遺伝性投擲症

 幼い頃から何かを投げるのが好きだった。

 色とりどりの積み木、アニメに出てくる魔法のステッキ、ふかふかのぬいぐるみ。別にそれらが嫌いだったわけではないけれど、わたしは物心ついたときから、ことあるごとに物を投げて遊んでいた。くるくると回転するさまはどんなお人形より愛らしく思えたし、柔らかな弧や鋭い直線など毎回異なる軌跡は万華鏡のように美しいと感じた。だから、わたしの部屋はたいてい物が散らばっている。

 父と母にはたびたび叱られたが、一向にやめないわたしを見て二人はいつしか諦めてしまった。


 人にぶつけないようにしろ、壊れたら困る物は投げるな、投げたら後片付け。


 両親はそれだけを固く言いつけて、七歳の誕生日、わたしの部屋に柔らかなマットを敷いた。まったく子煩悩だ、と我ながら感心するし、呆れる。とはいえ、好都合であるのは間違いがなく、わたしはその日からよりいっそう投擲に励みだした。

 聞けば、祖母の祖母、つまり、ひいひいおばあちゃんも似たような嗜好を持っていたらしい。その頃はまだ情報技術が発展し始めた、紙が贅沢品となる前の時代で、ひひいおばあちゃんはもっぱら紙を折ってそれを飛ばしていたそうだ。現代っ子のわたしの感覚からすると金持ちの異常な道楽にも思えたが、頻度はともかく、それが珍しくなかったというのだから不思議なものである。


「遺伝かしらねえ」


 母は楽しそうに物を投げるわたしを見てしみじみとそう呟き、父も、


「遺伝性投擲症、とでも名付けようか」


 と笑った。遺伝、という言葉を覚えたのはそれがきっかけだ。わたしはなんだか自分の行動が正当な性質を有しているように思え、嬉しくて堪らなくなった。そうなると、遺伝性投擲症なる症状は、力強くわたしの背を押す。習慣づけられた行動は正確さを増していき、大抵の物は狙った位置に投げられるようになった。


 投げたごみはごみ箱の中に吸い込まれて、的当ては必ず中央に命中し、縁日の輪投げでは外すことなどない。正確無比、百発百中、一石二鳥、そんなことを繰り返していると噂は広がっていった。

 ただ、この症状で困ったことが一つだけ、存在した。

 スポーツだ。

 現在、政府によって週間運動量が定められているのだが、その規定は大いにわたしを苦しめた。いやいや、量自体は大して問題ではないのだ。わたしが悩んだのはどのスポーツをやるべきか、ということだった。


 小学校から高校卒業まで、わたしはいくつもの種目をとっかえひっかえ、経験した。当然、主な選択肢は球技となる。

 いちばん始めに選んだのは野球だ。ザ・投げる競技。その体験会でわたしは多くの上級生の度肝を抜いた。一番から九番まで三×三に並んだ大きな的へボールを投げるテストでの話だ。

 真ん中の五番にだけ枠がついていて、他の数字はうまく境目に命中すれば一球節約することができる。与えられたチャンスは十二回、だが、わたしが使ったのはたった五球だった。

 わたしが産みだした放物線は、ばつん、という音とともに二枚ずつ計四回、パネルを弾き飛ばし、最後の一球は直線的に「5」のくびれに突き当たった。


「え、は、えへぇ」


 上級生や監督は奇妙な上擦った声を漏らし、何度もわたしにせがんでくる。


「ちょっと、あなた、もう一回投げてくれない?」

「とんでもない子が来たな、こっちの言った数字にも当てられる?」


 好きなだけ物を投げていいというのだから悪い気はしない。わたしはマウンドに立ち、ボールを投げた。ばつん、とパネルが弾け、くるくると回転するさまもかわいらしく、調子に乗って素晴らしい特技を見せつけ続けた。


 しかし、野球というスポーツはまったく不合理なものであったのだ! 

 ここで野球の致命的な欠陥を紹介しようと思う。一緒に練習した仲間たちの手前、大々的に告発することはできないが、これを明らかにしたらこの地球から野球という競技は即座に消滅するはずだ。

 それはひとえにバッターというくそったれな存在のせいである。わたしの投げたボールに容赦ない打撃を加えようとする、最低最悪、卑劣な心根の持ち主。しかも、それを逃れたとしても、今度はわたし自身をその地位に貶めようとする。初めての練習試合、悪魔の召喚陣たる長方形の白線の中で、棒状の凶器を片手に、わたしは滂沱たる涙を流した。

 それが続くとわたしは投手というこの世でもっとも崇高な存在から降ろされた。次に特権的な地位である捕手を務めたが、うまくいかず、外野に回されるとボールを投げるチャンスなんてそうそう来ない。やがてわたしは野球というスポーツを見限った。


 次に選んだのはバスケットボールやハンドボールだ。だが、これも欠陥スポーツであるのは明白だろう。敵チームのやつらは頭が悪いのでボールを投げるのを邪魔してくる。一度試合中に説得したが、理不尽なことに怒られたのはわたしの方だった。

 なるほど、どうやら対戦型のスポーツは相性が悪いのかもしれない。

 そう思い至ったわたしはいろいろな競技に手を出した。

 砲丸投げや槍投げなどの陸上競技。これらは確かに邪魔されることはなかったが、より遠くに投げるという過激思想の持ち主の考案したもので、少々不満が残った。まずもって重いものを何度も投げるのは疲れる。

