星夜の鳥
七
前編
まだ朝靄が消え残る早朝。淡い色の空に、歌声が響く。儚く美しく、でもはっきりと胸に響いて、今日もまた歌っている。
歌声が響く間、いつもは賑やかで活気あふれる広場でさえ、しんと静まり返る。誰もが足を止めて声に聴き入る。動かずに、ある者は目を閉じて、祈るように歌を聴く。まるでそこが荘厳な礼拝堂であるかのように。確かに歌声には、そうさせる力があった。
声が余韻を残して歌を終えると、徐々に喧騒が返ってくる。今日も美しかった、心洗われるようだと口々に歌声を褒めそやしながら、それぞれの目的に戻っていく。
小さな籠を下げ、濃い茶色の髪を一つに束ねた少女は、強い意志を秘めた藍色の瞳で空を仰ぐ。正しくは、街を見下ろすように聳える城壁の上。そこで登り始めた朝日を受けて淡く光る尖塔の影を。
「おはよう、アリシア。良い朝ね」
穏やかな声で呼ばれ、少女は広場に目を戻す。見慣れた優しい笑顔の女性は、いつも何かと気にかけてくれる大家さんだった。ひとつ瞬いたあと、少女――アリシアは、笑みを浮かべて挨拶を返す。
「おはようございます。今日も本当に綺麗でしたね」
「すっかり毎日の楽しみだものね。領主さまの“鳥”の歌は」
アリシアの母親くらいの彼女の面差しが、うっとりと若い娘のように華やぐ。彼女の言葉はその通りだったから、アリシアは頷いた。
三年前。この地を収める領主さまは隣国との戦に勝利し、戦利品としてそれは美しい歌声を持つ“鳥”を手に入れた。毎朝類まれな声を聴かせてくれるその歌は、領民の癒しとして定着し、今ではそれなしには一日が始まらないと言われるほどにまでなった。
もともと領主さまは戦好きで、華美を好む性質であるという。度重なる戦は領地に富をもたらすこともままあったけれど、重い兵役と軍事費を賄う税金は上がる一方で民の心には暗いものが燻っていた。
不安、不満、失う恐怖。そんなものを慰めてくれたのが、領主さまが飼い始めた“鳥”の歌声だった。それはもう、領民にとってなくてはならないものになっている。
「アリシアは、今日もお仕事?」
「いいえ。ちょうど依頼されていたものが出来上がって、納品してきた帰りです。後は糸を補充して、帰って個人的なものの続きを編もうかと」
「ああ、あの……」
思い当たった風に、どこかが痛むかのような顔で呟く。
「……あれは、もうすぐ完成するの?」
「ええ、たぶん数日中には」
応えて微笑み、視線は自然と尖塔を向く。輝きを増す飾り屋根。歌声の響く場所。
「きっともうすぐ」
囁いて、続きは心の中で紡ぐ。
――もうすぐ会いに行けるわ。美しい声持つ、無二の“鳥”。
家に戻り、補充した糸の入った籠をテーブルに置く。肩に掛けた厚手のショールを外したアリシアはひとつ息を吐いて、部屋の奥に目をやった。
部屋の中には誰もいない。家族を亡くしてから、アリシアはずっと一人きりだ。
「おかえり」と優しい笑顔でスープをよそってくれた母、職人気質でいつも作業着を木くずや削った石の粉だらけにしていかめしい顔をしていた父、その教えを受けて飾り彫りを学びながらまだまだ未熟だと肩を落としていた勉強熱心な兄。そんな大好きな家族は、永遠に失われてしまった。
だから静かな部屋の中には誰の声もなく、暖炉の前の父の定位置だった椅子には編みかけのレースがかかっているだけ。それを眺めながらショールを置いたアリシアの指に、かさりと音を立てて何かが触れた。
見れば、音を立てたのは品の良い薄紫色の上質な便箋で、開いたままのそれの文言が目に入る。流麗な筆致の内容は、いわゆる招待状だった。
高名なる代々の職人。長年の貢献と領主さまの目にも叶う精緻な技術。その褒賞として宴へ招く。そんな内容。
アリシアは宴になんて興味はない。豪奢な調度、きらびやかなドレス、目も眩むような貴人たちの社交。そんなものは、少しも心を動かさない。
