第4話『桐谷奏』

 この時期の引っ越しは珍しい気がした。子供が学生なら尚更のことだ。

 春に引っ越しをするなら年度末の三月の方がいい。四月の中旬に引っ越しというのは本当に急な出来事があったからだと思う。

 さっき出会った彼女の顔を思い浮かべながら、ずっとそんなことを考え続けていた。

 俺の父親は外資系の仕事をしていて、今は海外へ単身赴任をしている。なので、転勤による引っ越し……という予定は現状ではない。ちなみに母親は専業主婦だ。

 そろそろ自宅が見える頃だ。三人で住むには広い家が。

「あれはさっきの? どうしてここにいるんだ?」

 俺の家の門前だろうか。そこにはなんと、さっきの彼女と出会った家の前で見た引っ越し業者の大型トラックが止まっていたのだ。

 とにかく、俺はそこまで走る。

 そこにはさっき見かけた若い二人の引っ越し業者が玄関前に立っていた。

「あの、家に何かご用ですか?」

「ああ、ようやく帰ってきましたか……」

「どうかしましたか? 道案内でしたら分かる範囲でしますけど……」

「新垣様のお宅で合っていますね?」

「ええ、俺が新垣ですけど」

 ていうか、それは表札を見れば分かると思うけど。

「それで何かご用ですか?」

「引っ越しの荷物こちらに持ってきました」

「……は?」

「ですから、桐谷様から新垣様のお宅まで荷物をお願いします、って言われているんですよ。新垣様は聞いていませんでしたか?」

「いや、聞いていませんでしたか……ってそういう問題じゃなくて。俺は引っ越しのこと自体を知らないんですけど」

「またまた……ご冗談の上手い方で。本当に知らない顔しちゃって」

 いや、その言葉をそのままそちらにお返ししたいんだけど。ていうか、急に馴れ馴れしくしすぎだろ。

「冗談じゃないですって、本当に知らないんですから」

「でも、確かにここに届けるようにと。ほら、この住所で合っていますよね?」

 困った表情をした業者の人から渡されたメモには、紛れもなく俺の家の住所が書いてあった。

 ということは、この職員達は嘘をついていない。

「ええ、確かに家の住所です」

「分かってくれましたら、この荷物を中に入れていいですか? あと机やベッドや本棚などはこちらが運んでおきますので」

「どこに運べばいいかも分かっているんですか?」

「ええ、この家には二階に空き部屋があると聞いていますので」

「……よくご存じですね」

「当たり前じゃないですか、桐谷様から伺っておりますので」

 桐谷様……何者だ? 家には空き部屋があることまで知っているなんて。

 とにかく、たくさん荷物があると言うことなので、

「分かりました、それではお願いします」

 そういう他はないだろう。

 それにしても『桐谷』……最近どこかで知ったような名字だった気がする。

 それは置いておいて、俺は閉まっている家の鍵を開けた。空き部屋である二階のとある一室の扉を開け電気を点けておいた。

 とにかく今分かることは、今日誰かが俺の家に引っ越してくるということだ。まったく、俺の知らない間に引っ越しが決定なんて勝手すぎるな。

 俺は鞄を自分の部屋に置き、ブレザーを脱いで再び玄関に戻ると二人の業者の職員がベッドを運び入れてきた。やはり大きいな、ベッドは。

 三十分ぐらい、俺は玄関前で立ち尽くしていた。

 時々俺も手伝わされることがあった。男として扱ってくれたみたいで少し嬉しかった。

 空き部屋にベッド、机、小さめの箪笥、本棚が予め決められていたらしい位置に運ばれた。

「お疲れ様です」

「いえいえ、今回は一人分の荷物なのでどうってことないですよ」

「そうですか」

「でも焦りましたよ、あなたが知らないと言い張ってきたときには」

「ははは」

 だから今も何も知らないんだって。

 何だか俺の中で気まずくなったので、台所の冷蔵庫の中にある缶コーヒー二つを業者の人に渡した。

「冷たい飲み物でもどうぞ」

「ありがとうございます。トラックの中でいただきます」

「はい、今日はありがとうございました」

「ええ、また何かありましたらうちの社までご連絡ください! それでは失礼します!」

 業者の人は缶コーヒーを持ってさっさと玄関を出て行く。

 しかし、トラックが発進するのが遅い。

 耳を澄ますと外で何やら会話をしているようだ。業者の人が何か挨拶をしているみたい。しかし、それもすぐに終わってトラックは発進した。

「やれやれ……」

 振り返ると……白いダンボール箱でいっぱいだった。

 間違って通販でたくさん物を買った訳じゃないんだよな。まあ、そっちの方がいけないわけなんだが。

「まったく何なんだよ……」

