第18話『虐めの先に』

 風が穏やかに吹いている。それによって、木の葉の揺れる音が響き渡る。

 今日は日曜日だけれど、俺は陽山高校に来ていて、部活棟の近くにある人気の少ないベンチに座っている。十五分くらい経ったけれど、日曜日だからかこの場所からは人の姿は全く見えない。

 何故、日曜日なのに俺がここにいるのかというと、例の『彼女』とここで話をする約束があるからだ。

 あの後、俺は優奈から『彼女』のメールアドレスと携帯の電話番号を教えてもらい、

『明日の正午過ぎ、部活棟の側のベンチで君と話がしたい。詳細は追ってメールをする』

 という内容のメールを送った。

 色々と『彼女』を誘い出す文章を考えてみたけれど、『Simple is the best』という考えに辿り着き、あのようなメールを送ったのだ。

 すると、数分後に『彼女』から『会ってもいい』というメールが返ってきた。

 正直言って、断られると思ったんだけどな。自分の名前も名乗ってないし、『彼女』には送信元が俺のメールアドレスであることも知らないし。会っても大丈夫だという返事を一発で貰えたのは正直、意外だった。警戒心ゼロだな。『誰なんですか』などの言葉も全く無かったし。

「でも、本当に来てくれればいいけどな……」

 そう、適当に返事をしておいて結局は来ないという場合もあり得る。一応、メールでも送っておくか。

『そろそろ部活が終わる時間だろう。俺は例の待ち合わせ場所にいる。来るならメールを入れて欲しい』

 これで大丈夫だろう。メールが来れば、『彼女』はここに来るんだから。まあ、三十分くらい経って返事が来なかったら帰るか。

 何かを待っている時間はとても長い。何かゲームをしているわけでもない。音楽を聴いているわけでもない。何もしていないと、とても長く感じる。じっと見ていれば影が動いている瞬間を見られるかと思ったけど、精神的に疲れて無理だった。

 何も変化がない時間の中、ブレザーのポケットが震える。メールが来たか?

 携帯の画面を開くと、『新着メール 1件』と表示されている。さっそく中身を見てみると、

『今からそちらに向かいます』

 どうやら、『彼女』ともう少しで決着を付けることが出来そうだ。

 さてと、目印をどうしようか。自分の事を名乗っていないからな。全く知らない人間だとしても、呼び出したのが誰かを分からせるためには。

 俺は持っている携帯電話を見て、ある作を思いつく。

『分かった。じゃあ、俺は右手に携帯を持ってるから、君はそれらしき人を見つけたら右手に携帯を持って手を振って』

 と、俺はメールで『彼女』に返事をした。何とも地味な目印だ。

 言ってしまったからにはそうするしかない。俺は右手に携帯を持って他人に携帯が見えるようにした。

 三分ほど経って、遠くから足音が聞こえてきた。この足音はローファーで歩いている足音だ。徐々にこちらに近づいてくる。

「……あの子かな」

 うちの高校の女子の制服を来ている人の姿が見える。上の髪をどうやらツーサイドアップの髪型にしている女子が。

 そして、俺を見つけるや否や携帯を右手に持って手を振り始めた。

 ついに、俺は奏ちゃんを虐めた人物、通称『彼女』と顔を合わせることになる。

「……君だったんだね。呼び出したのは俺だ」

「まさか、新垣先輩だなんて思いませんでした」

 『彼女』の身長は大体、優奈と同じくらいだろうか。顔もなかなか可愛い。髪型もショートカットで黒いカチューシャをしていて普通なのだが、何よりも特徴的なのは髪の色が茶髪であることだ。

