第8話

 そんな訳で状況整理。

 僕こと山田康一と、クラスメートの清水可奈さんは交際する事になりました。

 半ば強引かつ強制てきではあったが、考え方としてプラスなんではないだろうか。

 なんだかんだ言って清水さんは可愛いし。性格はアレだけど、優柔不断の自分には調度いいのかもしれない。とでも思っていればプラスなのかな。

「では、帰りますね。彼氏さん」

 わざとらしく強調しないで欲しい。こっちは唐突過ぎてまだ全然実感がないのだから。

「うん。じゃあ、明日また学校で。気を付けて帰ってね、清水さん」

「んー。とりあえず十八点」

「えっ、何が?」

 その点数は何なの? 低いのか高いのか分からないんだけど。

「女の子に対して配慮がなってない。帰りの道中を気遣ってくれてるのは分かるけど、だったら『途中まで送ってこうか?』位は言ってほしい。私としては」

「は、はあ」

「それと恋人同士なんだから名前で呼び合わないとね。これから私の事は苗字じゃなく可奈と呼んでほしい。勿論、私も康一君と呼ばせてもらいますから」

「それはいきなり難易度が高いような」

「じゃあ、ニックネームで呼び合いましょうか。こーちゃんで良い?」

「是非とも可奈さんと呼ばせてください」

 その呼び方は姉さんと被るので止めてほしい。

「ふむ。これから素敵なジェントルマンにするべくビシビシ鍛えていくので覚悟してね」

「程々にお願いします」

「ではでは、名残惜しいですが。今度こそお暇させてもらいますね」

「うん。途中まで送っていきますか?」

「思いっきり棒読みだけど、まあ良いでしょう。今日ところはいいや。あんまり長く一緒に居ると本当に帰りたくなくなるし」

 そう言って頬を赤くして笑ってみせる可奈さん。

 何故だろう。そんな表情を僕に見せてくれていると思うと妙に嬉しく感じてします。

「夜にでもメールするから、寝ないで待ってなさいよ」

「了解しました」

「じゃあ、また学校で」

手を振り、笑顔で玄関を出て行く可奈さん。

「うん、また明日」

 僕もそれに答えるように手を振って見送る。

 彼女が見なくなっても少し玄関で立ち止まる。

 何となく楽しい時間だったなと思った反面、少し寂しくなったと感じた。

「成程。これが恋と言うものなのだろうか」

 誰も居ない廊下で一人。ぼそりと呟いてみた。


 その後は、昼に使った物を洗い、干した洗濯物を取り込んで畳む作業をする。

そして気付けば十八時半。夕食の準備をする時間となる。

 が、今日は姉さんが遅いと言う事で簡単にカップ麺にすることに。偶には楽な食事も悪くない。

 ズルズルと麺を啜りながら今日買ってきた材料で朝食とお昼のお弁当の献立を考え、食後はその下ごしらえをしておく。

 まずは鮭の切り身に塩を振っておく。三人前買ってきたので、二つは朝食に。残り一つは御握りの具にしよう。

 キュウリは薄く切って塩で揉んで置けば、明日には浅漬けになる。これに卵焼きと味噌汁を付ければ朝食は良いだろう。

 お弁当にはきんぴらごぼうを作る。ごぼうはささがきして酢水に漬けてあく抜きしておく。ニンジンは千切りに。ウチではその他に牛肉も入れて主菜として作る。

 油を引いて熱したフライパンに牛の細切れ肉を入れて色が変るまで炒め、そこにゴボウとニンジンを入れてしんなりするまで炒める。

 味付けは砂糖に醤油。アクセントに鷹の爪と風味付けで煎りゴマを掛けて味が全体に絡めば完成。これは大目に作って冷蔵庫で保存しておけば便利なのだ。

 副菜にはほうれん草のお浸しを。茹でたほうれん草に、だし汁と醤油で味を付ける。簡単だけど冷めても美味しいのでお弁当に大助かりの一品だ。

 全ての下ごしらえが終わり、時刻は二十時に指しかかろうとしている。

 姉さんは帰って来る様子が無いので、先にお風呂に入ろうと思った矢先。

 テーブルの上が携帯電話が鳴る。

 そう言えば夜にメールするって言ってたな可奈さん。

「って、電話じゃん」

 しかも姉さんからだし。あんな事が有った後だから出るのが気まずいな。

 けど出ない訳にもいかないので電話を取る。

「はい、もしもし」

「あー、山田さんのご家族方ですか?」

 電話の向こうから聞こえてきたのは姉さんの声ではなく、見知らぬ男性だった。


 久しぶりに焦った。

 急いで走り、駅前の方にある居酒屋へ駆けつける。

 電話は居酒屋の店員からだった。何でも姉さんが酔い潰れて倒れたので迎えに来て欲しいと事だった。

姉さん、どれだけ飲んだんだろう。そんなに強くないって解かっているのに。

「おっ」

「あっ」

 そこで全く予期しない人物と出くわす。

「康一?」

「友則じゃないか」

 現れたのは今日二度目となる友人だった。

 今朝着ていたウインドブレイカーではなく、黄色のラインが入った緑のジャージを着ている。

 汗をかいてる所を見ると、またジョギングの最中だったのか? でも、何か様子が違うような。

「お前、何でこんな所に居んの?」

「それはこっちが聞きたいよ」

「早く帰らんと補導されっぞ。はよ家に戻れよ」

「それはお前も同じだろ。高校生なんだから」

「俺はまだ童顔じゃないから大丈夫だって」

「僕だって好きで童顔な訳じゃないんだよ」

「とにかくだ。こんな所に居るのはまずいだろ。夜の繁華街に高校生とか、センコーにバレたら指導室行きだぞ」

「そんな事は分かってる。けど、今は用事があって」

「用事? こんな時間にこんな場所にか?」

「まあ色々と」

「はぐらかすとか怪しいな。まさか! エロいものでも仕入れに」

「行かないから心配するな」

「んだよ、つまんねぇな」

「悪いけど急いでるんだ。また明日な」

「おう。俺も今思い出したけど用事があったんだ」

 そう言って互いに歩き出す。同じ方向へ。

「…何で付いてくるんだよ」

「お前こそ」

「僕はこっちに用があるんだ」

「俺だってそうだ」

 互いに首を傾げながらも進んでいく。

 同じ道を歩き、同じ角を曲がり、同じ居酒屋の前で足を止めた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 お互いに目を丸くして顔を見合わせる。

