第29話 Aufruhr―激動―

 連合軍は、ミュンヘンに帰還した。そして、各軍の諸将は、次の戦いに備えてそれぞれに動き始めたのである。


 ブランデンブルク辺境伯へんきょうはくの軍は、ミュンヘンが手薄になることを恐れたミュンヘン公アルブレヒトの半ば強引な引き止めによりミュンヘンにとどまることになった。


 シュヴァーベン同盟軍のパッペンハイムら各都市の隊長たちは、多くの死傷者を出したうえに大砲も敵に奪われたため、兵力と武器の補給のために自分の都市にいったん戻ることになった。


 ランツクネヒト隊はというと、連隊長レオンが戦死したが、各中隊の指揮をとるフルンツベルクら中隊長たちが残存兵力を統率してまだ戦える状態だったので、このままミュンヘンでローマ王マクシミリアンの到着を待つことに決まった。


 辺境伯軍のナイトハルトは、ゲッツが残した傭兵ようへいたちに「このまま軍に残るか、故郷に帰るか」とその意思を問うたが、兵たちの多くはミュンヘンで主人ゲッツの帰りを待つと答えたのである。


「俺たちには、帰るべき家どころか家族もないんだ。ゲッツ様は、天涯孤独てんがいこどくの身の俺たちを拾ってくれた。戦場で生きのびるための戦い方も怒鳴り散らしながら教えてくれた。そんな恩あるゲッツ様を見捨てたりしたら、寝覚めが悪いぜ」


 そう言い、ランツフートの戦で生き残った百十七人のうち百九人が残った。また、ゲッツがランツフートで拾ったエッボも、この傭兵たちと行動を共にすることになった。


 こういう場合、傭兵は主人を見限って隊を全員離れるのが普通だ。それなのに八人しか離脱しなかったことにナイトハルトは驚き、


(ゲッツには、不思議と人に好かれる魅力があるのだな)


 と、手のつけられない荒くれ者だと思っていたおいのことを見直し、彼ら傭兵の給金はゲッツが帰還するまでの間は自分が代わりに出してやろうと思うのであった。


 また、フリッツもゲッツの傭兵たちの選択に感激し、


「貴様ら、よく言った! ゲッツが戻る日までは、この俺様が貴様らを立派な兵士として鍛えてやる! 俺の訓練は、気を抜いたら死ぬから、死ぬ気で頑張れ!」


 と、嬉々として地獄のように厳しい訓練をゲッツの傭兵たちに課し、兵たちは辛さのあまりゲロを吐き、泣きながら「ゲッツ様、早く戻って来てくれぇ!」と主人の帰りを待ちわびるのであった。


「ゲッツの右手を奪ったニュルンベルクの奴らだけは、絶対に許せねぇ。必ず復讐してやる!」


 と、血走った目でそう言っていたフリッツが、可愛い甥のために自分がしてやれることが見つかり、ニュルンベルクへの復讐を一時的かも知れないが忘れてくれたのは助かるとナイトハルトは思うのだった。


 一方、トーマスはゲッツの母マルガレータに主人の大怪我を知らせるためにヤークストハウゼンへ、ハッセルシュヴェルトはクリストフの消息をドロテーアに伝えるためにザクセンハイムへと向かっていた。



            *   *   *



 このようにミュンヘン陣営の人々がそれぞれの思惑に従って行動していた頃、一番怪しげな行動を取っていたのは、狡猾公こうかつこうアルブレヒトだった。


「何? 盗賊騎士クンツが、わしに面会を求めているだと? 一族の居城をプファルツ選帝侯せんていこうから取り戻すことに成功したのか」


 家臣からの報告を聞いたアルブレヒトは、「あの男は使える。クンツを今すぐ連れて来い」と命令したのである。


 クンツは、四月にゲッツと戦って敗れた後、ランツフート継承戦争でミュンヘン陣営側につくべくアルブレヒトの元にゲッツたちよりも早くに駆けつけていた。目的はただ一つ、プファルツ選帝侯が父のルッツから奪ったホルンベルク城を取り戻すことである。


「軍資金をくれたら、あんたのために働いてやる」


 図々しいクンツはアルブレヒトに頭も下げずに軍資金をもらい、手勢を率いてドイツ南西部ネッカー渓谷けいこく沿いのホルンベルク城に向かった。そして、


「一族の怨念を思い知れーーーっ!」


 そう吠えまくって烈火のごとく戦い、プファルツ勢力をホルンベルク城周辺から追い出したのであった。ちなみに、これは余談だが、ホルンベルク城は後にゲッツの居城となる城である。


