二年夏:肝試し

「女は度胸」と「女は愛嬌」のどちらが正しいのか分からなくなってきていて、たぶんそれが行きたくもない肝試しに参加した理由だった。


 大学二年生、夏の話だ。

 いつの間にか通信空手の一件で仲良くなったサークルへの入部資格を手にしたらしいわたしはそこに入り浸る毎日を送っていた。明確な目的のないおかしな名前のサークルで、男四人にわたし一人が女、という状況ではあったのだけれど、一切ちやほやされることがなく、自然体で過ごせる場所があるというのはとてもありがたかった。二十歳になったことで飲酒行為に未成年という枕詞がつかなくなっていたこともあり、その日も行きつけの居酒屋〈ちゃんぷ〉で飲み会が行われていた。


 なぜそこで肝試しの話が飛び出したのか。

 いつも通り唐揚げ選手権が開催され、珍しく勝利を収めた小動物系の先輩が唐突に言い始めたからである。その口調が浮ついたものではなく、苦々しいものだったため、わたしは思わず訊ねた。


「でも、そういうの、苦手でしたよね」

「苦手だよ! でも幽霊が怖いとか恥ずかしいだろ!」

「高校生じゃないんですし、お化けくらい怖くてもいいと思いますけど……」

 というよりも、そっちの方が先輩らしくてかわいいです。


 とは胸の中に留めておく。先輩は童顔であることをとても気にしていて、正直に言ってしまえばわたしにとってはそんな悩みを持っていること自体がかわいらしくてあえて「先輩」と呼んでいるのだけれど、これを言うと怒るからビールに口をつけたまま目だけで続きを促した。

 先輩はむしゃむしゃと唐揚げを咀嚼して憤慨を表現し、荒々しくビールを流し込んでいく。勝率の悪い先輩に負けたからだろうか、他の人たちはみんな俯いたまま、声を発しようとはしなかった。


「九藤ちゃん」と先輩はわたしのことをそう呼ぶ。「九藤ちゃんは文系だったよね」

「ええ、法学です。法律はばりばり破りますけど」

「理系もそうなの。俺の研究室のやつらも理系のくせにことわりがないんだ」

「えーと、話が見えません」

「あいつらさ、夏だからって幽霊談義を始めたんだよ。幽霊なんているわけないのに」


 そこでわたしにもなんとなく話の全貌が見えてきた。おそらく先輩が幽霊を否定し、それが盛り上がるうちに心霊スポットへ、という流れができあがったのだろう。先輩はプライドが高いから拒否することもできなかったというわけだ。

 それをやんわり、オブラートに包んで訊ねると、先輩はあっさりと認めた。


「まあ、行くのは構わないんだけど、幽霊なんていないわけだし? でも、わざわざ車を借りてそういうとこに行くのって非効率的だと思わない? しかも一人で」

「え、一人で行くんですか」

「他の奴らは怖いから行かないんだとさ」

「なら、別に行く必要ないじゃないですか」

「行かなかったら馬鹿にされるだろ。だからもう車も予約してあるんだ」


 先輩にとってはその些細なプライドの問題がとても大きいらしい。目に断固たる決意を滲ませていて、大袈裟だなあ、とわたしは笑いを堪える。それから、「どこに行くんですか?」と訊ねた。

 先輩はむすっとした顔のまま答える。


「トンネル行って、お堂跡に行って、それからどっかの道、あと大学そばの公園」

「ああ、フルコースってやつですね。クラスの友達と行ったことありますよ、その道以外は」

「……九藤ちゃん行ったことあるの?」

「満喫はしてませんけどね。わたしは車の中にいましたし」

「じゃあ、今度の日曜暇?」

「え?」何が、じゃあ、なのかまったく理解できない。「暇じゃないです」

「道案内してくれよ」

「だから暇じゃないですってば。その日はバイトがあってですね」


 我ながら流れるような嘘を吐く。しかし、次の話題を探し始めた瞬間、低い声がそれを遮った。格闘家の先輩が珍しく悪い笑みを浮かべている。


「九藤はその日シフトに入ってない」

「あ、ちょっとなんでばらすんですか!」


 もしや一年前わたしにKOされたことを未だに根に持っているのだろうか。わたしは精いっぱい睨んだが、まったく効果はなく、面白がった周囲の援護射撃もあってみるみるうちに日曜の予定が決まってしまった。

 ……ちくしょう。


        〇


 別段なんともない大通りなのに、目的地が目的地なだけにどこかおどろおどろしい雰囲気を感じてしまう。

 日曜、夜九時、わたしは先輩の運転するレンタカーの助手席に座っていた。霊的な防衛力が高そうというあまりにも理系とはかけ離れた理由で選ばれた真っ白なセダンは闇夜の中ではむしろ霊たちの的になるのではないかとも思えて落ち着かない。他のサークルのメンバーは全員が全員、予定があったのかでっち上げたのか、結局肝試しに向かうことになったのはわたしたち二人だけだった。


「二人で肝試しって、なんか本来的な意味から外れてる気がするんですけど、どう思います?」

「かもね」

「このまま横浜とか行くなんていいと思いません?」

「かもね」

「……いちばん好きな鳥ってなんですか?」

「かもね」


 だめだ、聞いてない。

 先輩は前をじっと睨んでいており、その目つきは前方を注意するというには視野の狭さを感じさせ、フロントガラスを見つめているような雰囲気すらあった。反応をしてくれないならいたずらしてやろうと、わたしは動画サイトでホラー映画のBGMを検索する。オーディオからぴょんと出ているジャックをスマートフォンに差し込み、再生をタップした。

