第43話 Freund―友達―

 クーフシュタイン城は、開戦から十日経っても落ちなかった。


 神聖ローマ帝国の重要拠点として要塞化されたこの城の堅固さに帝国軍が苦しめられるという皮肉なこの展開に、マクシミリアンも苛立ちを隠せずにいた。


 城攻めの八日目には城門をついに破壊することができたのだが、いざ城の外郭がいかくに攻め込まんとした時、城門の前後に落とし格子こうしが落ちて来てランツクネヒトの兵士十数人が閉じ込められたのである。そして、袋のねずみとなった彼らは熱湯をかけられ、弱っているところにケヒリ・ヘルゲ父子率いるボヘミア兵たちによってとどめを刺されてしまった。


 また、砲撃も分厚い城壁に対してほとんど効果が出なかった。予想以上に自軍が善戦していると思って調子に乗ったピーンツェナウアーは、ほうきをくくりつけた砲弾をマクシミリアンの陣に送り、「ざまあみやがれ!」と言わんばかりの挑発をしたのである。


「このまま城を包囲して、兵糧攻めにしたらどうでしょうか?」


 と、マクシミリアンに進言する者も多くいたが、マクシミリアンはそう進言されるたびに頭を振った。


(戦争が始まってから、もう半年……。食糧が尽きそうなのは、我が軍も一緒なのだ)


 あと半月も兵糧がもたないと知っていたマクシミリアンは、何としてでも十月半ば頃までには決着をつけねばならないと考え、


「インスブルックの兵器廠へいきしょうにある重砲じゅうほうをここまで運ばせよ」


 と、開戦から五日目にそんな命令を下していた。


 実は、特別に大きな口径で作らせたマクシミリアンの秘密兵器とも言うべき重砲数門が近頃完成して、帝国軍の兵器廠で保管されていたのである。


 それらの重砲はかなりの重量があるため、イン川で引き船に載せてクーフシュタインへと輸送された。そして、クーフシュタイン城の付近まで来ると、船から降ろして大がかりな人数と馬で重砲をマクシミリアンの本陣まで届けようとした。


(そろそろ、重砲が到着する頃か)


 戦の指揮をしながらマクシミリアンがそう考え、今度こそあの城壁を破壊してやると意気込んでいた時、驚くべき急報が入った。


「重砲の輸送隊が、正体不明の部隊に襲われています! どうか救援を!」


 伝令の報告にマクシミリアンは「な、何だと!?」と珍しく狼狽ろうばいし、


「ただちに救援に向かえる部隊はあるか!」


 と、側近のエーリヒに問うた。


「ゲッツの隊が、ブランデンブルク辺境伯へんきょうはくの陣営の自分の幕舎にいます。義手の修理をしているそうです」


 ゲッツは、十日間の激しい戦闘で、ボタンを押して指が開く義手の仕掛けの調子が悪くなっていたのだ。また、百九人いたゲッツの傭兵隊は、十日間の激戦により十人が戦死、十九人が重軽傷、三人が病気にかかり、戦える人数は七十七人に減っていた。タラカー一味の数を合わせても、九十二人だった。


「義手が直っているようなら、ゲッツを出撃させよ。ゲッツが出られないのならば、自ら打って出て、重砲を守る!」


「は、ははっ!」


 エーリヒは大慌てでゲッツの幕舎に駆け込んだ。


「げ、ゲッツ殿! 輸送中の……じ、重砲が……!」


「エーリヒ殿、ちょっと落ち着け。重砲を運んでいる輸送隊が何者かに襲われているっていうんだろ? 辺境伯軍の陣営にもその報はすでに伝わっているよ。言われなくても、今から助けに行こうとしていたところなんだ」


「義手はもう直ったのか?」


「いや、ロルフが修理してくれているが、まだ完璧には直っていない。だが、ちょっとくらい調子が悪くても戦えるさ」


 ゲッツはそう言と、「まだ駄目です! 乱暴に扱ったら、本当に壊れてしまいます!」とわめくロルフ親方からひったくった鋼鉄の義手を装着した。そして、自らの傭兵隊とタラカー一味を率い、イン川沿いで襲われている輸送隊の救援に向かったのであった。


