あなたに贈るエンゲージリング
私は夜の森の中を走る。目指すのはいつもの泉。彼との約束の場所だ。そこに着いた途端に空気が変わったのが分かる。まるで不思議な空間に迷い込んだみたいだ。水の流れる音に交じってヴァイオリンの音色が響いていた。
「今日も上手な演奏だね。シャルル」
「お褒めの言葉をありがとう。エルネ」
私の言葉に気づくと、彼は演奏をやめて私の方を向いた。 彼はシャルル。一か月ほど前にこの場所で初めて出会った。私はいつもここに一人でいたけれど、ある日彼がここに迷い込んできた。 彼は国王の息子であるため次期国王となる人だ。そのため、英才教育を受けさせられていたが、それに嫌気がさしてここに逃げてきたらしい。
「今日も逃げ出してきたの? きっとお城は大騒ぎじゃない。しかも、一般市民の私なんかと一緒にいたら怒られちゃうでしょ?」
「身分なんて関係ないよ。僕が来たいからここにいるんだ。エルネはお城のことを気にしなくても大丈夫だよ」
「……うん、分かった」
私が気にしても何ともならないし、彼にとってあまり触れてほしくない部分だろうから気にしないことにしよう。彼が側にいてくれるだけで幸せだから。本当は話すことすら出来ない関係なのだから。
「そういえばエルネのご両親ってどんな人なの?」
「え、えっと……いないかな……?」
動揺してとっさに嘘をついてしまった。本当はいる……けど、言えない。それが私がいつもここにいる理由。私は森の中でこっそりと人目のつかないように暮らさなければならないのだ。街に行ったら今度は何をされるか分からない。私の親は死刑囚だから、その子どもである私にも罵声を浴びせられ、暴力を振るわれる。だからこうやってひっそりと生きるしかないんだ。
「あ……ごめん」
「いいんだよシャルル。私は気にしてないから。私はシャルルがいてくれればいいの」
彼には話せない。私が殺人犯の娘だなんて。せっかくそのことを知らない人と出会えたんだから、ずっとこのままでいたい。
「このまま二人でどこかに消えちゃいたいかも……」
「え……?」
「あっ、いや!」
思っていたことが無意識で声に出ていたみたいだ。自分の顔が真っ赤になっていくのが分かる。絶対変な風に思われた。そんな心配をしていると彼は
「じゃあ、してみるかい?」
と悪戯っぽく微笑んだ。
「もう、ばか!」
「そんな怒らないでよ」
「……怒ってないよ」
きっと彼は私の気持ちに気づいていない。伝えるつもりもない。一生叶わない恋なのは分かっているから下手に伝えるより、このまま友達のように過ごしている方が幸せだ。彼がここに来れなくなるその時まで。
「もうこんな時間か。そろそろ戻らないと。ばれたらここに来にくくなっちゃうからね」
「また来てくれるよね?」
「うん、また来るよ。エルネと一緒にいるのは楽しいからね」
「よかった……。また明日! 絶対来てね」
「絶対来るから。待っててね」
そう言ってシャルルはお城へと戻っていった。一回くらい振り返って帰りたくないそぶりを見せて欲しかったと思うのは、わがままだろうか。
「ふぅ……」
今日もとても楽しかった。いつもただお喋りしているだけだけれど、それでも楽しい。だから、こうして離れてしまう時間はとても寂しい。ずっと一緒にいられたらいいのにと何度思ったことだろう。その夢が叶わないことは分かっていながらも、いつか叶うといいなと思いながら私は家に帰った。
「シャルル様! どこにおられるのですか!」
「僕はここにいるよ。どうかしたのかい?」
「先ほどからお姿を見かけなかったもので……心配しました」
「気分転換で庭にいたんだ。気にしなくていいよ」
そう言って僕はすぐ自室へと戻った。あまり深く聞かれると面倒だから。エルネと会えなくなる可能性だってある。それだけは絶対に嫌だ。自分を国王の息子としてじゃなくて、一人の友達として接してくれる子が出来
たのだから。
「本当に二人でどこかに消えたいかもな……」
彼女が小さい声でそっと言った言葉。きっと深い意味はないだろうけど、僕は嬉しかった。こんな縛られて暮らすくらいなら一緒にどこかに行ってずっと暮らしていた方が幸せだろう。そんなことを考えていると誰かがドアをノックした。
「シャルル様。入りますね」
「……どうぞ」
入ってきたのは僕の婚約者候補の一人となっているリリーだった。彼女は僕を見るなり凄い笑顔になった。
