第3話 吸血鬼

 プレアがカイの話を聞く半日ほど前。

 辺りにはうっそうと木が生い茂り、陽の光すら通さない深い森の中を、一人の男が歩いていた。

 年齢は三十台後半といったところだろうか。

 真っ白な肌を隠すかのように漆黒のコートを身に纏った男は、薄暗い森の背景にすっかりと溶け込んでいた。

 上質な革のコート。

 一目で高価なものと分かるそれであるが、しかし右肩から腕にかけては大きく破れ、抉れた腕の肉が露出している。

 男は傷ついた片腕を残りの手で押さえながら、うめき声を上げた。


「クソッ……! 傷が治らねえっ……!」


 男の名はデリック。

 巷では”蟻地獄ありじごく”のデリックと呼ばれている。

 その由来は、彼の使う魔法から来ていた。


 デリックは吸血鬼である。

 吸血鬼という生き物は、生まれながらにして”魔法”と呼ばれる特殊な力を使うことができる。

 彼の場合、それが重力を操るものだった。

 逃げ惑う人間を、まるで蟻地獄の罠にとらえたかのように引きづり込み、捉える。

 それが、男が蟻地獄という呼び名で呼ばれる所以だった。


 同じ「旧時代の人間」から枝分かれした存在でありながら、吸血鬼だけが使うことのできる力。「魔法」。

 彼らはいわば、進化した人類である。


 彼らは通常の食事に加えて人肉、特に人の血液を摂取することで、その潜在能力を爆発的に引き出すことのできるのだ。

 加えて、思考能力などの人間の核となる能力を引き継いだまま、彼らは「魔法」の会得によって、自然界の法則すら捻じ曲げるほどの強大な力を獲得している。


 よって、彼ら吸血鬼は人間の完全上位互換とも言うべき存在であろう。

 彼らにとって「人間」とは、下等種族を指す言葉であると同時に、食料や家畜を指し示すものでもある。

 男の故郷にも、食用の人間を育てて売る畜産業を営んでいる者がいた。

 中にはペットとして人間の女を飼っていた物好きもいたくらいだ。

 つまり吸血鬼の街において、人間という生き物は圧倒的強者たる彼らによって日常的に”消費”されていたのだ。

 にも関わらず。


「痛ぇよチクショウ……。チクショウ……チクショウ……! あいつさえいなけりゃ……!」


 ギリギリと歯を噛み締める。

 デリックは追い詰められていた。

 他ならぬ人間の手によって。

 銀色に輝く不思議な武器を操る集団。

 ハンター。

 数十年前に各地で現れて以来、活動範囲に足を踏み入れた吸血鬼を執拗に追い回しては駆逐しようとする、危険な存在。

 しかし、その中身は下等種族たる人間であることが、デリックのはらわたを余計に煮えくり返させていた。


「食い物の分際でッ……! 調子に乗りやがってッ……!」


 腹立たしい思いをぶつけるかのように、デリックは隣にそびえ立つ大木に蹴りを入れた。

 魔力による身体強化の載った足が、鋼鉄のハンマーのごとく薙ぎ払われる。

 バキバキと音を立てながら、大木はか細い棒切れのようにへし折れた。


「ハァ……ハァ……」


 大きく息を吸い込み、なんとか頭を冷静に保つ。

 せっかく振り切ったというのに、また見つかってはシャレにならない。


「なんにせよ。噂通り、あのシルバーズとかいう武器はヤバいな……」


 そう言って、デリックはここまでのいきさつを振り返った。


 デリックが生まれ育った町を飛び出したのは、今から二年ほど前になる。

 目的は二つあった。

 一つ目は純粋な金儲け。

 養殖の人間に比べて、野生の人間というのは非常に高値で売れる。

 肉の旨みや血液の濃度などが、養殖のそれとはまったく異なるのだ。

 相対的に数が減っていることもあり、近年、野生の人間の価値は鰻登りになっている。

 宝探しのようなものだった。


 しかし目的はそれだけではない。

 デリックは捕えた人間を、自分一人で捕食することも多かった。

 野生の人間の持つ、濃厚な血液の味。

 一口すするたびに体中に活力がみなぎり、口の中には芳醇な香りが広がるあの感覚。

 初めてそれを口にした時、自分が求めていたのはこれだと確信した。

