君の代わりに空が泣く

 中学校に向かう途中にある片側二車線の少し大きめな交差点。朝と夕方は通勤、退勤で交通量は多くなるが見通しが悪いわけでも運転が荒いわけでもなく、誰もが何気なく通っているこの道路の信号機の側に今日も僕は一輪の花を置いた。

「ごめんね。こんな安物しか置けなくて」

 高校生になったからバイトを始めて、お金に余裕は出来たものの人付き合いや家にいれるとなると余裕がないときもあるわけで、そういう時は安い花になってしまうが、きっと彼女はそんなこと気にしないだろう。むしろ、ほぼ毎週置いてくれて私のこと覚えててくれるのが嬉しいと言ってくれるだろうが、流石にそれは自惚れすぎかと思い、そう言う彼女のイメージをかき消す。

「……また来るよ」

 それだけ呟くとその場を後にする。彼女には伝えたいこと、話したいことが山のようにあるが事故の場所でも彼女のお墓の前でも一度たりとも語ったことがない。僕だけ好きなように語って彼女が何も語ることが出来ないのはかわいそうだと思ったから。だから、もし彼女と話せる時がきたら色々話そうと思っていた。

 しかし、そんな物語みたいな出来事が起こるわけがなくそれから数ヵ月が経っても僕はずっと事故が遭った場所に花を置く。お墓ではなく、ここにずっと置くのは彼女だったらこっちにいそうだと勝手に思っているからだ。ただそれだけ。仲は良かった方だと思うが別に恋仲だったわけではないから、数年経った今になっても彼女の墓に行くのも家に行くのも違う気がしてここにいるっていう理由も多少はあるかもしれない。

 花を置いた電柱から視線を道路に移す。普段と何も変わらず、何台か車が行き来し、学校帰りの中学生が笑い合いながら下校している。彼女がいなくても世界は何も気にせず進んでいく。それは当然のことだけど、その事実を再認識すると少し寂しい気持ちになる。

「そんな馬鹿なこと考えてないで僕も帰ろうかな」

 自分自身に言い聞かせるように呟いて引き返そうと振り替えると前から走ってくる車が明らかに僕の方へ向かってきているのが分かる。その瞬間はまるでスローモーションのようで、人間は危機的状況に陥るとゆっくりに見えるんだって考えられるくらいには余裕があった。そして、轢かれる直前に誰かに腕を引かれて仰け反った。ぎりぎりを車が通過してガードレールに突っ込んでいくのが見えたが、救急車や警察に連絡するといった冷静な行動がとれず立ち尽くしていた。僕の手を引いたのは、たしかに数年前にこの場所で事故で亡くなった彼女だったから。

「あ、えと……」

 突然の出来事に言葉が出ない。普通に考えたらただのそっくりさんで、彼女とは別人であるわけだがそこにいる少女は彼女と同じ制服を着ていて彼女自身と言えるほどに似ている。少女がじっと僕を見つめていて、何も言わずにずっと見ていたら変だと思われることに気づいて僕は視線を落とした。

「すいません、知人に似ていたもので」

 少女は何も言わずに立ったままで僕は気まずさを感じてその場を立ち去ろうと歩き出した。振り返り際に少女の口が「待ってる」と動いたように見えたのは僕が意識しすぎなだけだろうか。


 次の日も事故の遭った場所に行くと少女は昨日と全く同じ場所に全く同じ格好、姿勢で立っていた。まさかそんなわけがと思ったが、恐る恐るその可能性を口にする。

「もしかして君は……中学の時の……」

 僕がそう言うと彼女はゆっくりと頷く。驚きと喜びが混ざって何を言えばいいのか分からない。ただ今は彼女に会えたことを受け止めるので精一杯だ。

「あ、そうだ。昨日は助けてくれてありがとう」

 僕の言葉に彼女はさっきと同じように頷くが、その動きに違和感をおぼえた。普通に言葉で受け答えすればいいのに。

「もしかして、喋れない……?」

 彼女は同じように頷いた。せっかく会えたのに話せないのは悲しいことだと思ったが、彼女の優しく微笑む姿を見て僕が悲しい顔をするわけにはいかなくて笑顔を作る。

「君に話したいことはたくさんあるんだけど、僕だけ話し続けるのはずるいから君がいなくなってからの話はしないで側にいるね」

 彼女は思いきり顔を横に振り、いいのいいの。遠慮しないでといった反応を示し、彼女的にも黙って隣にいられても困るとは思うがこれだけは貫き通したかった。

 その場所には2週に1回ほどしか行っていなかったが、それからは毎日のように行くようになった。特に何も言わずに歩道に座り込み、彼女のいる方向をたまに見ていたが周りの人の反応から他の人には彼女の姿は見えないようで、僕は相当やばい人だと思われていただろう。時折「何かあったのかい?」と声をかけてくるおばあちゃんがいて、誤魔化すのが大変だった。

 1週間、2週間と時間は流れ、3週間目に入った頃彼女に変化が見られた。

「やと……声……お話……」

 少しずつ彼女は声を出せるようになっていた。そのことが嬉しかったが3週間も同じ場所に居続けたせいで、近所では怪しいやつがいると噂になり、この前は警察にも声をかけられた。その上周りには見えない彼女との会話をはじめたら警察どころか精神科行きだ。どうしようかと考えていると、彼女が何か伝えようとしてきた。

「携帯……あてて……」

「携帯を?」

「耳……誰か……話す……ふり……」

「ああ、電話してるふりをすればいいのか」

 彼女の提案のおかげで警察にも病院にも連れていかれることなく、彼女と話すことができた。彼女がいなくなってからの中学生活の話、今の高校生活の話、この町の変化の話。話は尽きることなく続いて彼女も少しずつ普通に話せるようになってきた。