「シャルル様のお姿が見えなくて心配だったのですよ? 本当によかったです……」
「様はつけなくていいよ。僕はちゃんといるから気にしなくていい」
「それは結婚を認めているから、より親密な関係になるために!?」
「結婚は認めてないからね」
王族の地位を狙った者たちと好きでもないのに結婚させられるなんて嫌気がさす。結婚するなら好きな人とがいいに決まってる。
「まだそんなこと言っているのですか……? ばらされたくなければおとなしく私と結婚しておいた方がいいですよ」
「なっ……!」
これはハッタリに違いない。しかし、僕は動揺を隠すことは出来なかった。たぶん、外に出ていることはばれているだろう。だけどエルネのことは知られていないはず……。
「私を選んでくれたらあの娘と会うことは許しますよ。もし選ばないならあることないこと言いふらして、彼女をあなたの目の前で処刑してしまうかも?」
「……それで脅しのつもりかい。いつから知っているんだ?」
「知ったのは最近ですよ。大丈夫です。まだ誰にも言ってませんから。さあ、どうしますか……?」
「……少し時間を欲しい」
「良い回答を待っていますね」
リリーは部屋に入ってきた時と同じ笑顔で出て行った。エルネ、僕はどうすればいいんだ……。
「シャルル? どうしたの?」
「え?あ、ごめん」
次の日、シャルルはいつも通りの時間にやってきたけれど、様子が変だ。上の空と言うか、自分の世界に入ってしまっている気がする。
「もしかして、私といるの嫌だ……?」
「そんなことないよ。エルネといるのは楽しいさ」
「じゃあ、なんでそんな顔してるの?」
「それは……」
楽しいと言ってくれて嬉しいけど、元気のないシャルルを見ているのは悲しい。昨日お城に戻ってから何かあったのだろうか。
「悩みとかなら私で良ければ聞くよ? 絶対無理しちゃ駄目だからね」
「ありがとう。けど、大丈夫だよ。ちょっと最近色々あって疲れちゃったのかな」
そう言った彼の表情は暗いままで何かを真剣に考えていた。あまり首を突っ込まない方がいい気がして何も言えなかった。
「あのさ、エルネ」
「どうしたの?」
「しばらく会うのやめない?」
「……え?」
彼が何を言っているのか分からなかった。会うのをやめる?どうして?やっぱり昨日何かあったのだろうか。
「えっと、誰かに何か言われた?」
「そんな感じかな。ごめんね」
「それじゃ……しょうがないよね」
会えないのはとても寂しいけれど、シャルルの身に何か起こるのは嫌だ。しばらくだからずっと会えないわけじゃない。いつかまた会ってこうしてお話しするんだ。
「落ち着いたらまた会えるよね?」
「うん、また会え――」
「会えませんよ」
急に声が聞こえてきてそちら方向を向くと綺麗な女性が立っていた。きっとシャルルの知り合いだろう。彼女は私を見つめてにっこり微笑んでそっと呟いた。
「やっぱりあなたはクラヴィス殺人事件の犯人の娘さんでしたか」
「え?」
私は一言も言葉を発することは出来なかった。シャルルにばれてしまった。私の秘密を知られてしまった。彼は驚いた表情で私を見ていて、女性はさっきの笑顔とは対照的な私を嘲笑うかのような表情で見ていた。私とシャルルの仲を壊すために……。
「あら、そんな目で私を見てどうしたのですか? 本当のことでしょう?」
「そ、そんなの……」
「シャルル様、行きましょう。こんな子の側にいたら危ないですから。」
「エ、エルネ!」
シャルルは手を引かれて行ってしまった。私は一人取り残されてその場に座り込んで、涙を流した。
「シャルル……シャルル……!」
私の大切な人。私の大切な人が、急に現れた人に一瞬で奪われた。仲良くしてくれた唯一の人だったのに。心の支えが失われて涙が止まらなかった。こんな別れ方嫌だ。もう一度会いたいよ……。
あの女性はきっとシャルルの婚約者だろう。あんな人には渡したくない。絶対に絶対に嫌だ。あの人さえいなければシャルルは……。
「離してくれよ!どういうことだ!」
「あら、何がですか?」
僕は強引にリリーの手を振り払った。彼女は不思議そうな表情をして僕を見ている。
「何がって、エルネの両親が殺人犯だなんて嘘だろ!? 何を言っているんだ!」
「本当のことですから。あの何十人も人を殺した殺人者の娘になんてシャルル様を会わせられません」