 ところが、重砲の輸送隊を襲っている謎の部隊というのが、あのクンツの手勢だったのである。



            *   *   *



 クンツは、クリストフを助けるために、近隣の都市や村から食糧を奪ってクーフシュタイン城に運び込んでいたが、帝国軍が城を包囲すると、しばらくの間は身を潜めていた。しかし、ローマ王秘蔵の重砲がインスブルックからクーフシュタインへと輸送されていると知り、


(その重砲をイン川に沈めてやろう)


 と、企んだのである。


 そして、輸送隊が船から重砲を降ろしてローマ王の陣に運ぼうとしていた時に襲撃し、次々と輸送隊の兵を殺していったのだ。


「命が欲しかったら、重砲を置いて行け!」


 クンツは輸送隊の隊長にそう怒鳴り、剣で彼の槍のを叩き切った。隊長は逃げるぐらいならばここで死のうと覚悟をした。


 ゲッツたちが駆けつけたのは、ちょうどその時である。


「てめえだったのか、クンツ! この間はよくもやってくれたな! ランツフートで俺を侮辱した罪、ここであがなってもらうぞ!」


 ゲッツは愛馬シュタールを疾駆しっくさせ、輸送隊長の首をねようとしていたクンツに斬りかかったのである。


「何!? ゲッツだと? お前、何で戦場に……!」


 ゲッツは二度と立ち直れないだろうと思っていたクンツは、目の前に甲冑姿のゲッツが現れて驚愕きょうがくした。そして、ゲッツの刃を慌てて剣で受け止めた。


「お、おい、ゲッツ。お前、右手を失ったんじゃないのかよ」


 右手で剣を握っているゲッツを見て、クンツは問うた。ゲッツの鋼鉄の義手が鎧の小手に見た目が似ていて、ゲッツが生身の右手のように巧みに剣を振り回しているため、


(こいつ、右手がにょきにょきと生えてきたのか!?)


 などと、思ってしまったのである。


「馬鹿野郎。これは最新型の鋼鉄の義手だ。てめえの憎たらしいつらをこの鉄の手でぶん殴ってやる。覚悟しろ!」


「ふん! また鉄の手の玩具おもちゃかよ! そんなガラクタを手に入れて、強さを取り戻したつもりだとは片腹痛いぞ! 前みたいにボコボコにしてやる!」


 クンツは嬉々とした表情を浮かべ、ゲッツと馬上で激しく打ち合った。


 クンツの友人は、ゲッツとクリストフ、この世でたった二人だ。たとえ二人から恨まれていても、クンツが心から友と言える人間はこの二人しかいない。これから先、激しい憎悪しか向けてもらえないのだとしても、こうやってゲッツが自分の前に再び現れてくれて、嬉しかったのである。孤独な狼は、泣きたいほどの歓喜を胸に、ゲッツと剣を交えていた。


 一方、ゲッツの手勢は、タラカーの指揮のもと、輸送隊の兵たちを襲っているクンツの傭兵たちと戦い、重砲を死守していた。攻防はタラカーたちが優勢のようだ。だが、クンツと一騎打ちしているゲッツのほうは大いに苦戦し、焦っていた。


(くそ……! やはり、クンツは簡単には倒せないな。激しい剣の打ち合いを長いことしていたら、右腕がしびれてきやがった……)


 ゲッツの攻勢がゆるむと、クンツはギラリと目を光らせて猛攻を開始した。


「おら、おらーーーっ! どうだ! これでどうだぁーーー!」


 ガン! ガン! ガーーーン! と、鋼鉄の義手にクンツの剣が激しく叩きつけられる。


 猛烈な衝撃が右手に伝わり、炎で熱した鉄を押しつけられたような激痛が切断部に走った。ゲッツは、くらっと目まいがして一瞬目の前が真っ暗になったが、「なにくそ!」と闘志を燃やして踏ん張り、正気を保った。


 クンツは野獣のごとき咆哮ほうこうを上げながら、義手への攻撃をさらに激しくしていく。


(剣を握れる義手の仕組みはよく分からないが、執拗しつように衝撃を与えていたら、ぶっ壊れるだろう)


 そう考え、義手を集中的に攻撃しようとしたのである。


 ゲッツは、クンツの思惑をすぐに察した。


(ただでさえ壊れそうになっているのに、これ以上させるか!)


