第7話

 ドーラはやっと森に入った目的を思い出した。魔物の屋敷から物を盗み出せという任務だったはずだ。ならばこの館の主は……と考えた瞬間先ほどまで明かりを灯していた蝋燭の日が一斉に消える。


「なっ!」


 驚いたドーラは辺りを見渡したが、暗くてよく見えず目を細めた。けれどもやはり、人の気配はなく、声は空耳で火は風によって消えたのではないかとも思えている。

 突如、ガタンと窓が吹く風によって揺れた。しかし窓は閉まっており、風は室内には届いてこない。まだ止むことのない雨を恨めしく思うドーラには、少女の笑い声も気のせいだとは断定できない何かがあった。


「寒い……」


 雨で濡れた服は夏なのにも関わらず、ドーラの体温を奪っていく。替えもなければ靴のように脱ぐわけにもいかない。服の上から腕をこするが意味はないようで、冷たい布を押し付けているだけだった。

 外から届くうっすらとした光を頼りに、ドーラは物にぶつからないよう慎重に移動する。壁に寄り掛かるように背を預け、冷えた指先を温めるために動かす。取り敢えず何か来るなら正面か左右からだろうと斜め上の発想をしながらドーラは息を整えた。


「……私帰れる? 今は何時なの、夕方には戻らないとお母さんが心配しちゃうよ。帰りたい、早く家に帰りたい」

「…………ねえ、何をしているの?」

「ぎゃあ!」


 また背後から地の底から湧き上がるような、とても低い声が聞こえてドーラは飛び退いた。けれどもドーラのすぐ後ろには壁があり、ドアも存在しないので誰かがいるはずもないのだ。


 ふと全ての蝋燭に灯がともった。誰かが行為的に点けたわけでもなく、ドーラ以外に人のいないはずの、この広い部屋に満遍なく置かれていた蝋燭が一瞬で。その異様な光景にドーラは息を呑み、もうここにはいられないと弾かれるようにドーラは出口に走った。

 丁寧に磨かれている床はこんなときに限って滑り余計に時間がかかる。足を縺れさせながらも、なんとかたどり着いて取っ手を引くが、鍵かかかっているようで何かにつっかえるような感覚がした。


「嘘、なんで……ちょっと!」


 乱暴に押し引きするが、重く閉められていた扉はビクともせず一向に開く様子はない。ならばと一度隠れるようなところを探すと、階段の下に小さな扉を見つけた。赤い板に大きな金色の鍵穴が付いている扉で、階段で隠れており上手く死角になっているようだ。


 鍵穴から中を覗いてみるが薄暗く、多くのものが置いてあることから物置として使われているだろうとしかわからない。入ろうか入るまいかと躊躇していると、上の階から進度の早い足音がドーラの耳に届く。確実にドーラに気づいているように真っ直ぐに降りてこようとしているのだと理解したドーラは、反射的に部屋に駆け込んでいた。


 しかし安堵する前にドーラは扉に耳を添えながら、迫り来る足音を確認する。何を思ったのか、物置に入ったドーラの存在に気付かなかったのか足音は方向を変え、遠くへと消えていった。

 ほっと息を吐き、腰を抜かしたようにドーラはたまらず座り込んだ。そして何気なく顔を上げると暗い空間の中、青い瞳と視線が合わさった。


「ひっ」


 大きくのけぞって目を見開くが、よく見るとそれが精巧に作られた陶器人形だとわかる。深紅のレースとリボンをたっぷりと使ったドレスを着た、気味の悪いほど人間そっくりな金髪の少女だ。ドーラと向かい合うように人形は古びた食器棚の上に置かれている。

 五歳の子供ほどの大きさで、余計に気持ち悪いとドーラは感想を抱いた。人形に背を向けたい衝動に駆られたが、ドーラはその後を想像して冷や汗をかく。結局目をそらして数秒に一度確認するのに収まった。


 ドーラはそれから少しの間人形を監視していたが、垂らされた金髪一本も動かない。当たり前のことなのだが、普段見ることのできない豪華な屋敷の雰囲気にまみれて余計に怖がっていたみ たいだ。先ほどの笑い声だって蝋燭の火だって、隠れて住んでいる人の仕業に違いないとドーラは考えた。


 休んだおかげで冷静になった彼女は耳をすます。足音も聞こえず、雨音もいつの間にか止んでいた。ならば、さっさとお暇しようと変に自信がついてきてドーラは立ち上がる。けれども、異変に気付いたドーラは、また扉の前で固まってしまう。



「……けろぉ。あけろぉ、この戸をあけろぉ。開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ」



 強く扉を連続で叩かれ、しゃがれた声と共に大きな音が響いた。返事がなくても止む気配はなく、音は強くなるばかりだ。襲ってきた恐怖に半泣き状態で立ち尽くしたドーラだが、ふと意気込んだ表情に変化する。そして正面突破と言わんばかりに勢いよく扉を開けた。


「っ……いっ!」


 外にいた誰かが勢いよく扉に当たり、堪えるような悲鳴と地面を転がる音がした。先ほどの年寄りのような声ではなく透き通った声色で、ドーラが怖がっていた少女の笑い声には若干似ているかもしれない。

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