それでも一心にその日を心待ちにしているのは、これがたった一度与えられた機会だから。二度とない、唯一の。だから遅滞なく、万全に、準備をしなければならなかった。
便箋から目を離し、奥の椅子に歩み寄る。編みかけのレース。持ち上げても床にまで届き流れる漆黒のヴェールだ。レースを編む技術は、物心つく前から母に仕込まれてきた。それでもここまで仕上げるには三年の月日が必要だった。
来る日も来る日も、仕事の他に黒い糸を手に取り黙々と編む姿は、周りには奇妙に見えただろう。憐れまれていたことも知っている。きっと家族を忘れられないのだと。失った家族を悼んでそうするのだと。
それは間違いではない。家族のことは忘れていない。忘れられない。それでも、真実ではなかった。アリシアは自分のために、これを作り上げた。そして、完成はもうすぐだ。
衝動のまま、編みかぎを手に取り椅子に座る。本当は朝食を摂ってから取り掛かるつもりだったけれど、もう意識はヴェールに向いていた。他のことは意識から消える。
焦りはない。心は凪いだ水面に似て穏やかだ。いつか、母が言っていた。
『形を思い描くの。あるべき形を。心の中を空っぽにして。でも大切にイメージを見据えて。何を成したいか、それだけわかっていれば大丈夫。迷って、解いて、やり直しても、必ず辿り着けるわ』
あるべき形。成したいもの。それをもうアリシアは決めている。
波を立てず水に潜るように、慎重に。息を潜めて手を動かし続けた。
そうして漆黒のヴェールが完成したのは五日後。招待を受けた宴の日の朝のことだった。
✵✵✵
宴の夜。アリシアは髪を結い、瞳に合わせたような深い藍色のシンプルなドレスを着た。母がまだ娘の頃、同じくまだ若者だった父から贈られたというそれは、次はアリシアのためにと大切にしまわれていた。
少し余る裾や胸元は詰めて直してある。これを着て母は、父と宴へ行ったのだろうか。アリシアと同じ藍色の瞳をきらきらさせて、父と踊ることもあったかもしれない。
答えのない問いを投げかけるように鏡を見る。どこか記憶にある母に似た面差しを持つ娘。頼りなく白い顔の中、目に決意を浮かべている。成したいもの。それだけ秘めて、微笑んでみる。
「行ってきます。父さん、母さん、兄さん」
どこかで見守ってくれているような気がして、すっと背筋が伸びる。
家を出ると、迎えの馬車が来ていた。鹿毛の馬の横で御者が一礼する。アリシアも応えて、ショールのように肩に掛けたヴェールを押さえた。
漆黒の、出来上がったばかりのレースのヴェール。シンプルなドレスの他に身を飾るものはそれだけ。
御者の手を借りて乗り込むと、馬車はすぐに走り出した。車輪の振動と馬の蹄の音を感じながら窓を見る。夜闇に浮かぶ城の明かりが、導くように浮かんで見えた。
呆れるほど高い天井とさんざめく人々。絢爛豪華なシャンデリアが下がるホールで、祝宴は始まる。
ひと月前にも戦があった。それは三年前に侵略し攻め落とした隣国の、残党狩りのようなものだったという。隣国では王族をはじめ全ての民が独自の神を信仰し、欠かさず祈りを捧げて日々を送っていた。それが突如、敗戦により他国の統治下におかれる。
礼拝堂は焼かれ、信じる神は奪われ、他国の文化を強要される。その屈辱と絶望に耐えかねた民が立ち上がるのは必然だっただろう。
しかし、武力の差は歴然だった。残党はひとり残らず、続く者の無いよう惨いやり方で処刑されたと聞く。そんな話を耳にすれば、胸は痛むし残された民を哀れにも思う。けれど、それが戦の現実。今のこの世界に遍在する日常。
だから、この宴にもそんな影は微塵もない。ただ領主さまの勝利を祝う。杯を掲げ言祝ぐ。領主さまに勝利あれ。領地の繁栄のために。生き残る未来のために。
