第47話 Verfolgung―追跡―
ループレヒトの遺臣の騎士たちは、城内の各拠点で帝国軍と戦っていたが、もはや敗北は
「これは、いったい……。若様たちはいずこにおわすのだ?」
「ピーンツェナウアーが、監禁していた部屋から消えているぞ! あいつが、若様たちを連れ去り、あの地下通路で逃げたんだ!」
騎士たちは、
「若様を返せ! この臆病者め!」
ピーンツェナウアーは騎士たちに後ろから斬りかかられ、「うぎゃぁ!」と悲鳴を上げた。
背中と左足を負傷したピーンツェナウアーは、
(こ、殺される! こうなったら、クリストフとの約束など破って、自分だけでも逃げよう)
そう考え、抱いていたオットー・ハインリヒを下に放り投げ、ドロテーアと公子たちを見捨てて逃走してしまった。
「あっ! 待て! ピーンツェナウアー!」
「あんな奴、落城を目前にした今となってはもうどうでもいい! 捨てて置け! とにかく、敵軍が
騎士たちは、地面に倒れていたオットー・ハインリヒを抱き上げ、フィリップをおぶっているドロテーアに「来い!」と怒鳴って彼女の腕を引っ張ると、ピーンツェナウアーが最初に逃亡しようとして捕まえた時に聞き出していた
ドロテーアは、あまりにも乱暴に腕を引っ張られたため、手に持っていたゲッツの右手が入った木箱を落としてしまった。
「ゲッツ殿! た、助けて!」
ドロテーアの悲鳴は、地下通路に虚しく響いた。
* * *
「ドロテーア! 今、行くからな! 待っていろ!」
ゲッツたちは、居館のすぐ近くの礼拝堂前で、城兵たちと激しい戦闘を行なっていた。
暗闇での乱戦の中、ゲッツの傭兵たちは散り散りになってしまい、ゲッツのそばにいる傭兵は四、五十人ほどだった。
(くそっ……。手がめちゃくちゃいてえ……。気が狂っちまいそうだ……)
試作型の鉄の手は、剣で敵を斬るとその衝撃が切断部に伝わり、敵兵を一人倒すたびに、ゲッツは激痛のせいで「あぎゃぁ!」と悲鳴を上げていた。
「血だ! 血! ゲッツ様、手首から血が! もう剣を左手に持ち替えて戦ったほうがいいですよ!」
「おいらたちがお守りしますので、早く剣を左手に!」
トーマスとエッボがゲッツの盾となり、主人に襲いかかろうとする敵兵と戦っている間に、ゲッツは血でどろどろになっている鉄の手をてこずりながら開き、剣を左手で握った。
(……これからは、鋼鉄の義手が使えなくなった時のために、左手で戦う特訓もちゃんとしないといけねぇな)
これまで鉄の手に少々頼り過ぎたと反省したゲッツは、
「トーマス、エッボ。ありがとよ!」
と、家来たちに礼を言い、再び戦闘に加わった。
しかし、敵兵たちの死に物狂いの抵抗に、ゲッツたちは苦戦を強いられ、なかなか居館に近寄れなかったのである。ゲッツ本人も、左手で剣を振るうことに慣れていないせいで、何度も危機に陥る場面があり、そのたびにタラカー、ハッセルシュヴェルト、トーマス、エッボらが助けに入った。
(まずい……。このままでは、居館内に入ることすらできない)
ゲッツはそう焦り始めた。
そんな時、ゲッツたちを救ったのは、城の内庭での乱戦を突破して駆けつけたフリッツ隊とナイトハルト隊だった。
「おいおい、ゲッツ。まだこんな所で遊んでいたのか。俺様が道を開いてやるから、さっさと居館に突入しろ!」
「ゲッツよ。敵軍だけでなく、ミュンヘン公の兵にも気をつけろ。あの狡猾公は、自分の目的を果たすためならば、どんなことでもする男だ。味方でも容赦しないぞ」
