第12話『1年2組』

 二階には一年生の教室がある。そのためか、廊下にいる生徒も何だか幼く見える。一年二組へと向かうのだが、こちらを見てくる生徒がそれなりにいる。なんだ、上級生が来るのがそんなに珍しいのか。

 視線を感じまくったのだが、俺はそんな状況を耐えて二組の教室の前に立った。

 さすがに終礼は終わっていたようで、教室の中を覗くと掃除も大分終わっているようだった。これなら中に入っても大丈夫だろう。

 奏ちゃんの姿を見つけて、

「奏ちゃん」

 と、俺は彼女の名前を呼ぶと、奏ちゃんが俺の声に気づいたらしくバッグを持って、笑顔でこちらの方にやってきた。

「ごめんね、掃除当番で遅れちゃったよ」

「いいえ、隼人さん。お疲れ様です」

「ありがとう」

 うん、この優しい笑顔には癒されるな。

「隼人さん。あの……宜しければ、帰る途中に寄りたいところがあるのですが」

「おっ、別にいいけど……どこに寄りたいの?」

「隼人さんと昨日お話しして……中古のCDショップでピアノ曲が入っているCDが欲しくなったのであの、一緒に行ってもらってもいいですか?」

 奏ちゃんは控え目にそう言った。

 確かに、ピアノ曲などのCDは中古でも良質の作品が多いからな。それに、ピアノ曲が収録されているのはアルバムとして売られている作品が多いから、中古の店で買った方が絶対にお得だ。中古で構わない、という前提だけど。

