第19話『決意』

 その後は平穏な時間を過ごした。

 夕ご飯の時、久しぶりに奏ちゃんの顔を見た。昨日の朝に比べて元気そうに見えた。所々に笑顔が見られることから、芽衣さんは奏ちゃんに今回のことをちゃんと謝ったんだと思う。

 あれから俺は家に帰ってきて、優奈にこのことを話した。

 奏ちゃんを虐めてしまったことは紛れもない事実だったから、そのことを話すとやはり悲しい表情を浮かべていた。しかし、俺は芽衣さんがもう虐めはしないと伝えると一転して笑顔に戻った。

 だけど、優奈に何か責任感があったらしくこんな言葉をこぼした。

「奏に虐めさせちゃったのは、私のせいだったのかな……」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、二人の側にもいたのは私だけだったから。私が気づいてあげればこんなことにはならなかったんじゃないかって思ったの」

「今回のことは誰のせいでもない。人の心の変化っていうのは自分自身も気づかないうちに変わっていくものだし、ましてやそんなことが容易く分かる方がおかしい。だから、別に自分を責めなくていいんだよ」

「……べ、別にお兄ちゃんに慰めて欲しいなんて思ってないよ」

「ただ俺は自分の思ったことを言っただけだ」

「でも、ちょっと気持ちが軽くなった」

「それに、俺は優奈のおかげで奏ちゃんと同時に芽衣さんを救えたと思ってる。まあ、救えたなんていうと俺が偉いことをしたように聞こえるけど……」

「ホントだよね」

「……その調子ならもう大丈夫そうだな。とにかく、ありがとう。優奈」

「あうっ」

「……ん?」

「べ、別にお兄ちゃんに褒められて嬉しいとかそんなんじゃなくて、その……奏が元気になってくれればと思ったら、それで笑っただけでその……!」

「おまえ、顔が赤くなってるぞ。熱でもあるんじゃないのか? ほら、俺が確かめてやるから……」

「お、お兄ちゃん! 顔近いって! お兄ちゃんのばかあああっ!」

 そんなことがあって、優奈は俺の顔を見ると不機嫌な表情を見せるけど、奏ちゃんとは楽しく話している。

 四人で囲む食卓はやっぱりいいもんだな。奏ちゃんが家に来てから、今、一番ご飯が美味しく感じられているよ。



 今日は日曜日でも休めた気がしなかった。

 俺の日曜日を返してくれ! と叫んでもいいのかもしれないけど、俺は叫ぶ気なんて全くない。日曜日に学校に行くなんて、体育祭や文化祭以外ではたぶん今日が初めてだったと思う。

