『グラスリップ』の哲学的批評

・豚に真珠を投げてやってはならないという大切な教訓を再確認させてくれる貴重なアニメ『グラスリップ』は、大衆に口を挟ませしょうもない欲望に奉仕するのでなければ評価を獲得できないという文化犯罪の現状に対する証拠物件である。大衆に理解されることが迎合、無知、浅薄さであることを自明の真実と見なす我々にとって、繊細なニュアンスと論理の奥ゆかしさが異論とされる中での不人気は、むしろ一種の幸運にほかならない。まったくダヴィデ像のように孤立している。突然のなにげない一言によって開かれた少女の世界。それはとてつもなく神秘的な魅力を煌めかせているけども、広大な暗い無重力の孤独を孕んでいる。彼を知ってしまったことからくる人間関係の不協和は、イメージとなって発散し、少女の思いを加速させる。「もっとあの世界を見てみたい!でも一人ではちょっと不安かも」繰り返される唐突な孤独に翻弄されながら、ささやかな嫉妬とうぶな恋心の二重奏は心模様の花火になって宇宙に舞い上がり、各人に様々な余韻を残しつつ彼は去っていく。けれど少女の中に開かれた世界は思い出と一緒に輝いている。だからまた会えるという確信を胸に抱いて、あの頃とは同じようでまったく違う日常に戻っていく。儚くも美しい未来の希望とともに。溢れんばかりの陽光、自然と調和する音楽、乱反射する青春の断片を、豚の足で踏み潰されなかったことには運命に対する無限の感謝を隠しきれない。ここには我々の真剣さのすべてがかかっているのだ。


・『グラスリップ』は現象学の方法を追憶の断片として演出することで哲学的対象を不在の映像として浮かび上がらせる。色彩と光の関係は感情の発散と密接に結び付いており、人間関係の隙間を自然と音楽が埋めている。しかし登場人物はその事を知らないのであり、だから空に上がる花火を二重に経験するのである


・なんというか私には色が見えることの恐怖と写真は礼儀知らずだという強迫観念があって、それで『グラスリップ』の印象派風の絵をカメラの視線で音楽とともに動画として再開するという手法が色彩のないガラスの世界に色のついた光が射し込んできたように感じるのだ。

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