第6話

 降り出した雨が地面ではねた。水分を含んだ土は滑りやすく、足を取られればいとも簡単に転んでしまうだろう。先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声や動物の移動する音などは全てなくなり、今では大粒の雨が勢いよく降り注ぐだけだ。


 まだそこまで時間は経っていないのに、あちこちに水溜りができていた。これ以上酷くなる前に雨宿りができそうな場所を見つけなければとドーラは足を休めずに視界を探る。だが、振り続ける雨と太陽を覆い隠す大きな雲のせいで思うように大木のくぼみは見つけられなかった。


 入る時に抱えていた恐怖や心配はない。かと言って今更後戻りする気にはなれなかった。こうして歩いていても噂の魔物などには遭遇することはなく、見た生き物だって可愛らしい兎や栗鼠だけだ。野犬や狼などの凶暴な肉食動物に見つからない限り、身の安全は確保できる。


 ただただ風邪をひかぬように濡れた体を拭きたいと願うだけだ。平民の中でも金のないドーラの家が風邪薬を変えるわけがない。そうなれば最悪の場合命を落としてしまう。こんなことなら、亡き父親が教えてくれた薬草でも覚えておけばよかったと肩を落とした。


 前に前に進んでいたドーラだが、方向を変えてみることにする。もしかしたら、何かあるかもしれないのだ。森に見張りがついていたのも、罪人を閉じ込めておく建物を隠すためだという話もあるぐらいだ。それなら人がいるはずなので助けてもらえるはずだとドーラは辺りをさまよった。すると急に視界が開ける。


「なに、ここ……」


 目の前には不気味な洋館と花の咲き乱れる庭。天気が悪いせいか、赤黒く見える館は立ちはだかるようにドーラの目には映った。庭は手入れされているようだが、このような館に人が住んでいるとは考えられない。魔物や囚人がいるという噂は本当だったのかとドーラは思わず後ずさった。


 と、そう遠くないところから雷が落ちる音が響く。一刻も早く建物に入らなければと無我夢中で固まった足に鞭を打ち、なんとか館のドア前にたどり着いた。ドーラは重厚な造りの金具を見つけ扉を叩く。


「だ、誰かいますか? 雨が降ってきて、ここにいてはいけないことは知っているんですけど、雷も落ちて……雨宿りさせてくれませんか。雨が、止んだらすぐ帰りますので」


 ドーラはしどろもどろに思いついた言葉を並べた。我ながら何を言っているのかわからないと考えたが、口にしてしまった物は消せない。何とか入れてもらおうと他の話をしたが、それもつっかえてしまい、あまり意味はなかった。


 返事はなく、やはり人はいないのではにかと最悪な考えがドーラの脳内を横切る。ならばと軽く戸を引いてみると鍵は掛かっていなかったらしく、簡単に開いた。軽く覗いてみるが物音は聞こえない。


 一応はと服を絞ると降る雨と変わらないぐらい、大袈裟な音とともに大量の水が落ちた。水滴が途切れるまで続けると足元には水溜りができている。そして最後に濡れて肌に張り付いている髪から水分を取った。これで多分平気だろうと根拠のない自信の中、ドーラは再度扉に手をかけた。


「お邪魔、します」


 少しだけだからと心の中で言い訳をしながらも足を踏み入れる。が、落とし損ねた髪の水分は止まることなく石の床で弾けた。乾いた布を持っていないドーラにはどうすることもできない。履いていた靴は心地悪い音を立てており、風邪を引くよりはと脱いで端に放っておいた。


 屋敷内を見渡すと自然に、ほうと感嘆のため息が漏れた。とにかく広くて豪華というのがドーラから見た屋敷の第一印象だ。自分の家の面積が今いる玄関ほどではないかともドーラは思ってしまう。

 ぼんやりとした蝋燭の灯りに照らされ、飾られているダリアは壁に濃く影を残していた。


 扉を開ければすぐに大広間だ。黒と白の幾何学模様の床は磨き上げられており、天井に描かれた青空の絵を鏡のように映している。赤いやわらかな生地の絨毯が敷かれた階段は二又に分かれており、各廊下へと繋がる。

 手すりにも凝った細工が施してあり、とても豪華な造りをしていた。置かれている長椅子はシンプルな見た目だが、触ってみると驚くほど弾んだので座り心地がよさそうだ。


 壁に飾られている絵は風景画のようで透き通った湖が描かれている。日の光が水に反射し、とても幻想的に輝いていた。方や端の方には曇り空があり、不穏な印象も持てる不思議な絵だ。


「凄い……高そう」


 二人用の小さな、樫の木で出来た円状のテーブルをかするように撫でた。背の部分には大きな薔薇と脚の部分に月桂樹の模様に装飾され、華奢な見た目に反してしっかりとした作りになっている。


 また壁に沿うように置かれている棚は白く、なめらかな曲線を描いた作りだ。取っ手は貝殻の形をしており、金色の線でなぞられていた。決して派手ではなく淑やかな印象を持っている。しかしドーラには家具についての知識はなく「綺麗、つるつるしている」のような簡単な感想しか出てこなかった。


 まるで吸い込まれるような足取りで二階に移動しようと階段に向かうと、突如少女の笑い声がドーラの背後から響いた。慌てて振り返るが人の姿はない。


「だ、誰かいるの!?」


 怖気づきながらも掻き消すようにドーラは声を張ったが、返事はない。急に部屋の温度が下がったように寒くなり、腕をさすった。確かにドーラの耳には笑い声が届いたのだ。けれども森の奥など、恐ろしい噂の立っている場所になど人間が住むのであろうか。

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