 しっかし、俺は知らずとも母さんは知っているはずだ。だったらこの時間帯には家にいるのは普通ではなかろうか。

 まあ、業者の人も少し困ったくらいで怒られずに済んで良かった。

「し、失礼しますっ!」

 背後で可愛らしい女の子の声がした。だが、少し声が震えていて高くなっている。

 きっと他人の家に引っ越してくるのだから緊張しているんだろう。

 俺はゆっくりと振り返った。


「あっ、君は……さっきの女の子?」

「あ、あああなたは……さっきの人ですか?」


 黒いセミロングの髪が似合い、茶色い瞳が輝いていて。

 膝丈のスカートに長袖のTシャツを着るさっきの女の子だった。

「あのっ、きょ、今日からここで住まわしてもらうことになりました。そ、その……私、桐谷奏きりたにかなでと申しますっ!」

「きりたにかなで?」

 そうか、『桐谷』ってさっき、彼女と会ったときに表札を見たんだ。

「突然のことで申し訳ありません。ふつつか者ですが今日から、よ、よろしくお願いしますっ!」

「あ、ああ……よろしく」

 この緊張している姿がとても可愛らしい。

 俺の目の前に立っている少女……桐谷奏さんがこの家に住むのか。

「俺の名前は新垣隼人。ええと、陽山高校の二年だ。二年三組」

「二年三組ですか。私は一年二組です。新垣優奈さんと同じクラスなんです」

「ああ、優奈は二組だったか」

「はい……」

 ということは、彼女は俺の妹と知り合いってことか。

「ええと、君のことは何て呼べばいいかな。一緒に住むのに桐谷さんなんて堅苦しいから……奏ちゃんでもいいかな? 君が良ければの話だけど」

「下の名前で全然構いません! 私の方からもその……下の名前で隼人さんと呼んでもよろしいでしょうか?」

 不覚にも今の呼び方に少しどきっとしたな。

 いくら俺が女子っぽい出で立ちだとしても、同年代の男性の前だと……やっぱり緊張してしまうのだろうか。奏ちゃんの身体が震えている。

「ああ、俺は構わない」

「あの、その……素敵な家に住まわせてもらえるなんてその、嬉しいですっ」

「俺にとっては普通の家なんだけどな……」

「そんなことないですって」

 ああ、優しい子なんだな。

 しかしここまでかしこまられると、こっちまでかしこまっちゃうな。俺も何だか敬語で話さなきゃいけない気がしてきた。

 そして、奏ちゃんの後ろには彼女の御両親だと思われる夫婦が立っていた。

「久しぶりだね、隼人君」

 メガネをかけている男性の方からそう言われるけど、俺は全く覚えていない。きっと物心付く前に会ったんだと思うけど。

「はあ、お久しぶりです」

 覚えていないのに言ってしまった。これは失礼だな。

「あの……俺、よく覚えていないんですよね。あと、その類なんですが引っ越しの件も全く知らなかったんですよね」

「何? 君のお父さんにはちゃんと話したんだけどね……」

「父に……ですか?」

「ああ、今回のことを言ったら、『さとみにも話しておく』と言われていたのだが……そうか、聞いていなかったのか」

 さとみとは俺の母親の名前だ。今は多分買い物にでも出かけている。

「すみません」

「いやいや、急な話だったからね。こちらの方がすまないと思っているよ」

「とりあえず上がってください。少しお話ししたいので」

「しっかりしているね。さすがは秀昭の息子だけはあるな」

 秀昭ひであきとは俺の父親の名前だ。

 この人……桐谷さんは俺の父親のことを慕ってくれている人らしい。

 俺はスリッパを三組出して、リビングまで通す。

 長いソファーに桐谷さん夫婦と奏ちゃんが座った。

 俺は冷たい麦茶を三人分用意し、それぞれの前に置いた。

「冷たい飲み物で良かったですか?」

「いやいや、今日はちょっと暑く感じていたからむしろ冷たい方で良かった」

「そうですか」

 お盆をテーブルの上に置き、俺は三人の座っているソファーと向かい側のソファーに座った。

「母が帰ってこないのですが、お時間があるのでしたらそれまで居てもらってもかまいませんけど」

「そうだね……。でも、あまり時間がないから隼人君に話しておくよ」

「そうですか、分かりました」

「私の名前は桐谷利明きりたにとしあき。君のお父さんと同じで外資系の企業で働いているのだが今回、海外へ転勤となってね。あと、隣にいるのが妻の可奈子かなこだ」

「こんにちは」

「は、初めまして……でいいんですかね」

「ええ、失礼なんですが私も初めてな気がしていますの。うふふっ」

 と、可奈子さんは上品に笑っているのだが、ぶっちゃけ覚えてないって事だよな。

「父とはやはり、同じ外資系の職種ということで知り合ったのですか?」

