第2話 来訪者

 地下都市レインポートは、小さな農業コロニーである。

 都市というにはあまりに小さく、人口もわずか一千人ほど。街の大きさもたったの五百立方メートルで、大きな畑を作る余裕もない。そのため、狭い空間をふんだんに使った階層状の農業で、なんとか生計を立てている状態だ。

 また、特にこれといった特産品があるわけでもなく、貿易商人が訪れることも滅多にない。典型的な貧しい田舎街である。


 「外の世界」には危険が多く、ほとんどの人はこの狭い地下の中で一生を終える。そのため、他の地下都市がどうなっているかを知る者は少ない。


 通常、地下都市にはそれぞれ独自の文化が芽生え、それを武器に周囲の街々と交易を行い、利益を生み出すスタイルが一般的だ。しかし、この地下都市レインポートの近隣には、全くと言っていいほど都市が存在しなかった。


 そのことも原因の一つだろう。

 地下都市レインポートは、ひどく閉鎖的な街だった。他の街々との交易もほとんどなければ、フリーの貿易商人が訪れることだって滅多にない。


 地熱発電による電力を用いた疑似太陽によって植物を育み、毎日の糧とする。かれこれ何百年もの昔からずっと続いている、この街の生命線。レインポートの歴史は、長きに渡って停滞していた。


◇ ◇ ◇


 窓から見える外の景色を眺めながら、プレアは小さく欠伸をした。

 街の中心地にある、二階建ての大きな建物。ここでは、6歳から15歳までの子供達が日々、様々な事を学んでいる。

 いわゆる学校である。


 教卓の前では、世界史の教師が教科書を読み上げていた。

 

「吸血鬼は、魔法と呼ばれる特異な力を使い……」


 ぎっしりと横並びになった文字を軽く目でさらいながら、プレアはぼんやりと考える。

 プレアは今年で11歳。あと4年で学校も卒業だ。この街では、15歳になれば成人とみなされる。つまり、あと4年で働きに行くことになる。


 遠いどこかの街では、卒業後にもっと大きな学校に行って勉強するという話を、聞いたことがあった。

 しかし残念ながらこの街、レインポートに学校は一つしかない。


 プレアは心の中でハァと溜息をついた。

 別に、働きたくないわけではない。

 いずれは働くものだと割り切っているし、今の生活が別段気に入ってるわけでもないからだ。


 ただ、プレアには夢があった。

 頭の中で思い描くだけで、到底叶うことのないであろう、大きな夢が。


(結局、何もしてないまま今日まで来ちゃったなぁ……)


 繰り返すが、少年には夢があった。

 ある職業に就きたいという夢だ。

 そしてその職業は、男の子ならば誰もが一度は夢見る、理想の職業といってもいいだろう。

 もっとも、その職業には多くの危険が伴うため、誰もが憧れていたわけではなかったが。


 ふと、紙面の単語が目に入った。


(ハンター……)


 そう、「ハンター」だ。

 悪い吸血鬼をバッタバッタとなぎ倒し、自由を求めて外の世界を旅する、人類の夢が詰まった誇り高き職業。

 当然ながら、資格を得るための筆記試験は難関だ。

 簡単には受からないし、仮に受かったとしても、実技試験で落とされる場合が大半である。

 力だけでも、頭脳だけでもダメなのだ。


 何にせよ、ろくな努力もしないまま今日まで来てしまったプレアには、逆立ちしたってなれない職業である。


「せめて生のハンターとお話ししてみたい……」


 ノートに世界史教師の絵を落書きしながら、ぼんやりとそんなことを考える。

 その時。視界の隅で小さな光の粒が、チカチカと光ったような気がした。


 またか、とプレアは思った。

 よくあることだ。

 昔からプレアには、他の人には見えない小さな光の粒が見える。

 誰も信じてはくれないけれども、確かに見えるのだ。


 大抵の場合、それらはカラフルに色づいていて、そこかしこにプカプカと浮いている。

 街の中にもたくさん浮いているし、綺麗好きなトムおじさんの家にも、たくさん浮いている。

 しかし、どれもただ浮いているだけで、滅多に光ったりはしない。


 これの正体が何なのかは、プレア自身よく分かってない。

 ただ、これが光るのは大抵良くないことが起こる時だ。


 反射的に、ガバッと頭を上げた。

 もしこの世界に、どれだけ首を早く振り上げるかを競う競技があったのならば、

 今この瞬間、プレアは間違いなく世界最速タイムを叩き出したことだろう。


 振り上げたプレアの顔の前には、トマトもビックリなくらいに顔を真っ赤に染めて、逆三角形のメガネをプルプルと震わせて、憤怒の表所でこちらを見下ろす、世界史教師の姿があった。