「例えそうだとしても、あの場で言うことないだろう!? 彼女の両親がどうであれ、彼女自身は関係ないはずだ!」
僕は近くにあった木を力任せに殴った。彼女は微動だにせず、僕を見ていた。
「愛している者が他の女と仲良くしているのを許せると思いますか?あの子がシャルル様と会えないように罠をかけたんですよ」
「エルネは悪くない。彼女は本当に優しい子で僕の友達だ」
「次期王となるお方なんですからちゃんと人の本性を見抜けないと。あなたに近づいて騙すつもりであったに違いありません」
彼女の話の途中で僕は彼女に背を向け、城へと歩き始めた。これ以上聞く意味もないし、一緒にいたくない。リリーが後ろで何か言っているが気にせずその場を後にした。
「もっと、もっと、こんなんじゃ足りない……」
深夜の三時。いつもはとっくに眠っている時間だけれど、私は家の地下に籠っていた。何時間ここにいるだろうか。ずっとずっと繰り返し作業をしていた。私の目的を達成するために失敗は許されない。シャルルを取り返さないと、大切な人を取り戻さないと。大丈夫、優しい彼なら分かってくれる。もう誰にも渡さないから。絶対に、絶対に――。
ベッドに入って一時間が経つけれど、僕はまったく寝つけなかった。エルネのことが心配だった。今日、僕が真実を知ってしまってエルネはどうしているだろうか。あの時、両親がいないと嘘をついたのは僕に知られるのが怖かったからだと思う。きっと今も気にしている。
僕はいつも通りにしていればいい。いつも通りに楽しく話そう。彼女の両親が殺人犯だから何だって言うんだ。彼女自身が優しい子なんだから周りは関係ない。
どうして僕はこんなにもエルネといたいのだろう? きっと、僕は――。
私はいつもの時間に行ったが彼の姿はなかった。大雨が降ってきて私の身体を濡らしていくが気にしない。十分、二十分が経って、三十分後にシャルルはやってきた。
「エルネ! ごめん、彼女の目から逃れるのが大変で……。こんなに濡れちゃって。ほらタオルを使って」
彼はタオルを差し出して急に目を逸らした。何だと思ったら色々透けてしまっていたみたいだ。彼は私を女の子として意識してくれている。
「……見た?」
「……見てないよ」
「へえ、じゃあ見たい?」
「え!?」
「冗談だよ。シャルルは本当に優しい人だね。だからあんなに釣り合う婚約者がいる」
「彼女は違うよ。結婚する気なんてない」
「シャルル、私はあなたが好き。ずっとずっと前から愛しているよ」
そう言って私は彼の唇を奪った。数秒しか経っていないだろうけど長い長いキスに感じられた。
「エルネ、僕は……」
「言わないで。私の願いが叶わないのは分かってる。だけどね――」
私は懐からアレを出して、シャルルの心臓に突き刺した。それは昨夜から準備していた短剣。両親が残して行ったものだ。彼の胸は赤く染まり、短剣についた血は雨に洗い流される。倒れてくる彼を私はしっかり抱きしめた。
「シャルルが他の人と結ばれるのは嫌なの! ずっと一緒にいてほしいの! それが叶わないなら、こうするしかなかった……」
「エルネ、僕も君を愛しているよ」
「え……?」
私は驚いて引き抜いた短剣を落とした。シャルルが私を? そんなわけない……そんなわけない……!
「僕も、ずっとずっと君が好きだったんだよ……?」
「嘘だ! そんなの嘘だ! だったら、私のしたことは……」
「エルネ、これを……」
彼が差し出したのは小さな箱だった。私をそれをそっと開ける。中には綺麗な指輪が入っていた。
「それはね、王家の人間がプロボースに渡すエンゲージリング。僕は君と結婚したい……」
「どうして今更そんなこと言うの!」
目から涙が溢れてきた。もっと早く知っていれば私は彼を殺さずに済んだ。私は両親と同じなんだ。最低で最悪の殺人者なんだ……。
「ごめんねエルネ……君は悪くない……」
「シャルルは悪くない! 殺す必要なんてなかったのに!」
「身分の違いで、僕は君との結婚を許されないから。エルネと一緒にいられない世界ならいらない。死んでも別に構わないよ……」
「……うん。この世界じゃ無理なら生きている意味はないよね」
「「こんな世界捨てて、むこうの世界で結婚しよう……」」
彼は無言で私に全体重を預けてきた。私は足元に落ちた短剣を拾い、自分の胸に押し込んだ。
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