遠く、ホールの奥の壇上に領主さまが立つ。歓声に手を上げて応え、堂々たる体躯に豪奢な衣装を纏い、笑顔で招かれた客に応えている。たぶん、そうだと思う。アリシアからは遠すぎて、その表情どころか領主さまの顔かたちさえ、はっきりとは分からなかった。
そんな離れた場所から、けれど、声だけは朗々と響いて通る。きっとそのためにホールの天井は高く、広く作られているのかもしれない。天井に壁に響いて、領主さまの言葉が届いた。
「今宵はよく集まった。我が民よ。祖国の勝利を祝って踊るがいい。騒ぐがいい。この私が許そう。これはそなたらのための宴なのだから」
歓声がより大きくなり、領主さまを称える声が絶え間なく上がる。それを片手を上げることで鎮め、よく通る声で続けた。
「そなたらの労をねぎらうため、今宵は我が“鳥”の歌声をここで披露させるつもりであった。……だが、まこと残念なことに今は喉を痛めて歌えぬ様子。いや、大事はない。身体を休めていればきっと近いうちに、あの美しい歌声は戻るだろう」
落胆の声と“鳥”を案じる声がどよめきとなって上がる。そういえば、今朝はあの歌声を聴いていない。アリシアが完成間近のレース編みに夢中になっていたせいかと思っていたが、そもそも今日は歌っていなかったのだ。
領主さまはざわめきを宥めるように再び手を掲げた。その手にはグラスがある。その中には、きっとなみなみと注がれたワインが揺れているのだろう。
「我が“鳥”の歌声はないが、ここには美酒も美食も、王都より招いた楽師の奏でる音
楽もある。今宵は踊り騒げ。我らが勝利に」
我らが勝利に、と唱和が大きく響き、グラスがぶつかる音があちこちで続く。宴が始まる。楽師の音楽が聞こえてくる。あちこちでできあがる談笑の輪、領主さまへ挨拶をしようと列を成す人々の列の間を縫って、アリシアはホールの外へそっと抜け出した。
幸い、それを気に掛ける者は一人もいない。今は祝宴、華やぐものが目をくらましてくれる。
アリシアは、ショール代わりに肩にかけていた黒のヴェールを頭に被り、庭に植えられた薔薇の茂みを縫って足早に進む。これまでにも何度か、献上品を収めに城内に上がったことがある。だから方角に間違いはないはず。
一心に進むアリシアの行く手に明かりが見えて、はっと足を止める。二人組の警備兵がランタンを掲げ、アリシアを見つける。
「そこの者、止まれ」
鋭い声に身が竦む。近づいた警備兵たちはアリシアを明かりの中で見て、にわかに態度を和らげた。
「貴女はもしや、祝宴に招かれたご令嬢ですか?」
「これは失礼を。なんとも美しいヴェールですねえ。まるで夜空を切り取ったような」
感嘆の声を漏らして、恭しく胸に手を当てる。どうやら身分の高い娘だと勘違いしてくれたらしい。アリシアは勇気を振り絞って、ヴェールの中で務めて毅然と顔を上げた。
「ええ、父と一緒に領主さまに招かれたの。素晴らしいお庭だから、つい気になってしまって」
ドレスの裾で隠れた足が震える。不審に思われはしないかと、壊れそうなほど心臓が早鐘を打った。
「領主さまご自慢の庭園ですからね。しかし、この先にはご婦人の目を楽しませるようなものはありませんよ。明かりも少なくなりますし危険です」
「そちらの小道のほうに、早咲きのカメリアが植えられています。そちらをご覧になっては?」
「ええ、ありがとう。そうしてみるわ」
「では良い夜を」
頷くと、幸い警備兵たちはそれ以上の詮索はせずに巡回に戻っていった。念のため道を戻り、教えられた小道に向かって歩いて行く。少ししてから周囲を窺うが、周りに人の気配はない。肺が空になるほど息を吐き出し、緊張で汗ばんだ両手を組み合わせた。
危ないところだった。ここで警戒されてしまっては、唯一の機会がふいになってしまう。より慎重にことを進めることに決めて、再びそろそろと塔を目指して移動し始めた。