 身体が休まったどころかむしろ疲れが溜まっている。夜も遅くなってしまったけど、俺は入浴時間を堪能しているところだ。

「俺って女の子っぽく見えるのかな……」

 鏡で自分の顔を見て鏡の中の自分に問いかける。まあ、俺が悩んでいる顔をするかぎり、鏡の自分にも解けるわけがないよな。

 確かに、顔に髭なんて全然生えないし、腕や足にも産毛程度で、他人に言わせれば綺麗な肌をしているのだとか。大抵の女子よりは背が高いというのが唯一の救いかな。

 もう、何だか莉奈先生の言う『男の娘』の要素が揃っている気がしてならない。男として悲しいことだ。

「ていうか、風呂に入って疲れを癒やそうと思ったのに、自分で気分を落としてどうするんだよ……」

 そうだ、せめて湯船に浸かるときだけでも、しっかりと疲れを取ろうと決めた。俺は湯船に入ってゆっくりと目を閉じる。

「はあっ、何だか今週が凄く長く感じたな……」

 奏ちゃんが家に引っ越してきて。

 莉奈先生には告白をされそして部活を作ろうって言われて。

 そして、性格の変わった奏ちゃんを見たと思ったらそれは虐めが背景にあって。

 奏ちゃんを虐めた人と話したら告白されて。本当に色々あった一週間だった。

 でも、何もない平凡な一週間だったら、湯船に浸かっているのがこんなに気持ち良くて癒されることもなかっただろう。

「できれば今度は奏ちゃんと一緒に入りたいな……って、何てことを言ってるんだ俺は!」

 こんなことを呟いてしまう俺は立派な男ってことでいいのかな。

 まったく、俺の周りの人間は見た目で物事を言う人間が多い気がする。俺自身、自分みたいな容姿の女子がいても全然興味なんて沸かないよ。

「もういいや、出よう」

 俺は浴室から出て、全身を拭いて寝間着に着替える。

 廊下に出るとなかなか涼しい。春の夜は涼しい日の方が多い。

 俺はいつも通り冷たい麦茶を飲むためにキッチンへと向かう。

「あれ、あそこの窓……開いてる」

 キッチンからはリビングの縁側の窓が開いているのが見えた。気になって縁側まで行ってみると、そこには寝間着を着た奏ちゃんがいた。

「……奏ちゃん」

「は、隼人さんっ!」

「こんな所にいると、また風邪引いちゃうよ?」

「ごめんなさい、ちょっと外の空気を吸いたくて。中に入りますね」

「ちょっと待って、俺も吸いたくなったから。ちょっと話しでもしようか」

 リビングの中に戻ろうとした奏ちゃんを俺は引き留める。縁側に出て、奏ちゃんの隣に座る。

 穏やかに吹く夜の風が風呂で温まった俺の身体を適度に癒してくれる。奏ちゃんには少し寒いかもしれないけど。

「元気になった?」

「はい、おかげさまで……」

「じゃあ明日からは学校に行けそうだね。良かった」

「隼人さん、ありがとうございます」

「……芽衣さんからはメールは来た?」

「はい、今までやったことを許して欲しいって。もちろん、許しました」

「そっか」

 奏ちゃんには再びいつもの笑顔が戻りつつあった。

「私、情けないです。自分から虐められていたことを言えなかったですし、私、隼人さんと優奈ちゃんに頼りきりでした……」

「そんなことないよ。言えないことだってある。俺が気づいてあげられなかったのが悪かったのもあったし」

「でも、そんな原因を作ったのは私です。この家に来てから、時々思うんです。お父さんとお母さんがこの家で私を住まわせたのは、私が情けなくて私なんていらないからなんじゃないかって……」

「奏ちゃん……」

「それに、私……気づかないうちに人を傷つけているんです。それも男の子ばっかり、そんな私を嫌いになっちゃったのかな」

 きっと、その気づかない間というのが……金曜日の夜に出会ったあの奏ちゃんだったんだ。たしかに、あの奏ちゃんは異性との接触に興味を抱いていたように思える。

「……会ったよ、もう一人の奏ちゃんに」

「えっ!」

「でも、俺は……今の奏ちゃんも可愛いし、もう一人の奏ちゃんも可愛かったな」

「あうっ。冗談を言わないでください……」

「冗談じゃないよ。大丈夫だよ、俺は傷ついてないから」

「でも、私……時々おかしくなっちゃうみたいなんです。どうしてなのか……」

「……その時は俺が全部受け止めるよ。だから安心して」

「隼人さん……」

「確かに、奏ちゃんのお父さんとお母さんは、奏ちゃんを一人日本に残して遠くへ離れてしまった。でもさ、」

 多少強引に、俺は奏ちゃんの顔を自分の胸へと引き寄せる。

「ふえっ! は、隼人さん?」

「……温かいだろ?」

「はい。とっても……温かいです」

 奏ちゃんは驚きながらも、少し微笑みながら答える。

「多分これって……誰かが側にいないと感じられない温かさなんじゃないかな」

「……!」

「俺と奏ちゃんは家族だ。優奈も母さんも……そして、遠くにいる奏ちゃんのお父さんもお母さんももちろん同じ家族なんだ」

「隼人、さん……」

「人っていうのはさ、一見強く見える人でもどこか弱い部分がある。それに、人は誰かと接して成長するものだし、周りに迷惑をかけるのは普通なんだ。俺だって情けないよ、まだまだ」

