第13話『莉奈の野望』

 翌日の昼休み。

 俺はいつもの通り教室で海堂と昼食を食べていたのだが、莉奈先生の強制送還で俺は再び二人きりにさせられ昼食を中断せざるを得なくなった。

 強制送還されるくらいだから何なのかと思いきや、

『放課後楽しみにしててねっ!』

 という一言で終わってしまった。俺の貴重な昼食の時間を盗らないでくれないだろうか。

 その不満な気持ちを募らせながら教室に戻ってきたところを、松木がピカッ、とフラッシュ焚きながらデジカメで俺を撮ってきた。更に不満が募った。

 海堂はもう昼食を食べ終わっており、俺は自分の席に戻って残りの弁当を一人で再び食べ始める。心なしか、さっきとは違う味に感じる。

「で、先生は何だって?」

「何か放課後を楽しみにしておいてって言われたんだけど」

「何だろうな、部活のこととか?」

「別に俺は何も部活には入っていないし、先生もどこかの部活の顧問をしてそうには思えなかったけどな」

 陽山高校には多くの部活がある。顧問は各部に二、三人いるのだが掛け持ちの先生も中にはいるらしく、常勤でも何の部活も担当していない教師も多いらしい。特に莉奈先生は新任だし、話によるとスポーツは全然できない。よって最低、運動部の顧問になっていることはないと考えているが。

「嫌な予感しかしない……」

「大丈夫、なるようになるって」

「……そういう考え方ってやっぱり必要だと思う」

「だって先の事を悩んだってしょうがないだろ?」

「たしかにそうなんだけど」

 昨日の告白といい、あの人は俺の予想外のことを言ってくるから困る。

 しかし、楽しみにしていてねという話だったが、それは莉奈先生自身が一番楽しみなんじゃないかと勝手に推測する。

 だからこそ、俺は嫌な予感しかしないと言っているんだ。

「いいや、可愛い先生から誘われてるんだから」

「へえ、新垣ってそんなこと言うんだな」

「俺だって男だ。周りからは女子っぽいって言われるけど……」

「分からなくもないが、俺はやっぱり男は男としてしか見れねえな」

「凄く支えられるよ、その言葉」

「だが、お前が男子にも人気があるって理由が何となく分かる気もする」

「何でだ?」

「新垣には悪いが、松木の言っていることも分からなくもないんだ」

「……松木の場合は諦めてるからどうでもいい」

「だがな、世間一般的に言うと新垣の顔立ちは女子に近い。だから、男女問わず人気が出る」

「いかにも、松木が言いそうな言葉だな」

「昨日か一昨日に松木が俺にそう言ったんだよ。それに、俺もそう見えてる」

「あいつめ……」

 何をつまらんことをまともな海堂に吹き込んでるんだよ。

 右手に力がこもる。もし、持っている箸が割り箸だったらきっと折れていただろう。

 今までは許してやっていたが、また何か一つ調子に乗ったことをし始めたら今度こそは武力行使でもしてやろうか。

「これが先生じゃなくて松木だったら、今の気分ならぶっ飛ばしてただろうな」

「話のタネに出してみれば……見てるぞ、こっちの方」

「えっ」

 と、松木の方を向くと彼は慌てて机に突っ伏す。……今の話を聞いていたのだろうか。どうでもいいことだけど。

「ま、先生の誘いだったら断らずにちゃんと行った方がいいだろ」

「ああ、そうだな」

 断ったら可哀想だし。でもまあ、莉奈先生の泣いてる姿も見てみたいものだが。

「ちょっと面白そうだから俺も一緒に行こうかなって思ったんだけど、あいにく部活があってさ」

「バスケに専念したほうがいい。あと、海堂を巻き込みたくないんだ」

「ふうん。巻き込む、ね……。本当に嫌な予感しかしてないんだな、お前は」

「ああ」

「まあ、何があったのか明日にでも聞かせてくれよ」

「……俺の気分がよかったら、な」

 ああ、莉奈先生には悪いけど不安しかない。その所為か食欲も次第に失せてきて、たぶん身体は健康なのに初めて弁当を残した気がした。

 午後の授業も徐々に迫る放課後のことが気になって、ただ板書を写すだけで俺は何も教師の言うことを聞くことはなかった。それか、窓から青空を眺めていた。少しは気晴らしできるだろうと思って。

