第十一夜 幼少期の始まり

 物心がついたのは三歳の時だったと、明確に覚えている。

 自分の名前を年齢を家族に聞いて回り、皆が三歳だと答える中、祖父だけが私のことを二歳だと言っていたことに混乱したものだ。

 今思えば、自我が曖昧な幼児だったからこそ、そのようなことをして回ったのかもしれない。


 私は物心ついた後に見た、いくつかの夢を覚えている。

 自分の記録を積み重ねることで、私が生きていることを示し、誰かに認めてもらいたかったのだろう。


 初めて見た夢のことである。

 私は階段の手すり――といっても所謂いわゆる棒状のものではなく、単に木枠のようなへりというべきか――にのぼっている。

 その手すりにまたがり、滑り台から滑るように遊んでいるのだ。

 幼い頭でも落ちれば痛いことはわかっているし、現実では叱られるから普段はやらないのであるが、その時ばかりは怖いとも思わず滑っていた。

 長くもない手すりである。

 当然、すぐに滑り終わるはずで、その後は落ちて痛い目に遭うはずなのだが、何も起きない。

 いや、異変はあった。


 私は宙に浮いていた。


 滑っていったそのままの姿勢で、ぷかぷかと浮きつつ、二階から一階へと降りていく。

 その浮き心地は現実世界では決して味わえないもので、何とも言えず楽しかった。


 起床した後にも、私はこれが自分が生まれて初めて見た夢なので覚えていよう、と何度も何度も夢の内容を反芻したものだった。

 だから、今でもあの楽しさと、何ものにも代えがたい解放感とを覚えている。

 空を自在に飛ぶ夢は、大人になった現在も、時々見ている。


 また、二度目に見た夢のことである。

 私は夜中に目を覚ます。

 といっても夢の中での話である。

 寝室のある二階から、一階へと降りていく。暗くはあるが、怖くはない。

 居間に辿り着くと、玩具おもちゃがあった。

 磁石の付いた魚を、同じく釣り糸の先に磁石のついた釣り竿で釣り上げる、簡単な玩具である。

 私はその玩具が好きだった。『釣り』という大人がやるような行為、というか仕種しぐさに憧れがあったのだろう。

 だが、昼間は兄や姉がいるのでゆっくり楽しめないのだ。

 私はぼんやりと暗い居間で、お気に入りの玩具を独り占めして遊んだ。


 最後に、初めて見た怖い夢のことである。いや、初めて見て、その後も何度か見た夢である。

 私は家族とともに並んで歩いている。

 少し薄暗い草原の中、すのこヽヽヽのようなものを連ねて道ができており、その脇には緑色のフェンスが立っている。

 長い長い道である。

 私は歩みが遅いのか、少し家族に遅れてしまった。

 置いていかれるような淋しさから、家族を呼ぶが、家族は誰一人として振り返らない。

 ただただ遠くなるばかりの家族の背中。

 混乱しつつあたりを見渡すと、フェンスのあちこちに何かが散らばるように付いている。道の脇にもその何かは落ちている。

 生首である。

 死んで日が経ったのか、崩れた顔の首どもが、私を食べようとしているのだ。

 私は必死で家族を呼ぶ。おかあさん。

 誰も私を見ない。置いていかれる。

 そうしているうちに、私は首のひとつに捕まり、足元から食べられていく。

 食べられながら私が思ったことは、『どうして首だけでおなかもないのに食べられるんだろう』ということだった。

 腰まで食われたところで目が覚める。いつものことであった。

 生首に食べられることは不思議と怖くはなかった。ただ、置いていかれることだけが無性に恐ろしかったのだ。


 こんなふうに、夢を覚えている。

 そうして今もまだ、夢を記すことを辞められないでいる。

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