「何だ、ここに用なのかよ?」

「そうだけど、友則も?」

「ああ」

 凄く嫌な予感がするけど、ここで立っていても怪しまれるだけなので二人で店内へと入っていく。

「いらっしゃいませ」

 怪訝そうな表情で出迎えてくれた店員。まあ、学生らしき人物が入ってきたらそう言う態度になるよな。

「えーっと、申し訳ないけど二人とも未成年だよね? 悪いけど未成年だけではウチの店は入れないんだ」

「あー、実は電話を貰って姉を迎えに来た者なんですけども」

「って事は、山田真由美さんか佐藤佳織さんのご家族の方?」

「ええ、山田真由美は僕の姉です」

「そうか。じゃあ、そっちの子は?」

 バツの悪そうな顔をして立っている友則。

 普段から想像も付かないような小さな声で衝撃的なことを口にした。

「佐藤佳織の弟です」

 まあ予測はしていたが、まさか友則の口から聞くことになるとは。

「両親が帰りが遅いので代わりに迎えに来ました」

「そうかそうか。こっちは連れて帰ってもらえれば弟でも妹でも良いんだ。さっ、こっちに」

 通されたのは小さな個室。扉を開けると中では顔を真っ赤にして倒れている姉さんと佳織先生の姿があった。

「二人とも相当飲んでたみたいで。気が付いたら寝てたんだよ。起こしても目を覚まさないから困ってたんだよね」

「すみません、ご迷惑をおかけしたみたいで」

 僕が頭を下げて謝ると、友則も一緒に頭を下げた。

「あっ、お会計は…」

「それなら酔い潰れる前に貰ったから大丈夫だよ。はい、これレシートね」

 渡されたレシートを見て驚く。金額の殆どがお酒で、それも姉さんが普段飲まないような度の強いものばかり。二人で飲んだとしても三十杯は多いだろう。

「タクシーとか必要だったら呼ぶけど?」

「あっ、お願いします」。

「じゃあ、今すぐ呼ぶから帰る準備をしておいてね」

 そう言って店員が店の奥へと去っていく。

 そして気まずい空気が流れる。

 終始無言の友則の表情は何時もの明るさは無く、何処となく暗い雰囲気が漂う。

「…悪いな。今まで黙っていて」

「えっ?」

 先に口を開いたのは友則の方だった。

「俺の姉貴がセンコーで教育指導だってのを黙ってて」

「いや、別に気にしてないさ」

 少なくともこの店の前で立ち止まった時点で解かっていたようなものだし。

「だな、気にしてたのは俺の方か」

「ん、何か言った?」

「何でもねえよ。それより早く連れてこうぜ」

 友則は先生の方へと近寄っていく。

「おい、姉貴。帰るぞ」

「んー? 友則か?」

「そうだ。こんな所で寝ると風邪ひくぞ」

「私の…事は如何でも良い。お前はもっと…しっかり、しろ」

 半分眠っているのか、うわ言の様に話す先生。

「ったく、どっちがしっかりしてるんだか」

 友則は先生を起こすと慣れた感じで背に乗せる。

「ほら、姉さんも起きて。家に帰るよ」

「………」

 こっちは完全に駄目そうだ。泥酔して起きる気配すらない。

 仕方ない。僕も背負うしかないのか。

「よっと」

 慣れない手付きで何とか背中に乗せる。

「いっ!」

 思った以上に重くて驚く。姉さんはそんなに体重無いと思うんだけど。

「大丈夫か? 無意識の人間担ぐのは割と大変だぞ。全体重掛かるし、バランスも取り難いだろう?」

 た、確かに。意識がない分、僕が姉さんを抱えなくちゃいけないからな。

「ま、まあ。無理できない範囲じゃないから大丈夫」

「本当に無理するなよ。腰痛めるからな」

「解かってるって」

「なら良いけどよ。じゃあ、行くか」

 こうして僕らは姉を背負って居酒屋を後にした。


 帰りのタクシー中。

 やはり、僕と友則の間にいは気まずい空気が流れる。

 ずっと不機嫌な顔をしている友則は、何時もと違い話しかけ難い雰囲気がある。

「何だ。さっきからチラチラ俺の事を見てるけど、何か付いてるのか?」

「えっ? いや、別に…」

「まあ、気になって仕方ないよな。姉貴がウチの学校のセンコーじゃ、下手な事を言えないもんな」

