第2話『禁断の告白』

 年度初めの授業は大抵、教える教師の自己紹介で終わる。

 今日も六限あった授業のうち四つが初回授業だったから、それぞれの教師の昔話や趣味の話とかで終わった。

 その中には担任の綾瀬先生も含まれており、新年度初日のホームルームで話したことと同じ内容を熱弁していた。授業中にも関わらず、先生は俺の方をジロジロと見ていた。訳が分からない。

「六限まで授業あるのはやっぱきついな……」

「まあ、年度始めだから俺はきつくなかったけど」

「俺はあれだ、あんな感じの内容を五十分間教壇で話されると眠くなる。だから、今日も盛大に寝てやったよ」

「ああ、確かに化学の先生の昔話はつまらなくて俺も眠たくなった」

 海堂はそんな授業中の睡眠のおかげか、朝よりも顔色がいい。普段から爽やかな顔立ちがさらに爽やかになっている……と言ったら大げさかもしれないけれど、まさにそんな感じだった。

 今日も残すは終礼だけとなり、部活のある生徒は部活で、俺みたいに無所属の生徒は家に帰るかどこかで遊ぶか……。とにかく自由な時間が待っている。

 そして、終礼の時間。

 今度はこけなかった綾瀬先生は元気よく終礼を始めた。

「はい、今日もお疲れ様でした!」

『はーい!』

 まるで修学旅行から帰るバスガイドのような言い方だ。それに対する男子生徒達の返事もワンパターンだし。

「寝ずにちゃんと授業は受けて下さいね。私の授業の時に寝てた人がいたから、ちょっと悲しくなっちゃったよ」

 普通、そこは怒るところだろう。

「はい、明日も平常日程なので六限まであります。あと掃除当番は一班の人なので忘れずに掃除して下さいね」

 掃除当番の班分けは基本、出席番号順だ。番号一番の俺は一班になっている。

 週ごとなので今週はずっと俺は掃除をすることになる。中学まではクラス全員が掃除をしたので何とも思わなかったけど、当番制の掃除になると、やけに掃除というのが面倒なことに感じる。

「それじゃ終礼はこれで終わりにします!」

 そして委員長が「起立! 礼!」と言い、一日の日程が終わった。

 自分の机を後ろに下げていると、綾瀬先生が俺の方に歩み寄ってきた。

「新垣君」

「なんですか?」

 後ろに下がる足取りを止まらせ、俺は綾瀬先生の方に顔を向ける。

「掃除終わったら、ちょっと二人で話したいことがあるんだけど……いいかな」

「ええ、構いませんよ。ちなみにどんな内容で?」

「それは、ここじゃ言えないよ」

 何故か、先生は若干恥ずかしそうにしていた。

「えっと……。その、すいません」

「早く二人きりになって話したいから、掃除早く終わらせちゃおう!」

「……はい」

 先生が俺と二人きりで話したいこと?

 全く想像が付かない。まさかとは思うけど、新年度になってから今日まで感じていたあの視線が何か関係しているのか?