「私はその……ここにいていいのでしょうか」

「当たり前だよ。俺たちはもう、家族なんだから」

 そうだ、俺たちは家族なんだ。

時には迷惑をかけられて、時には助け合って。

そして、平凡でもいいから楽しい毎日を過ごせればいい。俺が今抱きしめている奏ちゃんと共に。

「悩み事があったら、自分の言えそうな時でいいからできるだけ言って。その時は俺も優奈も力になるから」

「ありがとうございます」

 俺は奏ちゃんの頭を撫でる。

 奏ちゃんは穏やかな笑みを浮かべる。頭を撫でられるのが嬉しいのか俺の側から離れようとはしない。

「隼人さん、もう少しだけ……このままでもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「私、同じくらいの年の男の人にこんなことをされるのは初めてです」

「そ、そうなんだ」

「他の人もそうなんでしょうか、こんなに優しい温もりを感じるの。ううん……たぶん、隼人さんしかいないと思います」

「……そうか」

 すると、奏ちゃんから可愛らしい笑い声が聞こえてきた。あまりにも嬉しすぎて思わず声が漏れてしまうのだろうか。

「……隼人君」

「えっ?」

 俺のことをこういう風に呼ぶってことは、まさか。

「もしかして、君は?」

「分かってくれた? あのベッドの時以来ね」

 俺の方に振り向いた奏ちゃんは、あの時と同じだった。妖艶という雰囲気を彷彿させるこの眼差しは紛れもなく、人格が変わった奏ちゃんだった。

「どうして、また君が?」

「分からないわ。でもきっと、普段の私が嬉しかったんじゃないかしら?」

「……嬉しかった?」

「そう。隼人君が普段の私に家族でいてくれるって言ったから」

「俺は当たり前のことを言ったまでだよ」

 しっかし、普段の奏ちゃんは今の人格の奏ちゃんの時の記憶がないっていうのに、今の奏ちゃんには普段の時の記憶があるなんて。君だけ都合が良くないかな。

「……あと、私の事を受け止めてくれるのも本当?」

「言ったからには、ね」

「……そう」

 すると、奏ちゃんは口元で微笑み、

「じゃあ、約束してもらわなきゃね。だから、その誓いとして――」

 そう言うと、ゆっくりと顔を俺の顔へと近づける。そして、

 ――ちゅっ。

 気づけば奏ちゃんの唇が俺の唇と重なっていた。その感触はとても柔らかく、ほのかに温かく。奏ちゃんらしい優しさに溢れているようだった。

 そういえばあの時……奏ちゃん、言ってたな。

『……じゃあね、またどこかで会おうね。その時は今夜の続き、してね?』

 その続きがこの口づけだったってわけか。その直前には自分に口づけをしていいみたいなことを言っていたし。

 もしかしたら、人格が変わった奏ちゃんは、あの時既に俺と優奈が今回の件を解決するとを分かっていたのかもしれないな。

 俺はゆっくりと唇を離すと、そこには奏ちゃんの可愛らしい寝顔があった。

「か、奏ちゃん?」

 何度か頬を軽く叩いても、奏ちゃんが起きる気配はない。きっと、元の人格に戻る反動で眠りについているのかな。

 医者が奏ちゃんのことを『未知の病』と診断するのも分かる。単に精神的なダメージがきっかけで人格が変わる症状なら、既に他の病気の症状で確認されている。

 でも、今のは違った。人格が変わった奏ちゃんは「嬉しい」と言っていた。もしかしたら、奏ちゃんは医者にも知られていないきっかけでも人格が変わるのかもしれない。だからこそ、『未知の病』なんだろう。

「まったく、可愛い二重人格だな」

 俺は寝ている奏ちゃんの頭を撫でた。

 あと、今のってもしかしたら『誓いの口づけ』だったのでは。

 でも、相手の奏ちゃんは人格が変わった状態だ。普段の奏ちゃんには今の記憶はないわけだから、この口づけはノーカウントにしておこう。

 しかし、口づけっていうのは普通、目覚めるためにあると思うんだけどな。口づけして眠るってどういうことだよ。

 寝ている奏ちゃんを見ながら俺は笑ったのだった。

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