 俺は割とCDに関しては中古でも構わないので、

「俺も奏ちゃんと話して、何かピアノ曲を聴きたくなったんだよな。じゃあ、駅前のショップにでも行ってみようか」

 そう快諾すると、奏ちゃんは喜んだ表情をして、

「はいっ!」

 と、嬉しそうな声色で返事をしてくれた。

 ピアノはもうあまり弾かないと言いながらも、音楽好きなのはずっと変わらない……か。ピアノ曲は疲れたときに聴くと結構癒されるんだよな。

 久しぶりにショップの棚をあさるのもいいかもしれない。

「……あなたは?」

 その声がする方向に顔を向けると、大人の女性……きっと、このクラスの担任の先生であろう人が無表情でこちらに歩いてくる。しかし、この人どこかで見覚えがあるような。

「新垣隼人です」

「そうですか、あなたが例の……。いえ、妹が大絶賛していたのでどんな方なのか会いたかったの」

「妹さん……この学校の人なんですか?」

「ええ」

「気づかなかったですね。妹さんが俺と同級生だなんて」

「何を言っているんですか?」

「……はい?」

 女性は何をまぬけなことを、と言わんばかりの表情をしている。

「妹はあなたの担任をしているんですよ」

「な、なんですって! ということはあなた……綾瀬先生のお姉さん?」

「その通りです。一年二組の担任、そして莉奈の姉の綾瀬夏奈あやせなつなといいます」

 こりゃたまげたな。似ているとは思っていたんだけど、まさか姉妹で陽山高校の教師をしているとは。

「ええと……その、妹と奏ちゃん……いえ、桐谷さんがお世話になってます」

「桐谷さんの呼び方はあなたの呼びやすい言い方で構いません。あと、妹の莉奈がお世話になっています」

「とんでもないです」

 俺は笑ってそう言った。

 ちなみに、今の「とんでもないです」というのは、昨日の放課後のことも含めて言ったまでだ。

 それにしても顔立ちは綾瀬先生と同じくらいに可愛らしいけれど、何だか……堅そうな人だな夏奈先生は。眼鏡もかけているし。

「ちなみに先生は何の教科を教えているんですか?」

「数学です」

 眼鏡を動かしながら、きっぱりと答えた。数学とはイメージ通りだ。

「とってもお似合いですね」

「……どういう意味で言っているんですか?」

「いえ、理系の教科を教える女性は素敵だな……と思っただけです。特に先生みたいな女性は。莉奈先生とは方向が違うんですね」

「ば、ばかっ……。そういう風に言われると、て、照れるじゃないですか」

 どうやら、夏奈先生は少しでも褒められると意外と崩れやすい人なのかもな。

 普段はこういう風に人を試すことはしないのだが。夏奈先生が思わぬ反応を見せてくれているので、何だか面白い。

 夏奈先生は俺から目線を逸らして、軽く握る右手を口元に当てている。

「こほんっ。え、ええと……妹の言うだけの生徒ではありますね」

「いえいえ、褒められるほどじゃないです」

「それで、桐谷さんの引っ越しの方は落ち着きましたか?」

「ええ、実は俺……莉奈先生から何も聞かされていなくて、荷物が来たときにはけっこう戸惑ったんですが、優奈と奏ちゃんと三人で頑張ったら何とか終わりました」

「そうですか、良かった……。いえ、こういうのは私も初めてで。昨日はちゃんと桐谷さんは引っ越せたのかどうか、昨晩はそれが気になってあまり眠れなくて」

「大丈夫です。優奈ちゃんと隼人さんがいたので」

「そう……。なら良かったわね、桐谷さん」

 夏奈先生は一見すると少し冷たそうに見えるけれど本当は思いやりのある人で、気になることがあると意外と頭からなかなか離れないタイプなんだな。違う部分もあれば同じ部分もたくさんある姉妹だ。

「新垣君」

「はい」

「私からも桐谷さんのこと……宜しくお願いします」

「……分かりました」

 俺がそう言うと夏奈先生は……軽くお辞儀をして教室を出て行った。廊下から幾度とさようなら、と聞こえることから妹と同様に、生徒からある程度の人気はあるんだな。

「隼人さんの担任の先生は、綾瀬先生の妹さんだったんですね……」

「何だか凄い偶然が重なり合ってるね」

「そうですね、ちょっとおかしいくらいに」

 俺と奏ちゃんは笑い合う。

 偶然というのは恐ろしくもあり、面白いんだな。妹の担任が俺の担任の姉。担任が逆だったらある意味綺麗に収まっていたな。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

「そうですね」

 思いがけない人物と話すことになったけど、優奈と奏ちゃんの担任の先生はいい人らしくて良かった。姉だけあってしっかりしていそうだし。

 俺と奏ちゃんは廊下に出る。生徒も続々と帰っていて、廊下に残っている生徒も少なくなっていた。

「そういえば、奏ちゃん。携帯の番号とメアドの交換してなかったね」

「あっ! すみません……忘れてました。昨日、夕ご飯の前に優奈ちゃんとは交換したのですが、隼人さんとはまだでしたね」

「もしかしたら必要ないかもしれないけど、ね」

「ど、どうしてですか?」

「……一緒にいるから、かな?」

「はうっ!」

 どぎまぎしてしまった奏ちゃんは、慌てながらも赤色の携帯電話を取り出す。お互いの赤外線ポートを当てて送信、そして受信……っと。

 俺の携帯の電話帳に『桐谷奏』が加わった。今の時代は携帯がないと色々と不便なことも多い。昔はなくても何とかなったらしいのだが。

 奏ちゃんとの約束通り、学校を出ると一緒に中古のCDショップに行って一緒にCDを試聴したりとそれは楽しい放課後の時間を過ごした。

 奏ちゃんが前から欲しかったらしいCDが偶然にも見つかって、手に入れたときの奏ちゃんの笑顔は何とも幸せそうだった。

 まさかこんな子が病気持ちだなんて、そのことを知っている俺も忘れて……時にはそれが信じられないくらいに奏ちゃんは俺に明るく振る舞っていた。

 そんな奏ちゃんを見る限り、俺は明日も明後日も……ずっと先も奏ちゃんが笑顔でいられると思った。

 そう信じていた。

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