2話【茅葺屋根の下で一休み】


冷たい空気が肺の中を出入りして、私の息を凍らせた。

森の中道なき道なきを歩いていた私と薬さんの目の前に、久方ぶりに人が作った道が現れた。

つまり、村が近い。

数日ぶりに布団で休めるだろうかと、胸が高まる。

そんな風に期待する私をおいて、彼は迷わず進んでいく。

正直もうクタクタだったが、私は諦めてその後を追った。


数時間前。

一休みして目覚めた私に、彼は見慣れた薬草と竹筒を渡した。

熱さましの薬草、

小さな双葉を口に入れると、すぐさま水で飲み干す。

舌をつき刺すような苦味に耐えながら、無理やり喉を通過させていく。

医師である彼は、当然薬草についても精通している。

信頼はしているが、せめて説明くらいはして欲しい。

毎度毎度、薬の正体は飲むまでわからないのだ。

さらに水を数口飲むと、私は竹筒を彼に返して息をついた。

すぐさま、

「行くぞ」

と声がかかる。

私が立ち上がるころには、彼は先を歩き始めていた。

すぐさま、後を追う。

速度が落ちたように感じるのは、気の所為ではないはずだ。

多少だが、体が軽くなったのも。

でもこれは、彼の医師としての優しさであり気遣いなのだろう。

わかっている、

彼と私では、何もかもが違うことを。

けれど、それでも考えてしまう。

理想の姿を、自己中心的な未来を。

決して彼の隣で歩くことが出来ない、

してもらえないという事実について。

それは、私の心の端で毒の棘となって刺さっていた。

思うたびにじわじわと熱を持ち、暗い感情を排出してくる。

彼のような性質を持ったものには、沢山心当たりがあるつもりだ。

美しい花弁を持ち誘惑をしながらも、根に毒を持つ花々、

静かに着実に、蔦を絡め締め付け、束縛してくる植物、

彼はそのどちらにも似ていた。

野生の物が、人に必要以上に関わってこないのと同じように。

そして私達は今、医師である彼の患者のもとに向かっている。

もちろん私には詳しいことを話してくれるわけなどなく、また私のせいで遅れるなど出来るはずもなかった。

でもとにかく私は、

子供としてでも旅を共にするものでもいい、〝誰か〟にわかりやすい優しさを分けて欲しかった。

そんな根暗で皮肉屋かつ最低な私が行ったがその集落であったのは、本当に幸運なことだったとあらためて思う。

やっとの思いで山の頂上につくと、私はもう汗だらけでしばらく動けなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ…」

今いる頂上は、大きな山に囲まれたいわゆる盆地のようだ。

茅葺き屋根の民家に挟まれたこの道は、さらに別の山に繋がっている。

が、どうやらこの集落が今回の目的地らしい。

彼は私が膝に手をつき息を整えているのをしばらく遠くから眺めていたが、

やがて私が顔を上げると近くの民家に入って行った。

彼の治療は大抵数日がかりになるため、彼が目的地についてまず最初に入るのは宿だ。

そして、今回も変わらずそうだった。

いつも思うのだが、一体何処でいつ宿をとっているだろうか。

今回宿となる場所は、蔵を改築して出来た民宿らしい。

入ってすぐに、畳の匂いと温かさを感じた。

服に着いていた雪だけでない、

何か冷たく固くなっていたものが簡単に溶け出す感覚に、

心が落ち着く。

玄関の扉を開けた音を聞きつけたのだろう、

見ると、玄関の前にある部屋から少し年配の女性が出てきたところだった。

「よぅ、来たなー

お医者様だけでなぐこんな可愛いこもおるとはな。

ゆっくしてってな。」

聞いたことはない、けれど自然と理解できる方言が耳に馴染む。

宿のおかみさんは、おきくさんというらしい。

とても優しい笑顔で、部屋まで案内してくれた。

この人は怖くない、

そう直感的に、本能的にわかる。

自然と会話が進んだ。

どうやらこの宿は、おきくさん一家だけで経営しているらしい。

さらに今は人があまり来ない季節、すなわち冬。

他に泊まっている人はおらず、中はとても静かだった。

お礼を言って部屋の襖を開けると、彼は奥にある神棚の前に立っていた。

相変わらずの無表情で、何処か遠くを見つめている。

私が中に入り持っていた荷物を端の方に置くと、

彼は振り向いて私が来た方向、

すなわち外へと向かった。

部屋を見渡していると、背後から声がした。

「柊、お前はここにいろ」

「はい。」

そう答えて、ふと思う。

そういえば、今日の治療はどれくらいかかるのだろうか。

もう夕方になるだろうから、

遅くなるならば夕飯は別になる。

おきくさんには後で夕飯の時間を伝えると言ってしまったし、時間がわからないなどと迷惑をかけたくない。

先に聞いておかなくては。

でも、出来れば一緒に……

「あの、薬さん。

どれくらいに戻ってき……て………」

振り向けば、彼はいつの間にか音一つ立てず部屋の襖を閉じて出て行っていた。

あぁ、いつも通りの展開だ。

ふぅ、と溜息を一つ吐き出して、気持ちを切り替えて部屋を見渡す。

すると、神棚に近い奥の方に布団が一枚ひかれていた。

彼が、引いてくれたのだろうか。

こんどは素直に、

嬉しさを感じる。

ここは、冬の森の中とは違う。

電気を消して部屋が暗くなっても、

静寂の中に人の気配を感じる。

服を着替えて布団に入ると、

私はまだ冷たい毛布に包まって瞳を閉じた。





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