永劫回帰の伝説

世界史というものは偉大さの歴史であって、一般に人類の歴史と呼ばれる二足歩行した猿の家畜化や病原菌の繁殖や愚劣さの機械運動とは何の関係もありません。聖人の年鑑を作成するという中世の歴史は飛ばしましょう。私が興味があるのは近代です。昔々あるところに神の世界審判はまやかしで人生の悲喜劇が繰り返されているだけだということを慎重な態度で女王に表明した道化がいました。これは依然として一つの神秘でしたが、十字軍で疲労していた神の加護で窒息しかかっていた教会に、人間の機械化という驚嘆すべき構想を提出することに、永遠の相を信じていた硫黄臭の憎悪の天体観測で若きヴェルテルは反対しました。疾風怒濤の産業革命は古代の回帰である軍事的偉業というものを再発明しましたが、宗教改革の申し子である哲学者達はこういったものを物自体の精神運動として理解したので、その成果として詩人を大学から追放しました。貧乏になった詩人は冬物語を歌い、意志と表象としての世界にぶち切れて代々続いてきた深淵な孤独の音楽をバイロイトとともに爆発させました。一体何が起こったのでしょう?もはや主役は人間ではないというわけです。ところで赤と黒の問題に決着を付けたのは我等が民衆でした。これによってヨーロッパ統一という夢は人種差別的になってしまいました。残ったのは共産主義に対する反感だけになったので民衆は新大陸に夢を託したのです。目覚ましい産業発展に誰もが平等で自由な世界の到来を映画館で待ち望みました。けれどそんなものはいつまでたっても来ませんでしたし、技術の進歩はいつも通りの軍拡に向かいました。近代的理念の恩恵をたっぷりと受けたアジアは人権や憲法とやらに不信感を抱きました。西洋の儚い期待はまたしても裏切られたのです。しかしここで注目すべきことが起こりました。東の果てのちっぽけな孤島が神風とともに突撃をしてきたので、お礼に原爆を投下してあげたら人類の夢を実現する平和憲法というものが誕生したのです。西洋はきわめて重要な教訓を学びました。民族としてばらばらになった人類を統一するには収容所で一つ一つ民族を絶滅させていくのではなく全世界に核攻撃を仕掛ければよいということです。冷戦はこのことの厳密な帰結でした。国家が競って宇宙旅行に出掛けたがたったのも無理はありません。ただしロケットにはコンピュータという新たな脅威が搭載されていました。パラノイア的な妄想とは逆に人類の飼い慣らしはネットワークによるグローバル化でスマートに実現されました。人工衛星のコスモパワーで地球の警察官として人類を守護する義務を背負ったヒーロー達をよそに、野性の離島では核実験で誕生した怪物をコンピュータで撃退あるいは捕獲するという試みがゲームの名のもとで可愛らしい甘い声をあげていたのです。

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