「俺のこと……知ってるの?」

「……ええ、ずっと前から知っています。まあ、優奈から色々と先輩の話を聞いていますけど」

 何だか部活に入ってもないのに、『先輩』と呼ばれるのは違和感があるな。奏ちゃんにも下の前で呼んでもらっているし。

「優奈とは友達なんだね」

「ええ」

「……君の名前を教えてくれるかな」

「呼び出しておいて何を訊くかと思えば名前ですか? 本当は知っているんでしょう? 佐藤芽衣さとうめいですよ」

「佐藤さん、か……」

 日本一多い名字だな。佐藤さん。

「佐藤さんなんていっぱいいますから、下の名前で呼んでもらって構いませんよ」

「分かったよ、芽衣さん」

 俺の前に立っているのは、優奈と奏ちゃんと同じクラスメイトの佐藤芽衣さん。優奈と同じ女子テニス部に所属している。

 そして、この人こそが奏ちゃんを虐めている犯人でもある。

「それで、何かお話でもあるんですか?」

 芽衣さんは少し勝ちきった表情で俺にそう訊いてくる。

「ああ、あるよ。俺は君に渡したい物があって持ってきた。優奈に頼もうかと思ったんだけど、やっぱり俺から直接渡した方がいいかなって」

「へ、へえ……ちょっと楽しみですね」

 俺はベンチから立ち上がって、芽衣さんの前に立つ。

 ブレザーのポケットの中に入っている二つ折りの紙切れを取り出し、俺はそれを芽衣さんに渡す。ベンチに座って彼女の反応を待つ。ただ、待つ。

 あの紙切れを見て芽衣さんはどんな反応をするか。

 芽衣さんは目を見開いて、一瞬、目つきを鋭くさせて唇を噛んだように思えた。が、段々と笑みに変わっていく。俺に紙切れの文面を見せる。

「これ、何の冗談ですか?」

 俺は紙切れにこう書いたのだ。

『消えてくれ』

 芽衣さんの言う通り、これは冗談で書いた。奏ちゃんを虐めたから本気でそう思っている訳じゃない。

「……普通は冗談だと思うよね。優奈に同じようなことが書いてある紙切れを見せたら、本気で胸倉を掴まれたよ」

「優奈は急にカッとなりそうですからね……」

「でもね、君は同じようなことをある人物にしたんだ。その相手はこういう手紙を見ると冗談だとは思えない子なんだよね」

「えっ?」

「……奏ちゃんはそんな風には思えないんだよ。目の前にあるその言葉を真に受けてしまう、そんな子なんだ」

 そうだ、奏ちゃんはそんな子なんだ。

 物静かで上品で、話してみると可愛らしくて。でも、どんな言葉にも真剣に受け止めてしまうんだ。たとえそれが心に突き刺さるような言葉であっても。


「言葉っていうのは時として、人一人を消すことだってできるんだよ」


 それが俺の言いたかったことだ。

 言葉の力というのは強大なもので、あの日……奏ちゃんの部屋から紙くずを見つけ、書かれている言葉を読んだとき、自分が言われたわけでもないのに、とても心苦しくなった。

 だけど、その言葉の力は、俺が今こうしてここに立っている原動力にもなった。だから今、俺は芽衣さんのしたことについての全てを知りたい。

「君がやったんだよね、奏ちゃんに同じような内容を書いた紙切れを、彼女の机の中にでも入れたんだろう」

「……証拠でもあるんですか?」

 俺はバッグから、あの時見つけた例の紙くずを取り出す。

「この紙切れを見て欲しい、奏ちゃんの部屋で見つけた物だ。優奈によく見てもらって確認したら、これは芽衣さんの字だって言っていたよ」

「嘘かもしれないのに、私を犯人にしようっていうんですか?」

「君は優奈のことを友達だと思ってないのか? 優奈は昨日……奏ちゃんを助けるためにクラスの女子達に話を聞いてきたんだ」

「へえ、私には聞いてこなかったですね……」

「……もしかしたら、一昨日、この紙くずを見つけたときから、書いたのが君だって気づいていたのかもしれない」

「えっ?」

「芽衣さんがやったかもしれないって、優奈は凄く悲しんでたんだ。きっと、昨日……芽衣さんから話を聞かなかったのも、このことを訊くことで芽衣さんを疑っていることを認めくなかったんだ。そんな風に思う奴が、芽衣さんがやったっていう嘘をつく理由なんてないだろ!」