 海堂の考え方は本当にそうだと思う。どんなに嫌な予感がしても、どんなに気になってもじ何も事態が変わることはなかった。


 そして、あっという間に放課後が訪れた。


 海堂は終礼が終わるとすぐに部活へ行ってしまった。

 俺は掃除当番でいつも通り掃除をして、その時に莉奈先生から、終わったら職員室まで来るように言われた。

 掃除も終わって、一緒の班の人も続々と部活へ行ったり下校したりしていた。そして、いつしか教室の中が蛻の殻と化す。

 俺も教室から出た。この後、用事があることを奏ちゃんに伝えるため、携帯で電話をかける。

『もしもし、隼人さん』

「奏ちゃん、今日は一緒に帰れそうにないんだ。ごめんね」

『……大丈夫です。私も今日は文芸部の説明会があって遅くなってしまうので、隼人さんに電話をかけようかと思っていたところでしたから』

「そうか、ちょっと俺も用事があるから……」

 はあっ、と小さなため息をつく。

『隼人さん。何だか元気がないように聞こえますが……』

「……ううん、何でもないよ」

 ため息が聞こえてしまったのだろうか。それとも、気づかない間に何か想っていたことを吐露してしまったのだろうか。

 それ以前に、俺はそこまでこの先に待ち受けていることに脅威を感じているのか。

「奏ちゃん、帰り道は分かる?」

『はい、昨日の登下校と今日の登校の時に道順は確認しました。もし分からなくなったら、その……隼人さんの携帯の方に電話をしますので』

「うん、そうして。……そういえば、奏ちゃん」

『なんですか?』

「奏ちゃんこそ元気がないように思えるけど……何かあった?」

 俺がそう言うのも、心なしか奏ちゃんの声が弱々しく聞こえていたからだ。いつもよりトーンが低いので尚更だ。

 少し無音の時間が続いたが、

『……別に、何もありませんよ。大丈夫です。でも、ただ……寂しいなって』

 その言葉を言う声は本当に寂しそうな、耳を澄ませないと分からないような微かな声だった。俺と一緒に帰れないのが、そんなに寂しいのかな。

「大丈夫だよ、家に帰れば会えるから」

『……はい』

「部活の説明会、ちゃんと聞いてきな」

『分かりました。それではまたお家で』

「ああ」

 俺から通話を切った。

 寂しそうにしていたが、奏ちゃんはちゃんと目の前のことに向かっている。俺も不安な心境を持って臨んでちゃいけないな。先輩としての面目が立たない。

 俺はバッグを持って職員室へと向かった。

 そこには既に莉奈先生の姿があり、先生の手には俺が見たことのない鍵があった。

「掃除、ご苦労様」

 笑顔で言われても、全然疲れが取れた気がしない。いえ、先生の笑顔はとても花咲いているようで良いんですけどね。

「……ご苦労様って言葉は、先生との件が終わったときに似合いそうな気がしてならないのですが」

「そんなことないよ」

「……本当ですか?」

「そうそう、掃除してお疲れの新垣君にそんな……疲れることなんてさせる酷い先生じゃないよ。いや、目指すつもりだよ」

「目指すつもりなんですか。でも、手短にお願いしますね」

「今から一緒に来てほしいところがあるから、鞄も持って行こうね」

「はい」

 たぶん、行き先は莉奈先生の持っている鍵のところなんだろうけど、どこの鍵なのかは分からなかった。タグとかも見えなかったし。

 俺は莉奈先生の後ろについて歩く。

 しかし、莉奈先生も女子生徒と変わらない背丈なんだな。優奈や奏ちゃんとも変わらないし。そういえば、昨日会ったお姉さんの方も同じくらいの背の高さだった。

 昨日か今日、誰かクラスの男子も言っていたのだが、陽山高校の制服を着た莉奈先生を見てみたいものだ。一見する価値は絶対にあるだろう。

 俺がそんな考えて事をしている最中、莉奈先生は俺の方を向いて、

「そういえば、昨日……お姉ちゃんに会ったんだって?」

「お姉ちゃん? ああ、優奈と奏ちゃんの担任の先生なんですね。驚きました」

「新垣君のこと凄くいいって絶賛してたよ」

「それは先生の方じゃないですか?」

「なっ……そ、そんな訳ないじゃない!」

 何でそこで焦るんだか。それに、俺に『男の娘』として好きだと言っておいて何を否定してるんだか。

「お姉さん……いや、綾瀬夏奈先生が言ってましたよ」

「まったく余計なことを……」

「ですが、いい先生だと思いますよ。これなら、奏ちゃんのことも安心できるんで」

「何だか今の新垣君の言い方って、まるで桐谷さんが何か学校に不安を抱えているみたいじゃない。……おかしいこと言うんだね」

 莉奈先生は奏ちゃんの持っている『未知の病』のことは知らないのだろうか。まあ、知ったところで何もならないし。

 莉奈先生は知らなさそうだから、適当に話を持って行くか。

「いえ、妹と間違えました」

「そういえば、新垣君には妹さんがいたね。それもお姉ちゃんから聞いてる」

「そうですか」

「女子テニス部に入部したんだって? やっぱり女子で運動系なら、この高校ではテニス部なのかな。全国大会にも出場したし」

「彩音……いや、水越がそのことについて嘆いてました」

「水越さんは女子バレー部で活躍中だもんね」

「今までで何度入部しろ、って勧誘されたことか……」

 今でも思い出すだけで腹が立ってくる……いや、それよりも萎えてくる。

「それって、新垣君が? 妹さん?」

「信じてくれないとは思いますが……いえ、先生なら信じますか。俺の方です」

「ちょっとっ! 今の言い方は先生傷つくなぁ……」

「俺に告白してきた人が何言ってるんですか」

「ちょっとっ! こんな所でそんなこと言わないでよ……。恥ずかしいじゃない」

 莉奈先生は気持ちを紛らわすためなのか、単に俺に自分のそんな顔を見られたくなかったのか、自然と早歩きになった。

 気づけば校舎の外に出ていて部室棟の方に向かっていた。遠くにはグラウンドで練習をしているサッカー部や野球部の姿も見える。

 先生の早歩きも段々と収まってきて、たどり着いたのは部室棟の入り口だった。さっき先生が持っていた鍵はこの棟のどこかの空き部屋だろうと容易に推測できた。

 部室棟。主に文化部の部活が入っていて、規模の小さい部活ならこの部室棟に与えられた部屋が拠点となる部活も多い。たぶん、奏ちゃんが説明会に行っている文芸部の部室もこの部室棟の中にあるだろう。

