


(この人……もしかして)


 女とはいえ、人一人を抱えて身軽に飛び跳ね、豹よりも早く地を駆ける。

 豹を蹴り飛ばしたのもそうだけれど、そんな事普通の人には出来ない。


「ま、そういう事」


 千夏の考えに気付き、少年が頷く。


「自己紹介が遅れてごめんね。俺の名前は大宮おおみや光輝こうき。魔力保持者だよ」

「魔力……保持者……」


 よかった、助かった、と千夏がホッと息をつく。


「あ、ごめん」


 そんな千夏を見て光輝が再度謝り、苦笑いをする。


「俺、救助隊として来たんじゃなくて、たまたま近くを通りかかっただけなんだよね」

「え?」

「だから、俺以外はまだ誰も助けに来てない」


 言いながら一歩横に跳ねる。

 すると、今まで立っていた場所に豹がどこからか降ってくる。

 その豹に背を向け、また走り出す。


「更に言うとさ。俺、実はすっごく弱いんだ。今みたいにただ逃げ回るので精一杯。だから全然頼りになんないかも」


 言われてみると確かに、彼は最初に一頭豹を蹴り飛ばしただけで、それ以降はひたすら逃げるだけ。

 一切戦おうとしていない。


「クォ、クォ、クォ!」

 「クォアアアアア!!」


 だが豹達は、千夏を抱いた彼の元にどんどん集まってくる。

 見ると最初に蹴られた豹がジタバタと血を吐きながら苦しそうに悶えている。

 外見はともかく中身が普通の豹と同じならば、恐らく骨が折れて内臓に突き刺さりでもしてしまったのだろう。

 そして他の豹達はそれを見て、彼の事をただの獲物ではない、このプール内唯一の敵。

 優先して狙うべき相手だと判断したのだ。

 

「その気になればもうあと何頭かは殺れるかもしれないけど……全部は無理だろうなぁ」


 くるっと反転し、突如豹達の群れに突っ込んでいくと、先頭にいた者の頭を踏み、高くジャンプして群れごと飛び越える。


「あのさ、君。大丈夫?」

「え?」

「いや、随分と落ち着いてるなと思って」


 確かに、悲鳴を上げてもおかしくない状況なのに、千夏は光輝に抱き上げられてからずっと、驚く表情一つ見せず平然としていた。

 

「え、と……」


 なんででしょう。

 独り言のようにポツリと小声で呟く。

 自分でもよくわからないようだ。


「……ふ」


 それを見て光輝が小さく笑う。


「じゃあさ、一つお願いしてもいい?」

「お願い?」

「そ。お願い」


 光輝が巨大滑り台の階段ではなく、曲がりくねった長い斜面側の方から一番上を目指す。


「笛、鳴らしてほしいんだ。思いっきり大きな音で」

「ここにあの怪物達を集めるって事ですか?」

「うん、そういう事。そしたら皆が逃げやすくなるでしょ?」


 何気に笑顔で酷い事を言う。

 要は皆の為に危険を引き受けてくれと言っているのだ。


「本当は君だけをどこかのタイミングで逃がしてあげたいところなんだけどさ。ごめんね。もうあいつらの注目が集まり過ぎて、無理なんだよね。だから一緒に、危ない目にあってくれる?」

「はい」

 

 即答。

 それを聞いても千夏は特に何も思わなかった。

 元々彼に救われなければ死んでいた命なのだ。

 今更だ。

 

「では、いきます」


 だから千夏は迷わなかった。

 一切の躊躇なく、ホイッスルを鳴らす。




 ピィィィィリリリリリリリィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!