「そんな事じゃないって。ただ、その、意外だったから」

「だろうな。こんな脳筋の俺に、優秀な姉貴が居るんだ。不思議に思うよな」

「どうしたんだ、随分と自虐的だな」

「なんだ、劣等感だよ。出来の良い姉が居て、出来の悪い弟が居る。それだけだ」

 そう言う友則の表情は何処か寂しげだった。

「親父は弁護士。母親は大学の教諭。そんな間に生まれた姉貴は高校の教師。なのに俺は勉強も出来ない。取柄と言えばスポーツが出来るくらいだ」

 眉間に皺を寄せて、何時に無く真面目な表情で語る。

「でも、親父達は俺のそんな事に興味ないんだ。見ているのは成績だけ。何時も比べられるのさ。勉強が出来る姉と出来ない俺。俺のやりたい事なんて、如何でもいいんだ」

 そしてまた寂しそうな顔に戻る。

「どーせ、俺なんて如何もでもいいんだろうよ」

「そんな事を言うなよ!」

 気付いたら僕は声を上げていた。

「自分の事をそう言う風に蔑むのは止めろよ」

「おいおい。どうしたんだよ、急に。熱くなってお前らしくも無い」

「それはこっちの台詞だ。何時もの元気で明るくてバカ言うのが友則だろう。良いじゃないか。バカでも取柄が一つでもあるんだから。だったら、それを伸ばしていけば良いじゃないか」

「そう言う問題じゃないんだよ。親父達はスポーツの成績なんて見てないんだから」

「だったら、そのスポーツで見返してやればいいだろう。柔道してるんだから大会で優勝するとか、他にはえーっと…オリンピックに出るとか」

「オリンピックって、お前」

 そう口にすると噴出して笑い出す友則。

「な、何だよ。笑うこと無いだろう」

「いや、お前。俺よりバカな考えしてるよ。オリンピックに出るって」

 そしてまた大声で笑い出す。

「確かにオリンピックにでも出れば、親父達も感心してくれるかもな」

「だろう。なのに真面目に答えた事を笑うかよ、普通」

「悪い悪い。柔道やってて、一度もそんな考えした事なんて無かったからよ。確かに盲点だった」

 気付けば顔に何時もの明るさが戻っている。

「面白れえ。やってやるぜ、康一。俺は何時かオリンピックに出てやんよ。そして金メダルを取ってやる! 覚悟しておけ」

「覚悟って、僕にさせてもな」

「だな。俺が覚悟しないとな。よっしゃ! 明日から気合入れてやっか!」

 どうやら吹っ切れたみたいだ。それでこそ友則だと僕は思っている。

 けど、アイツにもアイツなりに悩みがあるんだよな。てっきり脳天気な奴だとばかり思っていたから意外だった。

 その後は友則とは別れて、僕は相変わらず姉さんを背負って帰宅途中。

 静かに寝息を立てて眠る姉さんを横目で見ながら道中考えに深ける。

 それは僕の将来の事だ。

 さっき友則と話していて思った。僕には将来の目標がないと言う事。

 どうするべき悩む。進学を目指すのか。それとも就職するべきなのか。

 現状では大学に行くのは難しそうだ。奨学金を申し込めば出来ないでもないが、そこまでして学びたいと思うものも無い。

 ならば就職だろうな。それだったら生活費も稼げるし、姉さんも少しは楽をさせられるだろう。けど、そうなると家事とか疎かになりそうだな。

 てか、僕はこのまま家に居るのか? 高校を卒業しても姉さんと二人暮らしをするのだろうか?

「うっ……うぅ」

 そんな事を考えていると姉さんが苦しそうに呻く。

「姉さん? 大丈夫?」

「ううっ…」

 横顔を見ると頬に一筋の涙を流している姉さんがぼそりと呟いた。

「こーちゃん…何処にも行かないで……一人にしないで」

 そう言って首元に絡めていた腕を強く締め付けられる。

「何処に行かないから安心して」

 僕は聞こえているかどうかは分からないけど、寝ている姉さんにそう返す。

 そうだな。まだ先の事なんて考えても分からない。来る時が来れば決断するだろう。

 だから、今はこの平穏が続けば良いかなと思った。

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