第6話『荷物整理』

 俺は今、奏ちゃんの部屋となる所にいる。

 ベッドと箪笥、本棚、机という大きな家具だけが既に置かれており、最低限の生活をするには少し荷物を持ってくれば大丈夫な感じになっている。

 奏ちゃんの御両親がいなくなってから奏ちゃんは涙ぐんでそれっきりだった。

 二十分くらい経って、ようやく涙は止まり元気になってきたところだ。

「それにしても奏と一緒に住めるなんてね……」

「おっ、さっそく仲良くなったのか?」

「あ、当たり前でしょ。同じクラスメイトだし……それに、一緒に住もうっていうのに仲が悪かったら奏に悪いじゃない」

「そりゃそうだな」

 一緒に住もうとするのに『桐谷さん』じゃおかしいもんな。

「まったく、私はお兄ちゃんの方が心配よ」

「……どういうことだ?」

「だって、その……奏に手を出さないかどうか心配で」

 まあ、同じ高校に通っている女子と同居なんて、それは夢物語だと語る男子はいるだろう。しかも、後輩というのはもっと夢物語かもしれないな。

 そうなると、何か善からぬ事を考える男子もいるかもしれない。

 だが、俺は……。

「手なんか出すわけないだろ」

 元からその気はないが、御両親に会ってしまってはそんな気も失せるだろう、普通は。

「現に優奈にも手を出してないだろ?」

「なっ、なっ、なっ! 何言ってんのよ!」

「だから安心しろ」

 何だか優奈の頭の上から湯気が立っているように見えるな。

 優奈は正気を保てなくなっており、頬を赤くしてただただ「あうっ、あうっ……」と唸っている。

「やれやれ」

 俺達兄妹の今のやりとりを見ていた奏ちゃんは上品にくすっ、と笑っていた。

「優奈ちゃんも隼人さんも楽しそうですね」

「まあ、普段からこんな感じだよ」

 優奈が狼狽えていること以外は、な。

「ほらほら、優奈も奏ちゃんにこんな所見られてちゃ恥ずかしいだろ」

「……そうさせたのはどこの誰?」

「……俺だな」

「もう。まあ……こんなお兄ちゃんでごめんね、奏」

「気にしてないよ、優奈ちゃん」

 奏ちゃんに話しかけるときの優奈の表情は優しいものになっていた。まあ、奏ちゃんから優しい雰囲気が漂ってくるから、それが優奈にも伝わったのだろう。

 三人だったら意外とやっていけるのかもしれないな。

「優奈、奏ちゃん。とりあえず、まずはさっき届いた荷物を整理しよう」

「分かった」

「分かりました」

「俺が荷物を二階まで運んでくるから、二人は荷物の整理をして。奏ちゃんがどこにどれを置くかを考えて二人でやるんだ。それでいいかな?」

「お兄ちゃんも荷物運び終わったら手伝ってよね!」

「分かってる。じゃあ、始めるか!」

 さっそく、三人の共同作業に入った。

 力仕事はやはり男である俺がやらなければと思い、シロクマの引っ越し屋のマークが入っているダンボール箱を運んでいるのだが、つ、辛い。

 特に階段を登るときがなかなか辛く、重いダンボールの時には途中で足が止まってしまったりと体力の無さを実感してしまった。

 何だか俺が女の子扱いされるのが多いっていうのが分かった気がする。体つきも女っぽいし、体力なんてそんなにないし。

「お兄ちゃん、とりあえずこのダンボールの中身を出すのを手伝って」

「おう、分かった」

 優奈が指したダンボールのガムテープを剥がし開けてみると……スーパーのレジ袋がたくさん入っている。おそらく、何かを袋ごとにまとめているのだろう。

「何が入っているんだ?」

 恐る恐るその袋の中に手を入れてみると、布地で……優しい手触りである。

 Tシャツなのかなと思いレジ袋から中身をゆっくりと出すと、

「……!」

 中身が見えた瞬間、俺は思わずレジ袋に戻してしまった。

 ――ちょっと待て、なんで今、レースが今見えたんだ?