 それにしてもこの部室棟は大きい。空き部屋も存在していて、規模の大きくなった部活は二つ使っているところもあるのだとか。

「この部室棟で何か?」

「まあまあ、黙って私についてきなさい」

「はあ」

 部室棟は三階建てである。

 俺と先生は最上階である三階に上がる。

 一、二階からは電気の点いている部室も多く話し声も聞こえていたが、三階はそんな部室は殆ど無かった。たぶん、先着で入り口に近い一、二階から埋まっていったのだろう。

 そんな三階のとある一室の前に先生は立ち止まり、職員室から出てきたときに持っていた鍵でその部屋の鍵を開けた。

「ここだよ、新垣君」

 部屋の中は数年前に竣工されたということでかなり綺麗であり、長机や椅子などの備品も揃っていた。

 さて、こんな所でいったい綾瀬先生は何をしようというのか。先生の言葉を信じるなら、何か楽しいことが待っているらしいのだが。

「何かここにあるんですか? 楽しいことでも」

「うん」

「しかし、部室棟の三階にはここの部屋みたいな空き部屋がたくさんあるんですよね。まったく、この学校は贅沢に作って……」

「私もこの学校に来たときは敷地がとても広くて驚いちゃった。お姉ちゃんからは聞いていたんだけどね」

「……余計な話はいいです。さあ、先生。ここに来させたのはどうしてですか? そして、何があるんですか」

 俺は静かに問いただす。

 外の世界から締め切られた二人だけの空間というのは一昨日と一緒だった。ただし、今日の方が大分空間は狭い。

 だからなのか、莉奈先生もあの時以上に緊張しているように思えた。夕陽の所為なのか分からないが、顔に出ている赤みがより一層深まっているように見える。

「あのね、私……今から始めようと思うの。新垣君と」

「何かは知りませんが俺を巻き込まないでください」

「黙って聞く!」

 このような言葉に力があるように感じるのは、教師という職業をしている人間の風格からなのだろう。さすがに萎縮してしまう。

 だが、そんな風格とは裏腹に目の前に立つのは、明らかに同級生にしか見えない幼き女性だった。

 何だ、一昨日とは違うこの胸騒ぎは。

「それって楽しいことなんですか?」

「……うん」

「それって何ですか?」

「そうだね、二人きりになってやっと言い出せるよ」

 触れる手と手。

そして、莉奈先生は優しく俺の手を掴んだ。

 はっきりと分かる。俺も普段感じていないこの感情から来ている鼓動と、先生から感じている鼓動が今、同調している。

 お互いの顔を見つめ合う。先生は恥ずかしそうにしている。

 だが、それもほんの一瞬だった。


「ラノベ部を作ることに決めました!」


 部屋中に響いた莉奈先生の声に、俺は何も反応できない。もしかしたら、今の言葉は空耳じゃないかという疑いの余地があるからだ。

「あの、よく聞こえなかったんですが……」

「だから、部活を作るの!」

「……」

 何を言ってるんだ、この人は。

 もちろん、俺の出す答えは決まっている。

「そういう話なら俺はもう帰ります」

「そうはいかないよ!」

 背後から聞こえてくる男の声。思わず背筋が震え上がってしまう。

 この声は紛れもなく、

「松木……おまえ、帰ってなかったのか」