「ははっ」


 千夏の迷いなき行動に光輝が笑う。

 豹達にとってこの音は不愉快なようだ。

 ただでさえ殺気だっていた豹達が、更に怒りをむき出しにして二人を追ってきた。


「おー、きたきたきた~」


 楽しそうに言いながら滑り台に向かい、一気に一番上まで駆け上がる。


「しっかり掴まっててね」

「は、はい!」


「クォアアアア!」


「おわ、っと」


 豹をかわす時、大きく回避しないと千夏の足を引っかけてしまう可能性がある。

 口には出さないが光輝はその事にかなり気を遣っていた。

 もしあの全身鱗にちょっとでも引っかければ大惨事だ。

 そして千夏の事だけではなく、そもそも豹達の攻撃を回避する事自体がまた、一苦労だった。

 豹達の集まる早さが尋常じゃない。

 豹達は身軽なだけではなく、鱗を突き立てる事で壁面をそのまま登る事も出来るのだ。


「こ、こらへんが、限界、かなっ」


 どうにか光輝を狩ろうと意地になって襲い掛かり続ける豹達。

 狭い滑り台の上に体の大きい豹達が集まれば、ギュウギュウの満員電車状態になる。

 こんな状態では回避すると言うより、因幡の白ウサギのように豹達の背を踏んで跳ねまわるしかない。


「よし! もういいだろ!」


 滑り台の下を見て何かを確認すると、一際強く豹の頭を踏む。


「飛ぶよ!」


 叫ぶと同時に巨大滑り台の上から地上に向かって、一気に飛び降りた。


「…………っ!」


 一瞬の浮遊感。

 千夏が今までより更に強く、光輝に抱き着く。

 だがこの状況でも悲鳴は上げない。

 結構な高さがあったが落下は一瞬。

 すぐに終わり、強い震動が千夏に伝わる。

 千夏がソッと目を開くと、そこはプールの出入り口だった。

 そこには光輝が外から入って来た時に殺したのか、豹の死体が転がっている。


「耳、塞いで」


 光輝の声。


「早く」

「は、はい」


 急かされ慌てて耳を塞いだ瞬間。




「撃てぇぇええ!!」




「!?」


 成人男性の、耳を塞いでも聞こえる程大きな声。

 直後響く、破壊をもたらす火薬の音の波。

 いつの間にか迷彩服を着た人達が、プール内に沢山入ってきていた。

 

「自衛隊……?」


 そう、彼らは自衛隊。

 日本を守る防衛組織。

 彼らの放つ激しい銃撃により、豹達の命が一瞬にして散らされていく。

 硬い鱗は銃弾でもそう簡単に撃ち抜く事は出来ないが、鱗と鱗の隙間から弾丸は滑り込み、その奥にある皮膚を突き破って、内臓に刺さる。

 また、銃弾は鱗を破壊できなくても、衝撃でその根元から弾き飛ばす事は出来るので、豹達が鱗を閉じても防ぐ事は出来ず、最終的にはただの肉塊へと変わる事になる。

 

「………………」


 千夏が呆然とその光景を見つめる。

 あれだけ恐ろしかった筈の豹達が、今は必死に逃げ惑い、それでも逃げ切れずに次々と横たわっていく。

 その様に哀れみすら感じる。

 千夏が気付かぬうちにほとんどの人の避難も終わっていたらしく、自衛隊は遠慮なくプール内に死の弾丸をばら撒く。

 光輝が滑り台の上に豹を集めていたのはその為だったのか。

 出入り口の豹を倒して中に入った時点で逃げ道は確保されていたので、他の豹を引き連れて逃げ回っていた間に、自主的に逃げた者もいただろう。

 掃討はすぐに終わった。

 人々が逃げ惑っていた時間の、何分の一だろうか。

 本当にあっという間だった。


「あの、君」

「…………」

「もしもーし」

「……え? あ、はい」


 光輝が困ったような顔で笑っている。


「自分で立てる? そろそろ降ろしてもいいかな」

「!? す、すみません!」


 いつの間にか光輝はしゃがみ込み、千夏が降りるのを待っていた。


「……あ!」


 降りるなり、突然千夏が走り出した。


「ちょ、ちょっと君!? 危ないよ!」


 慌てて光輝が追いかける。


「鱗! 鱗落ちてるから、踏んだら怪我するよ!」


 手を掴んで止めると千夏が叫ぶ。


「妹が! 妹が売店の中にいるんです!」

「売店?」

「はい!」


 そういう場所に隠れている人間までは自衛隊員も気付かず、もしかしたらまだ避難していないかもしれない。


「そうなんです、売て……」


 血の気が引く。


「嘘…………」


 妹が隠れている筈の売店は、自衛隊の流れ弾によってボロボロになっていた。


「…………は、はる……春ちゃん!」

「落ち着いて!」


 動揺して駆けだそうとする千夏を強く引き寄せて、目を合わせる。


「俺が見てくる。いいね?」

「で、でも、春ちゃんが! 春ちゃんがあの中に!」

「わかった。でも君が行くのは駄目だ。裸足なんだから、さっきも言ったけど鱗を踏んで怪我をする。それに、もしかしたらあいつらの生き残りがまだいるかもしれない。襲われたらどうするんだ」


