第5話 外の世界

「シ、シルバークラスハンター……」


 呆然とした顔で、プレアはつぶやく。先程から、目の前で起きていることが信じられないのだ。

 今まで、ずっと憧れ続けてきた存在。

 外の世界を支配する強大な吸血鬼達に対して、自らの命すら顧みず、人類のために果敢に挑みかかっていく、誇り高き戦士達。

 自分とは違う、遠い世界に住む人間だと信じて疑わなかった存在。ハンター。

 それが今、プレアの目の前にいるのだ。しかも彼は、その中でもトップクラスの実力を持っているらしい。


 あんぐりと口を開けたままのプレアを見て、ジークは面倒臭そうに言った。


「だから、さっきから何度もそう言ってるだろ。で、一体俺に何の用なんだ?」


 未だ心ここに非ずといった様子で、ふらふらしているプレア。

 クリクリと渦巻く金髪の天然パーマ。優しそうな眉。いかにも温和そうな顔の表情。

 その姿を見て、ジークはハァと溜息をついた。

 何もかもが、記憶に残る大親友の顔とそっくりだったからだ。


(……ったく。どうしてこうなるかねぇ)


「も、もう一度、バッジを見せてもらっていいですか?」

「……ほれ」


 先程とは打って変わって、かしこまった態度をとるプレアに、ジークはハンターバッジを放り投げた。

 まじまじとそれを眺めつつ、プレアはぼそりと呟く。


「……本物だ。こんな人が……」

「悪かったなぁ! こんな人で!」


 どうやら性格の方もそっくりなようだ、と、ジークは頭を抱える。

 とはいえ、ジークはこれ以上この少年と関わるつもりはなかった。

 おそらくは亡くなった親友の息子であるだろうが、自分には関係のないことだ。

 とっととこの場から立ち去ろうとしたところで、少年の声がかかった。


「あの、ハンター様。ひとつお願いがあるのですが……」


 立ち止まるジーク。

 正直なところ、特に用事があるわけでもない。

 半年ほど前から追っていた吸血鬼を、つい先日完全にロストしてしまったのだ。

 任務失敗。捜査もまたふりだしだ。


「もしよろしければ、星空とか、海とか、外の世界のお話を、聞かせていただけたらなぁーって……思うの……です……が……」


 尻すぼみに声が小さくなるプレア。

 どうやらジークが沈黙しているため、嫌がっていると感じたらしい。

 ジークはため息をついた。


「聞いてどうするつもりだ」


 突きはねるようなジークの口調に、プレアは一瞬だけ困った顔を浮かべる。

 ややあって、プレアはおずおずと懐から一枚の絵を取り出した。


「これ。僕の宝物で……昔友達に見せてもらった夜空の写真を思い出しながら、僕が描いたものなんです」


 ジークは、プレアから手渡された手の平くらいの小さな絵を受け取ると、じっと見つめた。

 草木の生い茂る、真っ暗な森の中から見上げた、満月の夜空。

 緑、黒、黄の三つの色が見事に絡み合い、美しいの一言だ。

 長年、外の世界を見てきた男の目から見ても、少年の絵は圧巻だった。

 とても、外の世界を知らずに描いたとは思えないほどの出来栄えだ。


「いつだったかな……ふと、思ったんです。空は、山は、海は……僕の知らないこの世界は、どんなものなんだろうって」


 話しながら、プレアの瞳はしっかりとジークを捉えていた。

 ぞっとするほどに純粋な瞳。

 年下の、それどころかまだ幼いはずの少年から発せられる圧に、ジークはすくんだ。

 人の心を覗き込んでくるかのような目。

 底無しの好奇心を持つ無邪気な心。

 その姿が、嫌が応にもかつての親友の姿を思い起こさせる。


 そんなジークの心の内も知らず、プレアは頬を少し赤らめると言った。


「実はこれ……まだ誰にも言ったことがないんですけど……」


『なぁ、ピエール。前々から思ってたんだけど、なんでお前商人なんてやってるんだ?金には困ってないんだろ?』

『うーん。ま、色々あるっちゃあるんだけど……一番の理由は夢だから……かな』

『は?なに?お前商人になるのが夢だったの?』

『違う違う。そうじゃなくて』


『この広い世界を自由に旅するのが、俺の夢なんだ』


「大きくなったらハンターになって、外の世界を旅するのが、僕の夢なんです」


「……ッ!」


 ジークの目の前で嬉しそうに話す少年と、かつての友の姿が重なる。

 同時に、ボロボロになって、今にも死に絶えそうな友の姿も。


 彼は弱かった。

 それなのに夢だけは誰よりも大きく、志も高かった。

 あの時は彼のことを、大きな器を持った人だと思っていた。

 でも、今はそうは思わない。

 彼は、自身の実力に不釣り合いな夢を追い求めたが結果、その命を落とすこととなった。

 世間一般的に、彼のような者をなんと呼ぶか。

 ジークは知っている。


「お前は馬鹿だ」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


「大した力もないくせに、そうやって志だけは高い。さっきハンターになるとかほざいていたが、見たところ何の努力もしてないだろ。その体を見ればわかる」

「あの、ハンター様……?」

「お前は貧弱すぎる。その体でハンターになるだぁ? 笑わせるんじゃねえ。お前みたいなクソガキになれるほど、安い職業じゃねえんだよ」


 一度言い出すと、もう止まらなかった。

 血だらけの親友。

 無力に立ち尽くすジーク。