 特に、幼い子供の血を干からびるまで飲み尽くすのがたまらなかった。


 街の中では、人間の血を吸い尽くすといったことはあまり起きない。

 多くの人間から少しずつ血を集め、それを工場で加工してボトルに詰めるといったものが一般的だからだ。

 今考えれば、ひどく粗悪なものだった。

 なんだかんだ言っても、人間は育成に手間のかかる貴重な生き物なのだ。

 人を殺める場合にしろ、食肉用として老いた人間が手にかかる程度だ。

 だから今まで、一人の人間の血を干からびるまで飲み尽くすといったことは行ったことがなかった。


(あぁ……いかんいかん)


 口元から垂れてくる涎を抑えつつ、デリックは恍惚とした表情を浮かべる。

 あの味が忘れられない。

 きっかけは確か、隣町に行く途中でたまたまハンターの女に遭遇し、襲われたことだった。

 あの頃は時々漏れ聞く噂のせいで、ハンターに対する恐怖というものがあった。

 生まれ育った町では敵なしのデリックだったが、それでもやはり、得体のしれない物は怖い。

 しかし、そんなデリックの意に反して、女はあっさりと死んだ。

 遭遇からおよそ1秒。手加減なしの、全力の魔法。

 重力を操作し、彼女に向けて大岩をぶつける。

 全身を強打した女は、武器を抜く間もなく動かなくなった。

 一瞬の出来事だった。


 そしてデリックは彼女の血を吸った。

 そのあまりの美味に、無我夢中となって干からびるまで吸い尽くした。

 自分の力で仕留め、モノにした獲物の血というのは、格別にうまかった。

 デリックは調子に乗った。

 この調子なら、難なく人間の街々を攻め落とし、広大な領地の支配者として成り上がることができるのではないか、と。

 今思えば、それが失敗だったのかもしれない。


 つい最近までは何の問題もなかった。

 追ってくるハンターを順調に仕留め、時々小さな人里を見つけては攻め落とす毎日。

 しかし、南部地方にあるハンター協会直轄の鉱山地帯に手を出した辺りで、急に雲行きが怪しくなった。

 連盟からの手配レートが二段階飛ばして「S」になり、襲ってくるハンター達も格段に強くなってからは、まさしく激戦が続いた。

 見たこともない銀色の生物を操る者もいれば、巨大な棒を振り回す大男もいた。

 しかしデリックは強かった。それでもまだなんとかなった。


 そう。がくるまでは。


 ズキズキと肩の傷がうずく。

 半年程前だったろうか。

 出会った当初のアイツは恐ろしく強かった。

 あの時は、たまたま運良く逃げ果せる事ができたが、今遭遇すればどうなるかはわからない。

 しかし、とデリックは考える。

 果たしては本当に強いのだろうか。

 最近になって、どうにもアイツの動きが鈍くなっているように感じる。

 昨日の戦闘だって、以前のアイツなら間違い無く殺されていただろう。


 よくよく考えてみれば、巨大な得物を振り回していたわけでもなければ、見たことのないような武器を持っていたわけでもない。

 足も大して早くないことは、手負いのデリックが逃げおおせていることからもわかる。

 対策の立てようなど、いくらでもある。

 冷静になって観察すれば、一般的な剣を持っているだけの、ただの人間だ。


 思えばアイツとの交戦は、魔力を消耗したときばかりだったような気がする。

 単に、自分が弱っていただけの可能性も高い。

 近頃は連戦続きで、まともに血液を補給できていなかった。

 人間の血液を補給しないと、吸血鬼は満足に魔法を行使することができないのだ。

 何より、

 もしかするとだが、今までの鬱憤を晴らすことができるかもしれない。


 いずれにせよ、血液を補給しないことには話にならないだろう。

 ふと、道の先に商人の一団を発見した。


「ククク……グッドタイミングだ」


 ニヤリと口元を歪める。

 野生の人間の血。久しぶりに味わう極上の一品。

 自然と口元から涎があふれ出てくる。

 デリックは視界の先にいる一行に向けて狙いを定めると、静かに魔法を行使した。

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