「ああ、彼は私よりも若いのに優秀でね。昔、私の勤める企業と秀昭の勤めている企業で短いけど共同作業する時期があって。その時に知り合ったんだ」

「なるほど……」

「その時は既にお互いに妻子がいてね。昔、何度も家族で会っているから、隼人君と奏も遊んでいたと思うけれど。小さい頃の話だからもう覚えていないかい?」

 俺は奏ちゃんの方を見る。

 すると、奏ちゃんは少し俯いてしまった。もしかして恥ずかしいのかな。

「俺は覚えてないですね。娘さんと会うのは今日が初めてって感じです」

「そうか」

「しかし急ですね、四月のこの時期に転勤だなんて」

「そうだな。まあ、今度私が行くその支社の人間が一人、交通事故で亡くなってしまってね。それで代わりに私が行くことにしたんだ」

「それなら仕方ありませんね」

「国内ならば奏も一緒に連れて行こうかと考えたのだが、さすがに海外となると連れて行くのには不安に感じる」

「まあ、急に英語圏に住むというのは俺でも不安だと思います」

「ああ。でも、奏に一人暮らしをさせることも不安でね。まあ、それは娘を持つ父親としては当然思ってしまうことなのかな」

「まあ、大学生ならともかく高校生ですもんね」

「悩んだ結果、この家に奏を住まわせてもらうことに決めたんだ。同じクラスの優奈さんもいるし、何より隼人君。君という存在があるから、こうなった時には絶対にここに住まわせようって決めていたのだよ」

「……そ、そうですか」

 何かスケールのでかい話だな。奏ちゃんが一緒に住み始めるだけの話なのに。

 確かに優奈が同じクラスメイトというのは心強いだろうけど、それよりもどうして俺を重視するんだろうか。俺に娘を守らせたいとでも言うのか? もしそうだとしたら、俺を過信しないで欲しいと言いたい。

「高校の学費はこちらで負担するし、生活費も秀昭の口座に振り込もうと考えているから金銭面のことでは心配しなくて大丈夫だ」

「はい、分かりました」

「あとはそうだな……。ちょっと折り入った話があるんだが……」

「何ですか?」

「それが、その……だな」

 利明さんが口ごもる。隣の可奈子さんも急に表情が曇り始める。

 そして、奏ちゃんはさっきから緊張している。

「あの、はっきりと言ってもらわないと分からないのですが」

「ちょっとここでは言いづらいことなんだよな、これが」

「言いづらいって何なんですか……」

 俺の中では大方の想像がついている。

 二人の様子から見ると、何だか相当大事な事だと思うけど。しかも、奏ちゃんのことについて。だから、なかなか言えないのだろう。

 そんな時、玄関の開く音が聞こえた。

「ただいま~」

 優奈の声だ。部活を終えて帰ってきたんだろう。

 優奈はリビングの扉を開く。

「おかえり、優奈」

「お兄ちゃん、この人たちは誰なの? あと、そこにいるのは……桐谷さん?」

「こんにちは、新垣さん」

「うん、こんにちは。そっか、来たんだね」

 あれ、何だかやけに落ち着いてるな。

「もしかして、優奈はこのことを知ってたのか?」

「うん、担任の先生から桐谷さんが引っ越してくる……って。まあ、それも今日の昼休みの時に言われて初めて知ったんだけどね」

「俺は教えてくれなかったな……」

 まさか、あの時綾瀬先生が真剣な表情をして俺を一回引き留めたのは、このことを伝えるためだったのか? 結果、先生は忘れていたが。

「あなたが優奈さんですか。奏の父の利明と妻の可奈子です」

「こんにちは」

 おっ、ちゃんとお辞儀をしているな。

「奏が今日からこちらの家で住まわせてもらいますので、宜しくお願いします」

「いえ、こちらこそ」

「奏。ちょっと隼人君と話したいことがあるから、席を外してもらっていいかな?」

「はい」

 奏ちゃんは静かに部屋を出ていく。

 優奈と一緒に二階の部屋にいくように奏ちゃんは指示された。

 そして、リビングには俺と利明さんと可奈子さんだけが残る。

 利明さんはようやく話せると、少し気が楽になっているように思える。

「利明さんが話したいこと。それは、奏ちゃんのことなんですか?」

「鋭いね、さすがは秀昭の息子だけはある」

「別に父さんは関係ないと思いますが。でも、奏ちゃんがいると話しづらい内容なんですよね。あなたの表情を見れば容易く分かることですよ」

「……そうか。君という存在があるからここに住まわせてもらうというのは、実はこれから言うことが関係しているんだ」

 ここまで真剣だと、逆に不安しか生まれないのであった。

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