「帰るわけがないじゃないか。それにしても、先生……随分と待っちゃいましたよ、ボク。ふ、ふふふっ……」

 不気味な笑いを展開する松木が出てくるなんて想像もしなかった。ますます帰りたくなったぞ。

 だけど、松木はどうやっても返してくれなそうだ。秘めたる力を発揮しそうだからな、こいつは。オタクが故の愛する物への執着心から湧き上がる力ってやつを。

 って、何を言ってるんだろうな、俺は。

「ごめんね、松木君」

「いったいどういうことなんですか。莉奈先生と松木は共犯というのは間違いないと思いますけど」

「共犯なんて悪そうに言ってくれるね、新垣君は。でも、可愛いから許す!」

 彩音とかに言われるならまだしも、松木に可愛いと言われると迷わず殺意が芽生えてくるな。その証拠に、俺の右手が震えている。

 ていうか、実際に悪いじゃないか。楽しみにしていてねって先生は言ってたのに、実際は俺の嫌な予感が更に悪い方へ的中してしまう形となった。俺は一切楽しくないし、何か危害を加えられそうで恐ろしい。いっそのこと、詐欺罪として訴えてやりたい。

「それで、どうやってこの話までこぎ着けたんですか?」

「新垣君に告白した時に言ってたよね。ラノベと男の娘は松木君の好みだって。あの後、彼の家に電話をかけて、ラノベ部発足の話を持ちかけたの」

 そんなことで生徒の家に電話をかける教師っていかがなものかと。もはや、この二人の関係は『教師と生徒』ではないだろう。

「三次元の女性にはあんまり興味ないんだけどね、担任の綾瀬先生の頼みなら日頃お世話になっているから聞かないわけにはいかないからね。それで、先生との話し合いの結果、この部室を借りてラノベ部発足を決めたんだ」

「……その良心を俺の方へ向けてくれないのか」

「でも、部員が足りないからね。とりあえず、新垣君を誘おうと思って綾瀬先生にここへ連れてくるように頼んだわけ。ボクが誘っても来ないでしょ?」

「絶対に来ねえよ!」

「ああ……! この胸刺す言葉がすごくいい!」

 松木は自分自身の身体を抱いて、激しく悶えている。

 やばい。これは本格的に何かやばいことになりそうだ。何かここから逃げる手段がないのだろうか。

「俺はこの部に入るつもりはありません。あと、先生と松木の目的はこの部を利用して俺に何かをさせることですよね?」

「そ、そそそんなわけないよ……ね? 松木君」

「あ、あああ当たり前じゃないですか……」

 図星だったことが呆れるほどに態度に出てしまっている。まあ、莉奈先生と松木という組み合わせが分かった時点でこの部活が鬼門であることは分かっていたけど。

「二人とも、一昨日に言ったじゃないですか。俺は二人の作品には協力しないと。まあ、松木の方は勝手に俺の写真を撮ってるけど」

「あれは同人誌の参考にしたかったから……」

「それに、俺は小説なんて書ける能力はないし……ラノベも少ししか読まないんですよ。だから、俺に書けと言われても魅力ある話なんて――」

「大丈夫だよ! ラノベ部なんて名前だけで実際はよろずなんだからっ!」

 莉奈先生に可愛く言われても俺は嫌だ。

 俺のテンションは下がる一途を辿っているのに、この二人は逆に上がる一途を辿っている。こうなってしまった今、俺は諦める以外に道はないのか?