宴に大勢の客人を招いているためか普段以上に警備兵が配置されていて、すべてをやり過ごして進むのには途方もなく根気と精神力が必要だった。ようやく塔の前に立った時には、秋も深いというのに全身汗だくで、髪もいくらか崩れてしまっていた。
額を手の甲で拭って、周りにひと気がないのを確認してから顔を覆うヴェールを肩にかける。見上げた塔は黒く高く、夜空に魔物のような威圧感を持って聳えている。明かりは一つも見えず、静寂の中で聞こえるのは木立の枝葉を揺らす風の音だけ。
心細さを押し込めるようにぎゅっと胸元を押さえて、両手を下ろす。ゆっくりと塔の扉に近づき手を掛けるが、当然ながらしっかりと施錠されていてびくともしない。石造りの壁に埋め込まれた強固な鉄の扉は、たとえアリシアが屈強な男性であったとしても攻略できるとは思えなかった。
だとすれば、アリシアに出来ることは一つしかない。夜空を仰ぎ白い半月の位置で現在時刻の見当をつけ、どうやら目的の時間には間に合ったようだと胸を撫で下ろす。ヴェールをしっかりと被り直し靴を脱ぐと、生い茂る木立に分け入って出来る限り縮こまり、身を隠した。
しばらくして、地面に着いた膝に痛みを感じ始めた頃、ランタンの光が近づいてきた。ヴェールとドレスの暗い色彩がアリシアを隠してくれるはずだと思っていても、再び全身に緊張が走る。ここからはいくら慎重になろうと先が読めない段階だ。
アリシアが身を潜める木立のすぐ近く、扉の前に立ったのは先ほど見た警備兵とは異なる者たち。お仕着せの上に外套を羽織った初老の女が二人だ。
何度か納品のために出入りするうち、親しくなった城の者に世間話を装って聞き出した情報の通りだった。毎夜、この決まった時間に警備兵を伴わない侍女が二人、“鳥”のための食事を運んでいる。確かに一人が籠を持ち、もう一人がランタンを提げて扉に鍵を差し込んでいるようだった。
間もなく解錠され、扉が開く。鍵を開けた一人がランタンをもう一人の女に渡し、何か言葉を交わしてから扉の外に残った。女が閉じた扉を再度施錠しようと背を向けた瞬間、拾っておいた小石を彼女の足元に投げた。その音をいぶかしんだ女が軽く屈みこんだ瞬間、アリシアは素早く木立から飛び出していた。
背を向けたまま中途半端に屈みこんだ女の顔に、懐から取り出した手に握っていた布を押し付ける。途端、気を失った女が声もなくその場に崩れ落ちた。
警備兵をやり過ごした時以上に
布には、麻酔に使われる強力な薬草の濃度を上げたものを浸みこませてあった。上手くいくか半信半疑だったが、どうにかここまでは予定通りだ。
彼女が風邪を引いたり、なにか後遺症が残ったりしませんようにと祈りながら、鍵が差し込まれたままの扉を極力音をたてないように押し開き、隙間に身体を滑り込ませた。
数歩先がすぐ階段になっているのを確認して鍵を取り扉を閉めると、塔の中は完全な暗闇になった。自分の手のひらさえ見えない闇の中、足元を探りながら壁伝いに螺旋状の階段を上っていく。
途中、半周ごとに明かりとりの小さな窓が付いていたおかげで高さや足元の様子がうかがえたが、壁と反対側の階段の端が手すりも何もない吹き抜けだったことには肝を冷やした。知らずに端へ寄っていたら、命はなかったに違いない。
緊張で疲労が増した足が鈍くなってきたころ、永遠に続くかと思えた階段の果てにやっと辿りついた。入り口と同じ鉄の扉の鍵は開いていた。中を窺って滑り込むと、奥にもまた扉がありそこから漏れる明かりが見えた。
絨毯が足音を消してくれるのを幸い、早足で扉に近づく。そのまま覗き込もうとした瞬間、出てきた女と鉢合わせた。
向こうも人がいるとは思わなかったのだろう、幽霊を見たような顔で悲鳴を上げ、後ずさった。
