第9話
しかし、物語は唐突に動く。
それは僕と可奈さんが付き合い始めて一ヶ月程経った頃。
「ねえねえ、今日の卵焼きはどうかな? どうかな?」
恋人同士になった次の日から毎日の様にお昼休みは一緒にするようになる。
可奈さんは少しずつ家で料理の練習をしており、作ったおかずをお弁当に入れて、僕に試食させてくれる。
まあ、料理のレベルからして決して味は良くないのだけど。
「今日のは形が凄く良いんだよね。きっと味も美味しいよ」
どんな理屈かは全く理解できないが、勧められたからには食べない訳にはいかないので、可奈さんのお弁当に入っている卵焼きに箸を伸ばす。
「う、う~ん」
口に入れた瞬間に感じる虚無感に近い何か。
甘くも無く、塩味も感じず、苦味や酸味などは微塵も無く、卵の素材自体の旨味も無い。
きっとこの味は、無味と言うに違いない。味が無いのに、無味と言う味とはこれ如何に。今日ほど無味について考えた事は無いだろう。
「無味って、不味いのかな?」
「ふぇ?」
僕の質問に首を傾げて疑問符を浮かべる可奈さん。
「いや、味が無いのは食べれない訳じゃないけど、別に美味しい訳では無いし。かと言って不味いのかと言えば、一概には不味いとは断定できないんだけど」
「何が言いたいのか分からないんだけど、康一君」
「とりあえず、自分でも食べてみると良いと思うよ」
「そうだね。味見をしてないから自分でも分からないんだよね」
「いや。しようよ、味見」
自分が食べる分は良いとしても、人に食べさせる物はせめて味見して欲しい。これでは毒味役もいい所だ。
しかし、そんな僕の気持ちを知らずに、卵焼きを頬張る可奈さん。
「………」
ひと噛みしたら顔から笑みが消え、ふた噛みしたら顔をしかめ、、さん噛みしたら訝しげな表情へと変化した。
「私、確かに卵焼きを食べているのに、味が無くて何を食べているか分からなくなってきた」
「うん。僕も食べて同じ事を思ったよ」
「おかしい。おかしいよ、これ!」
「僕にキレられても困るんだけど」
「ちゃんと塩と砂糖で味付けしたのに、全く無味って如何言う事よ!」
「むしろ僕が知りたい位だよ」
塩と砂糖だけで味を相殺するって、ある意味凄いことだよ。
「これなら、まだ味のある不味い方がマシだよ」
「いや、それはそれで大いに問題アリだよ」
「うーっ。この一ヶ月、料理を頑張ってきたのに全然進歩してないよー」
「そうでもないよ。前の正体不明物体や暗黒物質よりは大分進歩してるよ」
「何? 私の作った料理をその風に思ってたの?」
「その、まあ…はい」
正直、あんな物を堂々とお弁当に詰め込んでくるとは思わなかった。あれは如何見ても失敗作以外の何物でもないだろう。
「見た目悪くても味が良いって事があるじゃない」
「実際は全部美味しくなかったんだけど…」
「何か言った?」
「いいえ、何も」
凄みに気圧され首を振る。
「けど、ここまでやって駄目って事は料理の才能は無いのかな、私」
「そんなこと無いって。まだ初めて一ヶ月だよ。これからだよ」
「そう思う?」
「うん。それに料理出来なくても僕が出来るし」
「おっ、何それ? さり気無くプロポーズですか? ですか?」
しまった。何となく言ってしまったけど、そう言う捉え方もあるな。
「えっ、いや、これには深い意味は無いと言うか…」
「もー、顔真っ赤にしちゃってー。照れんでよい、照れんでよい」
「だから、そんなんじゃ…ふべし!」
二人で話してると、背後から急に叩かれる。
「昼からイチャイチャしてんじゃねえぞ、殴るぞ」
「痛いなっ! もう殴ってるし!」
殴った犯人はすごい不機嫌な顔をした友則だった。
「ったく、世の中おかし過ぎだろ。こんな超絶イケメンの俺より、こっちの冴えない童顔の方が先にカノジョ出来るってよ」
「自分でイケメン言ってて悲しくならないか、友則」
「うっせ! 何でこんな取柄がなさそうな平々凡々な奴に恋人が出来るんだよ、ちくしょう!」
「なにそれ? 私に対する宣戦布告? 私が選んだ彼氏を侮辱するって事は、私が侮辱されてるのも同じよね?」
「あっ、いや、そう言う訳じゃねえんだって清水。だから、その堅く握り締めた拳は解こうな」
「まあ良いけど。流石に彼氏の目の前で暴力は振るわないわよ」
「彼氏居なけりゃ殴ってるのかよ」
「てか。ぶっちゃけ、私的には佐藤君の方がないわ」
「はっ!? 何でだよ?」
「うーん。なんて言うか、チャラくて軽そう」
「んなっ!」
「内面は知らないけど、言動が若干ウザい感じがある。最初は楽しくて良いと思うけど、きっと途中で疲れて飽きる」
「がはっ!」
「もう少し真面目な姿勢を見せた方がモテるかもよ。もうギャル男は時代遅れだって」
「がなはっ!」
バカだな。お前程度が可奈さんに口で勝てる訳ないんだから。
「うわーん! 康一! お前のカノジョが俺をイジメるー!」
「キモイから泣き付くな」
「酷くね! こんなに人のアイデンティティを否定するとか!」
「落ち着けって。とりあえず本当の事なんだから」