 綾瀬先生が新任で女子と話している姿は、まるで同級生のように会話が弾んでいる。男子にも人気があって。こんな人に俺は二人きりで話したいと言われているのか。

 掃除をしている最中、俺はずっとそのことばかり考えていた。

 話しかけてくれる男子にも女子にも、そっけない返事ばっかりして……。一方的に話してくる女子の話も頭には残っていなかった。

「お疲れ様、みんな」

「それじゃ先生、また明日ね」

「うん、じゃあね」

 手を振り生徒に振り返される先生……本当に人気があるなんだな。

 俺は先生と二人きりになるまで、ずっと窓から空を眺めていた。少しずつ青があかね色へと変わっていく……。

 そして、俺以外の最後の生徒が帰った。

 それから、少しの間沈黙が走る。

「……」

「……」

 俺は何も言わず、綾瀬先生も言葉を出さない。

 ただ、俺は何を言われるのか不安になってきて、同時に緊張もしてきた。それを紛らわすために深く呼吸をする。夕焼け空を眺める。

 窓の反射で微かに先生がじっと立っているのが見える。

 そして、振り返った。

「ようやく、二人きりになれたね」

「ええ」

 綾瀬先生はゆっくりと俺の方に歩み寄る。

 近づいてくる度に俺は先生を見下ろすように。先生は俺を見上げるように。

 もし先生がこの学校の制服を着ていて、同じような状況になっていたとしたら絶対に俺はこう思うだろう。

――告白されるって。

 だって先生はそんな風な顔をしているから。頬を紅潮させて、少しはにかんで……時々上目遣いで瞳を潤ませて、俺のことをずっと見つめているから。

「……それで、話って何ですか?」

「うん、新垣君。実はね、初めて会ったときから私……ずっと思ってたの」

 まさかと思いつつ、俺は生唾を飲み込む。

 両手を胸元でぎゅっと握って、ゆっくりと口が開いた。

「……好きだって」

「……」

「新垣君のことが好きだって」

「……」

「いけないことだっていうのは分かってる。教え子にこんな気持ち抱いちゃいけないのは分かってるの」

「……」

 確かに、これは二人きりじゃないと言えないことだな。綾瀬先生もかなり恥ずかしそうにしているし。

 俺は先生が言い終わるのを静かに待つことにする。

「私、初めての生徒なのに……こんなこと考えるなんて、教師失格なのかな?」

 俺のことを先生は真剣に見続けている。

 その言葉を言ったきりで、お互いに何も言わない。

 先生は最後に疑問系で言ったので俺の思ったことを素直に言ってみる。

「いや、その……別にいいんじゃないですかね」

「えっ?」

「教師なんてそんなの先生のしている仕事の名称だけであって、その……想いというのは教師という職に縛られる必要はないと思うんですよ」

「新垣君……」

「だから、その……先生だって一人の人間なんですから、俺はその……先生の気持ちは受け取っておこうと思います」

 何故かは分からないけれど俺は今、微笑んでいる気がする。それは先生も同じだった。

「新垣君って優しいんだね」

「ただ、俺の思ったことを言っただけです」

 というか、本当に俺の想像通りの話なのか。

 担任に告白されるなんて想像しなかったな。しかも、可愛くて幼い顔立ちをしているから、どうも大人から告白された気になれない。まるで同級生に告白されたような感じだ。

「ますます好きになっちゃったよ、新垣君のこと……」

「……」

 うん、告白を受け入れる気はないけれどこの笑顔は好きだな。それに、先生になら告白されても悪い気にはならない。

 しかし、そう思うのもここまでだった。

「男の娘として、新垣君のことが好き」

「……は?」

 耳を疑った。思わず甲高い声を漏らしてしまう。

「あれ、聞こえなかった? 男の娘として、ね」

「お、男の『子』としてじゃなくて?」

「違うよ! 男の『娘』として!」

「……え?」

 何だか訳が分からなくなった。

 でも、分かることは俺の想像していることとは違う意味で惚れているということ。そして、次の一言で明らかになる。

「その可愛い顔にずっと憧れてたのっ!」

「……」

 おいおい、何なんだよ。

 先生が好きなのは俺のことじゃなくて、俺のこの顔ってことか? しかも、可愛い顔って……。

 色々と萎えてしまうところではあるが、俺は敢えて、

「はああああああっ!?」

 先生に向かって思いっきり叫んでやった。誰かがこの声に気づいて飛んでくるくらいに。さすがに先生も驚いていた。

 確かにこれじゃ教師失格かもしれないというのは分かるかもしれない。

 先生はお、俺のことを――。

「お、男の『娘』として好きですって?」

 確認をするように俺がそう言うと、綾瀬先生はゆっくりと頷いた。

「だから、その……ごめんね。私、教師なのに生徒のことをこんな風に思っちゃうなんて……」

「まったくですよ。よりによって……」

