第17話『心あたり』

 日が西へ沈み始める頃。

 奏ちゃんは飲んでいる薬が効いているためか、今はぐっすりと眠っている。微熱程度だったので病院に行くほどではなかった。

 今日は女子テニス部の説明会があったらしい。優奈が今さっき返ってきたところで、着替えたら俺の部屋に来て色々と話を聞くつもりだ。

 俺は手元にある漫画を読みながら優奈が来るのを待つ。待っているこの時間が長く感じるな。逆の立場なら妙に短く感じるけど。

「お兄ちゃん、入っていい?」

 ドアの向こうから優奈の声が聞こえる。

 俺はゆっくりと部屋のドアを開けると、そこには赤を基調としたチェック柄のミニスカートを履き、上には可愛らしいクマの絵がプリントされているパーカーを着た優奈が立っていた。優奈も奏ちゃんと同じくらいに可愛い、うん。

「遅くなっちゃってごめん。部活の説明会があったのを忘れてた。今までは仮入部だったから……」

「気にするな。とにかく入れよ」

「……うん」

 招き入れると、優奈はパソコンデスク用の椅子に座った。

 俺はベッドに腰を下ろす。

 優奈の穿くミニスカートの所為か視線のやり場が制限される。下手すると優奈の太ももが視界に入ってしまうな。

「何そわそわしてるの?」

「してないしてない」

「……まあ、別にいいけど」

「それで、説明会はどうだった? やっぱり人は多かったか?」

「それなりに、ね。やっぱり全国目指したい人もいるみたい」

「まあ、去年の夏のインターハイの時期は風見市も盛り上がってたからな。俺は全く気にしなかったけれど」

「その頃、中学のテニス部の友達の間では、陽山高校に行きたいっていう人ばっかりだったから。他の中学もそうだったみたい」

「インターハイ出場は学校のイメージが相当良くなるからな」

「私、やっていけるかな……」

「優奈らしくないな、好きで部活に入ったんだから……楽しめばいいんだよ。それじゃ甘いかもしれないけど」

「……お兄ちゃんは甘い」

「ご、ごめん」

「でも、そのくらい甘い方がいいのかもね」

 優奈の今の微笑みは何だか余裕がありそうだ。本当にテニスが好きなんだな。

 どうやら、今年の女子テニス部は本気らしいな。いや、毎年どの部活も……特に運動部は本気でやってるだろうけど。

「じゃあ、本題に入ろうか」

「うん」

 その瞬間に、優奈の表情が真剣なものとなる。何か情報でも掴んだのかな。

「まずはそうだな、奏ちゃん自身のことについて誰か言ってた?」

「そうだね……友達から聞いたんだけど、桐谷家は風見市の地主らしいの。だから、結構お金持ちらしいんだって」

 まじか。まあ、奏ちゃんの御両親は海外転勤したけど、きっと親戚の方々がこの風見市に住んでいて、多くの不動産物を所有しているんだろう。

「でも、俺は全く聞いたことのない名字だけどな」

「でもそれは私たちの親の世代までの話で、今は別に風見市内に多く土地を持っているわけじゃないんだって」

「へえ、そうなんだ」

「お金絡みの話だと、奏は特待生で入学したらしいよ」

「……ということは入学金免除ってことか」

「あと、まだあまり時間は経ってないけど、奏は入学した時から友達と接することはあまりなかったの。物静かな女の子って思われるのが大半だったけど、中には他の生徒のことを見下してるじゃないかっていう人もいたみたい」

「それって、まるで奏ちゃんに悪意を持っているような言い方だなぁ」

「でも、話してみると上品だし、顔も可愛いでしょ?」

「まあ、ルックスがいいのは否まない」

「基本は物静かで可愛くて……まあ、ちょっとしたお嬢様みたいな感じに思っている人がほとんどだった」

「なるほどな……」

 確かに、奏ちゃんは口を開かなくても見た目やしぐさだけで、性別を問わずに惹かれる魅力があるからな。おまけに話し方も丁寧だし、性格も優しいし『お嬢様みたいだ』というのは間違っていないだろう。

