第3話『帰り道』

 夕日に染まる帰り道を一人で歩いていた。

 楽器屋にでも寄ろうかと思ったけど、行くのが面倒になって代わりに本屋で週刊誌を立ち読みし、チェックしていなかった漫画の新刊を買う。

「帰って早く読もっと」

 買った漫画は最近アニメ化された作品で、松木に熱く勧められた。DVDを勝手に貸され渋々見たのだが、これが意外にも俺の好みに合っていた。

 気づけば新刊が出ているというのは嬉しいもんだな。

 春の夕陽は強いからか、ちょっと暑い。

 俺はブレザーのボタンを全て開け、ワイシャツも第二ボタンまで開け、ネクタイも緩めた。幾らか涼しくなった。

 賑わっている風見駅から数分ほど歩くと、閑静な住宅街へと入る。

 俺達の住んでいる地域は高級住宅街というわけではないけれども、都内へ三十分ちょっとで行ける立地条件の良さや、風見駅を中心とする地元の活性化も進んでいるため、ここ近年人気急上昇の都市である。そのためか、地価も高くなっている。

 近所の家も、どこかの企業の役員であったり、編集社の編集長であったりとそれなりの役職に就き、それなりの年収をもらっている家庭が多い。

「……ん?」

 前方に引っ越し業者のトラック一台止まっている。その手前に少し高級そうな黒い車がある。

「ありがとうございました」

「いえいえ、それではこの荷物はここへ……」

 四十歳前後の夫婦だろうか。引っ越し業者の職員に礼を言っている。

 今の感じだと、ここの家からどこかへ引っ越すのかな?

「それでは宜しくお願いします」

「はい、それではまた後ほど新しい家の所でお会いしましょう」

「分かりました」

 そう言って引っ越し業者の職員はトラックに乗り込み、ゆっくりと発進した。

 そして残った夫婦は家の中へ戻っていく。

「この時期に引っ越しか……まあ、仕事とかで急な転勤でもあったんだろうな」

 とか、勝手な想像をしつつ俺は再び家に向かって歩き出そうとした。が、


「きゃっ!」


 前方から誰かと軽くぶつかった。

 見下ろすと、そこには今朝、彩音が指さした凄く可愛い女の子がいた。

「大丈夫かな?」

「ご、ごごごめんなさいっ!」

 酷くおどおどしている。この子、お嬢様のような上品な雰囲気を持っているし、箱入り娘だったりするのかな。

「大丈夫だよ、俺は。君は大丈夫?」

「は、はい……大丈夫です」

「そうか、だったら良かった」

 すると、女の子は俺の全身を上からずっと見ていく。

「……私の通っている高校の制服ですね」

「君もそうらしいね。今朝、幼なじみが君の事を指さして可愛いって言ってた」

 そう言うと少女は一気に頬を赤くした。そして、頭から湯気が出たように思えた。

「ふえっ? 私、そそそんなに……か、可愛くないですよっ!」

「ごめんね、変なことを言っちゃって」

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 だめだなこりゃ、俺の言葉が耳に入っていないようだ。女の子は我を見失って、激しく狼狽している。

「知らない人から言われちゃ、そりゃ驚くよね」

「いえ、その……私、そんなこと今まで言われたことなかったんで」

 こんなに可愛いのに。謙遜する必要はないと思うけどな。

「そうか……ごめんね。そういえば引っ越しするんだよね、トラックが走り出すのも見えたし。邪魔しちゃったかな」

「いいえ、お邪魔だなんて。あと少しでこの家ともお別れなんです」

「そう、なんだ……」

 彼女と同じ方向を向くと立派な家があった。誰かこの後に住むのだろうか。

 表札を見ると『桐谷』か。知らない名字だな。

「新しい家でも楽しい生活が送れるといいね」

 俺は月並みな言葉を言うが、女の子は寂しい表情を静かに浮かべていた。しょうがないか、今まで住んだところを離れる訳だから。

「……はい」

 今出した一言が、女の子にとっての精一杯の言葉だった気がした。

「それでは失礼します」

「……ああ」

 女の子はゆっくりと家に戻っていった。

 たぶん、彼女にとってこの家での最後の時間を過ごすことになるんだろうな。住み慣れた所から離れるのは、幾つになっても寂しいものだと思う。

 そんなことを思いつつ、俺はゆっくりと家へと歩き始めた。

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