 だが光輝の本当の心配はそこじゃない。

 売店を見に行った時に、妹の死体を見てしまう可能性を考えてだ。

 あの売店の状態で、中に隠れている者が無事でいるとは思えない。


「だから、君はここで――」




「ちーちゃん!」




「!?」


 千夏の聞きたかった声。


「……春ちゃん?」


 売店からではなく、出入り口側からそれが聞こえた。


「ちーちゃん……」


 声の方を見ると、そこには春美がいた。


「春ちゃん……」

「ちーちゃぁん……!」


 春美が両腕を広げて走ってくる。


「春ちゃん!」


 走ってきた春美の事を、千夏が強く抱きしめた。


「これは……」


 光輝が視線を自衛隊員の方に向けると、自衛隊員が頷く。


「なるほどねー」


 どうやらちゃんと保護してくれていたようだ。

 光輝が抱いている笛吹き少女が姉だと言う春美の事を連れていかず、事が終わったらすぐに再会出来るよう、待機させてくれていたらしい。

 もし見えない場所や本人も気付かぬ場所を怪我していたらどうする。

 もし豹達が想定外に強くて自衛隊が返り討ちにあったらどうする。

 どうせ後からいくらでも会えるんだし、そんな事してる暇があったら保護した後さっさと救急車に乗せて安全な場所に連れていけよ。

 だなんて無粋な事は言わない。


「よかった……春ちゃん、無事で……」

「ちーちゃん、ちーちゃん……」

「よかった……よかったぁ………………よかったよぉぉ……」


 春美を抱きしめながら、ボロボロと涙を流す千夏。

 安心したせいだろうか。

 今まで麻痺していた恐怖が一気に襲ってきたらしく、抱きしめる腕はガタガタと震え、下半身にも力が入らなくなってしまっていた。


「ありがとう」


 光輝が千夏に言う。


「よく勇気を出してくれたね。君のおかげで沢山の人が助かった。もし君があいつらを引き付けてくれなかったら、今頃犠牲者はもっと増えていた筈だよ」

「ちが、ちがう……わたし……わたしぃ……」


 千夏が首を振る。

 そして、悲しそうな顔でプール内を見回す。

 確かに、千夏のおかげで助かった人もいただろう。

 だがそれはほんの一部だけで、それ以上に沢山の人が殺されてしまった。


「それにしても……」


 光輝が一人の自衛隊員に近付き、尋ねる。


「警察じゃないんですね。確かに被害の規模はデカいですけど、にしたってわざわざ自衛隊の方達が来るだなんて」

「あぁ、お前知らないのか」


 その自衛隊員は光輝と顔見知りらしい。

 親しげに話しかけてくる。


「ここだけじゃないんだよ」

「え?」

「今同じタイミングで、他の場所でも開門現象が複数起きてるんだ。だから被害規模というより、単純に警察だけじゃ手が回らなくて俺達も出張ってる」

「他の場所でも? まさか、開門現象なんてそうそう起きるもんじゃないでしょう。一体どういう……。いえ、ちょっとすみません」


 光輝がどこかに電話をかけ始める。


「大宮です。お忙しい時にすみません。お聞きしたい事がありまして……」


 死傷者多数のこの惨劇。

 この日起きた出来事は、国内外問わず連日ニュースで取り上げられる程の大事件となった。

 開門現象の引き起こした、大災害として。







      *







 2000年代初頭。

 今まで秘匿され続けていたある現象の事が、世界各国で同時発表された。

 その名は、開門現象。

 どこからか異形の生物を呼び込む、目には見えぬ謎の門。

 大きさも時期も場所も、ほぼランダム。

 そんな物がある日突然世界のどこかで開くというのだ。

 その門の存在は、公表される遥か昔から各国の政府に認識されていた。

 だが、それを公表する事で起きる混乱を避ける為、各国の政府は互いに口裏を合わせ、隠してきた。

 隠す事が出来たのは、その開門現象が滅多に起きない珍しい出来事だったからだ。

 年に一回、起きるか起きないかその程度。

 だからこそ、その存在を隠し通す事も出来た。

 門から出てきた異形の生物の目撃証言は、過去だと妖怪、近代だとUMAとして、居もしない物と見間違えたのだと誤魔化した。

 異形の生物が起こした被害に関しては、別な事件とすり替えた。

 今回のプールのように大きな被害が出てしまった時には、ありもしないテロや自然災害が起きた事にした。

 だが近年になり、開門現象の発生回数が突然増え始めたのだ。

 更に、携帯電話やネット環境の普及により、マスコミではないごく普通の一般人が持つ発言力が強くなり、この事を世から隠し通す事が困難になってきてしまった。

 そこで各国の政府はもう隠すのは限界だと、思い切って公表する事にしたのだ。

 そして、現在。

 皮肉にも、発生回数が増えた事で進んだ研究により、開門現象の発生を抑える対処法がある程度見付かってきた。

 だが、完全に起きないようにする方法はまだ見付かっておらず。

 また、この開門現象という物がそもそも何なのかという事に関しても、ほとんどわかってはいない。

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