廓の中 其ノ壹

 おそでは貧しい百姓の家に生まれた。

 小作人の父は小さな農地で妻と八人の子どもを養っていたが、その年は干ばつで田畑が枯れてしまい、ついに年貢が払えなくなった。

 貧しい家族に貯えなどあろうはずもなく貧窮ひんきゅうした、数えで十四歳のお袖は女衒ぜげんに売られることになった。娘を売らなければ一家が餓死するしかない、長女の彼女が家族の犠牲となって身売りするしかないのだ。

 村でも評判の器量良きりょうよしのお袖は、ことのほか良い値で女衒に売れた。


 いよいよ売られていく日――。

 お袖は母に赤い着物を着せて貰った。女衒に貰った金で仕立てた赤い着物は、お袖をいっそう可愛らしく見せる。

「姉ちゃん、赤いべべいいなぁ~赤いべべいいなぁ~」

 二つ歳下の妹、お小夜さよが羨ましそうに何度もいう。

「お袖すまない……」

 母は着物の袖で何度も涙をぬぐっていた。その腹にはまた新しい生命が宿っている。まだ見ぬ兄弟が……。

 父は背中を向けて、ひとりで酒をあおっている、その酒もお袖を売った金で買ったものだ。

「おっとさん、おっかさん! 年季奉公ねんきぼうこうが明けたら、きっと帰ってくるから、それまで達者でいておくれ」

「姉ちゃん、町に行ったら旨いもの食べれるからいいなぁ~」

 何も知らない、お小夜は街にいく姉を羨ましがっていた。

「お土産いっぱい買って、帰ってくるから……」

 その言葉にお袖自ら涙が零れた。母も泣いている、父の背中も震えていた。お小夜だけが嬉しそうに「姉ちゃん、いっぱいお土産買ってきてね」とはしゃいでいる。

 悲しい家族との別れの後、迎えにきた女衒に連れられ、お袖は生まれた村を遠く離れて行く。わずかな手荷物だけを風呂敷に詰めて、お袖は故郷を旅立ちだった。


 女衒にくるわに連れて来られたお袖――。

 遊廓の入り口には大きな門があった。大門を呼ばれるその門は女郎たちが逃げ出さないように、いつも門番が見張っている。女衒と遊廓の中に入ると後ろでがちゃんと門を閉める金属音が響いた。

 その音を聴いた瞬間、自分はここからは生きては出られないかも知れないとお袖は思った。

お袖が売られた御見世おみせは、遊郭の中程に位置する御店おたなで『稲荷屋いなりや』という看板が掛かっていた。

 遊郭では奥に入るほど格式の高い御見世になる、出てきた女将は狐のような顔の女で、お袖を上から下までじろじろ眺め回し。

「あらま、なかなかの別嬪べっぴんじゃないか」

 狐目を細め、満足そうにふふっと笑った。

 さっそく女将は女衒とふたりでお袖の値段で話合っていた、がめつい女将は背が低いだの、色が黒いだの……些細なことでなんぐせをつけて、少しでもお袖を安く叩こうとしていた。そんな女将を見ていて、恐ろしい所に売られたと……お袖の背筋が冷たくなった。


『稲荷屋』に奉公にあがったばかりの頃、お袖は下働きのような仕事をさせられた、掃除や洗濯、賄いの手伝い、女郎たちの用事など言いつけられていた。

 中には意地悪な女郎もいて、気に入らないことがあると……煙管で殴ったり、物を投げつけたり、弱いお袖に八つ当たりをした。――女郎たちの心は荒んでいるのだ。

 どんなに酷い目に合っても、ここにしか居場所のないお袖は黙って耐えるしかなかった。苦しい時や悲しい時には、家族や故郷の野山を思い出して自分を慰めた。


 そんな暮らしが半年ほど経った、ある日『稲荷屋』の女将がお袖を湯屋ゆやに入れ、その裸をしげしげ眺めて。

「もう、そろそろお客を取っても良いだろう」

 頭の中でそろばんを弾きながら言った。

 さっそく湯屋から上がったお袖は、姉女郎たちが着ている派手な着物を与えられた。顔から首まで水おしろいを塗って、紅を差す。これで張見世はりみせに立てば立派な女郎だ。

 いずれは売り物の身体ゆえ、こうなることは分かっていても、未通女おぼこのお袖には女郎になるのが怖かった。汚れてしまったら……もう二度と故郷にも帰れないと涙が零れた。

 お袖の気持ちなどお構いなしに、女将の指図で、果して、その夜から客を取って身体を売る女郎になった。

 この娘は生娘だと嘘をつき、十回以上は高値で水揚げの客を取らされた。良いも悪いもない、これがお袖のお仕事だから我慢してお客の相手をするしかなかった。しょせん男たちの性欲の捌け口としての身体なのだ、これが仕事なんだと思うしかなかった。

 ――どうせ、遊廓の外には出られない身上だと、お袖は諦めていた。

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