 レースのカーテンはもう取り付けられている。

 ということは、考えられるのは一つ。

 とりあえず、袋から恐る恐る別の物を出してみると……。やっぱりあれだ、俺には言えない。俺みたいな男には縁のない代物だ。

「よりによってどうして……」

「え? 何か言った?」

「いや、何も言ってない。あの、このダンボール箱はお二方が整理した方がいい代物だと思われるのですが」

「どうして?」

「実際に見て確かめてくれ。そして、俺に怒るなよ」

 俺は出来るだけ前もって優奈に弁論しつつダンボール箱を渡す。

 少し不機嫌な表情を見せる優奈は袋の中身を取り出すとその瞬間、顔を真っ赤に染めるのであった。

「ひゃあっ! それ、私のし、下着ですっ……」

 奏ちゃんがそう叫んだ。

「ご、ごめんね! 俺は決して見たいとか触りたいとか思ってないから。うん、大丈夫だから安心して」

 何だかこれじゃ下心あるような人間の言い訳じゃないか。そして、どうしてこんなに俺は必死に言い訳をしているんだろう。

「隼人さんは疚しいことなんて考えてないって信じてますけど、でも……」

「ああ、本当にごめんね。本当に悪気はないから……」

「でも、隼人さんだったら別にいいですっ!」

 その声の量はさっきよりも大きく感じた。

 だからか、俺は奏ちゃんの言ったことを聞き間違えているのかもしれない。そうであって欲しいと願うのだが、俺は、

「……ちなみにどうして?」

 俺はそっと訊いてみる。まさか、奏ちゃんに下心はないと思うんだけどなぁ。

「だって、私の家の前でぶつかった時も凄く優しかったじゃないですか! だから、その……きっとこの人はいい人なんだなって思って」

 奏ちゃんはそう言うと、下着を素早く箪笥にしまっていく。

 だがその時に見てしまった。いや、見えてしまった。けっこう可愛らしい。

 途中で恥ずかしくなってしまったのか、それでも俺に笑顔を見せようとしているのか、奏ちゃんははにかんだまま下を向いている。

 あと、今、初めてまともな理由でいい人だと言ってもらえた気がする。やっと男として見てくれたって感じ。

「それは、その……ありがと――」

「お兄ちゃん、じゃあ次はそっちの箱開けて」

 俺と奏ちゃんの会話を断ち切るように、優奈が俺にそう指示をした。

「ああ」

 そうだな、荷物整理の手を休めちゃいけないな。

 よし、次は男子が取り扱っても大丈夫な代物でありますように。

 心の中でそう祈りつつ優奈の指さすダンボール箱を開けてみる。すると、またもや中身不明な袋が現れる。……何だか嫌な予感しかしないんですが。

 なかなか手が伸ばしづらい……。しかし、ここで手を止めてしまえばそれもまた嫌な予感しかしない。

 なので、もう消去法でというか自分の中で強引に袋の中身を取り出してみる。

「これは……」

 どうやらこの箱には奏ちゃんの趣味の物が入っている箱らしい。漫画や小説……もう少し探ってみると何かのピアノ曲の楽譜まで入っていた。

「へえ、奏ちゃんって音楽とかもやるんだね」

 俺はその楽譜を手にとって、中身をペラペラとめくっていく。

「高校受験の前まではピアノをやっていたんですけど……なかなか上手くできなくて。その楽譜は私が最後の演奏会でやった曲なんです」

 すると、とあるページに折り目が付いていた。そこに書いてある曲は。

「モーツァルトの『トルコ行進曲』か。何度か聴いたことはあるけれど、あれは結構難しそうな曲じゃ?」

「左手がかなり疲れるんですよ、その曲は」

「そうか……」

 確かに楽譜には色々と鉛筆で書き足されていた。

「たぶん、もう一年以上触っていないので、もうまともには弾けなくなっちゃってますね。今は弾くよりも聴く方が好きになっちゃいました」

「俺はピアノできないからな……ギターは少し弾けるんだけどね」

「素敵ですね!」

 うううっ、奏ちゃんの視線が眩しい。