(欲望に忠実な男ほどこまとして使いやすい者はいない。そいつが望む物さえあたえたら、喜び勇んで働いてくれるのだからな)


 そう考え、アルブレヒトは礼儀知らずのクンツに力を貸していた。


「奴を上手く利用したら、この不利な戦局をくつがえすことができるかも知れない」


 アルブレヒトがそうぼそぼそと独り言を言っていると、クンツがひどく不機嫌そうな顔をしながら謁見の間に現れた。


「クンツよ、どうした。せっかく一族の居城を奪い返したというのに、なぜそんなにイライラしている?」


「妻の容態が思わしくないのだ。ミュンヘンの医者はやぶ医者だらけなのか? この都市にいる医者という医者にイルマをさせたというのに、一向に快復かいふくしない」


「ふん。それは心の病であろうよ」


 アルブレヒトが鼻で笑ってそう言うと、クンツは「ぐぬ……」とうなり、アルブレヒトをにらんだ。


 クンツは、友人のクリストフの城を彼の留守中に襲い、クリストフの従妹いとこイルマを誘拐して無理やり妻にした。その時にイルマは、クリストフの家族や家来たちがクンツによって惨殺される光景を目の当たりにしている。そして、その夜にクンツに抱かれたのだ。心が病んでしまうのも当たり前ではないか。


「……貴様とて、ローマ王の妹をあざむいて妻にしたではないか。貴様は俺のことを笑える人間なのか、狡猾公よ」


 クンツが声を荒げてそう言うと、アルブレヒトはにたぁと笑った。


「お前の言う通りだ。儂はお前と同種の人間さ。欲する物は、どんな手段を使ってでも手に入れる。神は、人がどれだけ祈っても望む物を与えてはくれないのだ。自らの手で勝ち取ろうとするのは当然のことだ。だから、儂とお前は正しい。儂ならば、お前のことを理解してやれる。……クンツよ、今のお前は何を望んでいる? 言ってみろ。ある仕事を引き受けてくれたら、儂が力になってやるぞ。その任務中、お前の妻の面倒は儂が見てやる。この暑い中、病人をお前の居城となったホルンベルク城まで運ぶのは無理だろうからな」


「俺の望む物……」


 クンツはポツリとそう呟くと、意を決したようにアルブレヒトを見つめ、こう言った。


「……行方不明になっているイルマの従兄いとこ、クリストフ・フォン・ギークが今どこにいるのか知りたい。イルマが心の病ならば、あいつが兄のように慕っていたクリストフと会わせてやったら、心の傷が癒えるはずだ」


(クリストフ・フォン・ギークというのは、ランツフートで我が軍と戦い、右手を失った辺境伯軍のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンを助けたループレヒト軍の騎士のことか)


 イルマは、自分を誘拐して妻にしたクンツに決して心を許さず、いっさい口を利かないのだ。時折、原因不明の呼吸困難に陥り、クンツが背中をさすってやろうとしても、イルマは夫の手を払いのけ、「クリストフ兄様、クリストフ兄様」と苦悶くもんの表情を浮かべながら嗚咽おえつするのである。


 クンツは、イルマを強奪してその体を我が物にした後、ようやく重大なことに気づいた。自分が本当に欲しかったのは、美しい女の肉体ではなく、イルマの心だったのだ。生まれて初めて恋した彼女の愛情だったのだ。


 主君に城を奪われて流浪の身となった父のルッツは飲んだくれて妻に八つ当たりし、毎日暴力を振るった。そんな生活に耐えられなくなったクンツの母は、幼いクンツを残して失踪した。すると、ルッツは、今度はクンツを殴るようになったのである。


 誰にも愛を教えてもらえずに育ったクンツは、イルマへのこの熱い想いをどうやったら満たすことができるのだろうかと悩んだ。そして、彼女を抱いてその麗しき肢体したいを我が物にしてしまえば解決すると短絡的に考え、物を奪うようにイルマを誘拐したのである。


 それが過ちだと気づいたのは、自らの所業によってイルマの心が絶対に手に入らなくなってしまった後だったのだ。


(いや、まだ手遅れではない。クリストフを捜し出して、あいつにイルマの病気を治してもらうんだ。そして、俺がクリストフに家族を殺してしまったことを謝罪し、イルマとの結婚を許してもらえたら……あいつも少しは俺に心を開いてくれるかも知れない)