 じゃあ、純粋な的当てはどうだろう、と思い、ダーツを始めてみた。これはなかなか感触がよく、熱中してしまった。ただ、そのせいで成績が下がり、週間運動量も達成できなくなり、政府直々の勧告を受ける羽目になった。


「きみがすごいのはよくわかった。でも、ちゃんと運動しようね」


 弾圧である。

 わたしは仕方なく、「走りダーツ」であるとか「ジャンプ輪投げ」であるとか「柔軟体操ボール投げ」といった素晴らしいスポーツを考案したが、周囲から賞賛を得られることはなかった。

 王者には孤独がつきまとう。きっとそういうことなのだと納得はしたが、問題はわたしがそれに堪えられるほどの強靱な精神を持っていないことだった。


 種々の煩悶はわたしを凡人へと変えた。正確に言えば、凡人のように振る舞うことを強制した。友人たちとの談笑の間、消しゴムを両手に行き来させたり、空になったジュースのペットボトルをゴミ箱に投げたり、十数年培った様々な技術は単なる特技となり果て、わたしは失意とともに学校を卒業した。

 そこで「働こう」と思ったのは母の話を思い出したからだ。

 今では労働はロボットが担うようになっていて、仕事をしなくても生きていけるようになっている。人が働くのは嗜好品を買いたいときや単なる話題作りのためで、わたしの目的はその両方だった。


 わたしが選んだのは人と頻繁に会うことができる受付の仕事だ。ロボットばかりの職場で、人間はわたしと上司の二人だけ。四十代の上司はおっちょこちょいで運がなく、いつでもどこかに怪我をしている。たまにちくりと刺すような言葉を投げかけてくるが、信頼のおける人物でずいぶんと世話になった。

 そうして日々の仕事をこなし、日払いの給料を貯め、紙を買った。いちばん安物の再生紙の束。それでも結構な値段がする代物だ。


 話に聞いたひひいおばあちゃんのように、紙で作った飛行機を飛ばそう。

 わたしがしようと思っていたことは、それだ。

 母から紙飛行機の作り方を聞き、仕事の休憩時間、それを折ることだけに時間を費やすようになった。中におまじないの言葉を書くことも忘れない。わたしの職場は街の大きな公園のそばに立つビルの中腹にある。わたしは就業前と終業後、事務室の窓から紙飛行機を放るようになった。


 天才だ。

 わたしは心の中でひいひいおばあちゃんを賞賛した。紙飛行機は折り方によってどれもこれも軌道が違う。直線的に目的地へと迅速に飛んでいくのもあれば、漂うように長時間宙に浮くのもあって、運命を感じた。きっと、これがわたしの求めていた物だったのだ。

 その歓喜は生活に色彩と潤いをもたらした。くすんでいた世界がエネルギーを持ち始め、そうなるといろいろなものが輝いて見え始める。そして、わたしは人並みに恋をするようにもなった。


 いつも資料を運んでくる男のひと。ぶっきらぼうではあるが、思慮深い顔つきを目にすると、わたしの胸はほとんど機械的に高鳴った。なにより素敵なのは資料の入ったデバイスを漏斗型のチェッカーに放り込むときの手つきだ。彼はわたしに手渡すことなく、送り出すようにデバイスを投げるのだ。その繊細な指先、そこから描かれる放物線にわたしはどうしようもないほどの熱を感じた。


 どうにか、思いを伝えたい。

 わたしはある日、作戦を決行に映した。彼が去る間際、事務室へと飛び込み、余分に折ってあった紙飛行機を急いで掴む。そして、窓を開け放ち、彼が正面玄関から出てくる瞬間を見計らって思いの丈を記した紙飛行機を投擲した。


「……あ」


 同時に、呆然とする。

 彼へと投げたはずの飛行機型ラブレターの機首がぐるりと軌道を変えたのだ。慌てて後ろを振り向くと本来投げるはずだったものが机の上に載っている。

 取り間違えた――わたしは単純なミスに落ち込み、眼下で緩やかに旋回する紙飛行機を呆然と眺めた。浮遊する紙はわたしと彼の距離を示すかのように、意地悪く宙を漂い続けている。


 だが、案外よかったかも、と思い直すまでそう時間はかからなかった。

 玄関の前で準備運動をしていた彼が空を飛ぶ紙飛行機を――そして、わたしを見つめていたからだ。少なくとも紙飛行機が飛んでいる間は彼と見つめ合うことができる。わたしはその幸福な時間に酔いしれた。

 いつまでも、飛んでいて。

 くるくると、自分の尻尾を追いかける犬みたいに弧を描く軌道を慈しむ。


 無粋なノックの音が響いたのはそのときだ。

「昼食を買ってくる」と出て行ったはずの上司がドアの前に立っている。上司はまたなにかついてないことでもあったのかもしれない、痛そうに頭に手を当て、顔を顰めていた。


「……きみはきれいに投げるね」

「え」


 すわ、告白か。

 わたしはどぎまぎし、勝手な罪悪感を覚える。でも、だめです、わたしには好きな人がいるんです。あなたは悪いひとではないけれど、この思い、どうか理解してください!

 そんなことを早口に捲し立てると、上司は一度咳払いをして、言い直した。


「きみは、仕事を、きれいに放り投げるね」

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