「そういえば千里は元気かな? たしか君と同じ志望校だったと思ったけど」

「親友だったよね。クラスは違うけど高校は同じだよ。弓道部に入って大会目指して熱心に励んでるって感じかな」

「あの子かっこいいのに、弓道なんて始めたらもっとかっこよくなっちゃうじゃん」

「女の子から人気あるって友達が言ってたかも」

「やっぱり? そっかー、みんな元気でやってるんだね。私がいなくても世界は進んでて安心した」

 その言葉と彼女の表情から安心と同時に悲しさを感じたような気がしたが、かけてあげる言葉が見つからない。必死に言葉を探して彼女の目を見つめた。

「それはたぶん、ちゃんとみんなの心に君のことが残ってるからじゃないかな?」

「……へえ、君からそんな言葉が出てくるとな思わなかった」

 ニヤリと笑う彼女の顔を見て、よく考えたらすごく恥ずかしいことを言ったことに気づいた。そんな台詞を言うキャラじゃなかったのに。

「嬉しいよ。そんな風に言ってもらえるの」

 からかい終わった彼女の言葉には真剣さがこもっていて少し嬉しくなった。伝えられるはずのない言葉はたしかに彼女に届いてる。生きている僕らの中でそれが出来るのは僕だけだというのも嬉しい。

「今日は随分話し込んじゃったね。そろそろ帰らないと。明日もまた来るから」

「ーー待って」

 彼女に背を向けた直後、僕を呼び止める声が聞こえた。声のトーンは低く、楽しげなものではない。通る車数は増え、エンジンの音が彼女の声をかき消して、大量のライトが彼女の姿を照らす。だから、一瞬姿が見えなくなったような彼女がその後何を言ったのか聞き取れなかった。

「え、ごめん。今なんて言ったの」

「もう、君は本当に大事なことを聞き逃すね。何度も言いたくないんだけど」

「ご、ごめん……」

 怒ったようで笑っている彼女が何を考えているのか分からない。とりあえず謝って彼女の反応を見ようと思ったが、なかなか彼女は次の言葉を口にしない。もしかしたら謝っておけばいいみたいな態度が出てしまっていて、それに対してさらに怒っているのかもしれない。ここはちゃんとしっかり謝って何とか彼女の機嫌を……。

「あはは、君はほんとに面白いなあ」

「え?」

「謝って私の反応を見ようっていうのも、それがばれたからちゃんと謝ろうっていうのも顔に書いてあるんだもん。見てて全然飽きないね」

「そんなに顔に出てた……?」

「そんなに顔に出てた」

 きっと今だけではなく、今までも僕は考えていたことが顔に出ていたのかもしれない。彼女はにこにこと笑ってくれているが、これが別な話だったら大変なことになっていたかもしれない。彼女が鋭いのか、僕が分かりやすいのかは分からないけれどこれからは気を付けることにしよう。

 僕が冷や汗を流して今後のあり方を考えていると、彼女は両手の指先を絡めあってちらちらと僕を見ている。さっきまでのからかっているのとは違って、何か言いたげな感じだ。もしかしたら、さっき言っていた何度も言いたくないことは言いにくいことなのかもしれない。今度は聞き逃さないように彼女の声に耳を傾ける。

「おおう……そんな真剣に見られると恥ずかしいねえ。なーに、そんなに難しいことは言ってないんだよ。ただ、私は君がーー」

「……え?」

 言いかけた途中で彼女の姿は忽然と消えた。声も聞こえず、車の行き交う音だけが僕の耳に入ってくる。まるではじめからここには僕しかいなかったように僕以外のものは動いていた。

「そこにいるんだよね? まだいるよね?」

 声をかけても何も聞こえない。眼鏡越しでも裸眼でもスマホのカメラを通しても、そこには誰もいなかった。手元からスマホが落下して大きな音をたてる。周りを歩いている人が不審そうな目で僕を見るが、そんなことを気にしていられるほど僕は落ち着いていられない。

 たしかにそこには彼女がいたはずなのに、さっきまで当たり前のように会話していたのに。まるで12時の鐘が鳴って魔法が解けてしまったかのように彼女はいなくなってしまった。

 日中は青空でいい天気だったのに、いつの間にか曇っていたのかポツリポツリと雨が降り、僕の体を冷やす。少しでも話せてよかったという喜びか、それとも最後に言えなかった悲しみかは分からないけれど、この雨が彼女の涙のように感じているのはロマンチストぶっているかもしれないが僕にはそう感じた。次第に強くなる雨の中、しばらくはその場から動くことが出来なかった。


「おはよう、菜摘」

 僕の言葉に彼女が答えることはない。そんな分かりきったことは気にせず、普段よりも少しだけ高価な花束を置く。

「昨日はテストでさ、いつもより難しくて大変だったよ。返ってくるまで緊張するけど、しばらくはテスト返しと解説の授業が続くから楽なんだけどね」

 目を閉じても彼女の声が聞こえてこないし、彼女ならこういう反応をしそうと想像することもない。ただ、日記やブログのように毎日のことを報告しているだけだ。そんなことを言ったら「私は日記とかブログ扱いか!」と怒りそうだけど、この時間は相手の反応を気にしないことにしているから悪いけど気にしない。

「僕さ、元気にやってるから。だから菜摘も向こうで元気にやっててね。何十年先か分からないけど、そっちで会おう」

 それだけ伝えると僕は学校に向かう。少々長居してしまったみたいで、一時間目にぎりぎりになりそうだ。いつもよりも力強く自転車をこぎ進む。空を見上げるといつもよりも明るい青空を広がっていた。

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もう一つの日常 小野神 空 @cotoneaster

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