 クリストフやイルマから言わせたらあまりにも身勝手過ぎる解決法を考えついたクンツは、以前からクリストフの行方を捜していたのである。


「儂にクリストフという男の捜索をしろというのだな。いいだろう。儂の領内……そして、ランツフート領が手に入れば、あの地でもクリストフの捜索をしてやろう。約束は必ず守る」


「そういうことなら、俺もミュンヘン公の力になる。それで、俺に何をやらせるつもりだ?」


 この狡猾なるミュンヘン公がすでにクリストフの居場所を把握していることなど知るはずがないクンツがそう問うと、アルブレヒトはクンツに歩み寄り、彼の耳元でこうささやいた。


「……ある男を殺して欲しい。奴が死ねば、この戦争は終わる」


 ループレヒトよ。儂が世の人々になぜ「狡猾公」と呼ばれているのか、貴様に教えてやるぞ。アルブレヒトは心の中でそう呟くのであった。



            *   *   *



 密命を受けたクンツが、病気のイルマをアルブレヒトに預けてミュンヘンを発った頃、ザクセンハイム城のドロテーアはハッセルシュヴェルトから二つの驚くべき知らせを聞かされていた。


「え? クリストフ様が、ランツフートに!?」


 城の居館でその報告を聞いたドロテーアは、一瞬、喜んだが、すぐに顔を曇らせた。せっかくクリストフが見つかったのに、彼は兄のラインハルトやゲッツの敵になってしまっていたのだ。


 それだけではない。クリストフはなぜ自分に手紙で「俺は無事に生きている」と知らせてはくれなかったのか。なぜ、自分を妻として迎えに来てはくれないのだろうか。ドロテーアはそう思い、不安にかられた。


「……クリストフ様とゲッツ殿は、親友同士で剣を交えてしまったのですか?」


「いいえ。……実は、ゲッツ殿は、今、クリストフ殿がいるランツフートで身動きが取れない状態なのです」


「そ、それは、敵方にとらわれたということですか?」


 ドロテーアが心配してそうたずねると、ハッセルシュヴェルトは沈痛な面持ちで頭を振り、ゲッツがニュルンベルクの大砲によって右手を失い、敵であるループレヒトに保護されたことを語った。


 それを聞いて衝撃を受けたドロテーアは急に心臓が苦しくなり、左胸を両手でぎゅっとおさえた。自分でも驚くほど動揺は激しく、しばらくの間、呆けたように立ち尽くした。


 一方、ハッセルシュヴェルトの報告をドロテーアとともに聞いていたタラカー一味のカスパールら傭兵たちは、驚くというよりも激昂げっこうし、


「ゲッツ殿が右手を失っただなんて、信じられねえ!」


「ニュルンベルクの奴ら、二年前の復讐をしやがったのか!」


「ニュルンベルクの都市に火をつけてやる!」


 と、口々にわめき、中には広間の壁をガンガン殴って獣が吠えるように号泣する者までいた。


「落ち着け、お前たち! 今、俺たちがやるべきことは、ニュルンベルクへの復讐じゃねえ! ゲッツをランツフートから救出することだ!」


 タラカーがそう怒鳴ると、傭兵たちは父親に叱られた子どものようにしゅんと大人しくなり、老隊長の話に耳を傾けた。


「ループレヒトがゲッツに好意的でも、他のランツフートの連中が敵であるゲッツに害意を持ち、命を狙うかも知れない。そばに親友のクリストフがいるが、彼一人だけでは、いざとなったらゲッツを守り切れないだろう。場合によっては、人質として利用されるかも知れない。騎士道精神がすたれたこのご時世、戦争中に敵方の手中にあったら、いつぶち殺されてもおかしくはねえ」


 ブランデンブルク辺境伯やナイトハルトらはループレヒトの善意を信じようとしたが、六十数年の人生で人の思わぬ悪意に何度も痛い目にあってきた盗賊騎士タラカーは(世の中、そんなに甘くはねえ。人間、一寸先は闇が待っているかも知れないんだ)と考えていた。


「俺も、ゲッツ殿を助けに行くぜ!」


 馬面うまづらのカスパールが、涙と鼻水を両手でごしごし拭きながらそう言うと、他の傭兵たちも拳を振り上げながら「俺たちもランツフートに行こう!」と吠えた。すると、タラカーが「ちょっと待て。全員で行くのは駄目だ」と子分たちを制した。


「ゲッツに、ドロテーア殿のことを頼まれているんだ。ランツフートに行く者とザクセンハイム城に残る者を決めないといけない」


「……その必要はありません。私もみなさんと一緒にランツフートへ行きます」


(え……。急に何を言い出すんだよ、このお嬢様は)