「……でも、それが私のやった証拠にはなりません!」

「別に君がやったから、俺が何かをする訳じゃない。俺はただ、どうして奏ちゃんにそんなことをしたのかを聞きたいだけなんだ」

「聞きたいなら私が虐めを行ったという証拠を見せてください!」

 芽衣さんの目はとても鋭かった。

 ていうか、証拠証拠とうるさい女子だ。ここまで証拠にこだわるとは思わなかった。あっさりと認めてくれるなんていう甘い考えは通じないのか。

「……俺は一番に信頼している優奈の言葉を信じる。それでもダメなら、俺は君がやった決定的な証拠を出すことだってできるんだよ」

「えっ……?」

 俺はもう一つ持っていた携帯を取り出す。奏ちゃんの携帯だ。

「君は紙切れだけじゃなくて、携帯のメールでも奏ちゃんに同じような言葉を送った。そのメールの発信先は一体誰なのかな?」

「……!」

 芽衣さんの眼が泳いだ。脈ありと見た。

 奏ちゃんにこの虐めことについて話すと、携帯電話にも紙くずに書かれていたことと同じ内容が送られていたことを話してくれた。

「……このメールをそのまま返信すれば明らかだ」

「ちょっと、だめっ、やめて……!」

 そんな言葉を無視して、俺は送信ボタンを押した。

 静かな時間の中、携帯の着信音が鳴り響く。その音は芽衣さんのスカートのポケットから聞こえる。

 芽衣さんが携帯を取り出すと、俺は優しく彼女の携帯を頂戴してメールの受信内容を確認する。

 そして、発信元のメールアドレスは、

「奏ちゃんの携帯のメールアドレスと一緒だね」

「……」

「メールを使ったのはミスだったね。奏ちゃんがメールのことを話せない子だと思ったのかな。さあ、これで君の欲しい証拠を示すことはできたよ。それに、もう……嘘は重ねないで欲しい」

 お互いに何も言わないまま時間が過ぎていく。聞こえるのは、風によって作られる木の葉の囁きだけだ。

 そして、ようやく、

「そう、ですね……」

「やっと、認めてくれたか」

 本当は証拠とか関係なしに、認めて欲しかったんだけどな。

 俺は芽衣さんに携帯電話を返す。

 一時は凄かった剣幕の面影も残っておらず、芽衣さんは無言で立ち尽くしていた。

「芽衣さん、どうして奏ちゃんにこんなことをしたの?」

 俺の求めているのは、芽衣さんが虐めた犯人であると認められたことじゃない。

 どうして、奏ちゃんを虐めようと思ったのか。その理由だ。

「……で……るから」

「え?」

「だって、桐谷さん……先輩と一緒に住んでるから」

「俺と一緒に住んでるから?」

 芽衣さんは俺のすぐ前に立って、


「……先輩。私、前からずっと先輩のことが好きだったんですっ!」


 一時は敵意を向けられていたのに、その直後に告白か。

 普通なら可愛い後輩にこんな人気のないところで告白をされるなんて、最高のシーンであり男子の憧れでもあるのかもしれないが。

 つうか、何だか喜びというよりも驚きの方が強い。

「そうか、ありがとう」

「実は私、優奈とは同じ中学で同じテニス部に入っていたんです。先輩のこともその時から知っていて、初めて見たときからずっと……」

 そうか、だから芽衣さんには躊躇いなく俺のことを先輩って言えたんだ。

 優奈があそこまで悲しんだのも、中学校からの友人だからだったのか。

「その気持ちが今回のことを起こした原因なら、ごめん」

「先輩が謝ることじゃありません」

「だったらどうして?」

「私は先輩と今まで話したこともありませんでした。優奈と友達で居続けたら、いつか先輩とも話すこともできるんじゃないかって。でも、桐谷さんが引っ越したことを優奈から聞いて、桐谷さんにもそのことを聞いたら、凄く楽しそうな顔で話すんですよ。優奈のことだったり、先輩のことだったり」