「よろずって……俺は何もしませんよ。協力する気も全くありませんし」

「いいよいいよ、新垣君には例えばメイド服とか……げふんげふん、色々と参考にする写真のために被写体になってもらえばいいから」

「今、物凄く嫌なワードが聞こえた気がしたんだけど……」

「ボクは何も変なことは言ってないよ? 何だったらここの女子の制服でもいいから」

「ああ、それいいね!」

「そうと決まれば近く、取り寄せてもらえませんか?」

「分かったわ!」

 何だよこの二人……変に息が合っているじゃないか。やはり、この二人を同じ視界の中に入れてはならないんだな、よく分かったぞ。

「俺に人権はないのか?」

「大丈夫だって、報酬だったらたんまりあげるから」

「そういう問題じゃない! 俺の意見を聞かないでそんなことを勝手に決めるな! 第一にうちの高校は部活を始めるためには部員が五人必要なんだぞ」

「えええっ! そ、そうなの?」

 どうやら莉奈先生、勢いだけでここまで事を進めてしまったらしいな。大抵の生徒は生徒手帳に書いてあるこの校則を知らないだろう。

「それに顧問……は先生がやる気らしいので問題はありませんが、俺を抜きにしてあと四人は生徒が必要なんですよ」

「どうしますか……先生」

「そんなこと、知らなかったよ……」

 普通、どの高校でも部活を始めるには、最低三人から五人くらいの生徒は必要だと思うけれど。

 でも、これでこの状況から逃げることができそうだ。

「でもね、私……やっぱりラノベ書きたいよ」

「先生……」

「本当に新垣君と会って私、考えてるの。教師として仕事にもまっとうしたいし、でも学生時代にやりきれなかったラノベを書くこともまたやりたくなっちゃって……」

 これも演技なのかと疑っていたのだが、どうやら本当のようだ。先生、今にも泣きそうになってるぞ。それもガチで。

「諦めたくないよ、新垣君……」

 何だか莉奈先生が食べ物を求める飢えた少女のようにしか見えない。

「新垣君、もうボクはこの部がなくてもいいから……どうにか先生のことを何とかさせることはできないか?」

「松木……」

「下心なんて無いよ、僕は人を泣かせることだけはしない」

 今までの悪行からして信じることを容易くすることはないが、確かにある一定の所で止めている。それは分かっている。

「できない理由というのは、時間がないからですか?」

「そういう訳じゃないの。でも、教師って職業だとラノベを書くなんてみっともないように自分で感じちゃって……」

「みっともないなんてことはないです。それならこの学校にそんな場所を作ればいい!」

「だったら、新垣君! この部活に入ってよ! それで、私と一緒に面白い話を作っていこうよ……」

 莉奈先生は俺の手をぎゅっ、と握りしめながらそう言った。

「……」

 先生の気持ちはいたいほどに分かる。

 しかし、ラノベ部を作ることになるとしたら発足までには時間がかかるだろう。でも、今すぐに何か動かないと莉奈先生はきっと満足しない。

 どうするべきか……。俺は必死に考えた。

 そして思い出す、あの会誌を。たしかあの中には……。

「……文芸部の中に作ればいいんじゃないでしょうか」

「えっ……?」

「先生は今年、ここに新任として来たばかりですから存じてないかもしれません。ここの文芸部は定期的に会誌を部室棟の入り口に置いてあるんです」

「それが、なに……?」

「その会誌は部員の書いた短編集で、その中にはラノベのような作品もあったりするんです。文芸部の中にはきっと、ラノベを書きたい部員もいるはずです。可能性は薄いですけど、文芸部の顧問の先生にこの話を持ちかけるのはどうですか?」

「つまり、文芸部の中にラノベ支部とかラノベ班みたいなものを作ればいいってこと?」

「そういうことです。ラノベを読む高校生はそれなりにいると思いますし、ラノベを書く場所という需要もあると思います。な、いい考えだろ? 松木」

「あ、ああ……! 新垣君の言うその考えは至高の案だと思うよ!」

 俺と話を合わせるために、全力で松木は俺の案に賛同している。まあ、どんな状況でも俺が言えば賛同しそうだけどな、こいつは。

「先生、そうしてみませんか?」

「新垣君……」

「もしその案が通ったら、俺も時々遊びに来るんで。それでいいですか?」

「……部員になってくれないのは残念だけど、それが一番いいのかもしれないね」

 良かった、何とか納得してくれたか。

「松木も案が通れば文芸部に入ればいいじゃないか」

「僕はね……描く方が書く方より得意だから。まあ、別にいいかな……気が向いたら新垣君、ボクと一緒に行こう」

「それは断る」

「何でなのさあああっ!」

 別に松木は学校外で活動してるからいいだろうが。それに、いつも俺のことを写真に撮ってるくらいなんだからネタが切れるなんてないだろ。きっと色々と俺を使って妄想でもしていそうな気がする。