「お前まで俺をイジメるのかよ! お前まで俺を否定するのかよ!」
「そんなんじゃないって。ほら、これでも食って落ち着け」
友則の口の中に卵焼きを放り投げる。
「あうっ」
それを器用に口でキャッチするんだから、本当に運動神経は良いな。
「こんなで俺の悲しみが納ま…なんだこれ? お前、何を食わせたんだ!」
「ん? 卵焼きだけど」
「嘘付け! こんな味が全くしない卵焼きが存在するか!」
「じゃあ、もう一つ食べてみ」
差し出した卵焼きを奪うようにして口に入れる友則。
「確かに卵焼きを食べたはずなのに味が無い! 薄味ってレベルじゃねえ位の無味だ! 俺は一体何を食べてると言うだ」
「だから卵焼きだっての」
「俺、この卵焼きが怖い!」
初めて聞いた、食べ物が怖いって。
「てか、誰だよ! こんな摩訶不思議な物を作った奴は!」
「はい、私だけど」
「清水かよ! いや、この場に康一と清水しか居ないから何となく予想はしてたけどよ。お前、ある意味スゴイ料理をするな」
「いやー、それほどでもー」
「褒めてねえし!」
友則の叫びは元もだった。この料理は褒められたものじゃない。
「こんなんじゃ、嫁の貰い手も居ないだろう」
「別に良いもん。ここに料理が出来る彼氏が居るもん」
「くっ! そうだったな」
「将来は私が稼いで、旦那さんは専業主夫してもらうもん」
「そんな計画まで経てていたのか!」
いや、僕も今始めて聞いたんだけど。
しかし、結婚か。そんな事なんて考えもしなかったな。
まあ、僕はまだ高校生だし。もっとずっと先の事だな。
「私、お見合いするね」
「―――はっ?」
帰って来るなり姉さんが発した言葉だった。
あまりにも突然の事に、洗っていた食器を落としそうになる。
って、今はそんなのは如何でも良い。
「姉さん、今、何って言った?」
衝撃的な発言過ぎて、もしかしたら聞き間違いかもしれないと思い聞き返す。
「お見合いします。今月末、郊外にある旅館の一室を借りて」
「いや、その…」
聞いては見たものの反応に困る。
これは素直に喜ぶべきなのか、それとも追求すべきなのか?
とりあえず、お見合いをするに至る経緯を聞いてみよう。
「急にどうしたの、お見合いなんて」
「上司に勧められて。断るのも悪いと思って受けちゃった。
私もいい年だし、そろそろ身を固めた方が良いって周りに勧められてるし。子供を作るとしたら、もう結婚とかしないと厳しいて言うし。
相手は部長さんの甥なんだ。私より五つ年上で、銀行の支店長をしてるの。私より収入が多いんだよ。これは将来的には専業主夫かな、あはは。今からでもお嫁修行間に合うかな? もしもそうなった時は料理と家事とか教えてね、こーちゃん。
あっ、学校の事とか心配しなくて良いからね。その事はちゃんと向こうの方とお話して学費とか生活費は出して貰うようにするから。駄目でもお父さん達が残してくれたお金もあるから心配しないで。大学にも進学できる位はあるからね。
今からお見合いして結婚式となると何月頃になるかな? 半年後くらいなかな? だとしたら十二月かー。その頃だったら冬期休暇に入るから皆とか来やすいかな? それともやっぱり一年待って、六月に挙げるのも良いよね、ジューンブライド。結婚するなら絶対に幸せになりたいしね。
ねえ、こーちゃんは如何思う?」
「えっ?」
ねえ、と言われても凄く困るのだけど。全く予期してなかったし、姉さんもそこまで乗り気とは思いもしなかった。
そうか、結婚か。こうして考えてみると姉さんはとっくに結婚適齢期なんだよな。あと二年もすれば三十路と呼ばれる年齢か。もしかして焦っていたのかも知れないな。僕が学生だから中々そこまで踏み込めなかったのかも。
だとしたら、今は調度良い時期なのか? 僕が高校生になり、ある程度の事は一人で出来るし、そろそろ僕としても自立を意識した方が良いのだろうな。それなら将来の計画も立て易い。少なくとも就職して、自分で稼ぐ事を考えないとな。まさか高校卒業してまで姉さんに頼るのは気も引ける。
姉さんだって何時までも僕に構っては居られないだろう。ここまで育ててくれたんだ。高校まで進学させてもらったし。これからは自分の為に時間やお金を掛けてほしい。
僕としても姉さんには幸せになってもらいたい。それが結婚と言う事なら何も反対する事はないか。
「うん。良いじゃないかな、お見合い。姉さんも結婚を意識してると思うと驚いたけど、当然の事だよね。姉さんも女性だもん、結婚したいよね。僕の事は気にしなくて大丈夫だから。行って来て良いよ、お見合い」
僕の率直な意見を言う。
すると姉さんは何所か暗い表情で僕を見る。
「……そう」
その一言を発するとそのまま二階へと上がっていく。
「あれ、姉さん? ご飯は?」
「ごめん。今日は食欲無いや。もう寝るね」
そして部屋に入ってしまう。
その日以降、僕と姉さんは顔を合わせることが無くなった。
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