SILVER HUNTER

きょん

第一章 始まりの街「レインポート」

前編 幼年期のプレア

第1話 プロローグ

「ねぇねぇ。おばあちゃん。どうして外の世界に出ちゃいけないの?」


 幼い頃、少年はよく祖母の膝の上にちょこんと乗って、そんなことを聞いたものだった。

 初めてその疑問を口にしたのは、齢四つになった頃だっただろうか。


 少年の生まれた街では、衛兵達の訓練等の特別な場合を除き、外の世界へ行くことが禁止されている。

 もちろん、外の世界から誰かがやってくることも滅多にない。


 時々、珍しい商品をたんまりと荷台に載せて、商人のおじさんがやってくることはある。

 しかし、それだけだ。

 少年の記憶を辿る限り、他には何もない。


 いや、一度だけあった。

 かれこれ10年近く前のことだろうか。


 彼は確か「ハンター」だった。

 あまりにも幼い頃のことだったせいで、ほとんど何も覚えてはいない。

 それこそ、彼に会ったことさえも忘れてしまうほどに。

 しかし、確かに彼はこの街に来ていた。


 思えば、この頃からだったろうか。

 少年が祖母に、そんなことを尋ねるようになったのは。


  ◇ ◇ ◇


 ここは薄暗い地下の世界。

 辺りを取り囲む茶色い岩肌からはところどころに鉄骨が伸び、のしかかる重みを窮屈そうに支えている。

 空は低く、風は冷たい。

 天井にはぼんやりとした白色灯が浮かび、畑の野菜にわずかな光の恵みを与えていた。


 街のはずれにある、大型の送風機から流れてくる温風が木々を揺らし、洗濯物から水分を奪う。

 無機質な機械音。

 風は、まるで展示物のように規則正しく並んだ住宅を、順番に撫でていく。


 もしこの場に外の世界を知る人物がいたのなら、きっとこの景色に眉をひそめたことだろう。

 薄暗くて、ひどく小さい。

 まるで檻のような世界だな、と。


 そんな世界に生れ落ちてもなお、人々はたくましく生きていた。

 限りある資源を奪い合うことのないよう、出来る限りの無駄を省いて。


 五百メートル四方ほどの小さな正方形。

 人口わずか一千人ほどの小さな街。

 それが、少年の知る世界の全てだった。

 少なくとも、少年にとってはそうだった。


「ねぇねぇ。おばあちゃん。どうして街の外に出ちゃいけないの?」


 昔から少年がこんなことを尋ねると、彼の祖母は決まってこう言った。


「それはね、プレア。外には強くて怖ーい化け物が沢山いて、食べられちゃうからなんだよ」

「ばけもの?」

「そうさ。プレアのお父さんとお母さんを食べてしまった悪い吸血鬼が、外の世界にはワンサカといるからねぇ……」

「ねぇねぇ。それってきょーりゅーみたいに大きいのかなぁ?」

「いいや。大きさは人間と同じくらいだよ。でも、奴らは魔法を使うのさ。おぞましい悪魔の力をね」

「ふーん」

「だからプレアは、絶対に外へ行こうなんて考えちゃいけないよ。分かったかい?」

「うん!わかった!」

「よしよし。プレアはいい子だねぇ」


 元気よく返事をする少年に、少年の祖母は柔らかい笑みを浮かべた。

 そのまま、わさわさと頭を撫でる。


 幼い少年がこの手の質問をすると、祖母はいつも困った顔をした。

 しかしすぐに笑顔に戻ると、両の腕で少年の小さな体を抱きしめ、こんな風に優しく頭を撫でるのだ。

 少年はこうやって祖母に頭を撫でられるのが大好きだった。

 温かい祖母の腕のぬくもりに包まれると、なんだかとても心が落ち着くのだ。


 小さい頃から好奇心旺盛だった少年は、その性格こそ大人しかったものの、よく家の外を駆け回り、知らない物を見つけては祖母に尋ねていた。

 物心がついた頃には既に両親がいなかったが、優しい祖母のおかげで、寂しいと感じたことは一度もない。

 しかし、そんな祖母が時折、プレアを前に怖い顔をすることがある。


「ねぇねぇ。おばあちゃん! この、ぷかぷかと浮いてる光の粒は何ていうの?」

「光の粒?」

「うん! ほら! 見て見て! あそこにプカプカーって浮いてるやつ!」

「うーん、そんなの見えないけどねぇ……。一体どこにあるんだい?」

「あれぇ? 見えないかなぁ……」

「もしかして、街の空にある白色灯のことかい?」

「ちがうちがう。黄色い球のことだよ」

「……え」

「他はみんな白いのに、なんであの粒だけ黄色いのかなぁ?」

「!?」


 その時まで少年は、「光の粒」が周りの人々に見えないことを知らなかった。

 少年にとって「光の粒」は、どこにでもあるものだ。

 街中にぷかぷかと浮いているし、当然ながら、少年の家の中にもぷかぷかと浮いている。

 しかし幼い頃に、他人の前では見えるといってはいけないときつく言われたため、今では祖母を除き、このことを知っている者はほとんどいない。


「ねぇ、おばあちゃん。他の人には見えないのに、なんで僕だけ見えるのかなぁ?」


 いつだっただろうか。

 ある日、不思議に思った少年は、そんなことを祖母に尋ねた。


「さてねぇ。悪い病気じゃあないみたいだけど、おばあちゃんにはわからない。街の外になら、もしかしたらプレアと同じような人もいるかもしれないけれどねぇ……」


 外の世界には何があるんだろう。

 少年はふと、そんな事を考えた。

 遠い昔、誰かに聞いたことがある。


 外の世界には、見たことのない珍しい生き物が沢山いるらしい。


 他にも、眩しいばかりにランランと輝く「太陽」。

 どこまでも高く青い「空」。

 黄金のように、美しく輝く「月」。「星」。


 始めて空の色が変わると聞いた時は、とても驚いた。

 生まれてこのかた、茶色い岩の天井しか見たことのなかった少年にとって、そんな話は想像すらできなかったのだ。

 空には終わりがないという話にしてもそうだ。

 少年の見る景色はいつも近くにあり、無機質で、有限だった。

 信じられなかったし、当然ながら信じてもいなかった。

 面白いおとぎ話の一つだと思っていたのだ。


 しかしある時、お金持ちの友人が持っていた外の世界の「写真」を見た時。

 少年の世界は一変した。

 そこには本当にあったからだ。


 思わずうっとりしてしまうほどに美しい、青空。

 何もかもを真っ赤に染め上げる太陽。夕焼け。

 夜空で幻想的な輝きを放つ天の川。

 飲み込まれてしまうほどに広大な海。


 少年の求めてやまないものが、そこにはあった。

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