「……うふふっ」

「先生?」

「何だか新垣君と松木君ってなんだかんだいい友達同士なんだね」

「そうなんですよ!」

「……何で俺の手を掴んでるんだ」

「うわっ! ボク、もしかしたら初めて触ったかもしれない……! 今の感触をもう一度感じていいかな? ねえ、ぐはっ!」

 さすがに調子に乗りすぎだろと思い、松木の腹部に一発拳を入れた。それに、俺は松木のことを友人だと思ったことは一度もない。

 そんな状況を見ている先生は横で笑っていた。

「俺と握手したければ、握手券でも買ってこい」

「くそっ……!」

「そこで本気で悔しがるな!」

「まあいいよ、そんな怒っている新垣君に萌えだっ! デジカメに一枚収めさせてくれ! 一生のお願いだから!」

 何だ、このカメラマン魂みたいなものは。

 俺は何もできずに松木にデジカメでいつものように写真を撮られた。

 つうか、一生のお願いほどくだらない嘘はない気がする。

「新垣君、ありがとう。何だか元気出てきたよ」

「……いえ、俺はたいしたことは何もしてないですよ。感謝するなら松木に言ってやってください。きっかけは松木なんですから」

「新垣君……何て君は優しいんだ!」

 うううっ、その輝かせた目線はやめていただきたいものだ。

「俺は思ったことを言っているだけだ。俺はただ……先生のやりたい活動が学校でできるかもしれない可能性を示しただけです」

「そっか、優しいんだね。やっぱり」

「……俺は決して優しいなんて思ってことはないですよ。周りの人たちばかりがそう言うだけで、一時期……俺はそれに苦しんだことがあるんで」

「ごめん、そんな風に思ってたなんて……」

「いえいえ、今は全然気にしてませんよ」

「……じゃあ、優しいね! 新垣君!」

「先生は本当に先生なのか分からないくらいに……元気ですね」

「元気だけが取り柄だからね!」

「そこは……胸を張って言うことじゃないと思います」

「それもそうだよね、じゃあ……今日はこの辺で解散! 私、後で文芸部の顧問の先生にこの話をしてみるね」

「いい返答が貰えると良いですね」

「じゃあ、また明日!」

 莉奈先生は俺と松木に向かって手を振りながら部屋を出た。先ほどの涙はどこへ消えたのか、その時の笑顔はひときわ輝いていた。

 そんな輝かしい人もいれば、俺の背後に今日はもう顔もあまり見たくない少し淀んでいる人間が立っていた。

「新垣君、二人きりだね……ボクといい事しようか。ふ、ふふふっ……」

「俺はもう帰る、暗くなってきたしな」

「そんなあっ。暗くなってきたなんて最高じゃないか!」

「それはお前だけだろ!」

 意外と本気で怒れて、まともに聞いてくれる奴は松木が初めてかもしれない。そう思うと、何だか微笑ましいな。

「あああっ……ボクを虐めて笑ってるなんて、新垣君はやっぱりSなんだ。まあ、ボクは君に対してはMだから気にしないけどね!」

「……じゃあな、また明日」

「ちょっと待ってよ! せめて正門までは一緒に帰ろうよ……!」

「何だか変な声が聞こえるな。空耳かな、これは」

「そんなっ! 無視しないでぇ……!」

 その後は松木の言うとおり正門まで一緒に歩き……松木は電車を使って通学しているので校門を出ると、俺と反対側で駅の方へと歩いて行った。

 俺も帰路につく。

 夕陽も大分沈んできて薄暗くなってきたところだ。春の夕方はまだまだ寒いな、少し震えてしまった。

 まあ、ラノベ部の件に関して一点の光が宿っただけよしとしておこう。あの提案なら、俺も巻き込まれそうにないし、莉奈先生の希望が叶う可能性もありそうだし。

 全てが平和に進めばいいなと、黒色に変わっていく空を見ながら思ったのだった。

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