 ゲッツは、わざと義手をクンツが攻撃しやすいように前に出して誘い、それに引っかかったクンツが義手めがけて剣を振り落とすと、さっと鉄の手を引き、左手でクンツの右の手首をがしりとつかんだ。


「あっ、しまった! ち、ちくしょう!」


「捕まえたぞ、クンツ。これでも食らえ!」


 ニヤリと笑ったゲッツは、クンツの体を引き寄せ、鋼鉄の拳を下から突き上げてクンツのあごを殴った。


(いてえ!)


 心の中で絶叫したのは、ゲッツである。ただでさえ右腕に大激痛が走っているというのに、義手で殴るなど、自殺行為もはなはだしい。しかし、鉄の手にぶん殴られてクンツも相当痛い思いをしているはずだ。ゲッツは、手首の切断部に巻いている包帯が血でにじみ始めているのも構わず、


「ぶん投げろーっ!! ぶん殴れぇーーーっ!!」


 そう怒鳴りながらクンツの横っ面に鉄の手を叩きつけ、「どうだ! 思い知ったか!」と吠えた。


 クンツは血の混じった唾をペッと吐き出すと、ヘラヘラと笑った。


「さすがはゲッツだ。だが、少し暴れただけでそんなに息が荒くなっているようでは、まだ本調子ではないようだな」


「偉そうなことを言うんじゃねえ! 顔がボコボコにれ上がっているくせに!」


 ゲッツがもう一発殴ると、クンツは危うく落馬しかけて何とか持ちこたえたが、剣を手から落としてしまった。


「これでとどめだ!」


 ゲッツは、剣を握る鉄の手を振り上げ、クンツをぶった斬ろうとした。


 だが――。


 鉄の手の五本指が、突然、ガシャンという音とともに真っ直ぐに伸び、剣を後ろへ放り投げてしまったのである。


「や、やべえ! ついに壊れちまった!」


 驚いたゲッツは、思わずクンツの手を放してしまっていた。すかさず、クンツは馬首をめぐらしてゲッツから離れ、


者共ものども、退却だ! ゲッツ! 次に会う時までに体を本調子にして、鉄の手も修理しておけよ! じゃあな!」


 と、手を振って逃げ去ろうとしたのである。


「逃がすもんか! ハッセルシュヴェルト! クンツを撃て!」


 ゲッツがそう怒鳴ると、ハッセルシュヴェルトはいしゆみを構え、クンツめがけて矢を放った。


 しかし、百発百中のはずのハッセルシュヴェルトの矢が珍しく大きく外れ、クンツは逃げ切ってしまったのである。


「おい、ハッセルシュヴェルト! お前、さっきのは、わざと外しただろ! なぜクンツを言った通りに射殺さなかった!」


 怒ったゲッツがそう詰め寄ると、ハッセルシュヴェルトは静かにこう答えた。


「……ゲッツ殿が、友人であるクンツを殺したいと心から思っているとは考えられなかったからです」


「あんな奴、友だちなんかじゃねぇよ!」


 ゲッツが呼吸を乱しながら叫ぶと、タラカーがゲッツの肩をポンと叩き、


「落ち着け、ゲッツ。今はクンツの野郎のことよりも、この重砲を無事にローマ王の元へ届けることのほうが重要だろ?」


 と、ゲッツに冷静になるようにうながしたのである。


「そ、そうだったな。……悪い、ハッセルシュヴェルト。あいつには、クリストフのことや自分のことで恨みがあるから、つい熱くなっちまった」


「いいえ。俺はただ、今はどうであれ、昔は友と呼んでいた人間をゲッツ殿が殺してしまい、後悔と苦しみを背負って欲しくないと思っただけです」


「…………」


 ゲッツはハッセルシュヴェルトにそれ以上は何も言わず、手勢に輸送隊を護衛させながらローマ王の本陣へと向かうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る