「今のところ考えられるのは、特待生の奏ちゃんが自分の事を下に見ていると思い込んでいる生徒ってことか」

「う、うん。そうだね」

「……ん? どうした?」

「いや、なんでもないよ」

「じゃあ、次は奏ちゃんが優奈と一緒に住んでいることを知っているかどうかだな」

 俺がそう訊くと、優奈は「ああ、その事なんだけどやっぱり……」と前置きして、

「知っていた人、多かったみたい」

「俺と住んでいることは?」

「お兄ちゃんのことは……その、彼氏なのかなって噂になったぐらいで……」

「な、何だって!」

 驚いてしまったけど、俺は実際に誤解されそうな節を思い出していた。三日前の放課後に奏ちゃんを迎えに教室に行ったことだ。

 あの時、俺は莉奈先生のお姉さんである夏奈先生と話した。その時も俺のすぐ側に奏ちゃんがいた。

 放課後で人は少なかったものの、教室にはまだ生徒は残っていた気がする。

「放課後に奏とお兄ちゃんが一緒にいるのを見て、そう思ったんだって」

「やっぱりそうか。いや、思い当たる節を考えていたら、ちょうどその時のことを思い出して」

「でも、事情を教えたら大丈夫だったから」

「ああ、そうか。ありがとう」

 しかし、俺が礼を言ったにも関わらず、優奈の表情が不機嫌そうに変わっていく。……何故だ、全く分からないぞ。

「どうすればそう思われるのか、そこを個人的に訊きたいところだけどね?」

「普通に迎えに行っただけだ。奏ちゃんは帰り道が分からなかっただろうから。お前も聞いただろ、その日の朝に一緒に帰るって話」

「……あっ、そうだったかな? まあ、それだけだったらいいけどね」

「でもそうか……家に住んでることを知っている人は結構いたか」

「う、うん」

「……そういえば優奈、さっきから様子がおかしいぞ?」

「えっ?」

 奏ちゃんの評判を聞いているときから、優奈の表情はどこか曇っていた。時々、言葉を詰まらせているところが、何かを隠しているように思えてならない。

「な、何でもないよ」

「だったらいいけど。じゃあ、今度は誰か一個人が……奏ちゃんに対して何か言っていたりとかそんな話はあった?」

「……!」

「何でそこで驚くんだよ。俺はそこを一番に訊きたいんだぞ」

「べ、別に……何にもないわよ!」

 怒った表情をして叫ぶことで、何かを隠そうとしているようだけど、俺には丸分かりだ。

「……やっぱり何か隠してるな。それは俺にも言えないことなのか?」

「そんなこと、ないよ……」

 あっさりと隠していたことを認めたな。妹より長く生きている俺には優奈が何か隠しているかどうかも分かるし、その引き出し方だって知っているんだ。

「奏ちゃんを虐めたのが誰であっても、俺は責めるつもりはないから」

「……でも、やっぱり……」

「優奈、もしかしたらお前が知っていることは、優奈にとって信じがたいことかもしれない。でも、それを話しても話さなくても優奈の知っていることも、奏ちゃんが虐められたことも変わらない。大丈夫、俺はちゃんと聞くから。だから、話してみな」

 いつもの強気な優奈もどこかに消えて、言い出すのが恐いのか身体が震えていた。

 俺は優奈の両腕を両手で抑えると、優奈が俺のことを静かに見つめ始める。そして、

「一人の女子のことなんだけどね……」

 俺は優奈の話を黙って聞いた。

 その話の内容は優奈にとって信じたくないと言っても仕方ないと思えた。けれど、俺はその話を知ってしまった。

 奏ちゃんに『彼女』と直接会って、止めてと言わせるのも辛いものがある。優奈に言わせるのも一つの手だけど、今の状態ではそれも無理だろう。

 残るはただ一つ。俺が何とかすることだ。

 辛い話をして気力が大分無くなってきている優奈に、

「なあ、その子のメールアドレス分かるか?」

 俺は優奈に訊いてみる。

「分かるけど……」

「じゃあ教えてくれないか? あと、明日は部活あるんだよな?」

「午前中だけだけどね」

「そうか、分かった。大丈夫、俺が何とかするって」

「……うん、お兄ちゃんに頼っていいよね」

 これは奏ちゃんだけの問題じゃない。優奈も関わっているし、俺も関わっている。

 そして、助けるのは奏ちゃんだけじゃなくて……奏ちゃんと優奈だ。二人を支え、救うことができるのは俺しかいないんだ。

 全ては明日、決着をつけよう。

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