ランタンが絨毯の上に落ち、衝撃で火が消える。朧な月光の中で慌ててもう一人の時と同じように対処しようとしたが、女は提げた籠に手を入れるとぎらりと鈍く光るナイフを取り出し、こちらに向けてきた。予想していなかった最悪の状況に一瞬、判断が遅れる。
女が金切り声をあげて踏み込んできた。我に返り、とにかくナイフを避けようと身をひるがえすが、絨毯に足を取られて転びかける。壁際の長椅子に手をついて体勢を立て直すが、もう避ける時間はない。
とっさに、手に触れた柔らかなものを飛び込んでくる女との間で盾にした。どん、と鈍い音と衝撃があったが痛みはない。盾にしたクッションが刃先を防いでくれたようだった。
一方、暗闇の中の手ごたえで人を刺したと勘違いした相手は動転してナイフを離し、後退って背後の低い飾り戸棚にぶつかった。その拍子に何か硬いものを倒した音と悲鳴が重なり、女は床に倒れ伏した。
そのまま起き上がる気配のない彼女の頭の横には、持ち上げるのも大変そうな大きな燭台が転がっていた。恐る恐る確認してみたが、息はある。極度の緊張状態とおそらくは燭台に頭をぶつけたショックで気絶してしまったらしかった。
間一髪で危機を逃れたアリシアも床に膝をつき、荒く肩で息をした。冷や汗が止まらない。もう一生分を打ったんじゃないかと思うほどに、耳に響く鼓動も早かった。
心臓のあたりを押さえて何度か深呼吸を繰り返す。どうにか自分を取り戻したところで、可笑しいくらい震える足を叱咤して立ち上がった。
明かりが漏れる扉を見つめて、唾を飲み込む。……ようやく、ここまで来た。
いつも見上げていた塔の最上部に、自分は立っている。ここが、歌声の響く場所。唯一無二の声を持つ領主さまの“鳥”が、この先にいる。
絨毯で足音はしないとわかっていても、必要以上に慎重に明かりへ向かって歩いた。そっとのぞいたそこは、鈍いオレンジ色のランプに照らされた優美な設えの部屋だった。毛足の長い絨毯や緻密な飾り模様の入った調度品は、一目で高価なものだと知れる。しかし、武骨な石の壁だけは隠せるものではなく、その落差が冷え冷えとした印象を感じさせた。
室内を見回すと、一番目を引くのが正面の大きな飾り窓だ。その向こうはバルコニーになっているようで、青白い月明かりが薄いカーテンの向こうに見えた。奥は数段高くなっていて、そこには天蓋付きの大きなベッドもあった。
アリシアはふと、ベッドにかかる薄絹に隠れて身じろぎする影に気づく。気持ちを落ち着けるためにもう一度深呼吸して、そろそろと奥へ進む。数段の階段に足を掛けるとその影はあからさまにびくりとして、同時に何か金属のようなものが擦れ合う音がした。
どきどきと鼓動が早まるけれど、今までとは違って不快な感じではなかった。ただ、焦がれた相手に会えるという当たり前の期待と不安があるだけだ。
ベッドをゆっくりと回り込み、天蓋を支える柱の陰で縮こまる影を視界に入れる。しゃら、とまた音がした。
いつの間にか、呼吸を忘れていた。
アリシアが三年間、焦がれてきた相手。ようやく同じ場所に立てた、塔の上の手の届かない存在。思い描いていたよりもずっと確かに、聴き続けてきた歌声よりもずっと美しく。
「あなたが“鳥”なのね」
ようやく漏らした吐息は、感嘆のため息だった。
怯えて縮こまる影が身じろぎする。
「あなたは、だれなの……?」
すがるように薄絹を握りしめた“鳥”が、震える声で問いかける。喉を壊したと言われていた通り痛々しくかすれてはいたけれど、歌う声そのままの澄んだ声音だった。
ひらひらとした裾の長い服と、同じく驚くほど長い金の髪を絨毯に波打たせて。荘厳なほど麗しい歌声を持つ領主さまの“鳥”――そう呼ばれる少女は、戸惑いを強くした神秘的な青紫色の瞳を瞬かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます