第4話 プレアとジーク

「ハアァーックシュン!」


 思わず耳を塞ぎたくなるような豪快なくしゃみが、昼前の賑やかな商店街に響き渡った。通行人の幾らかが、驚いて声の主へと振り返る。しかし案の定、彼の姿を見た者はサッと目を逸らすと、すぐに己の仕事へと戻っていった。


「ックシュン! ハアァーックシュン! ……あぁー、なんかよく分からんがくしゃみが止まらねぇ。誰か俺の噂でもしてんのかな」


 そう言って、鼻を袖でごしごしとこすりつつ、気だるげに歩く一人の男がいた。

 服装は小汚く、所々がボロボロにちぎれた灰色のマントを羽織っている。

 その姿はまるで浮浪者のようだった。


 彼の名はジーク。

 第一線で活躍する、S級のプロのハンターである。

 ちなみに、ハンターはその実績や戦闘能力に応じて「F・N・C・A・S・G」の6つの階級に分かれている。


 試験には合格していないものの、アマチュアとしてハンター活動を行っている者達が所属するフリークラス。通称F級。

 全ての試験に合格し、プロになったばかりの新米ハンターが属するノーマルクラス。通称N級。

 ノーマルクラスに所属したのち、プロハンターとして5年以上連続で活動を続けている者達が所属するカッパークラス。通称C級。

 ある一定の成果を上げた者達が所属するアダマンタイトクラス。通称A級。

 数々の成果を上げ、なおかつ戦闘力に優れた者達が所属するシルバークラス。通称S級。

 数多の成果を上げ、人類の繁栄に多大なる恩恵をもたらしたごく一部の者達が所属するゴールドクラス。通称G級。


 一般的にC級にもなれば、一人前のハンターとしては申し分ないと言われている。中でもA級以上のハンターはとても珍しく、人々の畏怖と尊敬の的となっている。

 その数は、全体のおよそ2%にも満たないほどだ。


 ジークは、Sの階級を持つハンターである。

 通常、S級のハンターが街を訪れるともなれば、街を挙げての歓迎が行われ、一時的にお祭り騒ぎにもなるものだ。

 しかしココ、レインポートの街は、S級ハンターの訪問があっても物静かなものだった。


 間違っても、この街の住人がジークの事を嫌っているからとか、そういうことではない。

 単にジークが街に対して事前連絡を行わなかったのと、自分が訪れていることを公にしないようにと頼んだからだ。

 元々、ジークはこの街に寄るつもりはなかった。

 つい先程までは協会から受諾した任務で、南部の鉱山都市を壊滅させた危険ランクSの吸血鬼『蟻地獄のデリック』を追っていたところだった。

 しかし昨日行われた戦闘中に、持病持ちの足が悪化して対象に逃げられ、そのまま大森林に身を隠されてロストしてしまったのだ。

 完全に見失ったターゲットを前に途方に暮れていたところ、そういえばかつての友人の故郷がこの辺りにあったことを思い出し、情報収集ついでに立ち寄ったというわけだ。


 既に街を守る衛兵たちに接触したものの、大した情報は得ることができていない。

 ハンターギルドにも立ち寄ったが、そもそもこんな辺境に位置する街だ。

 情報どころか、まともに機能してさえいなかった。ほとんど酒場のようになっている。

 ちなみに、ハンターギルドとは各地下都市に一つずつ設置された、協会管轄の施設の事で、主に武器の整備等を含めたハンターへの補助活動や、街の人々との情報共有を行っている。

 立ち寄ったついでに、近隣の要注意吸血鬼のリストだけは更新しておいたが、この調子ではおそらく誰も見ていないだろう。


「ふぅ……」


 思わずため息が漏れる。

 もし、かつての自分を知る者が今のジークの姿を見たら、きっと驚くことだろう。

 こういってはなんだが、昔のジークはため息とは縁のない人間だった。

 明るく粗雑で、しかし豪快な性格。悩みなどなく、ひたすらに前だけを見て歩き続ける。そんな人間だった。

 しかし歳をとるにつれて、だんだんと考えることが増えた。

 悩みも増えた。


『後は頼んだ……。託したぜ。ジーク』


 今は亡き親友の言葉を思い出しながら、ジークは再びため息をつく。


「おまえの頼みは、いつも無茶苦茶なんだよ。ったく……」


 今回の任務は失敗だ。

 どうにも最近、調子が良くない。

 近頃、持病が悪化してきて、まともに動けないことも原因の一つだろう。

 そろそろ潮時なのかもしれない。


 あきらめて帰還しようと考えたその時、ふと、商店街の一角にある屋台が目に入った。

 透き通るほど美しい、透明な直方体の食べ物。

 かつての親友が、常に持ち歩いては美味しそうに食べていたもの。


『なぁ、ピエール。何なんだそれ?』

『ん? あぁ、これか。こりゃ、俺の故郷の食い物だ。もう残り少ないからやらないけど。ま、いつか寄ることがあったら、一度食って見ろよ。酒の肴に最適なんだ。きっと気に入ると思う』


 何かに吸い寄せられるように、ジークはふらふらと歩いて行った。


「オヤジ。その透明なの、俺にも一つくれ」

「はいよ。にしてもあんちゃん。このあたりじゃあまり見ねえ顔だな。旅のモンか?」


 ジークを見た屋台の店主が、野太い声でそう尋ねてくる。

 肌は浅黒く、地下都市の住人にしては珍しく日に焼けている。

 昔は衛兵の仕事でもやっていたのだろうか。

 いかにも屋台のオヤジといった風貌の男だ。


「んー。まぁ、そんなところだ。ところで、この街の通貨は何を使ってるんだ?」

「コルド紙幣が主だな。あぁ、そうだ。外の人間がこの街に来ることは滅多にねえから、悪いが役所での換金も期待出来ねえと思うぜ。なんなら、一個くらいサービスしてやってもいいが」

「すまんな。助かる」


 ジークは、屋台の店主に向かって礼を言うと、透明なバーを一本受け取った。

 シュガースティックというらしく、なんでも、この街でしか売っていない食べ物だそうだ。

 どこか食べる場所はないかと、辺りをキョロキョロと見回す。

 昼時になり、沢山の人々でごった返している手前、歩きながら食べるのは気が引けた。


「あそこでいいか」


 ちょうど近くにベンチのある広場を見つけたジークは、周りの眼も気にせずどっかりと座りこんだ。

 ちなみにほとんどのベンチは若い男女で溢れかえっている。

 デートスポットか何かなのだろうか。


「とりあえず酒だな酒」


 チラチラとこちらを窺う視線を感じる。が、全て無視することにした。

 構わず手持ちのバッグから酒瓶を取り出す。手持ちの中では一番高級なものだ。

 この酒を手に入れるのに、どれだけ苦労したことか。手持ちの金をはたいて、ようやく手に入れた銘酒。

 ジークはしんみりと目をつむった。


 長年、飲むのを躊躇っていたが、しかし今日この時こそが、この酒を飲むのにふさわしい日だろう。

 親友が愛してやまなかった食べ物。

 話によると、酒によく合うとのことだった。

 つまり美味いのだろう。

 そして美味い物には美味い酒が必要だ。


 グビグビと、まずは酒に口をつける。

 うまい。

 任務中に酒を飲むなど、本来ならば言語道断であるが、どうせ今回の任務は失敗なのだ。

 少しくらいハメを外したっていいだろう。

 なんだか今日は、妙に疲れた。


「さぁて、どれどれ~。一体どんな味が……」


 透明なそれを一口含んでから、驚愕のあまり目を見開く。

 そして。


「おげぇぇええええっ!」


 ジークは、レインポート屈指のデートスポット、サラン広場のベンチで、盛大にゲロを吐いた。


ーーー


 走りながら、プレアは己の愚かさを呪っていた。

 興奮のあまり、例のハンターの特徴を聞くことをすっかりと忘れていたのだ。

 マヌケである。

 特徴も知らない人物を、一体どうやって捜すというのだろうか。


 カイから聞いたのは、「凄腕のハンターが街に来ている」ということだけだ。

 しかし、カイの話を聞いてから、かれこれもう一時間近く経っている。


 思い当たる場所は全て探しつくした。

 衛兵庁も、ハンターギルドも、酒場も、街役所も。

 しかし、どこにもそれらしき姿は見えなかった。

 大した情報も得られていない。


 唯一変わった情報があるとすれば二つ。

 ギルドの手配書が更新されていたことと、衛兵庁の受付で「小汚い浮浪者が、直近のパトロールリストを閲覧していった」という話を聞いたことくらいだった。

 この街、レインポートには、特にこれと言って何かめぼしい観光地や特産品があるわけではない。ハンターが立ち寄る理由としては、情報収集といったところが妥当な線と言えるだろう。

