第25話 Rechte Hand―右手―

「ふむ……。そろそろとどめを刺す頃合いか」


 荷馬車隊を指揮しているケヒリは、混乱極まる戦場を冷静に分析していた。


辺境伯へんきょうはく軍は、ヘルゲの部隊とループレヒト公の騎馬隊に釘づけになっている。……今ならば、手薄になっている敵の第二陣、第三陣を突破して、はるか後方の狡猾公こうかつこうの陣までたどり着けるはずだ」


 そう判断したケヒリは、荷馬車隊の陣形を解くと、前進を命じ、第二陣のシュヴァーベン同盟軍に突撃した。


 ほとんど死にたいとなっていたアウクスブルク市の傭兵たちはケヒリの猛攻を受け、あっけなく逃げ散った。同盟軍の指揮官であるパッペンハイムまでもが、兵たちと一緒になって退却したのである。


「まずい! ニュルンベルクの大砲隊に敵軍が迫っている!」


 後方で戦いの行方を見守っていたゲオルクはそう叫び、「ゲッツ、助けに行こう」と言った。


 自分たちの大砲を守るべくニュルンベルクの傭兵たちが防戦しているが、勢いづいたケヒリの荷馬車隊に大苦戦している。長くはもたないだろう。二年前の辺境伯軍との戦いで荷車城塞ワゴンブルクの戦法の指揮をとれる者たちの多くが死んでいたため、ニュルンベルク部隊は敵の荷馬車隊に対抗しうる戦術を持っていなかったのだ。


(ニュルンベルクの奴らを助ける? ゲオルク様は本当にお人好し……いや、今回はただのお人好しというわけではないか。ニュルンベルク部隊の大量のカルバリン砲が敵の手に渡るのはまずい。今、あいつらを助けに行けるのは、ゲオルク様の部隊とカジミールの部隊だけだ。しかし、カジミールは父親に「自分は後詰ごづめに残るから、お前が戦いに言って来い」と言うような野郎だ。ニュルンベルクのためになんか絶対に動こうとしないだろう。ゲオルク様の部隊が行かねば……)


 だが、それではゲオルクを危険にさらすことになり、辺境伯との約束を守れない。


 ……とはいえ、シュヴァーベン同盟軍で唯一持ちこたえているニュルンベルク部隊がこのまま壊滅したら、次に攻撃を受けるのはゲオルク隊とカジミール隊である。


(進んでも危うい。動かなくても危うい。どうするべきか……)


 ゲッツは、迷った。


 自分一人の命を自分の責任で危険にさらすのならばこんなにも悩まなくてもいいのだが、今のゲッツは恩ある辺境伯の息子の命を預かっている。下手に動けないのだ。


「ゲッツ。何を迷っているのだ。ニュルンベルクは、今は味方なのだぞ。味方を見捨てるような真似など、いつものゲッツならばしないはずだ。……私は行くぞ!」


 ゲオルクはそう言うと、部隊を率いて突撃していった。


 ゲオルクは、人並み外れた勇気の持ち主のゲッツを兄のカジミールよりも尊敬していた。そのゲッツが味方の救援に行くかいなかで迷う姿を見て失望し、同時に腹を立てたのである。


「あっ! げ、ゲオルク様! やべえ! ゲオルク様を一人で行かせちまった! トーマス! ハッセルシュヴェルト! 急いで追いかけるぞ! 者共ものども、出撃だ!」


 ゲッツは、ゲオルクを追いかけながら後悔した。「戦場では迷いは禁物だ」とタラカーがあれほど忠告してくれたのに、こんな大事な局面で迷ってしまい、ゲオルクを単独で戦場に飛び込ませるという大失態を犯してしまったのである。


「ちくしょう! シュタールよ、頼むからもっと速く走ってくれ!」


「ゲッツ様! ゲオルク様の隊が荷馬車隊の銃撃にあっています!」


 トーマスが指差した。


 ケヒリの荷馬車隊は、もはや戦意を失ってしまったニュルンベルクの傭兵たちをひき殺しながら進軍していた。


 ゲオルクの部隊は、ニュルンベルクの大砲隊をかばうように、荷馬車隊の前に立ちはだかった。そして、敵が荷車城塞ワゴンブルクの陣形になる前に攻撃しようとしたのだが、ケヒリはまたたく間に鉄の防壁を完成させたのである。そして、逆にゲオルク隊に激しい銃撃をしかけていたのだ。


「その立派な鎧……そなたは辺境伯の息子か。軍の士気を上げるためにはちょうどいい大将首だな」


 ケヒリはそう言うと、得意の投擲とうてきでゲオルクを殺そうと考え、左手に短槍を握って構えた。


「させるかぁーーー!」


 駆けつけたゲッツが、ケヒリよりも早く槍を投げ、さらに続いていしゆみ使いのハッセルシュヴェルトも矢を放った。


 ゲッツの槍はケヒリの右耳をかすめて耳たぶを破き、ハッセルシュヴェルトの矢もケヒリの左手をかすり、軽傷を負わせた。


「チッ……。また新手か。邪魔をしおって」


 ケヒリは、自分の邪魔をした白馬の騎士を血走った目で睨みつけた。しかし、その若い騎士の顔を見て、雷に打たれたような衝撃を受けたのである。


(き……キリアン・フォン・ベルリヒンゲン!? い、いや、違う……。よく似てはいるが、別人だ。あの男も、もし今も生きていたとしたら、俺と同じくらい老けているはず……。しかし、それにしても驚くほど似ている……)


 ケヒリがそう困惑して動きが止まっている間に剣を抜き放ったゲッツのほうも、


隻腕せきわんの老戦士? 父上やタラカーの親父と同年代くらいか?)


 と、そんなことを考えていた。


 その直後、今度はゲッツたちの背後で変事が起きたのである。


 ドゴーーーン! ドゴーーーン! ドゴーーーン!


 ニュルンベルクの大砲隊が放った砲弾が、ゲッツやゲオルクたちのすぐ近くに三発も落ちたのだ。


「あいつら、また敵味方の見境なしにぶっ放してきやがった!」


 トーマスが忌々いまいましそうに叫んだが、ゲッツは、


(違う! これはわざとだ! 二年前の復讐をする機会をうかがっていたニュルンベルクの奴らは、辺境伯の次男が自分たちの目の前に現れたから、ゲオルク様を殺すために狙い撃ちしているんだ!)


 と、直感した。


 この時のゲッツは、後の人生でたびたび振り返っては自分でも不思議に思うほど直感が冴え渡っていた。直感というよりも霊感に近かったかも知れない。背後から飛んで来る殺意のかたまり――砲弾の気配を振り向かずとも感じていたのである。


 その殺意の塊は、ゲッツの前方にいるゲオルクの背中めがけて、迫りつつある。


 このままでは、ゲオルクが死ぬ。


 ゲッツは声にならぬ叫び声を上げ、愛馬シュタールを走らせた。剣をさやにしまっている暇もない。


 ――ゲオルクを頼む。守ってやってくれ。


 辺境伯の声が、蘇る。


 ゲオルク様を守ると、騎士として辺境伯と約束したのだ。


(ここでゲオルク様を死なせてしまったら、俺は騎士の誇りを完全に失ってしまう! 何としてでも助けなければ!)


 ただその一心で、剣を握っている右手を伸ばした。ゲオルク様に届け! そう念じて。


「うわぁぁぁぁぁぁーーーっ!!!」


 ゲッツの拳は、ゲオルクの左肩に届き、ゲオルクは落馬した。


 そして、その直後、砲弾はゲッツの剣の柄頭つかがしらに命中したのである。


 柄頭は真っ二つに裂け、吹き飛んだ柄頭の半分は、折れ曲がって反り返ったゲッツの鎧の腕甲わんこうの下にもぐり込み、手首に食い込んだ。そして、腕甲の鉄板までもが食い込み――。


 ゲッツの右手は、切断されたのであった。

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