3話【温もりの居場所】
山に囲まれたこの集落は、日が暮れるのが早い。
山々が日を遮るために、太陽が沈む所など見えるはずもなく。
夕陽という概念もない。
そのため、気づけば彼の瞳のように冷たい闇が空を覆い尽くしていた。
いや正確には、目が覚めれば。
今日だけで何時間も寝た私だが、それでも身体の疲れは完全にはとれなかった。
寝た時のまま暗い部屋で、体を起こす。
辺りを見渡した私は、まず彼が帰っていないことを知ることになる。
何一つ動いていない、変わっていない室内。
冷え切った空気。
部屋を出ると、私はおきくさんの元に向かった。
少しだけ、と思って寝てしまったのだが、もう夕飯にしては遅い時刻のはずだ。
おきくさんのいる部屋に行って声をかけると、彼女はまた自然な笑顔を向けて私を出迎えてくれた。
期待を裏切りたくないと変なことを思い緊張しながら、遅れて申し訳ないのですが夕飯にしてくださいと伝える。
おきくさんは、迷う間もなく了承して頷いてくれた。
お礼を言った私は、夕飯ができるまで横になろうと部屋に戻ろうとした。
するとおきくさんは始めて私に声をかけ、
「おとうつぁんがいなくて、さみしくないべか?」
そう言った。
………お父さん…?
薬さん、のことだろうか。
そうか、確かに私と彼の歳ならそう見られもおかしくない。
私は実年齢通り十と少し、彼は若くはないが老いてもないと言った印象だろうか。
だから、
誰も私達の関係を探って来ないし気づかないでいてくれる。
ギクシャクとした、私たちのこんがらがった関係を。
人同士の冷たい関係の結果を。
でも、とはいえ、
おきくさんの思ったとおり、
それでも一人よりは。
ずっとましなわけで。
「……いえ、慣れてますから。」
「いいこだねぇー、
ご飯、すぐ作るからな。
そうそう、明日はご飯出来たら起こしにいぐからな。」
良い子、そんなこと言われたのは久しぶりだった。
咄嗟に反応出来ず固まって、照れかくしに笑った。
やっぱり私は、おきくさんのようには笑えない。
それでも、おきくさんは微笑み続けた。
一人で食べるご飯は、
久しぶりだった。
大広間は、本来なら宿泊客全員で食事をするためにあるらしい。
今日のような日、宿泊客が私しかいない今のような状況は特別だという。
けれど贅沢なことに、私にとってその広さは森の中と比べて丁度良く感じた。
囲炉裏から感じる熱は、
焚き火よりも小さいのに、
やはりずっと暖かい。
そしてずっと明るかった。
私の目には、眩しいほどに。
昔は何気無くあたっていたこの光が、今はとてもありがたい。
彼と旅をしているうちに、私は自分が随分変わったのだと気づいた。
彼の作るものとは違って濃い味噌汁を飲み込んで、
冬の森の中ではなかなかとれない大きな魚をまるまる二匹、
まだ熱々の白米にのせて頬張って、
ポリポリと沢山の種類の漬物を噛み砕いて、
そんなことを何度も繰り返しているうちに、いつの間にか。
私の中からは、〝幸せ〟が水玉となって溢れ出していた。
彼が帰って来たのは、それから数時間後。
私が布団に入って寝付いて、しばらくしてからだった。
彼の仕事道具が、畳に降ろされる。するとそのいくつもの木箱に、中に入った何か硬いものが当たる音が聞こえた。
彼は、大きな仕事道具はもたない。
その代わりに、小さな角ばった木箱を彼方此方に持っている。
木箱の中身は、ほとんどが用途別に分けられた薬。
服の下に隠したそれらに、私が何度助けられたことか。
そして音だけでなく、畳に似た自然と落ち着く匂い。
何だっけ、
確かそれらの木箱は、樹齢長い杉…いや檜で出来ているんだっけ…
背中で彼が衣服を脱ぐのを感じ取ると、私は瞳を強く閉じた。
仕事道具を置いて、服を着替え、手と顔を洗う。
それが、彼が宿に帰ってからいつも行うこと。
私は彼が一旦部屋を出るのがわかると、再び戻ってくるのを待った。
夜になって少し熱も上がったようだし、明日のことも先に聞いておきたい。
またおきくさんには迷惑をかけたくないのと、明日もし体調が良くなれば少し村を回りたいからだ。
彼は、私が無断で何処かに行くのをあまり良しとしない。
事前に言っておかないと。
頭の中で、言うべきこと聞くべきことをまとめて、その時を今か今かと待ち続けた。
あぁ、でも、すごく…眠い……
うとうとと、意識が途切れ途切れになったときだった。
「………調子はどうだ?」
えっ……?