「伯父上たち、ありがてぇ! よし! みんな、突撃だーーーっ!」
フリッツとナイトハルトの助勢を得て敵兵たちの防衛線を突破したゲッツたちは、とうとう居館に討ち入り、いっきに三階へと駆けあがった。降伏兵たちが描いた居館内の見取り図と公子たちの居場所を頭に叩き込んでいるため、ゲッツに迷いはない。
途中、負傷兵や戦に
「おい。ここ、血で滑りやすくなっているから気をつけろよ」
階段を上りながら、ゲッツは兵たちに言った。三階の廊下から大量の血が流れてきているのだ。(まさか……)とゲッツは嫌な予感がした。
「な、何だ、こりゃ!?」
廊下には、数十の兵たちの
死者たちは、城兵の鎧をみんな着ている。ということは、公子たちを守ろうとして狡猾公の兵に殺された兵士たちなのだろうか? すでに、ドロテーアと公子は……。
「おい! 生きている奴がいたら返事しろ!」
ゲッツたちは、生存者がいるのならば事情を聞き出してみようと思い、屍をひとつひとつ調べた。
そして、ゲッツは、無数の矢が刺さった首なし死体を発見し、「うっ……」とうめき声を上げたのである。
「く……クリストフ……。クリストフ、なのか……?」
ゲッツは、驚愕して立ち尽くした。
間違いない。着ている鎧も、クリストフ愛用のものだ。
「……落城の際は俺が助命嘆願をしてやろうと思っていたのに、こんな所で死にやがって……。クリストフの馬鹿野郎……!」
ゲッツが、クリストフの死と直面してうろたえかけていると、タラカーが「ゲッツ、しっかりしろ!」とゲッツの耳元で怒鳴って肩を強く揺すった。
「ここは戦場だ。今は迷うな。迷いを振り切れ!」
「わ、分かっている。だが、クリストフが……」
「クリストフの死は、後で好きなだけ悲しめ。今は、自分のやるべきことをやるんだよ。一人、生存者がいた。話を聞くぞ」
生存者というのは、オットー・ハインリヒを抱いて逃げようとして、銃に撃たれて倒れた侍女だった。彼女は、右の太ももを撃たれて激痛のあまり動けなくなったが、意識はあり、ここで起きた一部始終を見ていたのである。ランツクネヒトの兵たちが侍女の手当をしてやると、彼女はここでいったい何が起きたのかを話してくれた。
侍女の話によると、クリストフがドロテーアと公子たち、ピーンツェナウアーを地下通路から城外に逃がそうとしていた時、城兵のかっこうをした兵たちが襲ってきたというのだ。クリストフは、ドロテーアたちを逃がすために戦い、死んだ。そして、クリストフを殺した兵たちは、なぜか同士討ちを始めたらしい。
「その後、仲間を殺した兵たちは去って行きました。それから間もなくして、ループレヒト公のご家来たちがここへ駆けつけて若様たちがいないことに驚き、『ピーンツェナウアーが若様たちを連れ去り、地下通路で逃げたに違いない。捕まえるぞ』と言って、一階へ……」
色々と不可解なことが多過ぎてゲッツたちは困惑したが、とにかく、ドロテーアと公子たちはまだ無事らしい。
「ループレヒトの遺臣たちは、公子たちを道連れにして死ぬ気だ。奴らに若様たちが捕まる前に、助けないと!」
ジッキンゲンが切羽詰った声でそう言うと、フルンツベルクが
「地下通路の隠し場所は侍女から聞いた。急ごう」
と、ゲッツを
「……分かった。クリストフ、遺体は必ず回収しに来てやるからな」
ゲッツは、首のない友の遺体にそう呟くと、自分の頬を鉄の手で殴って気合いを入れ直した。頬よりも手首に激痛が走り、また血が噴き出したが、
(こんなの、クリストフが受けた痛みの百万分の一以下だ!)