 この話に出てくる、「小汚い浮浪者」という者が、カイの言っていた凄腕のハンターならば確かに辻褄は合う。

 しかし。


「うーん。小汚い浮浪者っていうのが、なんだか引っかかるんだよなぁ」


 小汚い浮浪者。

 プレアの持つハンターのイメージとはかけ離れた存在だ。

 それに、ハンターはとてつもなく儲かる仕事でもある。

 今、その巨大な資産を用いて、大きな地下都市の経済を牛耳っている人間の中には、元ハンターという者も多い。

 仮にも凄腕のハンターだというのに、浮浪者のような恰好をしているとはどういうことだろう。

 もっとも、単に本人が服装に無頓着だということも大いに考えられるが。


 それと、気になることはもう一つある。

 カイによれば、件のハンターはSレートの吸血鬼を追っていたという話だった。

 それならば、最低でもアダマンタイト(A)級のハンターでなければ厳しいはずだ。

 そして、A級以上のハンターが来ているというのに、街では何の祝賀も行われていない。

 普通、A級以上のハンターが訪れれば、街は大騒ぎになったり、歓迎会を開いたりするものだ。


 一瞬、情報が間違っているのではないかという考えが浮かぶが、すぐに振り払う。

 今まで、カイの情報が間違っていたことなど一度もなかった。


 間違いなく、ハンターはこの街に来ている。

 もしかしたら周りにバレないよう、お忍びで来ているのかもしれない。

 だとすれば、カイはなぜこのことを知っていたのかという話になるが……。

 とにかく、一度カイに会って話を聞いてみるのが一番だろう。


 などとプレアが考えていたその時。


「おげぇぇええええっ!」


 すぐ近くの広場で、獣のうめき声のような音が聞こえた。

 何事かと振り向くと、そこには口元を両手で押さえ、ベンチで嘔吐する小汚い浮浪者の姿があった。

 恐る恐る近づいてみる。


「おえっ! なんだこれ! 甘すぎるだろ! マッズゥ! ピエールの奴、こんなもの食ってたのか! 信じられねえ! 何が酒によく合うだ! 頭おかしいんじゃねえのか!! ちくしょう!アイツ、俺が甘い物苦手だって知ってたくせに! 嵌めやがったなちくしょおおおお!」


 浮浪者は、我を忘れて怒り狂っていた。

 どこからどう見ても危ない人間にしか見えない。

 周りにいた人々も、関わるまいと視線を逸らしている。

 それを見たプレアも、とりあえずこの場から離れようと、そっと足を後退させたところで、浮浪者と目があった。


「あ」


 気づいた時には、既に遅かった。

 浮浪者は、血走った眼でこちらに向かって突進してくる。


「てめえ! ピエェェェル!!」


 そのまま浮浪者に肩をつかまれ、プレアは恐怖のあまりヒッと声を上げる。

 静観していた周囲からも、一体何事かとざわめきが巻き起こった。

 と、肩をつかんでいた浮浪者が我に返ったように大人しくなった。

 見ると驚くべきことに、浮浪者は目を見開いて口をパクパクさせている。

 信じられない物を見たといった様子だ。


「あ、あの……?」

「…………すまん。どうやら人違いだったようだ」


 先程とは打って変わって小さな声でそういった浮浪者。

 彼の横顔は、どこか悲しげな雰囲気を醸し出していた。


「えーっと……何かあったんですか?」


 なんとなしに、プレアはそう尋ねた。

 特に深い意味合いがあったわけではない。

 浮浪者が、力なくこちらを振り返る。

 その拍子に、ボロボロのマントがふわりとなびき、中に取り付けてあった物が見えた。

 その中に、きらりと光る大きな銀色のバッジがあった。


「え……!?」


 今度はプレアが驚く番だった。

 見間違えるはずもない。

 そのバッジには、間違いなく《SILVER CLASS HUNTER》と刻まれていたからだ。


「ん?どうしたんだ坊主。鉄砲食らったハトみたいな顔して」


 これが、後に大事件を起こし歴史にその名を刻むこととなる、若き日の少年プレアと「S級ハンター」ジークとの出会いだった。

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