「いやいや、そんなに上手くないよ。たまにしか弾いてないし、たぶんスコアを見ないとクラシック曲もまともに弾けないと思う」

「あの、あのっ……」

「ん?」

「えっと、そのっ……」

 何かを言いたそうにしているな。まあ、言われる内容は大体想像が付いていたので、

「ああ、今度ギターで何かクラシック曲でも弾いてみようか」

 と、奏ちゃんに言うと、

「あ、ありがとうございます!」

 と、奏ちゃんは嬉しそうに言って頭を下げた。やっぱりそうだったか。

 ギターと言ってもアコースティックギターだし、あんまり上手くないというのは実際に弾けば分かってくれるだろう。

 中学の時にクラシック曲をギターで弾いていた友人の演奏を聴き、気づけば癒されていたことがギターを始めるきっかけだった、というのは今思うといい思い出である。

 そうか、奏ちゃんがピアノをやっていたとなれば、少し音楽で話題を共有できるかもしれないな。覚えておこう。

「なかなか楽しそうにお話ししてるね、二人とも」

 優奈は横で衣服の整理をしていた。ご機嫌斜めな様子である。

「口を動かす前に手を動かしなさい」

「……はい」

「まったくもう。じゃあこれは奏の指示を聞いて本棚とかに整理して」

「……はい」

 ちなみに優奈は完全に聴く専門だ。

 俺が持っているCDを何度か貸して欲しいと言ってきたこともあったし、そのCDの感想も言ってきたこともあったし。

 もしかしたら今の会話に入りたかったのかもしれないな。

 俺は奏ちゃんの指示に従い趣味の物が入っているダンボールから漫画、小説、CDなどを本棚に入れた。

 ダンボール一箱分でもそれなりに量はあった。本棚もなかなか埋まっている。

 部屋は違っても色々と自分の物を置くことでに安心感を得たのか、奏ちゃんは落ち着いているように見える。

 俺や優奈にとっては、奏ちゃんの今まで過ごしていた空間に段々と包まれていくようだった。

 再び俺はダンボール箱を運ぶ作業に入る。けっこう運んだから体力があまり残っていない……。十分弱で全て運び終わった。

 奏ちゃんの部屋の中はすっかりと女の子の部屋と変化していた。ベッドの上にはぬいぐるみや小さめの抱き枕があった。あとドレッサーを運んだりもした。男の俺には今度とも無縁であってほしいものだ。

 始めてからかれこれ二時間弱経っただろうか。ようやく全ての荷物が整理できた。

 これで奏ちゃんの部屋が完成したわけだ。

「隼人さん、優奈ちゃん、ありがとうございましたっ!」

「楽しかったからいいよ! ね? お兄ちゃん」

「あ、ああ……俺は色々と疲れたけどな」

 重い物を運んだわけだからな……もう腕もパンパンだ。しかも、奏ちゃんの下着とかも見てしまったわけで。体力的にも精神的にも疲れた。今日はもう夕飯を食べて寝たい気分だ。

「奏ちゃんの前の部屋はこのくらいの広さだったの?」

「ええ、でもこの部屋の方がいいかもしれません。とても落ち着いていますし、窓からの景色も素敵ですし」

 気を遣ってくれたのか、奏ちゃんはそんな返事をした。

 しかし、部屋の雰囲気を見てみると、俺にとってはちょうど良いように思える。

「そっか、だったら良かったよ」

「そういえばお母さん帰ってくるの遅いね」

「そうだな」

「どこに行ってるんだろうね。まさか映画に行ってるとかそういうことはないよね?」

「さすがにないだろ、奏ちゃんが引っ越してきたっていうのに」

 もし本当にそうだったら、さすがの母さんにでも一発言ってやりたい。もちろん、引っ越しのことを事前に言わなかった件も含めて。

 部屋の時計を見てみると午後七時を回っていた。少し待っても帰ってこなければ、冷蔵庫にある食材で夕飯でも作ることにしよう。

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