 溜まりに溜まった後悔の念を吐き出すかの如く、ジークの口はすらすらと動く。


「お前みたいなひよっこが増えると目障りなんだよ! わかったらとっとと失せろ! 二度とハンターになるなんて言い出すんじゃねえ!」

「な、何もそこまで言わなくても……」

「うるせぇ! クソガキの分際で生意気言うんじゃねえよ!」

「そんな理不尽なこと……あぁっ!!」


 勢いに任せて、ジークはプレアの絵を破り捨てた。

 薄茶色の地面に、ばらばらになった紙切れが落ちていく。

 その姿を呆然と眺めるプレアに止めを刺すかのように、ジークは靴の裏で紙切れを踏みつけた。

 まばらになった宝物の一部が、ちょうどやってきた送風機に風になびかれて、空へと舞いあがる。

 次の瞬間。

 プレアの中でプツンと何かが切れた。


「ふざけるなああああ!」


 右手を振り上げ、ジークめがけて飛びかかるプレア。

 しかしジークは、まるで飛びかかってくることが分かっていたかのようにヒョイと身を躱すと、そのままプレアの片手を掴んで、勢いよくベンチに叩きつけた。

 ガシャアンと派手な音を立てながら、広場のベンチが真っ二つに割れる。


「お前みたいなザコ、一生かかってもハンターになんかなれやしねえよ。大人しく街の中にいるんだな」


 ジークはそう吐き捨てると、破り捨てた紙くずにペッと唾を吐いた。


「……ハンターになんかなるんじゃねえ。お前みたいなザコが増えると迷惑だ」


 ジークがベンチの方に向き直ると、案の定、ベンチで倒れていた少年と目が合った。

 二人の間に短い沈黙が生まれる。

 しばらくの間、プレアは自身の身に起こったことを理解できなかった。

 あまりの衝撃に、頭の回転が追い付いていなかったのだ。


 しかし自身を見下ろすジークの姿を見たことで、ようやく現状を理解した少年の胸には、ふつふつと煮えたぎるような怒りの感情が込み上げていた。

 凄腕のハンター。

 どれだけ立派な人物かと思えば、他人の夢を踏みにじる、ただのろくでなしだった。

 自分が、今までこんな人物に憧れていたのかと思えば思うほど、無性に腹が立った。


「馬鹿にするなあああ!!!」


 頭に血が上ったプレアは、右手の拳を固く握りしめ、再び目の前の男へと飛びかかった。

 否。正確には飛びかかろうとした。

 プレアが、両足を曲げて男に飛びかかる体制に入った時には、既に男の蹴りが入った後だったのだ。


 すさまじい速度で繰り出された蹴りを受け、飛びかかったそばから体が百八十度向きを変える。

 そのまま勢い良く後ろへ吹き飛び、成す術なくドオンと派手な音を立てながら、今度は広場の木に激突した。


 あまりの痛みにその場でうずくまる少年。

 その姿を背に、男は一人、溶けるように人ごみの中へと消えていった。

 ざわざわと周囲が騒がしい気がするが、今はどうでもいい。

 心配そうに周りの人々が駆け寄ってきて、何やら心配してくれているようだが、何もかもが上の空だった。

 少年の胸にあるのは、ただ一つの感情。


 どす黒い感情の波が、少年の胸の中を埋め尽くす。

 自身の夢を無残に踏みにじられて。

 尊敬していた「ハンター」にコケにされて。


 ポタポタと悔し涙を流しながら、少年は思った。


 こうなったらハンターになんてならずとも、意地でも外の世界に出てやるんだ、と。


 ◇ ◇ ◇


 ギルドというものがある。

 ハンターの登場と共に各地に設置された施設のことで、今ではほとんど全ての地下都市に存在する、いわばハンター協会の支部のようなものだ。

 その活動は多岐に渡り、各都市からのハンター試験への応募や登録、シルバーズの修理や点検、金貨の貸与に至るまで、ありとあらゆる面でハンターへの支援活動を行っているほか、街の人々に外の世界の情報を伝える、広報の仕事なども行っている。


 とはいえ、プレアが住んでいるような小さな街ではハンターが訪れる事自体極めて珍しいことであるため、ハンター専用の施設というよりは、なんでも屋という方が相応しい有様になっていた。

 現に、街の中心街に位置するこの建物の一階ではなぜか酒場が営業しており、普段は夕方から夜にかけて、仕事帰りの男達のたまり場となっている。

 よって、平日の昼時は店内が閑散としているのが常で、この空いた時間にボーッとするのが、酒場の店主もといギルドスタッフの日課の一つであった。


 しかし今日ばかりは真昼間だというのに、珍しく店内に客の姿があった。


 みすぼらしい灰色のマントを羽織り、ちびちびと酒を飲む男。この辺りではあまり見ない人物である。

 男は、終始溜息をついては、ふるふると首を振っていた。


「はあー。ガキ相手に何やってんだろ俺……」


 本日何度目かもわからない溜息をついてから、男はグビリと酒を仰いだ。

 とその時。


 バタンと乱暴に扉が開けられたかと思うと、先程の子供と同じくらいの少年が、息も絶え絶えに店の中へと駆けこんできたのだ。

 制止するギルドスタッフを強引に振り切り、少年は男に向かって叫んだ。


「やっと見つけた! お願いしますハンター様、プレアを助けてください!」

「……なんだお前?」


 一体何事かと男が尋ねる前に、少年は一際大きな声でこう言った。


「さっきあなたと喧嘩してた子供が、!!」

「なんだって!?」

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