 さすがのタラカーもこれには驚き、ドロテーアの顔を見た。唇は震え、顔が真っ青になっている。


「タラカー殿、お願いです。どうか私をランツフートへ連れて行ってください。危険なのは重々承知しています。みなさんにご迷惑をかけてしまうことも分かっています。でも、どうしてもランツフートに行きたい。心配なのです。あの人が……」


 ドロテーアが、今にも泣き崩れそうになるのを必死にこらえてそう言うと、タラカーは「むむ……」とうなり、白髭を撫でながらしばらく悩んだ。そして、


(この子はクリストフの許嫁いいなずけだ。俺たちは厳戒態勢がしかれているランツフートに命がけで潜入するしかないが、ドロテーア殿は「私はクリストフの婚約者です」と堂々と名乗って都市内に入ることができる。ランツフート陣営の奴らに怪しまれても、クリストフが彼女は自分の許嫁だと証言してくれたら、すぐに疑いは晴れるはず。俺たちは、ドロテーア殿のお供にふんして一緒に都市に入ればいい)


 そう考えて、ドロテーアを連れて行ったほうが得策だと判断し、「世話の焼けるお嬢様だ。仕方ねえ、いいだろう」とうなずいた。


「……だが、一つだけ聞かせてくれ。あんたは、誰のために危険を冒してランツフートへ行く? あんたが会いたいと思っている男は、クリストフか? それとも……ゲッツか?」


「え…………?」


 タラカーの問いに、ドロテーアは愕然がくぜんとした表情をし、そのまま固まってしまった。


「そ……それは……それは……」


「悪い。意地悪な質問をしちまったな。何も答えなくていいよ。……さあ、お前たち、ゲッツを助けに行くぞ!」


 タラカーがそう言うと、傭兵たちは「おう!」と威勢よく叫んだ。


(やれやれ。見た目はすっかり大人のいい女だが、心はまだまだ幼いな。自分の気持ちに気づいていないのか。こりゃあ、ゲッツも苦労するぜ)


 タラカーは、うつむいて「わ、私は……私は……」と呟いているドロテーアを横目で見ながら苦笑するのであった。



            *   *   *



 このように、ミュンヘンでは狡猾公アルブレヒトがクンツを利用して謀略を巡らし、ザクセンハイム城のタラカー一味はゲッツ救出に向かっていた。


 人々の行動が、歴史の激しい動きに拍車をかけていく。


 八月に入り、ランツフート継承戦争をめぐる人物たちの思惑や決断は、帝国全体を巻き込んだこの戦いを新たな局面へと突入させていった。


 ライン地方で勝利を重ね、プファルツ選帝侯の居城ハイデルベルク城に間近まで迫っていたローマ王マクシミリアンの元に、驚くべき報告がもたらされたのである。


 クーフシュタイン城を始めとするイン川沿いの諸城がプファルツ選帝侯の誘いに乗って寝返ったのである。


「クーフシュタイン城のピーンツェナウアーがを裏切ったというのか? まさか……」


 マクシミリアンは、ピーンツェナウアーがアルブレヒトの恐喝じみた援軍要請を断り、狡猾公の復讐を恐れて敵軍に寝返ったことなど知るよしもない。目にかけてやったピーンツェナウアーがなぜ裏切ったのかとしきりに首を傾げた。


「王様。このままでは、インスブルックの兵器廠へいきしょうを敵に奪われ、帝都ウィーンへの道も閉ざされる恐れがあります。早急さっきゅうにミュンヘン公と合流し、ランツフートのループレヒトを討ちましょう。そうすれば、離反者りはんしゃたちも再び王様に従うはずです」


 王の忠実なる側近、エーリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイクがそう進言すると、


「義弟のアルブレヒトも、救援を乞う手紙を余に送って来た。……よかろう。帝国に背く若き獅子ししを余自ら成敗しよう」


 マクシミリアンは早々と決断を下して、帝国軍をプファルツ領から撤退させたのであった。


 ローマ王東進の報は、すぐさまループレヒトの元に届き、ミュンヘン陣営の連合軍を退けて安心していたばかりのランツフートに緊張が走ったのは言うまでもない。


 そして、風雲急ふううんきゅうを告げるランツフートにはクンツとその傭兵たちが潜伏していて、ループレヒト暗殺の機会を虎視眈々こしたんたんと狙っていたのである。

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