「……」

「桐谷さんの話を聞くととても悔しくなりました。どうして彼女が先輩の側にいるんだろうって。物静かなのに、どうしてなんだろうって。お金持ちだから? そんな風に考えてたら、桐谷さんのことが凄く悪い人に見えてきちゃって。本当にはいい人なのに、ね」

「奏ちゃんは悪い子じゃない。俺と優奈が喧嘩をしてたらすぐに止めようとするし、俺が食事作るって言ったら手伝わせて欲しいって言うし」

「それで、私は酷いことを書いた紙を桐谷さんの机の中に入れたんです。そうしたら、きっと優奈や先輩から離れると思って……」

 つまり、今回の原因は俺に関係した嫉妬だったんだ。好きになった気持ちはまた、人を変えさせる力を持っているから。

「どうして先輩は桐谷さんのことでここまでできるんですか? 一緒に住んでいるから? それとも、もしかして……」

「……」

 どうなんだろうな。

 ただ、あの泣き声を聞いて。

 ただ、あの時の奏ちゃんに襲われて。

 気づいたらここまで来ていたんだ。俺のできる事や、やるべき事をただやっていたらここまで。

 でも、そこまでできたのはきっと。

「……奏ちゃんだったからかな。彼女の側で過ごして。彼女のことを少しずつ知って。俺はいつの間にか、奏ちゃんの笑顔をずっと見ていたかったんだ」

「……それって、好きだからですか?」

 俺は答えるのに戸惑った。

 奏ちゃんを決してそんな目で見たことはない。ただ、俺は奏ちゃんのことを、

「……家族みたいに思っているからじゃないかな」

「家族、ですか。それでもやっぱり、桐谷さんが羨ましいです」

「……俺には守りたい人がいるんだ。その人は複雑なことを抱えている。だから、芽衣さんの気持ちには応えてあげられない。……ごめんね」

「いいですよ、言いたいことが言えてすっきりしていますから」

 芽衣さんは爽やかに微笑む。

「芽衣さん、俺からも話しておくから、メールや電話とかで奏ちゃんにちゃんと謝って。ちゃんと謝れば、奏ちゃんは許してくれると思うよ」

「……はい」

「あと、もし良かったら……君がいいって思ったら、奏ちゃんの友達になってほしい」

「分かりました」

 俺ができることはここまでかな。

 色々と予想外のことは起きたけれど、何とか丸く収まって良かった。あとは本人同士で何とかするべき所だろう。

 俺はここから立ち去ろうとすると、

「あの、先輩!」

「……なに?」

「先輩のこと……好きでいてもいいですか? いや、その……憧れの存在というかそんな感じでっ!」

「ああ、いいよ。ありがとう」

 そして、やっと……俺は初めて芽衣さんの本当の笑顔を見られた気がした。

 俺は訊き忘れそうになったことを芽衣さんに尋ねてみる。

「芽衣さん」

「なんですか?」

「今回のこと、例えば誰かに言われてやったわけじゃないよね」

「そんなことないです。全部は私自身が思ってしてしまったことですから……」

「そっか、ならいいんだ。変なことを訊いてごめんね」

 どうしてこんなことを訊いたのかは他でもない。奏ちゃんが家に引っ越してきた日に見た、あの人の一瞬の笑みがずっと頭に引っかかっていたからだ。

 性格の変わった奏ちゃんの姿を俺に見せるためにもしかして、と思って訊いてみたけれど、そこまで酷い背景はなかったんだな。

「それでは、私は帰りますので」

「ああ」

「先輩と話せて良かったです、今度は一緒に楽しい話しができるといいな」

 今度は『一緒に』楽しい話しを、か……。

 そこに優奈と奏ちゃんが含まれていると、俺は嬉しいな。

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