心の中でそう叫び、地下通路の入口があるという一階の炊事場へと急ぐのであった。
* * *
地下通路の入口の階段は、侍女が言っていた通り、炊事場の小窓の真下に隠されていた。
……というより、ドロテーアたちを追って地下に降りたループレヒトの騎士たちが、地下への階段の入口を隠していた
湿気でじめじめとした地下通路へと降りたゲッツたちは、敵が暗闇の通路から突然現れて襲って来た時のために、ランツクネヒトの精鋭兵士三人を先頭に立てて、走った。
「道が、二手に分かれているぞ。若様たちはどっちに行ったんだ?」
ジッキンゲンが左右に分かれた道を交互に指差し、眉を八の字にして困り果てた。こんな所で迷子になっていたら、公子たちがループレヒトの遺臣たちに捕まってしまうと焦っていたのだ。
「左の道に、何か落ちていますぜ。……木箱みたいですな」
ランツクネヒトの兵が左側の道に
(あれ? あの木箱、見覚えがあるぞ)
そう思ってそれを拾った。
「……あっ! これは、俺の右手を入れていた箱だ!」
開けてみると、塩漬けにしてある右手があった。ランツフートの
「きっと、ドロテーア殿が持っていてくれたんだよ。なあ、ゲッツ。好きでもない男の右手なんか、気味悪くて大事に取って置いてくれないぜ?」
タラカーがそう言うと、ゲッツはコクリと力強く頷き、
「左の道だ! ドロテーアは、ここでループレヒトの遺臣たちにさらわれたんだ! この道を行けば、ドロテーアに会える!」
と、確信をもって言った。
「ゲッツの兄貴が言うのなら、間違いない。みんな、行こうぜ!」
「待て。もしも、逆だった場合、大変なことになる。ベルリヒンゲン殿とジッキンゲン殿は左の道を行き、我らランツクネヒト隊は右を行こう。ベルリヒンゲン殿に、我が兵士を三十人預ける」
というわけで、ゲッツ隊とジッキンゲン隊は左、フルンツベルク隊は右の道を選び、先を急いだ。
* * *
ゲッツたちと別れた後、地下通路を奥へ奥へと突き進んでいたフルンツベルクは、松明を持った先頭の兵士が、
「道に点々と血らしきものが落ちていて、ずっと先まで続いています!」
と言ったため、もしかしたら自分が当たりを引いたのかも知れないと思った。
だが、その先で遭遇した人物は……。
「むっ……。貴殿は、敵の総司令官ピーンツェナウアー殿か」
「だ、誰だ、お前は……」
「私は、ランツクネヒト隊の連隊長、ゲオルク・フォン・フルンツベルクだ。大人しく、我が捕虜となれ」
フルンツベルクがそう言って迫ると、ピーンツェナウアーはチッと舌打ちして剣を抜いた。
ドロテーアたちを見捨てたこの男は、左足を負傷していたため、全力で走れず、あともう少しで地下通路の出口というところでランツクネヒト隊に追いつかれたのである。
「ローマ王を裏切った忘恩の
フルンツベルクは、愛用の大剣ツヴァイヘンダーではなく、ランツクネヒト隊の短剣カッツバルガーを抜き放った。狭い地下通路では、長剣よりも短剣のほうが戦いやすいと考えたからだ。
ピーンツェナウアーは、フルンツベルクの気迫に怯え、後ずさったが、すぐに「ふ、ふん……」と鼻で笑い、
「い、いいか、ランツクネヒトの隊長よ。どれだけ神聖ローマ帝国に尽くしても、お前が報われる日など来ないぞ。貴人に情なんてない。たとえ今のローマ王がお前を見限らなくても、次の代には分からん。不要だと思われる日が来たら、必ず捨てられる。……この俺のようにな」
と、フルンツベルクを
だが、フルンツベルクは眉一つ動かさず、真っ直ぐと迷いのない足取りでピーンツェナウアーに歩み寄り、こう宣言したのである。
「私は、ローマ王に……ハプスブルク家にこの身を捧げると決心したのだ。たとえ、この先にどんな運命が待ち受けていようとも、自分が選んだ道を後悔したりはしない。我が愛すべきランツクネヒトの同朋たちと共に、この道を行く!」
ダッ! と地を蹴り、フルンツベルクはカッツバルガーでピーンツェナウアーの右手を突いた。ピーンツェナウアーは、「うぎゃ!」と叫び、剣を落とす。すかさず、ランツクネヒトの兵たちがピーンツェナウアーに飛びかかり、敵の総司令官を捕縛したのである。
「やったぁ! 我らの父、フルンツベルク殿の大手柄だ!」
兵たちは喜んではしゃいだが、肝心のループレヒトの遺児たちがいない。フルンツベルクがピーンツェナウアーに問いただすと、公子たちとドロテーアという少女は、ループレヒトの遺臣である騎士たちに捕まってしまい、おそらく
(
そう考えたフルンツベルクは、兵士二十人にピーンツェナウアーをローマ王の本陣まで護送するよう命じ、残りの五十数人で
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