「私、漫画やアニメが大好きで。大学で現代文学を専攻していたのもライトノベルが大好きだったからなの」

「……それはまさに現代文学ですね」

「それで、初めて担任を持ったクラスにこんなに可愛い男子生徒がいるなんて想像もしてなかったの!」

「……なんですか、先生はそういう世間で言う女子っぽい男子が好きなんですか?」

「そうじゃないけど、新垣君だけは別!」

「はあ」

「あなたに会ってから、私……毎日あなたのことをずっと考えていたの。これは本当。でも、ずっとこのままだと担任を持つ人間としてダメだと思って」

「だから、せめてその気持ちを伝えようと、今こうして……二人きりになって俺に伝えたんですか」

 ――男の『娘』として好きだって。

 つか、何で俺はいつも『女子』の要素のことで色々と言われるんだ? しかも、それは最近拍車がかかってきているし。

 挙げ句の果てには担任に好きだって言われるし。男子よりも女子っぽく見えるのはしょうがないとは思っていたけど、さ……。

「うん、その……ごめんね。気悪くしちゃった?」

「ええ、とっても気分が悪いです」

「ごめんね! 本当にごめんねっ!」

「というのは嘘ですよ、別に嫌われてるわけじゃないですし」

「そう。なら良かった……」

 別に俺は全てを許しているわけじゃないけどな。

 綾瀬先生はほっとした表情で一回、深呼吸をする。俺もそれにつられて一回、深呼吸をする。

「先生の話したいことと言うのはこれで終わりですか?」

「何言ってるの、終わりのはずないじゃない」

「えっ」

 どういうことだ?

 ただ、先生は俺への想いを伝えたかっただけなんじゃないのか?

 俺が色々と考えている間に、先生は更に一歩前に近づいてついには俺の手を掴んだ。

「実は新垣君にお願いがあるの」

「えっ?」

「私、今もライトノベルの新人賞に応募しようと思っているんだけど……是非、私の書いている話の主人公のモデルになってくれないかな?」

「……」

「なってくれないかな……ううん、なってくれるよね?」

「さりげなく強制しないでくれませんか」

 しかも、俺の手を掴む力が強くなったし。……痛いな。

「だって、新垣君を見てたらいい話が書けるんじゃないかって思ったんだもん」

「……松木と同じようなこと言ってますね」

「松木君?」

「彼はサークル活動しているみたいで。そこで同人誌を作っているらしくて。前に、今の先生のように『モデルになってくれないか』って誘われましたよ」

「それで、どう答えたの?」

「いきなりでよく分からなかったし、断りました。でも彼は毎日俺のことを堂々とデジカメで撮っていますけど、ね」

「断ったにしては嫌じゃなさそうに見えるけど?」

「……どうしてなんでしょうかね、俺にも分かりません」

 俺がそう言うと綾瀬先生は落胆していた。はあっ、と深いため息をついて。

「じゃあ、今、私のお願いも断るんだね……残念だな」

「ごめんなさい」

 さすがに何だか罪悪感が生まれてくるな。

 でも、ここで許してしまえば俺だけではなくて、綾瀬先生まで道を踏み外してしまうことになるかもしれない。

 先生はゆっくりと手を放し、一歩後ろに下がった。

「ううん、全然いいんだよ。元々こんなことを考えちゃう私が悪い訳だし……」

「先生……」

「ありがとう。おかげですっきりした」

「そうですか、なら良かったです」

 綾瀬先生の言う通り、すっきりと爽やかな表情になっている。まあ、夕陽が当たっているから、実際は頬が赤くなっているのかもしれないけど。

「あと、これから一年間よろしくね」

「はい」

 先生がゆっくりと右手を差し出す。

 俺も右手を出し、静かに……でも、確かな握手を交わした。

「……だいぶ時間が経っちゃったね」

「いえいえ、特に今日は予定ないので」

「そう、なら良かった」

「じゃあ俺はそろそろ帰ります。ええと、その……ラノベの件、頑張ってください」

「これはその……二人だけの秘密だからね!」

「はいはい、分かりました」

 何だかこれじゃ、教師と生徒の立場が逆転している感じがしてならない。

 だけど、『二人だけの秘密』という響きは悪くないな。

「先生、さようなら」

「……ちょっと待って!」

 さっきまでとは違い、綾瀬先生は真剣な表情で俺を引き止める。

「な、何かあるんですか?」

「……何か言い忘れているようなことがある気がするけど、気のせいかな。ごめんね、何でもない。さようなら、また明日ね」

「はい」

 俺はそのまま教室を後にした。

 今さっきの綾瀬先生の表情……。それは真剣そのものだった。

 何でもないと先生は言っていたけど、何か重大なことがあったはずだ。そう思う気持ちはずっと俺の心の片隅に居座り続けていた。

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