第11話『親友の存在』

 一日なんてあっという間だ。

 いつもと変わらないほどそう思ってしまう。


 学校に着いてからは特に変なこともなく、強いて言えば再び綾瀬先生と二人きりになって話をしたけど、内容は奏ちゃんの引っ越しの件だった。忘れていてごめんなさい……と。まあ、当然のことであるが俺は許した。

 松木からのシャッター攻撃も徐々に気にならなくなってきて、今日も残りは終礼、その後掃除をして奏ちゃんを迎えに行くだけだ。

「新垣」

「なんだ?」

「今日俺、部活無いんだよな。一緒に帰らないか?」

 確かに海堂の荷物は普通のバッグだけで、部活用のエナメルバッグはなかった。たぶん、海堂にとっては滅多にないオフの日なのだろうが……。

「すまない、海堂。今日は用事があるんだ」

「そうか……例の女の子か?」

「そうそう……って、何で知ってるんだよ!」

「いや、今朝の朝練が終わってここの棟に来るときにおまえの姿見かけてさ。呼ぼうと思ったら妹さんと水越と……何だか知らない女子がお前の側にいるじゃないか」

「ああ、優奈と同じクラスメイトなんだよ」

「おいおい、可愛い妹さんがいるっていうのに彼女なんて作ってどうするんだよ」

「言っておくが彼女じゃない。色々と複雑な事情があるんだ」

「複雑な事情ねぇ……」

 ちなみに、今日……奏ちゃんが家で住み始めたと言ったのは彩音だけだ。しかし、あれから彩音にこのことを無駄に言いふらすなと言っておいたので、知っている人間はたぶんほとんどいないはずなのだが……。

 海堂……こいつだけには言っておいた方がいいのだろうか。

「まあ、その子の両親が海外に転勤しちゃってさ……。俺の父さんが知り合いだったみたいで、家で預かることになったんだ」

 俺がそう言うと、海堂は無表情のまま、

「そりゃ大変だな」

 と、淡々と言った。

「……何だか普通の反応だな」

「それ以外に言えることなんてないだろ。俺が預かったわけじゃねえんだから」

「……初めてまともに言ってくれる人間に出会った」

「どれだけ普通の人間に恵まれていないんだよ、お前は……」

 といっても、まともに言ってくれない奴が彩音くらいしか思いつかなかったのだが。とにかく、何も騒がずに普通に対処してくれる人間がいてくれて良かった。

「でも、松木ってこの手の話も好きそうな気がするぜ」

「ああ……。彼の耳だけには通さない方がいいな」

 と、俺たちは隣同士の席笑いながら話していたら……地獄耳というやつなのか、松木がそれに反応したようにデジカメを持ってこちらにやってきた。

「ね? ね? 今、ボクのこと話してなかった?」

「無視して話そうぜ、新垣」

「そうだな」

「ちょっと何なのさ! そういう時っていつもボクにとってブヒることのできる大好物なネタが潜んでいるんだよ。ねえ! そうなんでしょ!」

「そういえば、昨日のバスケの生中継みたか?」

「ああ、俺その時間はギター弾いてたわ……」

「ちょっとおおおっ!」

 ああ、うるさいなと思いつつも、松木のことを無視して喋るのも何だかやりづらい。

 松木は泣きながらが狂いそうであっても、俺の方にレンズを向けてシャッターを押している。その技術と精神をいい方向へと使えないのか。

 この人間に話すと後々何が起きるのか分からなくなるので、できるだけ奏ちゃんの存在を知って欲しくない。

「なになに? 二人ともサディスティックな人間だったの! 確かにボクは多少マゾな要素を秘めているけどね……。なにぃ? もしかして、ボクだけに……ボクだけにサディスティックになっているのかい?」