「ハンターがどうしたって?」

「あ、あはは……」

「私の授業中に考え事をするとはいい度胸じゃないか……。バケツを持って、廊下で立ってこい!!」

「うわぁっ! すみません!!」


 教師に怒鳴られて、プレアは慌てて席を発つ。自業自得とはいえ、とんだ災難だ。クスクスと教室中から笑い声が漏れる。

 教室のドアを閉める直前、プレアはなんとなしに振り返って、後ろの方の席に座る二人のクラスメイトの姿を見た。

 見た感じ活発な印象を受ける茶髪の少年に、ぱっちりとした瞳が美しい綺麗な黒髪の少女。

 親友のカイと、プレアが密かに想いを寄せている少女、エルシィ。


 カイはやはりというか、案の定というか。

 こちらを指さしてゲラゲラと笑っていた。


 一方、エルシィの方も、片手で口元を隠しつつ、クスクスと笑っていた。

 何度見ても、彼女の笑顔は素敵だ。

 しかし、好きな女の子に笑われてしまったという事実を思い出し、プレアの顔は恥ずかしさのあまり、火を噴いたように赤くなる。

 その後、プレアは元々落ち込んでいた肩をさらに低く落とすと、後ろ手にそっと教室のドアを閉めた。

 ハァと小さく溜息をつく。

 しかしすぐに教師の言葉を思い出すと、バケツに水を入れるべく、とぼとぼと廊下を歩いて行った。


 バシャバシャとバケツの中に流れ落ちる水柱を見ながら、少年は再びハンターの事を思い浮かべる。


 何者にも囚われず、何者にも屈せず。

 自由に生きる戦士「ハンター」。


 外の世界の写真に心を奪われた少年が、彼らに憧れを抱くのは、もはや必然の出来事であったのかもしれない。

 いつしか少年は、祖母の言葉とは裏腹に、外の世界へ行く機会を伺うようになっていた。



 ーーー



 授業も終わり、下校のベルが鳴り始める頃。

 時間割変更の関係で、一足先に授業を終えたプレアは、見慣れた赤褐色の街並みをぼんやりと眺めていた。

 レンガ造りの一軒家が広がる商店街の一角。

 その片隅にあるオリージュの木の下が、本日の友人との待ち合わせ場所だった。


「おーい。プ、レ、ア~~!」

「うわああっ!」


 プレアは、突然、耳元で発せられた大声にビクンと肩を震わせた。

 ぼーっとしていたため、友人がずぐ傍まで迫っていたことに気づかなかったのだ。


「もう、びっくりさせないでよ……」

「悪りぃ悪りぃ。にしても、今日のプレアは傑作だったな」

「はぁ……。まったく、他人事だからって好き放題に笑っちゃってさ。こっちがどれだけ恥ずかしい思いをしたか……」

「ナハハハ。冗談だって~。んなことより、喜べプレア。大スクープだぞ!」


 そう言って、目の前でニカッと爽やかな笑顔を浮かべているのは、幼馴染のカイだ。カイは、街のあちこちを飛び回っては噂話を検証するという、変わった趣味を持っている。

 そして何か大きなスクープを入手した時は、こうしてプレアに真っ先に話してくれるのだ。


 カイのスクープは小難しくて、プレアにはよくわからないことが多い。

 だから彼には申し訳ないが、プレアはこの手のスクープにあまり興味がなかった。

 もっとも、新聞屋にそれなりの値段で売れているらしいので、何か凄いことをしているんだなという程度の認識はあったが。


 しかし、今回ばかりは様が違った。

 聞いて驚けと、前置きをした上で、カイは言ったのだ。

 天地が引っくり返るような言葉を。


「今、街の広場に凄腕のハンターが来てるらしいぜ!」


 一瞬。

 プレアは時が止まったかと思った。

 しかし、しばらくの後、その言葉の意味を理解して。


「えっ! カイ! それ本当!? どこ? どこにいるの?」


 プレアの心は躍った。


 彼が住んでいる街は小さい。

 ましてや、特にこれといった珍しい文化や特産品も無ければ、立地条件も最悪だった。

 なので、凄腕のハンターどころか駆け出しのハンターでさえ、立ち寄ることは滅多に無かった。


 この機会を逃せば街の外にでも出て行かない限り。

 いや、仮に外の世界に出て行ったとしても、凄腕のハンターなどそうそうお目にかかれるものではないだろう。


 何としてもその姿を一目見てみたいと思い、プレアは思わず身を乗り出した。


「ホントホント! なんでも、この辺りの森にSレートの吸血鬼が逃げ込んだらしくって、そいつを狩りにきたんだってさ」


 その言葉に、プレアは熱い何かが胸の奥から込み上げてくるような感覚を覚えた。

 トクントクンと、心臓が早鐘を打つ。

 ”Sレート”吸血鬼。

 そんな大物がこんな辺鄙(へんぴ)な街の近くをうろついていることにも驚いたが、注目すべき点はそこではない。

 カイは「Sレートそいつを追ってきた」と言っていた。

 Sレートにもなると、並のハンターが束になって掛かったとしても、到底太刀打ちできる相手ではない。

 それを追ってきたのだ。

 もしかすると凄腕のハンターどころか、トップハンターに名を連ねるほどの実力者なのかもしれない。


 気が付いた時には、プレアはもう走り出していた。

 難しいことは何も考えていない。

 ただ、憧れのハンターに会ってみたい。話してみたい。

 その一心だった。


 振り向きざまに、呆気に取られているカイに向かって大声で叫ぶ。


「ちょっと見に行ってくる!」


 これから会うかもしれない人物のことを想像するだけで、ワクワクが止まらなかった。


 一体どんな人物なのだろうか。

 やはり、気高い人物なのだろうか。


 服装はどういうものなのだろうか。

 ハンターは、危険な職業だ。

 だから、頑丈な鎧を着ているのではないだろうか。


 いや、ハンターには見た目も重要だという話を聞いたことがある。

 すると相応の服装。例えば、どこかの貴族の服に身を包んだりしているのかもしれない。

 きっと背は高くて、体格は筋骨隆々で、おとぎ話の英雄のような人に違いない。


 走りながら、そんな風に様々なハンター像を思い浮かべては、プレアは頬を緩めた。

 彼の耳には、もはや何も聞こえていなかった。


「あ、おい! ちょ、プレア! 話は最後まで……」


 ふと、あることを思い出したカイが、慌てて引きとめようとするが、時既に遅く。

 カイが手を伸ばした時には、プレアは光の速度で遥か彼方へと走り去っていた。

 一人ポツンと取り残された少年は、諦めたように溜息をつく。


「でも、かなり胡散臭い人だって言ってたんだよなぁ」

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