尾崎輝彦 ~不信の絆

「……やはりな」

 スマートフォンの通話を切り、輝彦は静かに呟いた。

「今しがた、飛山クンから連絡があった。怪物モンスターの正体が知れたようだ。いや、あれは神の霊影エイリアスだ」

「ほう……神の影か」

 光正は興味が湧いた、とばかりに頷く。これは斬りがいがありそうだ、と呟いて。

 影霊。それは現世を去ってこの世に居ない神の影だ。神の感情やショックなどで肉体を持たない神のコピーがこの世界に現れてしまう現象で、その神に応じた行動をとるという。

「して尾崎殿。貴殿にはその神の推測が付いているようだが」

「無論。おそらくあれは北欧神話の『ヘル』だ」

 隠すことなく輝彦は答える。彼にとってもなじみの深い女神の名前だ。

 老衰と病魔の女神。北欧神話における死の番人。死者蘇生の奇跡が可能なのは、北欧神話においても彼女一人だ。

 北欧神話の神、ロキと巨人の子として生を受けたがオーディンにより極寒の地ニヴルヘイムに追放される。その後、死者の軍団を連れて北欧神話最後の戦い神々の黄昏ラグナロクに参加。数多の神々がそこで討ち滅ぼされたという記録がある中、ヘルがどうなったかは不明である。誰知れず彼女も黄昏に没したか、それとも生きて冥界に戻ったか。

「極寒の絶界アイランドを生むという理由もこれで知れた。『冷たいところに閉じ込められる』という件で力を増していくのもそういう事なのだろう。父に蔑ろにされるという件も含まれているのか」

「して、如何にして影霊とその女を引き離す? その術無ければ女ごと斬るが最良の手段でござるが」

「ヤマトの神々は気が早いな。『急いては事を仕損じる』と言うのは君たちに国の言葉ではないか?」

「確かに。だが『後悔先に立たず』とも言う。手遅れになる前に被害を最小限にしておくのも神子アマデウスの務めであろう」

 横目で輝彦を見る光正。その瞳には、不信の感情があった。腹に一物隠しているであろう北欧の神子。彼に対する疑いの目。

「尾崎殿、貴殿は何を隠しているのだ? お主はこの神話災害クラーデに関して、何か情報を隠しているのではないのか?」

「さて何のことか。山本クンこそ、なぜそこまで急ぐのだ? 何やら事情があるようだが」

 言って互いに黙り込む。その時間は二秒もなかったかもしれない。お互いが何かを隠している。それを否定しないまま、沈黙が続き――

「いや失礼。すこし気が立っていたようだ。吾輩ともあろうものが怨敵『ヘル』の名を聞いて動転していたようだ。許してくれたまえ」

 沈黙を先に解いたのは輝彦だった。光正もその言葉にため息をつき、瞑目する。

「いやこちらこそ。確かに尾崎殿の言うとおりだ。焦ることはない」

 互いに謝罪の言葉を返しながら、しかし心の中では相手に対する疑念を抱いていた。こいつは信用できない。敵対する可能性がある……と。

 だがそのまでは味方だ。

(この影霊を追って『アテナの執行者』が来ているのは確かだ。光正は刀の神子。戦闘力は高そうだ。執行者に対するために役立つかもしれん)

 輝彦は笑みを浮かべて光正に手を向ける。本を手に祈るような優しい雰囲気で。

「謝罪の気持ちだ。我が戦乙女の加護を授けよう」

「戦乙女?」

「ああ。吾輩の戦乙女は点を駆ける白鳥の翼持つ乙女。戦の加護を与え、山本クンが許せば天を駆ける翼にもなる」

「成程。それはありがたい」

 光正は輝彦の祈りを抵抗なく受け入れる。祈り自体は何の効果もないだ。だが神と言う存在があり、その力持つ神子の祈りだ。今は効果がなくとも、いずれ何かがある。それを感じさせるものがあった。

「汝、山本光正に我が主神オーディンと戦乙女の加護あれ」

「その名において、この光正はヘルを切る刃となろう」

 祈りを受けて誓いを立てる光正。その言葉に嘘は感じない。心の底からそうしたいと思っている。そう確信させる誓いだった。

(つまり、ヘルを倒そうとしているのは本当のようだな。急いでいるのはその為か? ……何を考えているのか、まるで分からんな)

「では拙者、出かけてくるでござる」

 祈りを受けた後、光正は立ち上がる。その背中に向けて輝彦は呼びかけた。

「ついでに前橋クンを迎えに行ってやってくれ。警察の厄介になっているようだ」

「委細承知」


 仲間の神子がいなくなって、輝彦は煙草に火をつけて口にする。笑みを浮かべながら静かに紫煙を吐き出した。

(ヘル自身は好きにすればいい。私の目的はではないのだからな)

 煙はゆらゆらと昇り、冷たい風に吹かれて消えた。

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