いつの間にか、彼は足音一つ物音一つ立てず部屋に戻っていた。
清らかな印象を与える外見に合わない、男らしい落ち着いた低い声。
私の頭から腰まで、背中の中心らしき場所に何か冷たいものが通った。
多分驚いただけなのだが、なにぶん神経がまいっているがために過激に反応してまう。
彼はこういう変化に敏感なので、
もう一度、ゆっくりと、優しく問いかけた。
「起きているのだろう、柊」
「は、はい、」
布団から抜け出て視線を向けると、浴衣姿で私を見つめる彼がいた。
「で?調子はどうなんだ?」
「あ、え、えっと…あの、朝?来たとき?昼、よりは楽です。
ただ、あの、また上がって、あ、それは寝てからで、熱が……今は…ちょっと怠いくらい?しか…」
「わかった、もういいぞ」
上手く言えない、どうも私は彼相手に説明をしようとすると緊張してしまうようだった。
本当に、頭の悪さが目立って嫌だ。
私は彼よりはるかに多くのことをできない知らないことを、自覚する。
「今日はよく寝ろ、それで治る」
「………ごめんなさい、私、上手く説明、できなくて…」
「構わん」
「………」
期待すらも、していない。
そう、突き離された気がした。
そんなこと、あるはずないのに。
また、自分が自分で嫌になる。
「………」
「………」
「……どうした」
「…あの、……明日、って…」
「俺は日が昇ったらここを出る、お前は先に飯を食っていろ」
「あの、私も外に出てもいいですか?」
「………構わんが…
山の上の神社と山……それらだけは近寄るな」
「山の上の神社と山……?
はい…わかり、ました……」
「俺と話すと疲れるぞ、もう寝ろ」
「はい………」
私はゆっくりと布団に潜り込むと、自ら深い沼底に落ちるように意識を集中した。
すると、ゆっくりゆっくりと体が沈むような感覚がして、私の五感は閉鎖されていく。
そして記憶も感覚も何もかもを忘れた瞬間、
私はきまって嫌な夢を見た。
よく知らない、けれど何処かに切っても切れない繋がりを感じるあの人の声がする。
〝何で私達だけ、こんな目に〟
〝もう駄目だ、
何処で間違えたのかももうわからない……〟
〝………そう、もう全部、全部全部全部終わりなの……ねぇ、〟
私の知らない感情を溜め込んだ、
私によく似た瞳が私を捉えた。
〝××〟
ゾワリ、と身体中が逆立って
〝「まっれ、おかさあさ……!」〟
息を短く吐きながら、私は飛び起きた。
「………」
途端に朝の冷えた空気に冷静にされ、辺りを確認する。
大丈夫、誰もいない。
ただの、そう目覚めの悪い夢だ。
「……あ」
遠くの方から、おきくさんが私を呼ぶ声がした。
朝ご飯が出来たのだろう、私は着替えながら返事をするとすぐに部屋を出た。
大広間に出ると、昨夜は暗く見えなかった部屋の隅にまで日の光が当たっていた。
同じ場所とは思えない、広さと印象がそこにあった。
昨日言ったとおり、彼はもうすでに宿を出ているようだった。
釜に入ったご飯が少し減っているのが、明確な証拠だ。
彼の人間らしさを垣間見ることは、ほとんどない。
私は、どこかほっとしていた。
もう大分日が昇っているし、外からは人の声が聞こえてきている。
外の道、来た方向とは逆側は集落唯一の市場になっているらしい。
病み上がりとはいえ、不調は治った。
私は朝ご飯を食べると、何かに導かれるように急いで外に出た。
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