「……あのな、マゾだったら泣くんじゃねえよ。むしろ悶えるべきだろうが」

「ぐおっ!」

 もっとも妥当なことを海堂は言ってくれたな。今以上に海堂のことを友人としていてくれて良かったと思ったことはない。

 それに対して松木はというと……何だ、胸に手を押さえて抱え込んでいるぞ。相当ショックだったんだな、今の言葉に。

「い、今のはね……結構僕にも応えたよ」

「それにマゾだったらそういう言葉で快感なんだろ」

「海堂君……確かにね、僕はマゾだよ?」

 マゾだと認めたか。つうか、認めてしまうのか。

「で、でもね……それは女の子に対してだけなんだよ? 分かる? 海堂君なんかには絶対に分からないよね!」

「決して分かりたくないな」

「ああ、想像するだけで萌えるっ! でも、新垣君だけは特別だから。そうだ、今から動画撮るからぜひ、ボクを罵ってください!」

「別に俺は罵るのが趣味じゃないし、第一に俺はSでもないからな……」

「そんなあっ……」

 何だかやけに松木のメガネが光るな。それは涙の所為だったりして。

 そんな様子を前にして、海堂は俺の耳元で、

「新垣、こいつMなんだろ? だったら、新垣が松木の要求を断り続ければ、それこそ最高にあいつは喜ぶんじゃないのか?」

「……無茶苦茶なこと言うな。人間、そう上手くいかないだろ」

「いい案だと思ったんだけどな……」

「とにかくそっとしておこうぜ。別に終礼が終われば俺にストーカーしてくる訳じゃないし、もうこれで勘弁しておこう」

「新垣がそう言うならこのくらいにしてやるか。意外と今の松木を見てると、爽快感が湧くんだけどな」

 その言い方だと、どうやら今のことを海堂は楽しんでいたらしいな。松木の言う通り、海堂は松木に対してはかなりSかもしれない。

「ほら、そろそろ先生来るから席にでも戻れよ」

「ああ、分かったよ……」

 すんなりと海堂の言うことを聞き、松木は自分の席へと戻っていった。やれやれ、今のやり取りでどっと疲れてしまった。

 どうにか松木に奏ちゃんの存在を知られずに済んだ。たぶん、放課後は俺のことをつきまとうことはないから大丈夫だろう。

「そうか。じゃあ今日はその子と一緒に帰るわけだ」

「そうだな」

「じゃあ、美月と一緒に三人で帰ろうかと思ったんだが……いいか」

「小鳥遊も今日は部活ないのか?」

「ああ、今日は何か用事のある職員が多いらしくてさ……。うちの顧問も吹奏楽部の顧問も今日は出張でいないんだよ」

「そうか……じゃあ、二人きりで帰れよ」

 二人は何かと良い雰囲気を持っていそうだからな。俺が気を遣ってそう言うと、

「そうするかな」

 あっさりと、海堂は爽やかな笑みを浮かべながらそう言った。

「……二人きりで帰れるなんていいんじゃないか? 小鳥遊、お前と良く話してるし」

「そうだな。どうしてなのかは分からないが……クラスの女子の中じゃ、あいつと話すのが一番楽しく感じるんだよな」

「ふうん、そうなんだ」

 これはもしかしたら、もう海堂と小鳥遊はなかなかいい関係かもしれないな。互いに気づかないだけで。

 別に俺はそれをはやし立てることもしない。穏便に進められたらと思う。まあ、こう思っていて実はまるっきり違っていたら恥ずかしいけどな。

「何だか放課後が楽しみになってきたぞ」

「……良かったな、海堂」

 そんな談話が切り良く終わったときに綾瀬先生が教室に入ってきた。俺に対する特別な笑みは少しずつなくなってきている。これなら平等に関心を向けることができていきそうだな。

 普段と変わらない終礼が終わって、俺は掃除当番なので机を後ろに下げた後、ほうきを掃除用具の入っているロッカーから取り出す。

 部活のある生徒はすぐに教室を出てしまい、下校する生徒がちらほらと残っている状況。そんな中、海堂は小鳥遊と帰ろうとしていた。

「じゃあね、新垣君」

「ああ、じゃあな。小鳥遊」

「じゃあな。掃除、頑張れよ」

「……おまえも色々と頑張れよ、海堂」

「ああ」

 海堂はそう答えたものの、何を頑張ってほしいのかをあいつは分かっているのだろうか。分かったなら、頑張ってほしい。

 松木は俺に対して「また明日」と言うと、デジカメでまた写真を撮りやがった。これからはこれが別れの挨拶になるのかもしれない。

 昨日よりも早く掃除が終わり、綾瀬先生に「さようなら」と言って俺は奏ちゃんのいる一年二組へと向かった。

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