 その瞬間、先輩は飛び上がりそうなほどの勢いで背筋を伸ばした。


「ちょっ、おい、九藤ちゃん、なにしてるのよ!」

「せんぱい、口調がおかしいです」

「そういうのやめろよなあ……」


 情けない声にわたしは少しだけ落ち着きを取り戻して、いつも持ち歩いているお菓子を頬張り、目的地を改めて調べることにした。あまり女性が行くべきではないと言われているスポットがあったため、それらは目的地から除外されている。今回の予定はトンネルとお堂跡だ。


「トンネルだと途中から歩かなきゃいけないみたいですね」

「らしいね。まあしょうがないけど」

「で、お堂跡は……」そこでわたしは気になる文面を見つけた。「なんか白い車で行っちゃだめって書かれてますけど」

「え、どういうこと?」

「白い車で行くと呪われるらしいです」

「そ、れ、は」と先輩はぶつ切りに言う。「……検証済み?」

「結構自信満々に書かれてはいますね」

「なるほど、なら仕方ないな」


 赤信号になり、車が停止する。と同時に先輩はカーナビを手早く操作し、目的地を一つ消去した。わたしは文句を言わないし、揶揄もしない。むしろもう一個の方も消してくれて構わなかったのだけれど、意固地になった先輩は止まらない。

 目的地のそばに到着し、カーナビが案内をやめると先輩も国道の脇に車を停めた。ごねたり狼狽えたり、と一悶着あるかと思いきや、先輩は意外にも男らしく、間を置かずに車から降りる。後部座席から懐中電灯を二つ手に取り、その一つをわたしに渡してきた。


「行こう」


 その声が歴戦の勇士みたいな雰囲気に満ちていたため、不覚にも少しときめく。でもそれをおくびにも出さないように気をつけてわたしも車から降りた。塀のせいで狭く、歩きにくい。窓に手をつきながら這い出るようにして先輩の後を追った。

 国道から横道に入り、緑色のガードレールを左手にわたしたちは意外と綺麗なアスファルトの上を進んでいった。すぐに大きな門があり、その脇にバイクなどが入り込めないようにジグザグに設置された柵がある。それをまたいで先へと進んだ。

 掃除はされていないのか、歩くたびに地面に落ちた葉っぱががさりがさりと音を立てる。光源は手に持つ二つの懐中電灯しかない。光に照らし出された空間はあまりに小さく、むしろ闇の深さを際立たせていた。


 道は竹林を迂回するように大きく左に曲がる。どこかから虫の鳴き声がかすかに響いてきている。もう後ろを振り返っても国道を走る車のライトは見えない。いよいよ隔絶された空間に足を踏み入れてしまった気分になり、わたしは必死に左手を動かして、先輩の手を探り当てた。先輩も少しびくりと震えたもののしっかりと握り返してくれる。


 霊障……ではなく緊張のせいだろう、足取りは重く、十分以上かけてわたしたちはトンネルに到着した。それほど長いトンネルではない。煌々と光る白い電灯があり、向こうに暗闇が落ちているのが見えた。ごくり、と唾を飲み込み、わたしたちは一緒に足を踏み出す。そして、あとトンネルの内部まであと一歩、というところで立ち止まった。

 内壁にはかつて肝試しで来ていた人たちのものと思しき落書きがある。だが、見えるのはそれだけで目を凝らしても幽霊を確認することはできなかった。


「……やっぱりいないよな」

「そうですね、幽霊はいないみたいです」


 ――幽霊は、いない。

 わたしはトンネルの中央に浮かぶどす黒い気の集積体を見つめる。恐怖や焦燥、失望などが入り交じり、膨張している気は近寄りがたい雰囲気を発していた。

 きっとこれが幽霊の正体なのだ。

 わたしはそう直感的に理解していた。怖い話をしていると幽霊が集まる、それと同じだ。人々は負の感情を持ち寄ってこの場所に集まり、その微弱な気を置いていく。その気が成長して臨界点を超えると心霊現象などを引き起こすのだろう。


 人が生み出した、人を恐怖に陥れるためだけのエネルギー。


 わたしはむしろその業に背筋が冷たくなった。行き場がなくて彷徨ってるならまだいい。だが、これは純粋な悪の感情だ。破裂したらきっと歯止めは利かないだろう。

 息を吐く、震えている。わたしは先輩の手を握りしめ、「帰りましょうか」と促した。先輩は「やっぱり幽霊なんていないんだな」と言って頷く。行きよりも少しだけ早足になってわたしたちは車へと引き返した。

 先輩が運転席に乗り込み、わたしは壁との隙間に身体を入れて、ドアを壁にぶつけないよう慎重に助手席に滑り込んだ。始動するエンジンの音を聞きながら懐中電灯を何度か明滅させる。


「おいおい、電池もったいないだろ、買ったばっかりなのに」

「このために買ったんですか?」

「そうだよ。で、これからどうする? 車は朝返すことになってるけど」

「あ、じゃあ横浜行きましょうよ、ドライブしましょ」

「お前も大概図太いなあ」


 先輩は呆れ笑いをわたしの方へと投げかけてくる。

 その瞬間、先輩の顔が硬直した。


「どうかしました?」


 わたしは先輩の視線の先、窓の外に顔を向ける。

 ガラスには真っ赤な手形がついていた。

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